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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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 ピーナはケリュンを呼びだした。

 エミネルとレナートは上機嫌で菓子を頬張っている。少しは打ち解けたことだし、今ごろぎこちなく会話なんて楽しんでいることだろう。


「で。なんで俺だけなんだ?」

「察しているくせに。彼女たちの普通の生活を邪魔するような情報を与えるわけには、いかないだろう」

「優しいこともするんだな」

「……お前が私をどう認識しているかは知らないが。そこまで残酷ではないつもりだ」

「冗談だよ」


 ケリュンは微かに笑った。

 その静かな表情に、ピーナは変わったな、と思ったが、よくよく考えたら目の前の相手のことをよく知っているわけでもなかったし、こんな時にかける言葉も思いつかなかった。


「ん、どうかした?」

「いや。……二人に怪しまれてもなんだしな。さっさと話を始めようか」


 ピーナが机に取り出した紙を見ると、これまでの騒動の一連の流れがまとめられていた。


「あの場では、アレで収めたが。そうだな、まずは……もう少し話を深めてみよう」

「……」


 まず『魔物の波』の噂について。どこからともなく囁かれていた噂話は、そろそろ波が来るのでは、というものだ。ケリュン含む傭兵の雇用数が増加したのも、そのためではないかと言われている。近頃街中で見かけるようになった冒険者などから察するに、この噂はどうやら国外まで広がっているようだった。


 その噂に次いで現れたのが、例のドラゴンである。これこそ『魔物の波』の兆候なのではないか、王族は何をしているのか、察せなかったのか――。国中に重たい空気が流れ始め、やがて傭兵隊が様子見がてら派兵され、あっという間に薙ぎ払われた。ケリュンの知人であるザック・ザーランも亡くなった。


 その後、『アルコ・ダルクスの谷』のサイクロップス退治のため、出払ってしまっていた騎士院の正規の兵の一部が、騎士院の長ルダが内々に出していた命令のお陰で、首都に戻ってくることができた。英雄イオアンナが彼らを率いて出立し、そうして彼女も彼らの多くも、また亡くなった。


 ドラゴンは不死身だった。傷付けられたら傷付けられただけその肉体を再生した。

 しかし気を狂わせんばかりの痛苦からは、やはり逃れようとするらしい。異常な強さを誇る、イオアンナとの戦場から何度となく逃亡した。しかし何故か、その度に再び彼女の元に舞い戻ってきたのだという。まるで、何者かに操られているかのように。


「まるでお膳立てでもされているみたいじゃないか。どこを見ても、国が関わってきている」

「それは俺も思ったよ。でも、なんのために? 一体誰が得をするっていうんだ」

「それを今から考えるんだろう」


 だから、わざわざこうしてケリュンだけを呼び出したのだ。

 この国は――特にここ首都アルクレシャには、なかなか後ろ暗い面が多い。着々と自分の人生を歩んでいるエミネルとレナートまで、こんな複雑な話に巻き込む必要はない。

 ケリュンは後ろ頭を掻いた。


「そうだけどさ、やっぱり納得できないよな」

「なぜ?」


「――だってこんなことをしたら、王族にまで迷惑がかかるだろ」


 純粋無垢なマルテ王国民は思う由もない。

 王族を厄介に思う輩の存在を。彼らよりも優位に立ちたいという駆け引きが、国の中枢では常に張り巡らされているのだということを。

 単純な権力争いでは終わらない、現存の支配構造にさえ手をかけようとするその動きを。


「……」


 奇怪な『魔の森』に囲まれた、遥か(いにしえ)は魔に巣食われていた忌み地。他の宗教の根付かぬほど王族を崇拝する国民。

 どれも蓋を外して直に見れば、存外に平凡なモノに過ぎない。しかしながら、こうしてふとした瞬間に、その傍から見た異様性が浮かび上がる。


(それとも――)


「それとも、お前はただ単に知らないフリをしているのか? 分からないフリを」

「さあな。俺はただドラゴンを殺せたらそれでいいんだ」


 うそぶくケリュンに、ピーナはそれ以上何も言えなかった。


「――なんて」


 ケリュンは自嘲気味に顔を歪めた。


「俺はいつもこうだ。そうだよ、エミネルの、魔物使いの男の時もそうだった。俺の関わることじゃない、関わっていいことじゃないって、良識ある、引き際を弁えた真っ当な奴のフリをして。事情なんて聞きもせず、さっさと村に引き渡してやった。あっさりした人間だ、みたいな態度で、本音なんて単純、ただ面倒だし怖いし、深入りしたくなかったってだけのくせに。何かに逃げるのがうまいんだ、いつも。――せめてあの似合ってねーピンクのミサンガ、あれについて訊くくらいしてもよかったんじゃないかって……」

