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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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イレーヤとクレアとケリュン

「俺が! ドラゴン討伐戦傭兵隊の隊長だ!! 隊長と呼べッ!!」


 異様に声がでかい、顎のいかつい筋肉質の男だった。正規の兵だ。騎士院に多いタイプだろう、無駄に堂々とした姿勢も既に見慣れたものがある。

 討伐戦、というが、まさか本当に討伐させられるという意味ではない。ただの様子見であり、相手を叩き殺すことは求められていない。

 求められるのは情報と、少々の死人、それから不意に現れたドラゴンという驚異にも、国が素早い対応を取ったという事実、それだけだ。

 今回、隊長はイオアンナではない。彼女はこの国の『特別』だから、このような場に出されることはない。


――優れた武人の多々属する騎士院、その中でも唯一人、他国にまでその名を轟かせる女がいる。

 魔法の徒ではない、彼女はただ己の肉体のみで敵を穿つ。

 曰く竜の咢すらその手で千切り、曰く千の敵兵すらその腕力で捻じり飛ばす。

 鬼神のような働き、他方で王国議会にすら顔を出せる天上人。

 ある意味象徴のように祀り上げられているその彼女こそが、イオアンナ・イリニ・ユースチス――。


 ジョアヒムの語りを思い出す。

 そんな彼女の不在、それがよりいっそう、この傭兵隊の扱い方について感じ入らされる。虚しいものだった。


「ザック、お前はいいのか?」


 新たに編成が組み替えられるなか、班同士組み合わせて小隊を作るため班のメンバーは変わらなかった。しかも他の班の奴らも全員顔見知りであるため特に新鮮味はない。

 そして己の班で唯一の余所者である、ザック・ザーランに、ケリュンは尋ねる。

 本当にいいのか。

 こんな壁みたいな扱いで、外国でドラゴンに立ち向かうなんて、本当にいいのか。

 戦時における『逃亡』は罪である。マルテ国民一生の恥とされるが、外国出身で傭兵として生きてきたザックならどうやっても逃げ切れるのではないか、という考えがケリュンにはあった。別に彼に去ってほしいわけではないが、ただ単純に、こんなのは嫌なのではないかと思ったのだ。

(こんな考え方、幼いだろうか……)


「そうだなぁ。――なんつーかさ、俺、この国はいい場所だと思うぜ」

「へえ。どこが?」

「んー」


 ザックは困った顔で考える素振りをする。思慮深くない訳ではないが、大雑把な彼にしては珍しい表情だった。


「なんつーか、うーん。ケリュン、お前がどこかに引っ越したとしてさ、周りに完全に受け容れられるまで、何年くらいかかると思う?」

「え? えーっと、……十年、くらいかなぁ」

「それがさ、すげぇんだよな。お前らには分からないだろうけどよ」


 訝しげに首を傾げるケリュンに、ザックは笑って説明する。

 平然として「十年くらい」と言ってのけるケリュンだが、マルテ王国の外だと、一生をかけて暮らしても最後まで余所者扱いだというのは、別におかしな話ではない。どれだけ働いても、どれだけ貢献しても、周りの目はなかなか変わらない。


「ずっと一所に暮らす血縁。楽だけでなく苦も長いこと共にし、雨風を耐えしのいで……」


 そうでもしなきゃ、同じコミュニティの人間だとは認めてもらえない。同じ国のなかの、別の地域に行っただけだとしてもそうだ。


「なんか世知辛いな」


 これが異文化、とケリュンは眉を顰める。

 彼は生涯で国の外に出ることなんて考えたこともないため、いまいち理解しきれないところもあったが、なんというか、うん。

(世知辛い……)

 マルテ王国は、もともと移民で形成された国だ。聖マルテがこの地の魔を神の御力で払い、その浄められた土地に人々が移動してくることによって形作られた。

 そのため人名に関しても取り取りで、それこそ極端な例であるが、近所の住人の姓名が明らかに馴染みの無い発音であることも少なくない。アレヤにイレーヤ、クレアはともかく、ロッカにイオアンナ、ルダ、ケリュンにエミネルに、ジョーにゼファーにゾインに、とどことなく異国者が集ったような感じは拭えない。

 そのため同属の者について、いちいち出身地にこだわっていては始まらないのだ。

 ザックはそれを、すごいと言う。


「俺みたいなよ、根無し草でどうしようもない傭兵にゃ、ありがたい土地だと思うぜ。ま、それだけってわけじゃない。――何より、あの報酬は魅力的だ。どんな女よりもな。はは、最高だ!」


 穏やかだった口調を一転させ、目をぎらつかせて熱っぽく語るザックに、ケリュンははいはい、と頷いてみせる。

 この前賭けに負けたと泣きついてきたので、渋々金(少額だが)をザックに貸したことを、ケリュンは忘れていない。

(絶対取り立ててやる)


 なんにせよ、ドラゴン討伐の日まで、時間はあまり残されていない。




 その限られた時間でケリュンが選んだのは、両親の墓参りと、村の皆へあたりさわりのない内容の手紙を出すことだ。

 別に死ぬ気だからというわけではない。とりあえずの身辺整理みたいなものだ。

 ケリュンが持っている物なんてここには何もないため、彼はそれを人との繋がりに求めたのだった。

 出来ることならスゥにも、と考えたが、そもそも連絡のつけようがなかった。それに、自分が彼女に何を言えるというのだろう?


