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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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 マルテ王国は首都アルクレシャの一角に、石造りの塔があった。

 元は収穫した作物を貯蔵しておくための場所であったが、近ごろはとんと放置されていた。首都がこのような騒ぎに晒されては、猶更である。

 そんな、見てくれだけはまるで囚人を収めておくようなその塔の二階に、一人の女が座りこんでいた。

 艶やかに整えられた茶褐色の髪を一纏めに垂らし、まるで眠るように虚ろな顔をしている。普段であれば快活に輝いただろう瞳はほんのりと暗く、手足は力なく床に放りだされている。

 彼女が座る床一面には、魔法陣がびっしりと描きこまれていた。

 今や使える者はいないと囁かれていた、古代の神秘、失われし遺物である。

 しかし彼女の足元、複雑なその線一本一本はまるで生きているかのようにか細く光り、その実在を表している。

 彼女はふと顔をあげた。遠く、竜の咆哮を耳にしたからだった。

 しかし怯えるでもなく、ただそれを合図として身を起こすと、たった一本、魔法陣を二つに割るように引かれたその糸に己の指先を這わせた。指はまるで研がれた刃に乗せられたかのように皮膚を裂かれたが、女に動揺する様子もない。

 ただ淡々とその糸に己の血を染めつけると、また何をするでもなく黙して座りこむのだった。


 女の名は、フレイヤといった。




 ドラゴンの存在は『魔物の波』とは無関係である、と断言したお触れからしばらく。

 王族への不信感は完全に払拭されたわけではないが、こうも言い切られては疑うわけにはいかない、という声の方が大きくなっていた。対応が素早かったのも効いたがそれだけではなく、王族が仰られるのであれば、という思いの方が強い。

 王国民の王族への信頼――外部の人間からすれば王族信仰だが、それは外部の者が単純に考える宗教というよりも、既に血に根付いた文化であり、精神の柱たる価値観にすらなっている。

――しかしながら、国外から『魔物の波』のお零れに預かろうとマルテ王国を訪れた者達からしてみれば、ドラゴンなどというのは予想外の、最悪で強大な化け物に過ぎないわけで。

 ドラゴン討伐の第一波と称して始まった傭兵隊の編成のなかにも、文句をつける者も少なくは無かった。


「いい壁だぜ」


 何故傭兵隊が、というと、本隊が百をも超えるサイクロプスの群れの討伐に向かったためだ。間の悪いことに、ちょうど四割ほどが出払ってしまっている。


「傭兵やめたい。金がなんだよ、命あっての物種」


 王族のためならなんのその、というマルテ王国民ですらそのようなことを言う者がいるのだから仕方ないのかもしれない。

 しかし、さすが傭兵を一時ならず抱え込んでいるだけあって、マルテ王国軍は彼らの扱い方をよく知っていた。


「ちなみに報酬はこれくらいになるな」


 そっとテーブルに差し出された、報酬の書かれた紙きれ。愚図ついていた奴らも一瞬で掌を回転させるほどの褒美だった。


「やっぱ世の中金。子どもだって分かんだよね」


 むくつけき男どもがはしゃいでいるのを見るのはお世辞にも愉快とはいえない。しかしこれは空元気なのか本気なのか。

 しかしそれだけ金を貰って、何に使うのだろう、とケリュンは白けたような心地ながらも不思議に思う。聖人ぶっているつもりはないが、彼は本当に金の使い道が分からないのだ。何か買うにしても狭い寮生活で物を自室に増やすわけにもいかないし、高い食事を食うにしてもケリュンはそこまで舌が繊細でない(というより正直子供舌である)ため、いまいち有難味が分からない。

 なによりケリュンには家族もいなければ嫁もいない。つまり自分含めて、金を費やす相手がいないのだ。

――自分もよほど空っぽな人間だよな、

 とケリュンはそんなことを今さらながら、初めて考えたのだった。




 虚しい気持ちを埋めるように、ぷらぷらとアルクレシャの街を歩き回る。ドラゴンが現れた影響もあって、いつもより街は騒がしい。この城郭都市へ付近の村から人々がやってきているのもあるだろう。

 貼紙もドラゴン一色だ。当然ながら、賞金付きのものが多い。ドラゴン退治、冒険者募集。傭兵募集。云々。

 『竜殺し』だってこの世にはいるのだろうが(きっとどこぞの吟遊詩人に尋ねればいくらだって答えてくれるに違いない)、まさか今この時に、陸の孤島でありそのような強力無比な人間にとってなんの面白味もない、この国を訪れているとは到底思えない。

