第二王女クレア
「よく来ましたね、ケリュン。今日は依頼があって呼び出したのよ」
女王は労わるようにほほ笑みかけたが、すぐに何か思い出したように手をぽんと打った。無邪気な子どものような仕草だ。
「そうだわ、今日は紹介したい子がいるの。別の部屋に向かってくれる?」
「え?」
というわけで、ケリュンは女王のいる部屋からいくつか隣の部屋に移動させられた。内装はほとんど変わらないが、こちらには窓すらない。より窮屈な雰囲気で、居心地もさらに悪い。
ケリュンはうんざりした表情で、あいかわらず真顔のレイウォードを振り返った。
「いったい誰がくるんです?」
「その質問には答えかねる」
そこで会話は途絶え、ケリュンは手持無沙汰につっ立っていた。もしかして今度こそ殺されるのだろうか、といつぞやのようにネガティブ思考に陥りかけた途端、小さなノック音がした。
レイウォードが素早く部屋のドアを開けると、淡い空色のベアトップのドレスを着た少女が、目を伏せて入室した。その頭上ではドレスによく合った、クリスタルでできたティアラが輝いている。
「陛下のご息女であるクレア第二王女だ」
そっけないくらい簡潔な説明に、ケリュンはひっくり返りそうになった。実際は目を剥くだけですんだ。
細やかにウェーブした栗色の髪が、クレア王女が歩くたびふわりと揺れる。やわらかな薔薇色の頬が緩み、クレアはドレスの裾をつまんでケリュンに会釈した。その拍子に、癖のない甘い香りがただよってきた。何かの花の香りだろうか、ケリュンにはよく分からなかった。
「お目にかかれて光栄ですわ、ケリュン様。ご存じかと思いますが、私はクレアと申します。先日は大事な私の荷物を届けてくださり、本当に感謝してますわ」
「い、いえ、たいしたことではありません。こちらこそ、姫君にお目にかかれて嬉しく思います」
ケリュンが慌てて膝をつき礼の形を取ると、クレアはおかしそうに笑ってみせた。花の咲くような、という形容詞がぴったりの、愛らしくも品のよい笑顔だった。
そしてそんな和やかな雰囲気を叩き切るように、レイウォードが淡々とした調子で口を挟んだ。
「それでは私は、女王の元へ戻ります。ケリュン殿、決して粗相のないように」
「あらレイウォード、お前は本当に母様にしか目がないのね」
「姫君のこともいつも考えておりますが」
「嘘つきね。いいわ、お下がりなさいな。母様によろしくね」
そしてレイウォードは、本当に退室してしまった。残されたのはケリュンとクレアの二人だけである。
これからどうしろというのか。これにはどのような意味があるのか。
ケリュンの心配や疑問もよそに、クレアは傍目にもわかるほど活き活きとしている。女王と同じエメラルドグリーンのぱっちりした瞳が、興味深げに彼を見つめていた。
「そろそろ顔を上げてくださいませ、ケリュン様。私、貴方のお話に非常に興味があるんです。どこからいらしたの? 狩人なんでしょう、どのようなことをなさるのです? なぜこうして配達をなさっているの?」
「ええっと」
戸惑い困るケリュンに、クレアは優しく微笑みかける。桃色の唇が、美しく完璧な弧をえがいている。
「長いお話になるでしょうから、よろしかったらそこのテーブルに座りません? まだまだ、質問はたくさんありますのよ」
その言葉通り、ケリュンはたくさんの質問に答えた。
故郷モスル村のこと、そこの住民や、自分の日々の暮らしについてから始まった。それから山の中で起こる様々な出来事、動物たちや自然。使っている武器や、ここまでどうやって来たか。家族は(ここでクレアはしょんぼりして謝ってきた)。そして最後にケリュン自身のこと、年齢や特技、趣味、好きなものや嫌いなものについて。
かなり長い間話して満足したのか、クレアはそこでほっと溜息をついた。ケリュンもこれだけ喋って少し疲れたが、同時に王女に対する緊張もとけてしまっていた。ぐっと背伸びをすると、クレアは少し笑った。
彼女は非常によく笑う、というか、表情が変わりやすい。そのどれもが非常に魅力的だった。
「うふふ、私ばかり質問するのもなんです。ケリュン様からは何かありませんの?」
「そうですね、では……俺の届けた姫宛の荷物、何が入っていたんですか?」
「ネックレスです。鳥が翼を広げたような形になっていますのよ」
こうやって、とクレアは両手の指をぴしっと伸ばして鳥の両翼を作ってみせた。なんとなく先ほどの女王を想起させる無邪気な仕草に、ケリュンはくすりと笑う。
「王女は鳥がお好きなんですか?」
クレアはそこで少し言いよどんだ。
「ええ、もちろん好きですが――ねえケリュン様、聖マルテの僕である四匹の獣を覚えていて?」
「ええと、牡鹿、白馬、青い蜥蜴、それからええと――ああ、小鳥ですね」
「そう。そういうことなの。ほんとはね、私、猫が一番好きなんだけれど」
こんなところではあまり見る機会もなくて、としょんぼりする姿は普通の少女とどこも変わらなかった。しかしこういう場合、なんと声をかけたらよいのだろう。まさか見に行こうだとか、知り合いの飼い猫を連れてきて見せてやる、というわけにもいかないし。
腕を組み、一人でうんうん悩むケリュンに気付き、クレアは少し目を瞬かせてから頬を緩めた。
ケリュンは、そんな彼女に気付いていない。
「ケリュン様」
「え、はい、何です?」
「そろそろお母様の元に行ったほうがいいんじゃないかしら。あんまり楽しくてすっかり忘れてしまっていたわ。だいぶ時間を取ってしまったようで、申し訳ないことをしてしまったかしら……」
「いえ、ってあの、俺が言うセリフじゃないですけど……でも、俺もとても楽しかったです。王女は表情が、本当にころころと変わりますからね、見ていて飽きません」
「まあ! ……ありがとうございます。そんなこと言われたの、はじめて。……今、レイウォードを呼びますね」
レイウォード、とクレアが一言ドアに声をかけると、彼はすぐ中に入ってきた。ずっと待機していたのだろうか、それなら申し訳ないことをした。
しかしレイウォードはひたすら無表情を貫いたまま、ケリュンについてこいと促した。
その間、クレアはただしずかに俯いていたが、ケリュンが出て行く寸前、彼に声をかけた。
「さようなら、ケリュン様。ま、またお会いできることを楽しみにしています」
「俺もですよ、クレア王女。ありがとうございました」
「――それでは、失礼します」
クレアはドアの閉まる直前、そっとケリュンに微笑みかけた。
ケリュンは手を上げてそれに答え、その場を後にした。