青年と 桃の夢
名前すらない、山奥深くの村があった。
誰も知らず誰も訪れないその村には、とても美しい少女がいた。
賢く、豊かな魔力の持ち主だった。
しかし少女はその生まれから、全ての道筋を決められていた。
魔物使いにならなければならなかった。
一族の命じるがまま手足のように働かなければならなかった。
いくつも年上の男のもとへ嫁がなければならなかった。
この一族の秘儀は門外不出である。
外にもらそうとした者は途端その場で苦しみ、口を焼け爛れさせて死ぬという。
実際にそのような姿を見たものは誰一人としていなかったが、皆それが事実であると本能で理解していた。
先祖代々脈々と受け継がれてきた「どこか」との見えない繋がりが実在すると、肉体と血で理解しているのと同じように。
この「どこか」との繋がりがあるから、一族は魔物を使役できるのだ。
ただ、その繋がりをより一層強固なものにするため、一族の者は持って生まれた魔力――この一族の者は全員が全員、豊かな魔力を持って産まれてくる――を、「契約」によって捧げなければならない。
それはちょうど十の誕生日を迎えたときに行われる。
少女は今九つ。その時はもう、目前まできていた。
少女はただひとり、幼馴染の兄のような青年にだけ、自分の気持ちをすべて話した。
四年前にその「契約」を済ませた男は、その傍らにウルフ系統の魔物を一体はべらせていた。
彼は筋がよい。すぐ村一番になるだろう。
少女が語りはじめてすぐ、青年の膝にあごをのせていた魔物は、くわっと大きな欠伸をしてそのまま居眠りをはじめていた。
寡黙な青年はただ話を聞くばかりであったが、その優しい瞳は揺れていた。
それからしばらくして、その青年がいなくなった。
そして少女が魔物使いとしての契約を果たすその前日。
青年はひょっこり姿を現した。
少女は前々から準備していた、桃色のミサンガを彼の手首へとまいた。
これから、こうして会うことも少なくなるだろうから、と。
「ピンク、似合わないね」
「知ってる」
それから、何も言わずされるがままでいた青年は、ぽつぽつと、少女にあることを語った。
珍しく長文を喋ったので、少女はそのことが嬉しかった。
最後に、青年は笑った。ほんの少し口角が上に向いただけ。それでも、少女にとっては一番大切な笑みだった。
彼は言った。
「幸せにするよ」
「約束?」
「うん」
少女は笑った。泣き笑いだったが、それでも青年は満足そうだった。
誰も周りにおらず誰も警戒していない、そんな完璧なタイミングで。
少女は、青年に手を取られて逃げだした。
少女よりずっと大きな手はあたたかく、少しかさついていた。
そして二人は走り続けて、村からずっと離れたところで。
青年は、相棒たる魔物を少女へとけしかけた。
襲いかかるふりをさせ、泥とかすり傷まみれにし、一人と一匹そろってもつれあうように街道へと飛び出させた。
そこへちょうど通りかかった馬車。
毛並も体格もよい栗毛の馬二頭が、怯えるように声をあげ止まる。
中から飛びだす護衛の騎士。そしてそれに注意をむける魔物。
その瞬間を見逃さず、少女は火の魔法を手にうかべた。
途端、その長毛を焼かれてはたまらないとでもいうかのように、魔物は素早く山の奥へと逃げ込んだ。
そこからは簡単だ。
頭にコブをつけた少女は適当に記憶喪失のフリをする。
その豊かな魔力と胆の据わり具合に興味をしめした貴族は、彼女を保護し連れてゆく。
青年はそれを、相棒と寄り添って見送る――。
馬車へ向かう、引きずった少女の足首には、桃色のミサンガが巻かれている。
青年の右手首にも、再会の祈りのこめられたミサンガが巻かれていた。
そこで二人の道は分かたれた。
二人はそれぞれの道を、歩みだした。
いつか、再び見えることを夢見て。