「は? ミサンガ?」

「……なんでもない」


 余計なことを言っているという自覚とともに、ケリュンは己の前髪をくしゃりを掴んだ。身を苛むほどではないが、それでも後悔はしていた。寧ろケリュンが己の行いを省みるときは、いつだって陰惨な心地になった。

 スゥのときも。魔物使いの男のときも。両親の墓を首都にまで移したときも。

 まだいくらだって挙げられる。結局ラズールに旧知の仲であったらしいケリー・レネを殺させてしまったこと。ザック・ザーランをもっと強く止めなかったこと。自分の母親が、イオアンナが死んだときに、安心させてあげられなかったこと――。

 まさかこんな自分が万能人だと勘違いしているつもりはないが、それでも、どうにか出来たのではないかと、そう思う。


「……まあいい、分かっているなら話が早い。いいか、これは罠だ。国を、或いは王族を陥れるための罠だ。誰が何をどうしたかなんて、今は問題じゃない。問題は、お前がそれに立ち向かっていくという点だ。英雄イオアンナに続き、それを破りにいくという。それだけの――」


 覚悟は出来ているのか。それだけの言葉は欠けて落ちた。

 ピーナの前にはただケリュンの瞳だけがあった。憑き物が落ちたかのような光に圧されて、ピーナは最早黙るしかない。決意にしては穏やかで、諦念にしては力強い。ただ彼の瞳だけがその場では雄弁だった。

 そしてその唇に乗せた笑みだけがどこか哀しく、儚い。


 ピーナはこれを知っている。甘苦の予知予言でさえ黙らせる、自らの運命を背負い込むことのできる、決意した人間の顔だった。彼らの前では、どのような言葉も意味をなさないのだった。


 やがて訪れかけた沈黙から逃れるように、ケリュンは「ああ」とわざとらしく声を上げた。


「そういえばさ、貴族の娘が行方不明らしいぜ。さっき外で聞いたんだ」

「へえ」

「この時期に身を眩ますなんてさ。ほら、なにか怪しくないか?」

「……その貴族の名は?」

「フレイヤ」


 魔物使いの男。ピンク色のミサンガ。貴族の娘のフレイヤ。


「あ」


 つながった。

 ピーナの唐突な呟きに、ケリュンは「えっ」と目を丸くした。




 フレイヤはピーナの客だった。

 たった一度会っただけのその娘のことを、何故ピーナが覚えているのかといえば、テオドアとテギン夫婦のせいである。


 貴族フレイヤは、かつてテギンの生徒であった。まだテオドアの商売がいまいち軌道に乗れていなかったころ、優れた魔道士のテギンはフレイヤの家庭教師として雇われていた。教師と生徒というよりも、二人はまるで姉妹のように仲睦まじかったという。

 その縁で、フレイヤはピーナの占いの店を訪れたのだった。


 ピーナが今時分より幼いころである。アレヤへの訪問も兼ねて、アルクレシャで久しぶりに店を開いていたピーナの元を、テオドアとテギンが訪れた。彼らとはこの頃すでに知り合いで、ピーナの方が「暇ならいつでも遊びにきたらいいよ」と気まぐれに二人を誘ったのだった。

 夫婦揃ってあまり占いなどには関心を持たないタイプだったので、どちらかと言えば世辞のようなものだったのだが、二人はピーナの店に現れた。

 彼らの友、フレイヤを連れて。


 貴族の娘にしては世俗慣れしていそうだ、というのが第一印象だった。テオドアとテギンの影響だろうかと、他人事のように思ったものだった。

 『砂目の占い師』、あるいは『神の耳目』たるアグリッピッピーナの名は当時から貴族にも知られていたので、フレイヤの方から是非来たいと申し出た、とのことだった。よくあることのためピーナとしては、ふーん、といった感じだったのだが、


「どうしても知りたいことがあるの」


 二人きりになった瞬間、そう申し出た彼女の鮮やかな赤橙の瞳は、まるで炎でも秘めているかのように煌々としていた。それがあまりにも豊かな魔力の焔、その一端だと気付いた時は驚嘆した。まさか現代にこれほどまでの人間が存在するとは思わなかったためだ。

