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マルテ王国史  作者: ばち公
外伝2
52/102

ケリー・レネの過去1

 ケリー・レネは、元々商人の家に産まれた。

 ケリーはそのことを何より強く意識して生きてきたが、そのころの温かな記憶はあまり思い出したくないし、おまけに幼かったため詳しいことは覚えていない。

 しかし、実家はそこそこ繁盛していたようで、ケリーはそこの一人子、つまり唯一であったから、しっかりとした教育を受けさせられていた。ありがたいことに、その事は知識や一般教養として今も深く根付き、ケリーを助けてくれている。それはいつまでもケリーの支えだ。

 食事に困ったことも、愛に飢えたことも、覚えが悪くて叱られたことも、恐らくなかったように思う。この世の悪意なんて知らず、そそがれるものを受け取り、選び、おまけに精査までできるような、そんな余裕のある生活を送っていた。


 そんなものはあっという間に崩れ落ちた。


 ある日、ケリーと家族の乗っていた荷馬車が、野盗だろう暴漢の群れに襲われた。護衛も家族も召使いも恐らく皆殺しにされた。

 ケリーは独り――確か、母親が助けてくれたおかげ、のような気がする――命からがら逃げ出すことができた。

 こんな大切なはずの記憶は曖昧としているくせに、この先の惨めったらしい感覚は脳裏にこびりついている。それは足裏の影のように、いつだってケリーの後を付いてまわった。

 ケリーが惨めっぽくじっと体をちぢこめていると、そのうち雨が降ってきた。履いていた靴に水がしみた。お気に入りの靴だった。つめたかった。薄緑色の靴は泥にまみれ、水にぬれて汚らしかった。気持ちわるかった。どれほどそうしていたのかは知れない。周りの地面がぬかるんでいた。むせるような泥の匂い嗅ぎながら、ケリーは永遠に自分のつま先を眺めていた。

 ぐずぐずになったケリーの頭の中を、延々と歌が回っていた。国歌だ。マルテ王国は首都アルクレシャにおける王族のための歌だ。


「ああ我らが神の子聖マルテ、その血を引く尊い御方様方。

 あなたのための玉座を頭上に、我らはその名誉のもと、栄光と幸福を享受する。

 ああ我ら集いし王国民、玉座に集いし王国民。

 我らはその名誉のもとで、栄光を享受する。

 祝福されしこの土地で、幸福を享受する――」



 うろ覚えなのはここまでだ。


 その後、ケリーは拾われた。現在、ケリーが幹部を務めている組織に、である。

 だいたい誰もが想像できる通りに、ろくでもない生活だった。

 初期、それこそまさに入りたての頃は大変だった。ケリーと同じ齢程の子ども――出自はもちろんそれぞれ異なる――がそれこそ両手では数えられないほど同期にいた。というのに、時が経つにつれその数も減っていった。それこそ、(ふるい)にかけられ選別される豆のようだった。小さく形が悪ればそのまま網目からこぼれ落ち、形がよくても中身がすかすかであればあっさりと払われた。

 ケリーは、幸か不幸か、生き残った。

 元の家で食事を十分に摂っていた上に、生まれつき体格もしっかりしていたし、運動神経も悪くなかったからだ。子どもたちのなかで、ケリーは優秀だったからだ。そう。ケリーは人よりも優れていたから、生き残ることができた。無能な奴らと違って。



 それからしばらく訓練にあけくれると、組織内で命の心配をする必要はなくなった。多大な時間と労力を費やして育てあげられた戦闘員であるため、当然のことと言えば当然のことだった。寧ろ食事などの待遇は、よその、一般家庭の生活水準から考えても良い方だっただろう。まあ普通の子どものように、好物や菓子をねだったりすることは出来なかったが。

 ちょうどこの頃から、ケリーは有能であると判断され、"見込みのある見習い"であると見なされるようになっていた。

 成長期に入ってから背もどんどん伸びるようになった上に、器用な部類でもあったから変わった武器の扱いも得意だった。

 また、こんな所に連れてこられる子どもにしては珍しく、正規の教育を受けていたこともプラスに働いた。計算もできれば一般知識もあるということで、勉強面でケリーは他の貧乏な子ども達より数歩先んじていた。


「お前は暗器をうまく扱える上に、動きながら頭を使うこともできる。なかなか見込みのある奴だ」


 しばし、こんなことを言われるようになった。ケリーはきちんと頭を下げた。


「ありがとうございます」


 単純なことだが褒められれば、ケリーはとても嬉しくなった。どんな言葉だって素直に受けとめ、まっすぐ礼を返した。

 この組織が真っ当なものでないことなど当然知っていた。名前を呼ばれたことがほとんど無いことにも気付いていた。将来どうなるかということは、考えないようにしていた。

 ただ無心になって、訓練に励んだ。そうして励めば、ケリーは優秀であるからさらに伸びる。伸びればちゃんと褒められる。みすぼらしい周りの子よりも評価される。ケリーの能力を認められる。優秀になることができる。

