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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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ドラゴンは皆飛べる

 それはある日、天災のようにあらわれた。


 『魔物の波』の噂は既にアルクレシャ中で囁かれていた。ずいぶんと前から国軍で整えられてきた傭兵隊の存在、一体何を察しどこから沸いてきたのか、町を闊歩する冒険者や傭兵の姿、そして彼らや商人で次々と埋まる宿――或いは人々が奥深くに湛える獣の本能から察し、彼らは忙しなくその到来に構えていた。いずれ発されるだろう女王からの公示を、ただ待っていた。

 そう、知らぬ者はいない。いずれこの国は魔物という危機に晒される。人々はどこかでその到来を予期していた。

 しかし、そこまで深刻ではなかった。周期性はないまでも、ある程度時が経つと魔物の波は必ず起きた。それは誰かが生きている間だけではない。皆が産まれる前、あるいは死んだ後にも必ず起こる、その存在だけは皆が知っている。そのため、対策はいくらだって取られたてきた。

 そもそも女王の予知とお触れがあれば時期は分かる。そうすればどこか命じられるがまま避難し、それが過ぎるのを、駆逐され収まるのを待てばよい。

 魔物の数は確かに相対的には増加するが、まさかこの地一面が埋まるほどではない。村が粉微塵に返されるほどではないのだ。過去には人類の文明も魔物の波、いや、魔物の海によって無に帰されたこともあるらしいが、そんなもの滅多に起こるはずもない。

 つまり魔物の波とは確かに厄介であるが、おおよそマルテ王国民にとってしれみれば、疫病や飢饉ほど恐ろしいわけでもないのだった。

 それも、この時までは。


――ドラゴンが出たぞ!!!


 悲鳴とともにもたらされたその一報は、真実を確認されるとともに瞬く間に国中に広まった。

 ドラゴン。天地含めたこの世で最も強いと目される魔物。人々の恐怖の象徴であり、ある時は神として崇められ、ある時は悪の顕現として伝承のなか殺される。悲嘆に暮れる人々を、ふらりと訪れた英雄が竜殺しをもって救う――しかし、それはあくまで伝承に過ぎないのだ。英雄の存在だけでなく、ドラゴンの存在すらも。

 あまりに強大であるもの。その気配、前兆すらなかったその化け物のあまりにも突然の出現。

 人々は噂する。


「魔物の波の影響か?」


 異様はあっという間に別の異様と結び付けられた。そして続くは、


「陛下は何をしていたんだ?」


 我らの庇護者、唯一魔物の波を予期する奇跡の人、神の子の子孫。疑うような言葉は人目を避けるよう、罪悪感とともに吐き出され、それは密やかに、しかし確かに広がっていった。


「まるで風邪の菌だな」


 ピーナはぼやく。見えぬのに人々の間に広がっていくという点で、それはよく似ている。ただ手洗いうがいでも、それを防ぐことはできない。……まあ、この世界のどの程度の人間が、そんなことを知っているのか、という話だが。


 ピーナは帰るのが面倒だという理由で、未だアルクレシャの別荘に留まっていた。しかし今となっては、それをいくらか後悔している。たかが占いに、あちこちから貴賤問わず誰かが訪れてくるからだ。彼ら曰く、いくらでも積むから今後を占ってくれ、と。完全に予約制であり、その全てが埋まっているから、と言い訳して拒否しても、ひっきりなしにそれはやまない。ピーナは避難するように自分の店から離れ、そこらの宿を取り、ふらりとその辺を歩き回っていた。

 そこで、噂を聞いたのだった。


「陛下は、魔物の波を感知できなかったのではないか?」


 本当に些細な、疑うような言葉。それでもこの国、しかも王族の足元アルクレシャでは驚くべきものなのである。それほどに、国民は王族を信頼し、ずっと、それこそ何代も、己が身を委ねてきたのだ。

 そのため噂する彼らの方が、どこかぴりぴりとした、神経をすり減らすような苦々しい顔付きをしていた。じゃあ黙っていろと思うのだが、そうもいかないのだろう。あまりにも不安なのだと、日ごろよくそのような人間から相談を受けるピーナには分かった。

