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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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ドラゴンと殺し合い

 程なくしてケリュンらが辿り着いた荒野の一角で、ドラゴンは静かに蹲っていた。全身にこびりついた血痕は、元来まだら模様なのかと見紛うほどだ。小さな丘のように丸まり、眠っているのかと思ったが、ピーナに指摘されて気を失っているのだと気付いた。それほどまでに消耗しているのか。

 近寄れば酷い臭いがした。()えて倦んだ、血と臓物の臭いだった。

 ケリュンは片手剣を抜いた。盾を構えた。

 ドラゴンの瞼が震え、まるで反射のようにその身が起き上がる。以前イオアンナが()いだという両翼は未だ戻っていない。

 現れた小さな敵に、ドラゴンは雄叫びを上げた。




「アイツら結構足速いねー。大丈夫?」

「まだ大丈夫、です!」


 アルクレシャの街並みを疾走する、小柄な二つの影があった。砂色のマントで身体を覆った謎の二人組――レナートとエミネルである。

 二人に思いつく、テギンとテオドア夫婦をフレイヤに会わせない方法なんてこれしかなかった。つまり、二人の注意をレナートとピーナに向けさせてしまうのである。

 お粗末かもしれないが、後の無い人間、特に親――ではないが、二人はそれに類似するだろう――というものはなかなか見境の無いものだ。そしてその通り、夫婦はレナートとエミネルの企みに乗ってきてくれた。

 果てはあるが、それが何時かは分からない。そんな彼らとの鬼ごっこの幕が切って落とされたのだった。


「(しっかし、ボクっていっつも逃げてるよな……)まぁ、今回はいざとなったら逃げ込む場所があるからねっ。あそこなら多分安全――あれっ?」

「ど、どうしたんですか?」

「いない、いないよ一人! 旦那の方が!」


 焦ってエミネルが振り返ると、なるほど二人の後を追うのはテギンだけだった。

 遠くには、こちらに背を向けるテオドアの姿。彼がフレイヤを探しに行ったと考えるとつまり。つまり――


「つまり、手分けされちゃった以上、あたしたちの作戦は半分くらい失敗なのでは?」

「つまり、私達を追う役の方を与えられたあの奥さん、もしかしてなかなか結構強いんじゃない?」

「「……」」


 テギンとテオドア。互いを想いあう仲睦まじい夫婦だとピーナには聞いた。

 そんな夫婦だというのに、片方を残して片方が去る。これこそ相手の実力に深い信頼が無ければ、成立しないに違いない。

 テギンは貴族の家庭教師すら任されるほどの魔法使いだと聞いている。マルテ王国では都市内での魔法の私的な使用は固く禁止されているが、彼女が大人しく鬼ごっこだけに興じてくれるかどうか。

 まさかそんなはずもない。

 嫌な予感がよぎる。レナートは角を曲がりがてら、放置されていた錆塗れの燭台を引っ掴むと、おもむろに背後へと投げつけた。エミネルはその躊躇の無さに息を飲み、視線で追った先、その燭台が見えぬ壁に阻まれ地面に転がったのを見て青ざめた。


「……作戦変更っていかがですか?」

「いいね賛成。内容は?」

「安全な逃げ込める場所に直行」

「完璧」





 のそりとした動きも、目の前の小山のごとき巨体が成せばそれは脅威であった。

 ドラゴンがその手を振りかぶった瞬間、ケリュンはぐっと腰を落とした。構えた盾も真っ当にぶつかっていれば悲惨な結果に終わっていただろうが、それをやり過ごす術をケリュンは学んでいる。

 タイミング良く凪ぐような動作で盾を打ち、ドラゴンの一撃を弾き返す。驚いたのか隙が生まれた刹那、そこをついて斬りつければ、やっとダメージを与えられた――と。気を抜いたのがいけなかった。


「伏せろ!!」


 ピーナの叫びと嫌な予感に押されて地面につっ伏した。ケリュンの頭上、ごうと風を切る重たげな音と影。長い尾による一撃だった。


「油断するな!」

「助かった、すまん! ……?」


 ふと、己の足元にぼたりと落ちた液状化した物体を見る。見覚えのある赤黒い繊維が混じった、ピンクの液体。見るとあちこちに散らばっている。

 先程までは確実に無かったそれの正体を追い、ケリュンの目線はドラゴンの尾を追う。肉が溶け落ち、骨が剥き出しになり、再生するもまたどろりと赤黒い肉が地に落ちるばかりの尾を。

 顔を歪めるケリュンをよそに、ピーナの明るい声が響く。


「おっ、かなり弱ってるな。ラッキーじゃないか。これなら殺せそうだな」


 もしもドラゴンの再生能力に余裕がありそうなら、一度帰ることも視野にいれていた。フレイヤの命の灯火にもまだ余裕があるということだし、別の作戦を考えなければならない、と。

 この状態ならば問題ないと、気楽に笑ってもよいのだが。


「……うん。殺さないといけないんだよな」

「どうしたその顔。別に放っておいてもいいかもしれないが、ドラゴンがどう動くかは分からないからな。お前が国を思うなら……ってとこかな」


 ドラゴンは痛みに狂っているわけでもない、ただ勝手が分かっていないのか、やり辛そうに尾を揺らす。肉のこそげ落ちた骨が露わになっているのに、気付いているのかいないのか。

 衰弱し、崩れゆく己の現状も知覚できていないその様に、ケリュンは初めて対峙したときの、あの悠遠なる姿を思い描こうとする。

 饐えた臭いと砂埃が邪魔をする。


「こういうのなんて言うのかな」


 ケリュンはぽつりと呟く。


「哀れだ」


 骨だけになった尾が、またしてもケリュンを打ち据えようとする。その一撃を潜るように躱し、掬い上げるようにして人で言う踵の部位を深く斬りつけた。

 その後もいくらか間接に刃を突き立てたが、ドラゴンの傷は徐々に――といっても、長らく凝視してやっと分かるだろう程度の速さで――再生する肉の間に埋もれていく。

 やはり決定打に欠けると、ケリュンは一度ドラゴンから距離を取った。


「やっぱり俺なんかじゃキリがないな。ピーナ、分析は――」

「なんかお前強いな」


 唐突な発言に振り返ると、ピーナは無表情のまま腕組みをしていた。これがどういう感情を表しているのか、この時のケリュンには分からなかったが、後になって思うとこれは彼女なりの驚嘆の表現だった。先すら見通す占い師である彼女は、驚くこと自体に慣れていないのだった。

 いきなりなんだとに眉を顰めるケリュンに、ピーナはいくらか早口で続けた。


「いや予想外だ。普通に強い。目が良いのかな。当たらないし当てる。まるで一端の剣士じゃないか」

「なんだよ急に。それよりさっきお前が言ってた策を試そうと思うんだ。協力してくれ」

「いいけど。哀れなんじゃなかったのか?」

「そうだな。でも、俺の救う相手じゃないんだ」


 言うと、ケリュンはそのままピーナを抱え上げ、脱兎の勢いで走り出した。ピーナは彼の肩越しに、ドラゴンの大口の底、白い光が灯るのを見た。


「ケリュン、あいつの口の中に爆弾を投げ込め!」

「ムリ!!!」


 そのまま二人揃って飛び込むように地に伏せる、その頭上を光線が通り抜けていった。

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