 後ほど、ピーナはこの驚きをテギンに伝えたが、彼女はそっと人差し指を唇に当てた。

――できるだけこのことは内密にね。人より少し優れている、その程度に見せるために、一緒に頑張っているところなの。


 魔力を抜きにしても、フレイヤは美しい娘だった。艶やかな髪は光るように流れ、顔の造作自体はたおやかだが、精神性からにじみ出る凛々しさに引き締まっているようにも見えた。


「人を探してるの。私の昔の友人を。同郷の人を」


 ピーナは、フレイヤがいわゆる記憶喪失(・・・・)で、その魔力を見込まれて貴族に拾われていた事実を後々知った。テギンもテオドアも、彼女がどれほど真面目で、その境遇にも挫けない良い子なのかということを切々と語っていた。


「彼は――背が高くて、無口だけど、動物が大好きでとても優しいの。あまり詳しいことは話せないけど、ミサンガを持ってるのよ。幼い頃、私が彼に贈ったもの。ちょっとだけ子どもっぽいピンク色でね、お揃いなの」


 フレイヤは少し照れくさそうに、その右足首を見せた。

 テギンが以前贈ったらしい、魔力安定のための金色の輪をずらすと、綻びて何度手直しをされたかも分からない、桃色の紐飾りが覗いていた。


「ねえ。私は彼に会えるのかしら。或いは彼の魔物に。――私が知りたいのは、ただそれだけなのよ」


 『魔物』という単語を使用した自覚があるのかないのか、とにかくフレイヤはピーナを見つめていた。まるで刹那の虚実も見過ごすまいとするかのように、いっそ痛切なほど澄んだ瞳で。

 ピーナは水晶玉を出すまでも無く答えた。


「恐らく再会は難しいだろう」


 と。


 フレイヤは落胆するでもなく、ただ静かに「そう、」と呟いた。




「あ、あー、なるほど。なるほどな。あの娘なら恐らく可能だろう、なんたってあの魔力――いやでもなんだって幸せなお貴族様がそんなことをするんだ、彼女の家は貴族のなかでもかなり平和で裕福でのん気で善良だったはずだが、いやでも、いやドラゴンだぞ、まさか一体何があって、あの彼女が国を……」

「ピーナ?」


 明るい表情でぱっと顔を上げたかと思えば、そのまま徐々に声のトーンを落としながら、まるで呪文のように早口でぶつぶつと呟く。どこか病的な彼女の姿に、ケリュンは思わずその肩を叩いた。

 ピーナは弾かれたようにケリュンの顔を仰いだ。結ったお下げばかりが元気よくぴょんと跳ねる。ケリュンは彼女の言葉をじっと待ったが、ピーナは何よりもまず、深く深く溜息を吐いたのだった。


「術者に目途がついた。そしてその術者を殺すことになってしまった」


 それだけの台詞は予想よりもすんなりと口をついて出た。しかし頭の中をいくどもいくども、まるで意味の無い同じ言葉だけが廻っている。

 テオドアとテギンにはなんて言おう。

 自分はケリュンの側についた。彼の味方だ、既にそれを決めた。そしてそれに悩みは無い。なによりも、ピーナはこの国は正直頭おかしいと思うが、やっぱり愛着はあるし嫌いではないのだ。つまり天災級のドラゴンはどうしたって倒されるべき存在だし、古き友たるアレヤもついでに喜ばせてやれるだろう。

 しかし彼らには――。


「……ピーナ」

「どうしたケリュン」

「無理しなくてもいい。何か関わりたくない事情があるなら、お前は手を引いてもいいよ。どっちも俺が殺すから、お前はもう知らなかったフリをしてもいいし、文句があるなら俺を止めるように手を回してもいいし――」


 こういう時に、事情があるなら、殺さないで済む方法をまず探そうと。

 そういうことが言えないのがケリュンであった。

 そして、ピーナはそんな彼に付いたのだ。


「いや。いい。下手くそな気遣いさせて悪かったな」

「下手くそってなんだよ。俺は本当にお前に感謝しているし、だからこそ」

「いいんだって」


 ピーナはあっけらかんと笑った。

 これだけお膳立てされた流れに乗れないくらいなら、そもそもどっちつかずに惑うくらいなら、最初から手を出すなという話だ。巡り廻ってこんなとこにろまで来たケリュンも、自分も。誰だって。

 後悔も反省もできるだけ上々だ。それは自ら動いたという勲章であり、流れの中にあったという証なのだから。

 そこに身を置くケリュンはすでに決意している。ならば彼に付くと決めたピーナも、ただその傍に立つだけなのだ。

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