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マルテ王国史  作者: ばち公
二章:傭兵時代前編
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イオアンナの約束

 イオアンナに思いきり頬をひっぱたかれてケリュンは倒れ込んだ。悲鳴をあげなくなったのと、倒れても動揺せずすぐに起き上がれるようになったのは成果だろう。

 盾を構え直すケリュンに、イオアンナはふと気を抜くようにその拳を解いた。ケリュンもおずおず盾をおろす。彼女と対峙し無防備であるというのは恐怖でしかない。


「よし。ここまでだ。今の動きは悪くなかったぞ」

「あっ、ありがとうございます!」

「どこが良かったと思う?」

「正直分かりません」

「うん。良かった点はあまりなかった。しかし悪かった点がなくなったから、あと一歩だな。お前はよく頑張ったよ」


 ほほ笑むイオアンナに、ケリュンは照れくさくなって頬を掻いた。

 彼女の表情は今までになく満足げなものだった。


「それで、終わったら相談があると言っていたが。この場でいいのか?」

「あ、はい。その、たいしたことじゃないんですけど……」

「いいから。早く私に話しさない」


 イオアンナにそう命じられて、口を閉じていられる者もいないだろう。

 ケリュンは息を吸い込んで、彼女を見据えた。


「強くなりたいんです」


 イレーヤと対峙したケリュンには、自覚したことがあった。それは、自分がさして強くないということである。……もちろん前々からそれは知っていたが、それを強く、再認識したというべきか。

 だからこその目標なのであるが、言われたイオアンナは困惑したように首を傾げた。


「それは知っている。だからこうして鍛えているんだろう?」

「はい。ただその、強いというのがよく分からなくて」


 ケリュンにとって強い、というのは何であれ生き残るということであった。獣を狩るためには対峙するだけではない、上手い罠を仕掛けて捕えればよい。それも彼にとっては強さである。郵送のため外に出て野盗にでも遭遇したら、弓でも砂でもなんでも使って、相手より長く生き残ればよい。であれば逃げ出すのも別に悪いことではないのだ。

 とにかく、村に帰って凡々と暮らす、そのための糧を得るためのもの、あるいはその邪魔を排除するためのもの。

 ケリュンにとって、戦いは手段でしかなかった。

 だからケリュンは、剣自体とまともに向き合ったことがなかった。強くなるための手段でしかなかった。だからこれは常に代替可能で、そのときに対象となるのはもちろん弓であった。以前ケリーと戦ったときだって、なんだかんだで最後には弓を頼りにした。


「俺は剣だけで、強くなりたいんです」


 つまりケリュンはイレーヤと対話した際に、本気であの美しい女性を守りたいと思ったのだ。庇って死んだり敵を道連れにして死んだり、それだけでなく、彼女の邪魔になるもの全てを、彼女が望むままに倒せるくらい強くなりたい。

 そのために必要なのは何より剣である。剣技で認められなければ側にも上がれないのだ。

 なのに、自分はさして強くないから、それをイオアンナに相談したいと、そういうわけである。


「ふむ。剣だけで、か」


 イオアンナは呟く。そして続く沈黙に、ケリュンは落ち着かずそわそわした。

 冷静になってみれば単純なことだというのに、自分は何を言い訳がましく、と静かに反省した。単純に、「オススメの自主練方法を教えて下さい!」とでも言えばよかった。

 イオアンナは未だ考えこんでいる。

 ケリュンは若干不安になりながら、静かに待機しながら彼女の横顔を眺めた。

 みな知覚はしているものの、あまり意識したことは無いのだろうが(実際イオアンナはその強靭さばかりに注目されている)、彼女は美しい女性だ。今のように少し目を伏せているところでは、特にその美麗さを実感できると思う。正面からその力強さに圧倒されずに済むし、普段ある表情の凛々しさも少し和らいで見えるためだ。

 ケリュンが思う、イオアンナ本来の魅力ではないとおもうが、それでも隠れた一面を覗いたと思えば、そう悪いものではないと思う。


「あまり、じろじろと見るな」


 イオアンナは、ケリュンと目を合わせることもなく呟いた。それから「目を潰すぞ」と付け足されたケリュンは「すいません!」と頭を下げ、ひたすら自分のブーツの紐を見つめることとなった。

 小汚いそれを見つめながら、そう言えば自分はいつも誰かに頭を垂れているな、などとぼんやり考えていたため、今度はイオアンナがケリュンを観察するように眺めはじめたのに気付かなかった。