 それこそ予知でもできなければな、とどこぞの幼女占い師を思い出したところで、


「ケ・リュ・ン・さん!」


 久々の再会を果たした。


「え、エミネル!? なんでこんなとこにいるんだよ!」


 山麓にあるリード村に暮らす司書、火の魔法を扱う少女、エミネルだ。

 ゆるやかな黒のお下げ髪に、ほんわかと赤らんだ頬。恥じ入っている時だけでなく、嬉しくはしゃいでいるときにも赤面してしまうのだ。


「引っ越してきたんですよ。以前言ったでしょう? 驚かそうと思って、これからお手紙を出そうとしてたんですけど。必要、なかったですね」


 ふふ、と眼鏡の向こうで、黒い目が細まる。その手に握られた白いシンプルな便箋に、ケリュンも嬉しくなって微笑んだ。


「……エミネル、声、大きくなったんだな」

「そ、そうでしょうか」

「うん。こんなこと俺が言うのも変かもしれないけどさ、なんか、成長したな」

「えへへ……というより、ここはその、なんというかあたしのいた村より少し、騒がしいので。だから今までの声量だと、本当に誰にも聞いてもらえなくって……」


 少しばかり声のトーンが下がる。彼女なりに色々とあったらしい。

 尋ねたいこともあるが、こんな道端で久しぶりに会った友人に暗い思いをさせたいわけではない。ケリュンは話題を変えることにした。


「お前今どの辺に住んでるんだ? ちゃんと治安はいいとこだろうな」

「はい。親戚のところにお世話になってるので、それは大丈夫だと思います」

「へー。何区域だ?」

「えっと、中心区の南ですから……中の六区、くらいでしょうか」

「じゃあ南東の軍区域近くか。それなら警邏も多いし安心だな。でも最近は魔物の波の影響もあって外部の奴らが増えてるからさ、十分注意しろよ?」

「ケリュンさんって、ここの地理に詳しいんですねぇ。私に会ったとき、『案内なんかはできない』って言ってたじゃないですかー」


 ああ、とケリュンは頷いた。そんなことも以前はあった。フレドラからこちらへ戻ってくる途中のことだ。エミネルにはアルクレシャへの引っ越しについて相談――というより決意表明されたのだった。

 そう昔のことでもないというのに、数年前のことのように思えてしまうのが不思議だ。

 あの頃は王族へ関わりたくないという一心だった。イレーヤの存在を知らなかったからだ。

 そう、彼女に出会って――彼女を女王に紹介されて、ケリュンは全てを満たされたような、許されたような、そんな幻じみた心地がしたのだった。


「俺、今さ、傭兵やってるんだ」


 だから首都内についての勉強も進めている。最初はイオアンナに言われるがままだったが、今では自分でもそこそこ楽しみながら学んでいる。こうして役立つ機会が少なくないためだった。

 照れたように笑うケリュンに、エミネルは「えっ」と不意をつかれたような声をあげた。目を丸くし、じっとケリュンを見つめてくる。意外、ではない反応に、ケリュンは頬を掻いた。


「よ、傭兵ですか? その、なんでまた……」

「やっぱり似合わないか?」

「そそ、そうでなくて、その……」


 あんなに活き活きとしていたのに。という言葉を、エミネルは飲み込んだ。ケリュンが居心地悪げに、すいっと目を逸らしているからだった。

 彼は、自分がどことなく幼げな風貌であるのを気にしているようだ。劣等感、とまではいかないだろうが、かといって友人である彼のそのような点を刺激したくはない。

 エミネルは一つ、息を吸った。


「狩人として、凄い技術を持っていたケリュンさんを知っているから、少し驚いちゃっただけなんです。勿体ないなって。傭兵じゃ、罠なんかもつかわないでしょうし」


 そんなことよりイレーヤ様が美人だったので。

 なんてもちろん言えるわけがない。第一王女が何者かに命を狙われている、と聞かされてほいほい飛びついてしまった、なんて機密話してしまったら、エミネルの身が危なくなるだろう。

 ケリュンは愛想笑いを浮かべて、とりあえず「傭兵隊に志願する人が多くて、話を聞いたら待遇が良かった」とかそれっぽいことを話しておいた。


 エミネルとケリュンは、それからしばらく他愛のないお喋りを楽しんだ。

 エミネルはアルクレシャの中央図書館――ではなく、中央から南西寄りにある大史料館に務めているらしい。ケリュンは詳しくは知らないが、図書館というより、公的な文章の保管庫といった意味合いが強い所だという。

 まだ手伝いばかりであるが、実はそこでは子ども達に文字の読み書きを教える活動も行っているらしく、なかなか充実した生活を送っているらしい。


「なにかあったら、いつでも頼ってくださいね。あたしに出来ることなんて少ないでしょうけど……でも、村を救ってくれた御恩もありますし、あたし、出来る限り頑張りますから!」


 エミネルはぐっと握り拳を握って目を輝かせて語る。こういった仕草はまだ少し子どもっぽいけれど、彼女は彼女なりに自分の道を進んでいるらしい。ケリュンは少し、眩しく思った。

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