ドラゴン退治の時間
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あの時のことははっきりと覚えている。さすがのピーナも、しばらくは忘れられそうにない光景だった。
「ドラゴンを殺させてくれ」
半身は血に濡れ、顔は死人のように青ざめていた。結局その手の平と爪ににじむもの以外は、彼の血ではなかったのだけれど。
まるで幽鬼のようにぬらりと現れ、掠れた怨嗟の声で、ケリュンはそれだけをピーナに告げた。
外は土砂降りだった。
灰色の雨を背負い、明るめの髪色を暗く濡らし、それでも服に染みついた血液は落ちない。ただぬかるみにはまり泥まみれになったブーツだけが、彼を生者だと知らしめていた。
雨はやがてあがったが、どんよりとした空気は長く停滞し続けた。
湿り気を帯びた生ぬるい風は、竜の吐息とまことしやかに囁かれた。
とある一人の傭兵が伝えた英雄イオアンナの訃報は、決して王国では広がらなかった。
しかし不安は天蓋を塞ぐ黒雲のように、人々の隙間を埋めている。
「……」
さすがのピーナも、不死身のドラゴンを殺したことはなかった。
それは神の御業か、あるいは竜殺し、もしくは冒険者どもの仕業だ。ピーナは神なんてとんと信じていなから、縋るならきっと後者だろう。
しかしケリュンは、自分で殺さなければならないのだとのたまう。
「俺が殺さないと。約束したんだ、俺はドラゴンを殺す。それから、そうしたら、イオアンナ様に、」
そこでぴたりと口を噤んで、それ以上は決して言わないのだった。
ピーナは肩を竦める。
「お前を竜殺しにしてあげてもいいし、どちらでもいいと思っている」
決して彼の想いを肯定した言葉ではなかったのだが、ケリュンは深く頭を下げた。
ピーナはなかなか上がらない彼のつむじを見て、深く溜息を吐いたのだった。
「まず第一の問題は不死身、という点だ。英雄イオアンナは化け物だ。どう控えめに見てもそうだろう。……ケリュン、そんな目で見るな。お前にも分かっているだろ? 彼女のあのおぞましいほどの強さ。――しかしそれでも、不死身は殺せなかった。『不死身殺し』の称号は、さすがのマルテの英雄も得られなかったというわけだ」
「い、イオアンナ様がお亡くなりに!? そ、そんなぁ……」
「てゆーかケリュンくんの上司がイオアンナ様なんて初めて知ったんだけどっ!?」
と、ピーナの講義を遮って声を上げるのは、エミネルとレナートだ。片方は意気消沈とへたりこみ、片方はぎょっと目を剥いて声を上げる。
二人とも、力になれるのなら、とわざわざケリュンのために集まってくれたのだった。
「あのイオアンナ様が? 憧れてたのに、そんな、ぜ、絶望的じゃないですか……」
「ええーっ。あのひっどい職場の、その上司がイオアンナ様? うっそぉー……」
今はどちらもそれどころじゃないみたいだが。
ケリュンが「悪い職場じゃなかった、その仇を取りたい」と切々と訴えかけると、やがて二人は気を取り直した――とまではいかないが、一旦落ち着いてまたピーナの講義に耳を傾けはじめた。
「もちろんそう簡単に不死身を倒す方法は思いつかないだろう。そこで発想をかえる!」
ピーナは小さな手で勢いよく黒板を打った。
ここはピーナの家なので、これも彼女の私物だろう。何故こんな物があるのかは不明だが。
「私たちが注目する点はただ一つ!! 不死身の原因は、何か、だ」
「……それってさ、あのドラゴンのもともとの能力じゃないの?」
「まさか。風の魔法をあやつる、翡翠の鱗の翼竜。ケリュンから聞く特徴をみても、どこにでもいる――はおかしいが、極々一般的な個体だ」
開かれたままのエミネルの図鑑を、四人の顔が覗きこむ。
「ルネ種、ピエトロドラゴン」
「……確かに小型のドラゴンですね」
