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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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ドラゴンは皆飛べる3

 これ、無理だわー。


 下級のドラゴンだ。バサリとかるく動かされた背翼から巻きおこる風を顔に受け、ケリュンは顔をひきつらせた。

 そのまま風圧に吹き飛ばされ、ころころ転がされる。ぐるぐる回る視界にドラゴンの姿がちらちら映る。


「くっ……大丈夫かみんな! 体勢を整えるぞ!!」


 隣で同じくころころ転がされている隊長の声を聞き流しながら、しばらくして仰向けの状態で止まったケリュンはつき抜けるような青空を眺めた。

 ドラゴンの翼がさらに一度、二度上下し、力強い両足が大地を蹴った。爪先が浮き、そのまま数度翼を動かせばあの巨体がぐんぐん上昇していく。気持ちよく晴れた青空のなか、太陽に翠玉のごとき鱗をきらめかせながら、王者は悠と旋回する。

 ドラゴンは皆飛べる。



 偵察、様子見との話であったが、ドラゴンは至極あっさりとこちらを見つけた。

 あっと思う間すらなく戦闘が始まる。その口からふっと吐き出された風で数班が吹っ飛んで大地に叩き付けられた。救護に周りが駆けつけ、これ幸いとさっさと下がっていく。

 しかし他の人間はそうもいかない。ドラゴンは傭兵らを見ていた。武具を光らせわらわら居並ぶ彼らに、何を思うでもない、ただの爬虫類の目玉だった。

 しかしそのじろりとこちらを眺める視線には、いっそ優雅さえ感じられた。しなやかな強者の優雅さだった。

 誰も何も口を利かなかった。

 ドラゴンは鼻を鳴らし、その両翼を広げ数度上下させた。飛ぶつもりなのではない、威嚇行動、いや、威嚇というには気のない動きである。

 ドラゴンは頭を低く下げ、再びケリュンらを見据えた。

 適当に殺してやろうという体だろう――全滅させるほど力を振り絞る気もないが、ほどほどにゴミを片付けようとする、それだけの。


「運が悪いなぁ」


 誰かがぼやく。寝起きのようなぼんやりとした声で。

 隣でジョーが、胸元に収めたスプーンに触れて何事か祈りを告げていた。ケリュンも便乗しておいた。わずかに気は休まった。



 そうしてあっという間にこのザマである。口から吹かれた吐息のような風は魔力とともに意志をもってケリュンらの隊に食らいつく。まさか天高く舞い上がってミンチにされるわけでもないが、地に落ちると装備のせいで打撃どころでないダメージを喰らう。

 回れ右してさっさと逃げ出してしまった奴らも多い。異邦人ならまだしも、マルテ王国民であるくせに栄光のマルテ王国に泥を塗った奴ら――その後どうなるかは知れない。

 ケリュンは長く息を吐いた。吐息も凍てついているのではないかと思われるほど、呪われた心地であった。


 大体自分はどうしてこんなところにいるのだろう。

 宝は消え故郷を離れ、城に雇われ王女を想う。

 飛び交う悲鳴と罵声が、ケリュンにぶつかり消える。

 いくつもの記憶が脳裏を駆け抜けてゆく。

 それでも体は剣を構え、奴を倒そうと前を向いている。足を踏ん張り、戦う意志をみせている。


「くそぉ」


 今自分は泣いている。あんまり怖くて泣いている。

 涙を流したこと自体数年ぶりだというのに、その理由が恐怖だなんて余りにもみっともなさすぎる。情けない。

 ぐっと涙を拭い、空高く飛ぶドラゴンを仰ぐ。

 このまま見逃してくれるだろうか。どうかな。

 分からない、とりあえず生き残りは、と思いかけて、


「う、つらっ…かえりて……」


 ケリュンの足元で、蹲ったゾインが地面に話しかけるように滂沱の涙を流していた。そのまま蹴飛ばすと痛がって我に返った。


「死ぬ…痛い死んでしまいます……」

「お前無傷じゃん大丈夫だろ。ほら立てって!」

「無理、死んでる」

「ほんとに殺すぞ!」


 ケリュンが剣を振りかぶって脅すと、ゾインはふらりと揺れながら立ち上がった。芯が抜けてしまっているようだった。

 とりあえず他にいないかと、散り散りになった周りを見る。倒れている者、半身が無い者、原型を留めていない者、様々だ。それでも生きて立っている者はいて、ケリュンの方に駆け寄ってきた。ジョーとゼファーである。さてザックはどうしたのだろう。