「そのまま聞きなさい」

「えっ、はい」

「剣というのは難しいものだ。当たり前だが。例えば、そうだな。……力を込めて振れば、強力な斬りになるとは限らない。無駄な力をいれず一線した方が、よい斬撃となることもある」


 ケリュンは俯いたまま、力強くはいと返事をした。首は痛むが、耳だけは一言一句漏らさぬようにする。


「うちでは盾を使うから、それでいくと、大事なことは単純だ。殺されないように盾で防ぎ、逆に剣で相手を殺す。それさえできればいい」


 身も蓋もないと思った。それができないから人は死んだり生き残ったりするのではないか。

 ケリュンが問えば、イオアンナはそうではない、と答える。それからまた一旦考え込んだ。


「……私の場合は、そうだな。剣の技で言えば、恥ずかしながら私よりルダ殿の方がよほど素晴らしい。しかし私は負けない。敵の動きを目で見るからだ。そして先ほど言ったように、それに当たらないようにして、逆に相手に当てている。私は私の体を思うが儘振り回すことができる。それに合わせて剣も扱う。それが、私の強さだ」

「それは、なんとなく分かります」


 今まで幾度となく手合わせをしてきたので、イオアンナの言っていることは理解できる。

 彼女は己の肉体の可動域、例えば関節や筋肉について熟知していた。数えきれないくらい殴られていえば、さすがにそれくらいケリュンでも気付くことができる。


「常に相手と剣でじりじり向き合って、緊張のなか打ち合う者もいる。逆にふらっと気を抜いて、一瞬に力を込め相手を打ち抜く者もいる。それぞれが、それぞれの強さを持つ。勝者は常に当たらず当てる。その方法は人によってあまりにも異なる。分かるか、ケリュン」

「……はい」

「つまり、剣だけで強いといっても、いくらでもあるわけだ。剣一筋となるのもいいが、視野を固めてしまってはいけない。最後まで立っていた者が強い、分かるね」


 ケリュンは黙ったまま頷く。それを見て、イオアンナは破顔する。


「ま、その心意気は悪くないがな。一応助言をしておくと、例えばお前は目がいいから、それを活かすことができればきっと強くなれるだろう。そして私はお前の指導者だ、そのための特訓はしてやっている!」

「そ、そうだったんですね……!」

「当たり前だ」


 胸を張り堂々と宣言するイオアンナに、ケリュンは思わず顔を上げてしまうくらい感動した。 

その時彼は、はっと初めて目を開いたかのように気がついた。常々目で追えぬほどの攻撃を繰り返してくるのは、きっとそういった意味があってのことだったのだろう。単にむしゃくしゃして体を動かしたかったとか、そういったことではなかったのだ。


「それにこの私に特訓を挑み、どれだけ痛めつけられようとも挫けず、粘り強く続けているのだ。私はその点でもお前を評価しているよ」

「あ、ありがとうございます」


 彼女の褒め言葉は、やけに率直だった。いつでもそうであるわけではないのだが、ここぞという時は内面にあるがままの言葉を部下に告げる。

 照れくさそうにはにかむケリュンを見て、イオアンナは穏やかに目を細めた。


「……よし。今度お前に、私直伝の、必殺技を授けよう」

「必殺って、でも、それって教えていいものなんですか?」


 きょとんと目を丸くして、素直に受け取っておけばいいのに、ケリュンはそんなことを尋ねてくる。

 だからイオアンナはつい、少しだけ笑ってしまう。


「ああ。必ず、殺す技だ。今のお前には重たいだろうが……その覚悟さえあれば、そのうち授けてやろう」

「それって、一撃必殺とか、そんなもんですか?」

「一撃か。そうだな、お前が今の信念を忘れなければ、きっと一生かかって――」


 言葉尻は、意図してかせずかは分からぬが、ケリュンには聞き取ることができなかった。

 咄嗟に聞き返すと、彼女はまるで見たことのない顔をした。仮面を被ったかのような、いや、剥いだかのようなそんな印象を受けた。


「お前はきっと、『神様』さえ殺せるくらいに強くなれると、そう言ったんだよ」


 声の調子はふざけていて、目はたっぷりとした優しさに溢れている。

 それでもまるで底なしに引きずり込まれる気がして、ケリュンは唾を飲みこんではい、と頷くことしかできなかった。

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