対峙
エミネルとレナートは二人並んで、アルクレシャの街角に腰かけていた。
足早に進む人々の波は奇妙に静かで、時おり以前の姿を思い出したかのように歓談が始まった。その笑い声は明るかったが、しかしふと訪れる沈黙はより深く重たかった。
建物の陰では野良犬が寝そべっていた。アルクレシャでは滅多に見かけないその姿に気付いても、騒ぎ立てる者はいなかった。犬はそれを理解しているのか、伸び伸びとした体勢で寝こけている。
そののん気な微睡みに、レナートはつい笑みを零す。
「動物って危機とかに鋭いんじゃなかったっけ?」
「うーん……もしかしたら、危機なんて訪れないと、分かっているのかもしれませんね」
「どういうこと?」
「えっと、あたし達の作戦がうまくいって、危機なんて訪れないってことを、獣の勘ですでに察知しているのかもしれません」
「ヘェー。だったらいいね」
ロマンチックなことを言うな、とレナートは思った。決して自分の中には無い発想である。
エミネルとレナートはこのように、ささやかな雑談くらいなら難無く交わすことのできる仲になっていた。
親友と言うには未だ親しみに欠けるが、友達と言うには遠慮がなく、距離が近い。戦友というものだろうか。――例えば大勢亡くなったという、ケリュンとその同僚のような。
「……ケリュンくんも闇が深いよねーッ。ついてけなくなっちゃいそー」
「そう、ですね。……前会ったときは、今とは全然違ったんです。もっと余裕があって、スコップを持ってて、狩人で。自分の技術に自信がありそうで――」
「ふーん」
レナートの知るケリュンは、今とあまり変わらない。恐ろしい所に勤めていて、剣を帯びていて、初めから傭兵だった。エミネルの語る以前のケリュンを、レナートは知らない。
……別に、だからどうしたというわけでもないけれど。
「それよりスコップってなに?」
「あ、そうですね。ふふっ、あたし、それを初めて見たとき秘密兵器だと勘違いして――」
と、その時だった。
「あっ、あれ、あの二人じゃないですか?」
二人の目線の先、一軒の建物から出てきたのは、ずいぶんと体格差のある男女であった。
ほっそりとした手足に金の輪をはめた、落ち着いた外見の女性。その傍を歩く、まるで戦士のようにガタイのよい、商人らしき装束の男性。
何気なく言葉を交わし、ただ目的地に向けて早足に歩いているように見える。しかし、どちらも時おり忙しなく目線を動かしては、難しい顔をしていた。
レナートは正直、エミネルのスコップトークの続きの方が気になってしかたなかったが。さすがに、大恩あるケリュンからの任務を放棄するわけにはいかない。
なんたって今度こそ、対等な友達になるのだから。
そして、「あーあー、ごほん」と咽喉の調子を確認し、
「おーい、テオ!」
幾分低めの、よく通る声を上げた。
男がふと足を止め、レナートらの方を見たが、すでに二人はその身を隠している。
どうやらあの二人がテオドアとテギンらしい。というよりも、あれほど目立つ夫婦だ、見たことがなくても間違える方が難しいだろう。なるほど、ピーナが見たら分かると言っていたわけだ。
レナートとエミネルの役割は、あの二人の妨害だ。なんとしてもあの夫婦が貴族フレイヤと接触しないようにしなければならない。精神的にキツイものはあるが、幾人もの戦士を、そして彼の英雄イオアンナを薙ぎ払ったドラゴンと対峙するよりかは、よっぽどマシに違いなかった。
件のドラゴン退治には、当然ながらケリュンとピーナが向かった。二人が大丈夫かは分からないが、さすがに無策で行くはずもないし、まあなんとかしてくれるだろう。それよりも自分たちの任務に集中すべきだ。
改めて気を引き締めたレナートに、
「なんだか推理小説みたいですねっ」
なぜか拳を握り、語尾を弾ませるエミネル。彼女の紅潮した頬に、レナートは溜息を飲み込んだ。
自分には無い発想も、有り難くない時はある。
ケリュンらがどれほど探そうと、ドラゴンの居る方面に向かう馬車はでていなかった。当然の話である。しかしケリュンの馬で行こうという提案にも、ピーナはこの身体では疲れるからと拒絶した。