「そうだな。決して弱いわけではないが、強いわけでもない。しかしそれもあくまでドラゴンの中では、の話だ」
端から端までチリゴミのようにあしらわれた記憶、ザックの死体。あの惨劇を思い出してケリュンは一人俯いた。
「だからあれには秘密がある。それを解けば――」
「――ボクたちの勝ち、ね」
話を継いだのはレナートだった。
しかしそんな言葉とは裏腹に、表情からは深い警戒心がうかがえる。
「そもそも君、何者なの? ケリュンくんがドラゴン退治に知恵を欲しがってる――って、そんなトチ狂ったこと聞いてつい来たけどさ。ピーナだっけ? 赤ちゃんにしては大きいけど、子供にしてはおかしいよね」
「ああ、こいつはフレドラで出会った占い師だ。神の耳目なんて言われてる。流砂の民の娘で、ちなみに本名はアグリッピッピーナ」
「いやあきらかに偽名じゃあん! ケリュンくんなんか騙されてない!?」
「まあいいかなって」
「適応力高過ぎるよ!」
「細かい女だなぁ。私のような幼女に目くじら立てんでも」
「子どもは自分のこと幼女って言わないんだよ」
受け容れるべきじゃない点結構あるよ!?とレナートは叫んだ。
全くその通り、紛うことなき正論であるが、ケリュンとしては今更だなぁとしか思えず、ピーナとしてはやれやれと首を振ってやるくらいしかできない。
一方、どこか取り残された感のあるエミネルはというと、しばらくおろおろとその光景を眺めていたが、やがて「あっ」と声をあげて、ケリュンの側にこそっと近寄っていた。
「――もしかして、以前言っていたあの金の瞳の占い師さん、ですか?」
「そうだよ。あの時のあれ」
頷くケリュンに、エミネルはさらに声をひそめる。
「思っていたよりも、普通――ではないですけど、普通のヒトですね」
「正直今でもちょっとドキッとするけどな。なんか迫力あるというかさ。分かるだろ?」
「確かに、底知れない感じはありますよね。絶対子どもじゃないですし――ケリュンさんの言ってたことも、分かりました」
「ああ、あれな」
『皺くちゃな老婆に違いない』、と断定した以前のことを思い出し、二人でそっと忍び笑いをこぼした。
「仲イイネ、二人とも」
気付けばその光景に目を奪われて、レナートは静かに呟く。そのままピーナが何も言わないでいると、やがてふんと鼻を鳴らした。
「まぁーボクだって仲良しだけどねっ。なんたって命助けてもらって? パパも救ってもらって? よく分かんない因縁もばっさり切ってもらった感じで? とにかく出会った瞬間から波乱万丈奇奇怪怪って感じだからね」
「それってお前が喜んでるだけで、ケリュンはなんの得もしてなくないか?」
「――!?」
レナートは愕然とした。まさかそんなこと、今まで欠片も考えたことがなかった。
いや、大恩があることは分かっていたが、自分達――ケリュンとレナート、二人の関係が、こんなにも一方的だとは思わなかった。
なんというか『友達』という文字を、正論という剣で真っ二つにされた気分だ。
「コッ、ココ、ここからだよ!! このドラゴン退治? でボクは今までの恩をケリュンくんにすっきりさっぱり返してみせるから! そしたら対等アンド対等な友達だから!」
しかし立ち直りの早いところが、若い彼女の、父親ですら手放しで称賛する長所である。
ピーナはぱちぱちと拍手した。
ちなみに途中からしかレナートの発言を聞いていなかったケリュンは、(俺たち今まで友達じゃなかったのかよ)と、内心ちょっとしょんぼりした。
「おー、立派立派。その意気だ。じゃあ、その勢いで早速手伝ってもらおうかな――」
そして彼女が指さした先。大量の文献が棚から溢れ、床にまで詰まれた紙の山。
レナートとケリュンは頬を引き攣らせ、エミネルはわあっと歓喜に両手を打って目を輝かせた。
ピーナは彼らの反応にちょっと笑った。
「――まずは、手分けしてヒントを探そうか」




