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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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イオアンナの愛と友

 人が愛されるには、愛されるに値する美質が必要だ。

 それは人目を愉しませる顔貌の麗しさや、周囲を安らがせる清らかな心根、いざ頼ることのできる腕っぷしの強さなどである。

 つまり愛には理由があり、だからこそ互いに幸福を認めあえる。


 それがイオアンナの自論である。


 マルテ王国における王族は王族であるだけで尊ばれるべきであるし、そして彼らには生来その価値がある。

 女王陛下はその最たる存在で、彼女は陛下になるべくしてなる価値があり、そしてそれを周囲に認知されたがこそ今も座しこの王国を見守る。

 イオアンナはそれであるが故にいくらだって彼女に跪くし頭だって垂れた。剣を捧げるべき人がそのような美しさである、その歓びを仕えるべき者としていつだって噛みしめてきた。

――愛されるに値する何かを持つものを人は愛する。

 だからイオアンナは女王に忠誠を誓い王国を守る。そのイオアンナにはそれだけの価値があるため、女王や王国もまたイオアンナを守護するのだ。



 マルテ王国の外ではまた宗教というものがのさばっているらしい。

 特に今一大潮流となっているものが、聖導教会とかいうものだ。教父だの教母だの導師だのなんだの、妙な位に就いた爺婆が聖なる神の導きを祈るだけのものだった。天頂なる導きの『神様』の名のもとに皆等しく、等しき我らは同士、故に愛を惜しんではいけないのだとかなんだとか。

 イオアンナにはそれが不毛なものに見えてならない。ただただ不可解極まりない。


 愛を全民に等しくだなんて、それこそまるで風邪菌のばら撒きではないか。


 しかしそう貶し嘲笑えば、『聖人』というらしい男の取り巻きばかりがやかましくて、肝心の本人はというと丸きり微笑むばかりであった。

 明るげなようでいて憐れむような、しかし親しい人を見つけて喜ぶような、赤子のごとく澄んだアホっぽい瞳。あれはイオアンナを透かして見ていた。

 イオアンナを見つめながら、彼女の知らない誰か、何かを、あの聖人と称えられた男は見ていたのだ。


 気持ちの悪い男だな。


 イオアンナは堂々とその目を見返すことが出来た。

 その時イオアンナとその聖人二人は、恐らく二人にしか分からぬ何かを交感したのだろうが、それはあっという間に現実に呑まれて消えてしまった。イオアンナはそれを思い出すつもりも、必要性も感じない。

 残ったのはただ一つだけ。

 そういうアホっぽいのも悪くはないのかもしれない、と。それだけだった。

 些細な病にうつっただけならば、それこそいずれ消えるだろう。しかし消えず残り続けたとしたら、それは。


――それは、何になるのだろう。



「イオ!!」


 髪を乱し息を荒げ、まるで姫らしくない。しかしそれがいつもの彼女だった。イオアンナの友のロッカだった。

 王族としてはあり得ない、少しばかり日に焼けた健康的な肌は、まるで凍えてしまったかのようにか細く震えていた。可哀想に、血の気が失せて、まるで病的なのだった。

 少しでも温まればいい、と鎧向けて飛びこんできたロッカの肩を掴んでみる。恐れというよりも、それは怒る火山のように震えていた。氷も度が過ぎれば熱く感じる、そのようなものだろうか。


「震えていますね、今日は風が強いのに、肩なんて出すからですよ」

「違うちがう! どこへ行く気なの!? 分かっているの!? 相手はあの竜なのよ、物語なんかじゃない、ただの獰猛な化け物なのっ!! あなたそれに立ち向かうのよ!?」

「はい」


 それくらい、とうに覚悟の上だった。

 ただ頷けば、ロッカは逆にイオアンナに掴みかかってきた。イオアンナは鎧であるから生爪が傷ついたかもしれないが、ロッカはそれにすら気付かないようであった。いつもきれいに手入れしていたというのに。


「ふざけないで!! 死ぬっていうの!? 私はそんなの許さない!!」

「許さないのは、困りますね」


 命令されれば、さすがに今出て行くわけにはいかない。それほど王族の命令は絶対的であった。

 例え騎士院・貴族院がイオアンナの出立を認め、ロッカが王座についていないとしても、だ。

 思わずイオアンナが苦笑すれば、そこでゆらりとロッカの体が揺れた。先ほどまでの激情に呑まれたように彼女は呆然としている。


「許さない……許さない? 絶対に……こんなこと、許されるはずがない………」


 ロッカは言葉を零すように呟く。

 青空の色をそのまま水に溶かしたような美しい髪が、さらりと揺れる。


「ロッカ様?」


 彼女は涙もなく、泣いているようだった。イオアンナはロッカの頬に手をあて、顔を上げさせた。綺麗なエメラルドグリーンの瞳、王族の目の色だ。

――いつだってそれが美しく輝いていてほしい。

 イオアンナはロッカの額に、己の額をすり寄せた。

 彼女に祈るようだった。


「ロッカ、人には愛されるべき美質がある。故に人に愛される。それが私の持論でありそれが変わることはありません」

「イオ、」

「貴女にはそれがある。王族である貴女は美しい。そうでなくても、貴方の心根もまた美しい」

「待って、イオ、私、わたしは……」


「ロッカ、あなたは私の友だちです」


 イオアンナの囁きに、ロッカは目を見開いて唇を戦慄かせた。わっと顔を覆いその場に膝から崩れ落ちる。

 イオアンナはそれを見下ろす。

 自分はもうこれ以上、手を差し伸べてはあげられない。彼女を手ずから立たせてあげられるのは、もう自分の役目ではない。いずれきっと、どこかの誰かがその傍に立つ。イオアンナはそれを見届けられないだけだ、しかし、何も恐れることはない。

 彼女は明るく美しい。落ち着いて、道さえ踏み外さなければ、いずれ幸せになってくれるはずだ。

 背後の泣き声を耳にしながら、イオアンナはそれを願った。彼女がきっと幸福に包まれることを。


 もしかしたらこれが、あの聖人らの語っていた愛なのだろうか?


 分からないが、この感情はイオアンナのものだった。誰に言われるまでもない。

 ドラゴンが相手だ。勝ち負けは分からない。己の力量を正確に把握していると自負するイオアンナでさえ、分からない。

 しかしただ、イオアンナはイオアンナ自身の価値を果たしにいく。

 そしてそのついでにでも、この思いが守られればいい。それだけでいい。


 ふとイオアンナが城を仰げば晴天のもと、緑の国旗がはためいていた。



(……ケリュンとの約束は守れそうにないな)


 いつぞやの、必殺技を教えるという、他愛のない口約束である。しかしイオアンナは本気であったし、ケリュンもきっとそうだっただろう。

 しかし、自分はそれを破ってしまう。きっと。恐らく。


「……」


 イオアンナはその瞬間初めて、このような気分のときに縋れる『神様』とやらがいたら便利だろうと思った。

 あの時この感覚を理解していたら、あの聖人を見る目も変わっていただろうが……、まあ、今さらである。


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