その言葉はもう遅い
貴族フレイヤがドラゴンを召喚し、操り、そして傷つく度に癒していた。
これが今最も考えられるシナリオだった。
フレイヤならば不可能ではない。ピーナが驚嘆するほどの魔力。聡明な家庭教師のもと、彼女は特に、それを制御――操作する術を熱心に学んできたという。
彼女はドラゴンとその魔力を持って、同じく人間離れした存在である英雄イオアンナに勝利した、といっても過言ではないだろう。
そんなフレイヤの命だが、もう長くはないとの見方を示すのはピーナだ。
「イオアンナがケリュンに語った言葉を思い出してほしい。最後には羽も腕もなかなか再生しなかった、という点だ。フレイヤに限界がきている、と見てもよいだろう」
と。いきなりそんなことを語られても、納得しがたいエミネルとレナート。
「そもそも、そんなことが出来んの? って感じだけどね」
「その、あたしもいまいち納得できては……」
「できる」
ピーナは言い切った。
「古代にはこの程度の魔法使いも珍しくはなかった。魔道士、魔術士問わずな。言うなればフレイヤはそのレベルにある。いったいどういった出自なのかは気になるが、まあ、曲がりなりにも記憶喪失なのだから本人にも分からないんだろうが」
含みのある言い方だった。
「まず思い浮かぶ簡単な方法だと、『魔法陣』だ。あらゆる要素を詰めこんだものを描き上げさえすれば、あとは単純だ。そこに魔力を注ぎ込むだけ」
魔法陣、ずいぶん懐かしい単語だった。以前エミネルから、それについての説明を軽く受けていた。
図と魔力さえあれば発動するが、とてもじゃないが、普通の人間の魔力では手を出せない代物だとか。
「……一度発動させれば長く効果を発する物もあれば、魔力を注ぎ込む間だけ発動する物もあるらしいですけど。後者、ということですか?」
「恐らく。前者だとすれば、不死身の化け物が量産できるということになるが。そうなっていないからな。そしてそう考えれば、フレイヤが身を隠したのも頷ける。彼女は恐らく、そこから動けないに違いない」
「そんなの、魔力云々抜きにしても、衰弱して死ぬだけじゃん」
「そうだ、と言っている」
一同沈黙。怖気立つほどの、狂気混じりの決意だった。ドラゴンが現れてからどれほど日が昇り沈んだことだろう。まさか貴族がそこまでするか、と思われるほどの……。
ケリュンはそこで、記憶喪失だと言うフレイヤの出自を考えた。どうやら、以前ケリュンの出くわした魔物使いの男と関係があるらしい彼女のことを。
「――誰かに攫われて、無理矢理やらされてるんじゃないのか?」
「お前、イオアンナが誘拐される様を想像できるか? 鎖で身体を巻いても根性で引きちぎってくるような超人だぞ? そういうレベルだと言っている」
なるほど。ケリュンは深く納得した。
そんな彼らの横で、レナートは深く溜息を吐いた。
「まあイオアンナ様がどうなのかはともかくさ。じゃあその貴族の人は、放っておいても死ぬってこと?」
「ドラゴンはもうこの地に来てしまっている。どちらにせよ倒すしかない。また、フレイヤを探している者もいる。彼らが彼女を助けてしまえば、この惨事はまた繰り返されるだろう」
フレイヤはそれほどの決意を胸に秘めている。そんな彼女を、テギンとテオドアは身を挺して庇うだろうことだろう。
落ちかけた沈黙を切り裂くのは、眉間に手をあてたレナートだった。
「つーまーりー。可哀想なドラゴンを殺して、可哀想な女の子にも死んでもらうってこと?」
「フレイヤの方は直接手を下そうが下すまいが、どちらにせよいずれ息絶える」
「変わらないじゃん。要するに、彼女に伸びるだろう救いの手の邪魔をしまくるってことでしょ?」
「――先に言っておくが、私はすでにケリュンについた。彼の味方になると決意を済ませている」
つまり、ケリュンも既に決意をしたと、言外に仄めかせているのであった。
気まずさ混じりのその空気の中、ピーナとエミネルは、どこか怖々と顔を見合わせる。二人の瞳は同じような色に染まっていた。大きな困惑と、微かな怯え。
エミネルはごくりと唾を飲み込んだ。
「あたし、あたしは――自分が死ぬよりも、よっぽどいいです。だけどやっぱり、手を出すのも怖いんです。だって、自分の行動で人の生死が動くなんて、そんな、そんなのって…………、よく考えたら、前にもありましたけど」
「あったんだ」
「魔物でしたけど……今でも、忘れられない光景です。現実の、光景でした」
魔物使いの男を捕まえた、あの時のことだろう。彼の相棒たるオーロラウルフを殺した、あの。
エミネルは息を吐いた。
「け、ケリュンさんはどう思ってるんですか?」
「間接的にせよ、お貴族様を死に追いやっちゃうことについて、ね」
二人は彼の言葉を、直接聞きたかった。どう考えているのか、彼の意志を。
ケリュンは机に視線を落としていた。木目か、あるいはそこに至るまでの宙を見ているようで、何も見ていない。そんな目をしていた。
ケリュンはドラゴンに薙ぎ払われた、同僚たちの顔を思い出す。いや、明瞭には思い出せない。その程度の付き合いだった。ザック・ザーランでさえ、そう長い付き合いでもないかった。
だがああも軽々と弑されてよい命ではなかった。ケリュンにとって、なにより、彼ら自身にとっても。
対価にぎらついていた、欲をそのまま映したような双眸。逃げ出したいと諦めたように呟いた、遠くの誰かの声。血飛沫と肉片、それからどこかの断末魔。
「もうたくさん死んでる」
静かに落とされたそれだけの言葉に、誰も何も言わなかった。




