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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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 ケリュンは目を覚ましてすぐ、イオアンナを助けにいかなければ、と思った。

 時間がない。寝ている場合ではない。だって間に合わないではないか――と一瞬のうちにぐるりと考えて、すぐにはっと我に返ってその身を起こした。鳩尾が痛むが、それよりも恐れで心臓が痛い。

 彼は立ち上がって、景色が荒れていく方へと走った。


 それは思ったよりも近くで見つかった。

 砕けた岩石の残骸と、へこんだ大地のちょうど中心地に横たわっている。


 腹に穴を開け、倒れ伏すイオアンナンの姿だった。


 死体だ、とケリュンの脳は判断したが、彼の足はそのまま駆けて彼女に飛びついたのだった。

 しかしそんな体の忠誠に反して、咽喉だけは強張り潰れたようで、微かな震え声がこぼれる。


「イオアンナ、さま……」


 果たして、イオアンナは生きていた。


「ああケリュン、起きたのか。ずいぶん早いな。特訓の成果か?」


 澄んだ両目をぱっちり開けている、その部位だけ見ていれば彼女は元気そのものだった。

 例えそこ以外の全てが、ドラゴンかイオアンナか、どちらのものとも知れない血に塗れていたとしても。


「ふふ、私もカッコ悪いなぁ。英雄なんてよく呼べたものだ。あれを最後に死ぬつもりだったんだが、人間、存外しぶといものだなぁ。こうして生きてしまっている。まあさすがにもう死ぬがな」


 イオアンナが息をする度に、傷という傷から血が流れる。ケリュンが手の平や布でいくらそれを覆ったところで、流れ出すそれは止められない。

 ケリュンは「やめてください」と零すが、イオアンナは熱に浮かれたように茫洋と言葉を紡ぐばかりだ。


「両翼をもいでやったら走って逃げていったぞ。はっ、アイツ、足はとろいと見える。腕も牙も、最後はなかなか治らなくてな――」

「俺は!!」


 叫んだケリュンに、イオアンナは口を噤む。煩かったからではない、彼があまりにも悲痛な顔をしていたからだった。怒りにしては、あまりにも悲しげな顔だった。


「俺はまだ貴女に必殺技なんて習ってないし、貴女のことを何も分かっていない。助けようとして役立たずで? その本人に倒れされて? ――それでアンタは死にかけて! まるで馬鹿みたいだ! 俺は何しにこんなとこまで来たんですか!!」

「独り死ぬ私を看取りにきたんだろう?」

「違いますよ! ちがいます、そんなはずないじゃないですか……」


 ケリュンは俯く。血の気が失せているせいで、彼の顔色はとにかく悪い。

 死人みたいだ、なんてさすがに嫌な洒落だな、とイオアンナは内心思った。


「死んでほしくない死んでほしくない死んでほしくない、――死ぬなら、もしも死ぬなら、安心して死んでほしい……」


 ケリュンはぐっと彼女の肩を抱いたが、イオアンナには既にその感覚もないのだった。


「安心して、安心してください、イオアンナ様。何も心配しなくて大丈夫です。国は俺が守りますしドラゴンは俺が倒します。強くなります。強くなる。死んだっていい、なんだって殺してやる。だから、貴女はなにも、心配しなくていい……」


 言葉の途中からケリュンは俯いてしまって、その涙がぽたぽたとイオアンナの頬にあたるのだった。それは乾きかけた血痕をわずかに滲ませるが、それだけだ。


「安心、か」


 イオアンナは呟く。そしてケリュンの瞳を見る。酒のように濡れて揺れる、琥珀にも近い茶色の瞳。


 その向こうに王城を見る。はためく緑の国旗。英雄を慕う人々、英雄となった自分。はらはらと巡る景色を、イオアンナは擦れた吐息の向こうで追う。

 マルテ王国を。王族を、貴族を、あるいは騎士院を。自分の主人、家族、仲間達を。

 そして大切な友人、ロッカを――。


 イオアンナは目を瞑った。すると瞼があまりにも重たくて、開くことすら億劫なことに気付いた。

 それでも、眠るのが勿体ないという子どもの駄々のような気持ちで、イオアンナはそっと目を開く。彼女は最後までケリュンを見つめたいのだった。


「ケリュン。約束を守るよ」

「え?」


 最後まで面倒を見てやる、とイオアンナは言う。


「私はお前の師匠だからだ」


 理解が追いつかない、それでもイオアンナから目を離せないケリュンに、彼女はそっと続けるのだった。


「必殺技というのは、こういうときに伝えるものなんだ。――心を静かに、私の言葉にだけ耳を傾けなさい。これが最後だ。心得て聞きなさい。私の弟子」

「いお、」


 イオアンナの手のひらが、ケリュンの頬を包み込むように触れる。ぬるりとした生温かい触感、落ちる命の感触だった。

 しかしそれすらも、意識の外へ溶けてゆく。景色が、世界が変わる。ケリュンはまるで吸い込まれるように、ただ腕のなかの彼女だけを見つめる。


「いいか、ケリュン。剣に精神性を求める時代は、ここから遥かに遠い――。だからお前は、これだけを覚えておきなさい」


 必ず殺す――必殺の技を、イオアンナは彼に伝える。


 お前が強くなりたいと望むなら、何もかもを殺したいと願うなら、私がそれに応えてやろう。『今のお前』と引き換えだ。

 ドラゴンを倒すと、国を守るなどとのたまうのなら、その一生を賭してもらおう。

 だから、私の願いを叶えてくれ。


 代わりに私はお前の生涯の師となろう。お前の頭の底にあるイオアンナという個人を捨て、ただひたすらに追うべき導となろう。


 イオアンナは呪う。


「お前がいくら、どれほど強くなろうとも、私はお前より強かった」


 だから生涯、私を追ってみせてくれ。

(だから私を忘れないでくれ)




 そして最後。腕のなか、流れ出る血液、消えていく温もり。

――師匠。

 繰り返しささやきかけるように呼ぶが、閉じた瞼が開くことはない。

 もう二度と。決して。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんて痛々しくて、全身全霊の愛の籠もった呪いなんだろう……! ケリュンくんは、間違いなく応えてくれると思うのです。ここまでどれほどのほほんと過ごしてきたとしても。
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