 そういえば、しばらく会っていないレナートとラズールから手紙がきていた。

 そのうち、国の指示でアルクレシャへと来るというものだ。『魔物の波』にはまだ早いが、安全のためこの城郭都市に収容されることになったらしい。

 ケリュンは今度会えたら会いましょう、といった、我ながら非常にしょうもない返事を出した。


 それから最後に、イレーヤ王女に会いに行くことにした。どうしたって、それ以外思いつかなかった。

 相変わらず親しみのもてないレイウォード・レーンに連れられ、ケリュンは彼女の自室を訪ねた。

 そこにいる彼女はやはり美しかった。ケリュンはうっとりして溜息さえ零しそうだったが、不躾過ぎるので当然堪えた。


「ケリュン、今日はどうなさいましたか?」

「いえ。今度、えーっと、首都から出ることになりましたので、その挨拶を、と思いまして」

「…私に?」

「はい。もちろん時間があれば、他の方にも。ええと、迷惑でしたか」

「い、いいえ。まさか。そんなこと。――あ、あの、その、外で何かあったのですか?」


 イレーヤは少し目を見開いて尋ねてくる。驚いたのはケリュンだ。まさかこれほど大騒ぎになっているというのに、知らない筈があるまい、と思ったのだが。

 かといって、まさか彼女に無知ですね!なんて伝えたいわけでもない。

 いったいどこまで知らないのか、ケリュンは探ることにした。


「『魔物の波』について、ご存知ですか?」


 イレーヤの表情が暗くなった。痛切な言葉に項垂れる人のようだった。


「……ええ。ですが、あれはまだのはずです。私には分かります」

「ああ、王族ですから、当然ですよね。すいません、変なことを言いました」


 ケリュンは馬鹿なことを訊いたと思ったが、イレーヤは曖昧に微笑んだだけだった。


「その、遠く平原の方にドラゴンが現れたんですよ」

「ドラゴン、ですか?」

「いきなり。びっくりですよね。それで、その様子見に出かけることになったんです。あ、退治とかじゃないんで安心して下さい。それで出かけるので、少し挨拶に来たんです」


 表情を硬くしたイレーヤに、ケリュンは安心させようと微笑みかけた。

 退治ではないが、ただその偵察じみた戦闘に、少し死ぬ可能性があるだけだ。別に死ぬつもりはない。

 そこでケリュンはふと思った。

――あれ。俺の思考、もしかして騎士院に染まってる?

 ……あまり深く考えないようにした。


 ケリュンが独り葛藤する一方、イレーヤは少し思いつめた顔で、また別の思索に耽っていた。


「その――ケリュン。そのドラゴンというのは普通の、普通のものなんですか? 闇の、……」

「え? すいません、最後は聞き取れませんでした」

「……なんでもありません。お忘れ下さい」


 ゆるゆるとイレーヤは頭を振った。美しく梳かれた髪が肩から流れ落ちて、尊ささえ感じる。

 ケリュンは彼女の言葉が気になったが、まあ誰でもないイレーヤがそう仰るなら、と何も聞かなかったことにした。


「ドラゴンは普通の、まあ普通じゃないですけど、ドラゴンですよ。かたい鱗、尾はあまり長くなく、額には角があるらしいです。口からは火ではなく、風を吹きます。――えーっと、こんな感じでどうでしょう?」


 ケリュンが微笑んで、イレーヤもやっと口元をかすかに綻ばせた。

 そのとき、ちょうどドアにノックがあった。ケリュンが下がろうかと椅子から離れようとすると、イレーヤは彼を留め、


「どうぞ、クレア」


 と当然のように妹姫の名を呼び、部屋に迎え入れた。なるほど、ドアを開けするりと入ってきたのは本当にクレアで、ケリュンは目を丸くした。

 別にイレーヤに超能力があるとかではなく、彼女の部屋にわざわざ仕事以外で訪れるのがクレアだけだというそれだけなのだが、そうと知らないケリュンは、姉妹間で通じるものがあるのか、と感嘆した。一人っ子には良く分からない世界があるのかと思ったのだ。

 ケリュンの存在に気が付くと、クレアはぱっと花笑みを零した。


「ケリュン様、お久しぶりです。以前は素晴らしいものをありがとうございました。私、ちゃんとお部屋に飾ってるんですよ!」


 心を許している姉の前だからなのか、いつもより手振りが大きく子どもっぽい。

 ケリュンが自覚せず微笑みながら彼女に礼を告げると、イレーヤは居心地悪そうに目を伏せた。自分より五つも年若い妹が、あっという間に客人から自然な笑顔を引きだしたことへの驚嘆と、己への劣等感に。