 そうしてやっと、ケリーは己を認めることができるのだ。



 大事な戦闘員――の見習いを、ぽんぽん外に放り出して危険な目に合わすわけにはいかない。そんな勿体ないことをするはずがない。

 そのため、ケリー達が実戦に投じられることはなかなかなかった。それに対しては物足りなさも、安堵もなかった。強いていえば無関心だった。

 ケリーは単純に、自分のスキルを磨くことだけに熱中していた。そうしていると、「ケリーには仕事に対する焦りも怯えもない。冷静沈着で、自身の能力を研ぎ澄ませ続けている。便利な道具としてピッタリの存在だ」と、さらに認められるようになった。

 どんな形であれ、自分の有能さを保証されることは、ケリーにとって必要なことであった。そうされた時だけ、新鮮な空気をふっと吸いこんだような気持ちになれた。これがなければ窒息し、肺が腐って死んでしまう、とすら思っていた。



 そうして懸命に酸素を求めて、生きて、生きてしていると、ケリーはある時から戦闘に駆り出されるようになった。もちろんうまくやってみせた。

 仲間は何人も死んでしまったが、ケリーは有能だから生き残ることができて、だからまた仕事へ向かう。ひたすらそれを繰りかえす。繰りかえす。繰りかえす。

――そんなある日出会ったのが、ラズールという男だった。



 ラズールは、ケリーと同じ仕事――暗殺だとか、そういった黒々しいもの――をしていた同業者だった。別の組織に属しているという、それだけが二人の違いだった。

 大物を相手にする際、二人の属する組織が確実に仕事をこなすために(それだけでなく上層部が揃って甘い汁を吸うためでもあった)、手を組むことになった。そのとき一緒になったのがラズールだった。

 目付きはよろしくないが平々凡々な風体で、ちょっとばかし血の臭いが体に染みついてしまっている。どこにでもいる暗殺者らしい男だった。

 まだまだ下っ端であったラズールもケリーも、それほど重要な相手は任されなかった。そのため早々に仕事は終わった。使用した武器を回収し、血と闇だけをその場に残して、二人はさっさとあがることになった。


「酒でも飲みにいくか」


 言ったのはラズールで、まあケリーももともとそのつもりであったから、「そうだな」と頷いた。

 他の同僚も数人誘って、こういった奴ら行きつけの、そういった酒場に向かうことにした。

 当時二人が属する組織は手を組んでいて、(表面上だけでも)仲良くやっていた。おまけにこのところ、双方ともにホクホクと懐を温めていたこともあって、こういった細かいことを咎められることは特になかった。近所の奴と飲みに行く、その程度の感覚だった。


「じゃ、乾杯でもするか?」

「なにに? あっさり片付いちまった仕事にか?」

「そりゃ、我らがナイフとその行く先にさ」

「懐の銀貨にもな」

「とりあえず飲もうぜ」


 酒場には人影はなかった。物もなかった。そこは暗くて殺風景で、まるで人が手をいれた洞穴のようだった。囲んだ丸テーブルのざらつき加減や、湿った臭い、きいきい軋んで揺れる灯りが、さらにそう錯覚させた。

 仕事柄、協調性がある人種でもないため会話はぐちゃぐちゃだった。みなやたらめったら喋ったかと思えばふっと眠ったかのように黙り込んだ。それが延々と続くので、まるで秩序あるリズムを取っているかのようにも見えた。

 とりあえずケリーも隣の奴と、やたらめったら喋ってみることにした。たまにはこういった娯楽めいたことがあってもいいだろうという、本当に些細な気まぐれだった。

 蝶々の飛び方のようにふらふらと、雑然としたことを二人は喋った。なんの方向性も見当たらないようなものだったが、それでも気付いてしまった。気付いてしまえるくらい、二人はとてもよく似た境遇にあった。

 両親が野盗に襲われたこと。一人だけ命が助かったこと。途中で組織に拾われたこと。そこでうまいこと生き残って、目をかけられるような存在になったこと。今もそこで生きていること。

 詳細は教えあわなかったものの、その一つ一つを確かめあうように二人は語りあった。みればラズールはケリーよりもよっぽど、そう一回り以上年上であるようだった。しかしあまり関係なかった。

 話しが、というよりも記憶のおさらいがひと段落ついたケリーは、渇いた咽喉を潤すように、安いエール酒をあおった。


「そうか。そうなのか」

「ああ、そうだとも」


 そして二人は肩を組んで歌った。陽気で下品な曲から、童謡じみたものまで。互いに知っている曲を片っ端から歌った。そして最後には、マルテ王国国歌を、その場にいた同業者らみんなで歌った。酒がまわり歌がまわり、それこそ本当にいい気分だった。久方ぶりだった。

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