そのためピーナは金に物を言わせて、とある馬車を買収した。
賭けに負け困窮に苦しんでいたらしい、御者であり持ち主でもある男性は、跳び上がって喜んだ。黄色い歯を剥き出しにして愛想笑いを浮かべ、幾度となくケリュンに禿げた頭を下げた。実際に金を払ったのは子どものピーナでなくケリュンだったからだ。
「いやーまさに救いの手ですよ。最後の最後、故郷に帰るときのためにと取っておいた馬なんですがね。昨日売っ払っちまわなくてよかったですよ、ハイ」
「こっちからしてみれば有り難い話だけどさ。命が惜しくないのか?」
「確かに命あっての物種ですがね。やっぱり金ですよ、金! 命があって、そして金があってやっと『人間』って認められるんです。お武家さんには分からんでしょうが、そんなもんなんですよ、私らみたいな奴の価値観なんてのはね」
「そうか」
ケリュンは頷いた。こちらの気も知らないで、と思わなくもなかったが、あちらの気を知らないのはこちらも同じだったためだ。
馬鹿な戦友達の顔が、いくらか脳裏をよぎっては走馬灯のように消えた。
「そうかもな」
想像よりは揺れないもののやたら軋む馬車に揺られながら、ケリュンは剣の鞘を眺めていた。鏡にしては役に立たなそうだと、傍から見ていたピーナは思った。
「……どうして私に頼みに来た?」
「何を」
「ドラゴン退治をさせてくれと。まるで許可でも取るみたいに来たじゃないか」
「何かに縋りたかったんだよ」
「王族以外の?」
そして浮かぶ大人びた苦笑に、そう言えばこの男は成人を済ませていたか、とピーナは今更ながらに思い出す。レナートあたりが聞いたら吹き出しそうだ。どうやら彼女はケリュンのことを、同い年くらいだと考えているようだから。
ケリュンは鞘を撫でた。彼はイオアンナの最期の言葉を考えていたのだ。
マルテの騎士、王族のための剣。彼女は命を賭してその言葉を体現してみせた。
だからケリュンは答えた。
「国は俺が守りますし、ドラゴンは俺が倒します」
だから安心して死んでほしい。
――お前がいくら、どれほど強くなろうとも、私はお前より強かった。
考え込むケリュンから、ピーナはふと目を逸らした。
「……あの二人の前では言わなかったが。今の状態のドラゴンなら、お前じゃない、別の誰かがきっと退治してくれるだろうよ。いつになるかは分からないし、それまでに狂ったドラゴンが、この国でどれほど暴れるのかも分からないが」
「それでも俺が殺さないと。約束したんだ、イオアンナ様と」
「安心して死んでもらうために?」
「まあ」
自分の内面の特に深い部分を、こうして簡単に曝され、検分されるのは、なんとなく居心地が悪かった。
だからケリュンはもう何度目かは分からないが、イレーヤのことを考えることにした。儚げな微笑、落ち着いた仕草。ケリュンがイレーヤに会うのは、彼女の自室だけだ。他の王族、クレアやロッカとはまた違う。そんなイレーヤがケリュンは好きだった。
彼女のためなら死んでもいい。彼女のためならなんだってしてあげたい。何度この想いを、頭で、心で反芻したことか。
「イレーヤが死ぬときにも、安心して死んでもらいたいって願ってるのか」
ケリュンは首を振る。これまで何度となく繰り返してきた。母イルーナ、師匠イオアンナ。どちらもうまくいったとは言い難い。
だからこそ、これは最早願いではなく、
「俺の中では誓いだよ」
ケリュンの妖しいほどに真剣な瞳は、ひたとピーナを見据えていた。
ピーナは一度息を吐いて瞼を落とした。
「そうだな、とりあえず」
立派な心がけだとは思うが、普通の人間は恐らく懸想する相手の死に際の心情まで考えないだろうし、それを慮った誓いなんて立てないし、そもそも他人が何かしたところで安心して死ねるかどうかなんてものは、結局本人の問題に過ぎないのでは。
それこそ『安心』と『死』なんてものを完璧に両立させるためには、死の間際、当人によっぽどの問題が降りかかっていて、亡くなるまでの間でケリュンがそれをうまく解決するとか、そんな運命的ともいえるくらいの奇跡が必要なのでは――。
ピーナは全ての疑念と反論を飲み込んで端的に答えた。
「女への口説き文句としてはゲロ以下」