 ピーナは己の身をくるむマントが強風に盗られないよう抑えつけ、遠くマルテ王城を見た。そして優美な白亜の城、その中に座する旧友のことを想った。




 ドラゴンの情報は手の者によって、真っ先に女王の元へと届けられた。『女王の犬』と称される密偵の報告に、アレヤは珍しく顔色を変え、動揺を露わにした。その意外な様に内心驚く密偵をよそに、アレヤは一人口元に手をあて、考える素振りをする。


「そのドラゴンは、まさか闇そのものではありませんでしたか?」

 「は?」と呆気に取られ、思わず声をあげたのも一瞬で、密偵の男はすぐさま「緑鱗の翼竜でした」と彼女の求める答えだけを述べた。


「そうでしょうねぇ。まさかそんなはずがありませんし。今のはお忘れなさい」


 言うまでもないと男は頭を垂れる。彼は彼女に忠誠を誓っていた。心の底から彼女の望むまま、そのためであれば命だって投げ出す覚悟だった。王国民の多くは驚きながらもそれをこなすかもしれないが、男は違う。女王の犬として、死ねと命じられればそれこそ一瞬の躊躇いもなく己の心臓に刃を突き立てられる、そういった信仰を己の誇りとしていたからだ。

 アレヤはしばらく黙ったまま、議会を開くこと、それから国民の動揺を沈めるためすべきことなどをつらつらと考えるのだった。




 ドラゴンの登場、その危機は当然アルクレシャだけに収まらず、噂は国中へと広がっていった。それは当然、第二の都市フレドラにも伝えられた。ざわめく人々が溢れる一方で、市場で商品をやたらめったら買い込む者も現れた。

 しかしあっという間に領主、フレドラ公ダムロ公爵によってそれは抑えられた。城で演説をふるって曰く、「権力とはこのような時のため、あるものだ」とのことである。物の売買には制限がかけられ、人々は兵の見張りもあるため文句を言いながらそれに従うこととなった。

 それでも商店側からしてみれば、今こそ物の売り時であることには変わりはない。厄介な客もいちゃもんも平時より増えたが、それでも儲かるものは嬉しい。市場全体は普段と変わらず賑わうのだった。

 一方でとある出店だけは、屋根代わりのテントを閉じてしまっていた。この商業の都フレドラで繁盛期から目を逸らしているのは、唯一そこだけであろう。普段であれば小物や薬草が並べられているはずのその場所には、普段店主らが暮らす家もあるのだが、そこもまるで眠っているかのように暗く静まりかえっている。

 折角その店を訪ねてきたのに休店中、むしろ家主自体が不在であると知り、肩を落とす客人らは後を絶たない。

――こんな時であるからこそ、薬草は売れただろうに、勿体ない。

 周りの人々はそう噂した。しかし店主――テオドアとテギンの夫婦が暮らす家はしんとしたまま、彼らの不在を告げるだけであった。



 そんな当の家主二人はといえば、ごとごとと馬車に揺られていた。こんな事態だが客は多い。フレドラからの乗客ではなく、ほとんどがアルクレシャ近郊の村々から乗ってきた人々である。壁に覆われた城塞都市、アルクレシャに逃げ込もうというのだろう。元々魔物の波ではこういった避難があちこちでなされるが、それも受け入れる側の準備あってのものだし、国に指揮される秩序だった緩やかなものだ。しかし今回は突発的で、確か二人の故郷フレドラでも、ずっと人口が増したということを耳にしたことがある。

 治者は大変だろうな、と他人事のように二人で話しあったものだった。


「……テギン、平気か」


 気遣うようにテオドアの手が、妻の背中を撫でる。彼女はかすかに頷く。

 人々は不恰好な棺に詰めこまれた死体のように俯き、しんと静まり返っている。しかし馬車特有の軋みや土を押し潰し進む音のおかげで、二人の会話はあまり目立たなかった。


「私は平気よ。だけど、あの娘は無事かしら?」

「分からない」


 テオドアは率直に答える。愛想のような誤魔化しなんて既に妻には通用しないと知っているからである。

 テギンは幌の隙間から、未だ影すら見えてこないマルテ王国は首都アルクレシャの姿を探す。


「……フレイヤ」


 祈りのように呟かれた言葉は、馬車輪の軋みに呑まれて消えた。

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