夫婦と鬼ごっこ
テオドアとテギンがフレイヤのことを察したのは、彼女の動向にずっと気を配っていたためだ。
フレイヤは明るく聡明で、なんの陰りも見せない娘だった。記憶喪失に挫けることもなく、熱心に魔術に打ち込む、健気な娘だ。
しかし、そんな彼女が時おり、どこか寂しげに遠くを見つめていることがあった。遠く、恐らく己の奥底にある何かを――誰かを、ひたむきに見つめている。
それに気付いている者がどれほどいたことだろうか。陰りを見せない彼女の横顔は、傍から見ていてあまりにも不安定だった。
夢を見るには信仰に近く、信仰にしては寄る辺のない瞳だった。
それが心配で堪らなかった。
やがて二人がフレドラで店を開き、フレイヤとの交流も文通以外では途絶えたころ。
突然、あまり表では名を出せないような薬を仕入れてくれ、との依頼を受けたことがあった。「絶対に足がつかないように」という、不可能な条件の付け加えられた、とある貴族からの注文。
面識すらないアルクレシャ在住のその貴族が、いかにしてフレドラの小さな店にまで辿りついたのか。おかしいと思い探ってみれば、裏にフレイヤの陰があるようだった。
おまけに依頼を受けたその日から、テオドアとテギンを密かにつけ回す影――一体フレイヤは何と関わっているのかと、息を潜めつつ首を傾げる日々だった。
それからの行方不明、そしてドラゴンの登場だ。
テギンほどの知識のあれば分かることだ。あれほどの魔力を湛えたフレイヤが、これに関わっていないはずがない。
テオドアとテギンにとってみれば、フレイヤの記憶喪失なんて嘘でもなんでもよかった。ドラゴンを何度呼んで国を滅ぼそうとしてもいい。説得はするが、最終的にフレイヤがそれを選択したのなら、テオドアとテギンは、きっと何度だって身を以て彼女を庇う。
彼女を本当に、家族のように想っていたのだ。
もちろんテオドアもテギンも、マルテ王国を、王族を深く尊んでいる。大多数の国民同様の教育を受け、この国で育ち、こうして幸せを掴んでいる。それに心から感謝しているし、いくらだって敬うこともできる。
しかし。
テオドアにとって、テギンとフレイヤは国よりも大切で。テギンにとっても、テオドアとフレイヤは国よりも大切だった。
彼らは何よりも『人』を重視していた。商人であった家の教えのせいかもしれないし、ただの生得的な傾向だったのかもしれない。とにかくこの夫婦は、そういう感覚を持つ者同士だったのだ。
「テギン、どうだ。あいつは――」
「やっぱり駄目。分からないわ。遠くにいるみたい」
テギンを以てしても、フレイヤの気配は感じ取れなかった。その魔力の一端さえ掴めない。
昔から、膨大な魔力を隠し、制御する訓練ばかりしていたためだろう。少し離れている間に、隠蔽の技術をここまで上達させたらしい。フレイヤの知性と才能が、今ばかりは少し忌まわしかった。
「じゃあ、今日も順番に捜していくか」
「そうね。距離が離れていなければさすがに分かるはずだから、色んな所を回ればきっと――」
と。
そんな二人の前に、立ちふさがる二つの影があった。砂色のマントで身を覆い、フードを目深に被っているが恐らく子供だろう。どちらもずいぶんと小柄だ。
テギンとテオドアはそれだけを認識した途端、その場から逃走しようとした。こんな人気のない所にわざわざ現れて、以前に自分達を付けてきた連中かと思ったのだ。
しかし、
「待て」
高いとも低いともつかない奇妙な声音に振り返り、テギンは目を剥いた。
片方の掲げた手から覗くのは、明るい桃色をしたミサンガだった。
二人はそれを知っていた。フレイヤが肌身離さず身に付けていたものだ。彼女は彼ら二人にも出来るだけそれを隠そうとしていたが、長い付き合いをしていれば自然と気付いてしまう。
そのことについて、テオドアもテギンも何も尋ねなかった。代わりにフレイヤへと金の足環を贈った。魔力を安定させるための、そしてそのミサンガを覆い隠すためのものとして。
「それを何処で拾った?」
テオドアの噛み付くような問いかけにも彼らは答えない。ミサンガを懐にしまって数歩後ろに下がり、
「――これ以上詮索するな。以上だ」
「おい、待て!!」
マントを翻して逃げ出す二人を、テオドアとテギンは慌てて追った。
怪しい点はいくらでもあった。
何故今さら出て来た? あれだけの警告の為に姿を現すのか? ミサンガをわざわざ見せに来た意図は?
それでもテオドアとテギンを走らせたのは、フレイヤの魔力にもう後が無いのでは、という予測だった。不死身のドラゴン衰弱の噂は、アルクレシャに届いていた。
また、そうでなくても彼女が行方不明になって既に数日が経過している。年若い娘の体力としても限界が近いに違いない。
罠としても飛び込むしかなかった。そこにフレイヤとの繋がりを見出せる可能性があるのなら。
テオドアもテギンも知らない。現れた片方の手にあったミサンガがその辺の店で買われた、彼らを釣り上げるための餌に過ぎないことも。どちらもフレイヤの居場所なんて知らず、ただ彼らを攪乱するためだけに現れたことも。どちらも、まさか知る由もなかった。