 クレアは目敏くそれに気付く。引っ込み思案な姉が、どれほど客人である彼をもてなすことができたのか、正直気がかりであった。

 しかし繊細な姉相手に、こんなことを直接口にするほど愚直な子どもでもない。


「お二人で何を話していらっしゃったんですか? もしかして私の悪口かしら」

「そんなはずないでしょう。ケリュンが少し、挨拶に来たの」


 イレーヤに視線を送られて、ケリュンは話を引き継いだ。自分の胸元をぽんと叩く。


「今度噂のドラゴンの偵察に出ることになりまして。こうして挨拶に回っているんですよ」

「ええ、そのお話は存じていますわ。だけど傭兵を真っ先に出すだなんて。まるで横暴だわ」


 クレアの率直な物言いにケリュンは苦笑した。


「今は本隊が出払ってますからね、しかたないですよ」

「アルコ・ダルクスの谷にあれほど軍を向かわせてしまったから。いざという時どうするの、なんて噂したことがありましたけど、まさか本当にドラゴンが現れるなんて――」


 イレーヤは微笑を浮かべ、するすると続く二人の話を見守っている。

 それを見てケリュンなんかはうっとりするだけだが、クレアは一応この場の主人は彼女なのに、と考える。責める気はないが、しょうがないわね、といった心持ちだ。どちらが姉か分かったものじゃないが、クレアはよくイレーヤに対してこのような感情を抱いていた。

 大切な姉、優しい姉、少しばかり繊細過ぎる姉。部屋に籠り、義務のような社交にも顔を出さない姉。

 その点で言えば、クレア自身、確実に姉より優れている。

 だから自分がなんとかしてあげようと、クレアはイレーヤに手を差し伸べるのだ。


「お姉さまも、もう少し一緒にお喋りしましょう? ね、折角ですもの」

「……私は、」

「ケリュン様もそう思いません?」


 クレアが首を傾げる。薔薇色の頬、細かな癖でさえ美しい髪。誰かの心に寄り添うようにころころと変わる表情。

 イレーヤはそれがあまりにも眩しくて目を細める。


「そうですね。もちろんイレーヤ様とお話しできたら光栄ですよ」


 ケリュンがはっきりと口にする。それにクレアは「そうでしょう」と表情を輝かせたが、ケリュンはゆっくり頭を振った。


「だけどそうでなくても、イレーヤ様は十分ですよ。お淑やかで可憐で落ち着いていて、まさに姫君だと俺は思います!」

「あら、ケリュン様ったら。お優しいのは分かりますけど、それじゃ私はお姫様っぽくないってことでしょう?」

「え、いや、そんなつもりじゃ」


 知りません、とクレアはそっぽを向いてみせる。

 慌てたケリュンがおろおろしながらイレーヤを見ると、彼女は恥じらうというよりも寧ろ戸惑ったように瞳を揺らしていた。それでもクレアを宥めながら、やがてケリュンに感謝の言葉を述べるのだった。




 クレアは美しい。内面から輝かんばかりの美しさ、華やかさは人々を惹きつける。だから彼女はいつだって多くの者に囲まれていた。

 王女であるクレアの後ろには、城という名の巨人が控えている。誰であれ彼女への行いがあまりに度が過ぎれば、塵芥のごとく払われてしまうのだ。

 だから皆、クレアに近付く際にはその距離に気をつける。牽制しあいながらも、先んじて一歩を踏み出すことはない。それでも十分だと思わされるほどの魅力が彼女にはあった。

 クレア自身はというと、相応しく距離を取った人々からの賛美に笑顔で答え、それを楽しめばいいだけである。己が気を揉む必要もない、ただ気楽にちやほやされているだけでよい。彼女は守られている。

 クレアが好意を寄せなくとも、人は彼女に好意を持つ。であれば、クレアが好意を寄せる者は、必然的に彼女に好意を寄せるに違いない(・・・・)のだ。

 彼女は人の好意しかしらないから、それ以外なんて思ってもみない。

 寧ろ、それ以外を知らない。


 一方のイレーヤはというと、人の好意に敏感であった。彼女は今まで触れたことのないその違和感に、すぐ気が付いた。

(ケリュンたら、私のこと好きなの?)

 もしかして、と。ひらめきのような考えが蝶のように彼女に降り立つ。

 しかし同時に、彼女は自分自身に欠片も自信を持っていないから、すぐに勘違いだと決めつけてしまう。華のように美しく愛らしい妹姫を見れば分かる、自分は劣るからこそ自意識過剰なのだ、と。それに加えて、

(私ったら、はしたない)

 と王族特有の潔癖さがあるから、すぐに押し込めてしまうのだった。

 イレーヤは自分が王族ということを強く意識していた。ある時は矮小な己と、その地位の大きさを比較して。

 ある時は、彼女が持って生まれたその運命から、必然的に。

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