「へいケリュンどうする!?」

「飛んでったやつ相手にどうしろってんだよ? やっぱり弓が最高ってことか!? 武器二つ特訓とか俺そこまで器用に生きれない」

「バッカちげーよ、どう逃げるかって話だよ。とりあえず隊長をどうにかしねーとな」

「撤退すんのか!? いやしかたないか。下級のドラゴンとか言ってたけど強すぎるもんな」


 ケリュンは空を仰ぐ。ドラゴンは羽を広げ、優雅に空を滑空する。なるほど万物の王者だ。マルテの空の覇者だ。悲しいかな、人類が相手できるレベルではない。

 ジョーがスプーンを握りながら悲しげに頭を振った。


「『下級だから隊で挑めばいい勝負』とかほざいてた兵を殺したい」

「副隊長? あっちの方で死んでたよ。……ぼちぼち死人出てるし戦った感はあるでしょ。撤退も許されるよ」


 ゼファーの発言は残酷であるようだが的を射ていた。別にドラゴンを殺すことなんてケリュンらには求められていない、ただ戦ってみせておけばいいのである。

 まあ最初から戦いにすらなっていなかったけれど。

(何人死んだかな)

 ケリュンはふとそんなことを思いかけて首を振った。こんな場所で感傷的になっている暇はない。

 ジョーがゾインをビンタで我に返らせている横で、ゼファーは腰に手をあてて空を仰ぎ見ている。


「逃げられると思うか?」

「わざわざああして飛んでいったんだ。『飽きた、面倒、この間に失せろ』って意味じゃない? 僕の飼ってる鳥もたまにこういうことするんだよ」

「お前グリフォンでも飼ってんの?」

「いやほんと特になんの秘密もない、普通にでかいだけの鳥だよ」


 ふーん、と特に意味の無い会話をしながら、ケリュンはきょろきょろと隊長のいる場所を探した。得意の目の良さですぐ見つかる。

 前方、恐らくこの隊で最も上空にいるドラゴンに近い位置に彼はいた。なにやら周りにいる人間に向けて叫んでいるが、鼓舞しているのだろうか。――人間を瞬く間に殺す生物を前にして、騎士院らしいもの凄い根性であるが、それに耳を傾ける者は悲しいかな、誰一人いない。

 ケリュンが彼について分かることは、説得が無理だということくらいである。

 しかし、隊長が撤退してくれなければ、あるいは指示を出してくれなければ、こちらは逃亡者扱いになりかねない。そうなると悲惨だ、マルテ王国は国の威厳に泥を塗るような行為にはやたらと厳しいのである。

 まあさすがにこの状況で敵前逃亡だのなんだのと、そんなことをのたまうような者はいないだろうが。


「……誰でもいいから、隊長の気を惹いといてくれ。俺がその隙に、ドラゴンのいる方から頭をぶん殴って気絶させる。風圧で石ころが飛んできたとか言えばいいだろ。んで退却だな」


 ケリュンは剣の柄を握った。イオアンナ直伝の当身技がある。体を張って必死になって習ったときは、いったい何時使うのだと思ったものだが、まさかこんな時があるなんて。嬉しくない巡り合わせである。


「勢いでうやむやにするタイプの作戦か。でもあのまま放っとくって手もあるぜ!」

「でもさ、隊長助けてイメージアップしたら多分給料上がるよ。コネもできるかも」

「マジかよぉ、俺も正規兵? ばいばい農民?」

「だけどさ、国軍の奴らってぶっちゃけクソじゃね? むさいし」

「ほら早く行くよ」


 ゼファーにずるずる引きずられて、三人が移動していく。ケリュンもたったか隊長の元へ向かう。


 走り抜ける途中、ザックの死骸を見かけた。


――その事実だけは覚えているが、彼がどのような状態であったのかだけは、ケリュンの記憶からとんと抜けている。

 すぐに目を逸らした所為かもしれないし、そうでないかもしれない。

 あまり考えたくもない。


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