ロッカ様は前王の娘
「どう?」
彼女の部屋に招かれて、真っ先に発された一言がそれであった。
問われたケリュンはどう答えるべきか言葉を探った。ロッカはじっと、まるで測るように彼の言葉を待っている。つまりケリュンは彼女の喜ぶ言葉をなんとしても絞り出さなくてはならなかったのだが、まあケリュンがそんなものを知るはずもなく、彼は早々にそれを諦めた。結局、無難なものに落ち着く。
「なんというか、大人っぽいですね」
「……まあまあね。結構、落ち着いた感じでしょ?」
とりあえずロッカが期待していた基準は超せたらしい。安堵するケリュンに、澄んだ緑の目をぱちぱちさせて尋ねてくる彼女は可愛らしかった。そしてその分、その部屋と浮いているように見えた。
ロッカの部屋は、ほとんど物が無かった。必要最低限の家具は置いてある。女性らしくクローゼットなんかかなり大きいし、どの調度品も質の良さは一目で分かるほどだ。しかし、今まで通された部屋を思えば、ロッカの部屋は至極質素であった。小物や絵画、花の一つも飾られず、がらんとしている印象さえ受ける。が、恐らく、実用性を重視しているのだろう。必要なものは最低限、きちんと揃えられているのだから。
と、納得しようとするが、ロッカの性格を考えると、どうにもこの部屋は不似合といおうか、意外に思えてならなかった。自覚があるのか、ロッカは肩をすくめた。
「昔の部屋は、もっと子どもっぽくておしゃれだったんだけどね」
「やめてしまったんですか?」
「成長すると、ね、……」
言いかけて、まるで凍りつくように言葉を止めたロッカ。その視線の先を辿れば、そこには小さな絵が額立てに立てられていた。タンスの上、つまり大きなクローゼットのすぐ横にあるせいでケリュンは先ほど気付かなかったが、さすがに部屋の主は一瞬で――と思いかけて、何を驚愕するのか、とケリュンはロッカの顔を窺った。見開いた目だけが美しい、しかしそれだけの、ロッカはまるで死相を浮かべているようだった。彼女はそれでも、たじろぐケリュンを気遣うように微笑んだ。
「……召使いを呼ぶから、待っててね」
彼女は至極冷静な態度で、メイドにあの絵を今すぐ取り除くようきつく命じた。女は頭を幾度も下げ、新人がしてしまった、私から酷く叱っておく、とロッカに謝罪した。「貴方達は部屋を整えるのが、美しく飾るのが仕事であるから、許すけれど」と前置きして、ロッカは二度とないようにしなさい、とそれだけ言って、その話はそこでおしまいとなった。
メイドが深々と頭を下げながら退室したのを見送って、ロッカはふっと息を吐いた。
「驚いたでしょ。ごめんね、ケリュン」
「大丈夫です」
言って、尋ねてもよいのか口籠るケリュンに、ロッカは微笑を浮かべながら説明した。
「親の肖像画よ。知ってるでしょ、死んだの。あまり思い出したくなくって……なのにあるから、びっくりしちゃった」
そういえばロッカは、今は亡き前王の一人娘であったかと以前聞いた情報を思い返す。そして幼いロッカに代わり王座に就いたのが、その前王の妹たるアレヤ女王。知っているけれど、時折忘れてしまうのだ。イレーヤもクレアもロッカも、ケリュンら下々の者からしてみれば、まとめて姫という括りにあったからだ。
「すいません、俺……その、お気持ち、ご察しいたします」
己の鈍さをもどかしく思うケリュンの謝罪にも目を向けず、ロッカは背筋を伸ばしたまま、まるで遠くを見るにようにしたままただ一言尋ねた。
「ケリュンはどう思った?」
「……何をでしょう」
「親が死んだときよ。どう思った?」
言って、不躾だったかしら、とロッカは静かに問う。
ケリュンとロッカは、身分こそ違えど、この時だけは確かに同士だった。だから、何を言われようがそこに不快感はなく、ただ鏡の向こうの自分が、その心を整理するため問うてきているかのような空虚さだけが二人の間に横たわっていた。
「俺は。……俺はただ、安心して死んでほしかったです。安らかに。死ぬときぐらいは」
それだけを祈っていました、と。
ケリュンの呟きに、ロッカは目を伏せる。そのままロッカは、自分は両親の死をあまり覚えていないのだと、そう語った。幼い頃であるが、物心ついていないというわけではなかったというのに、ろくに記憶がない。だというのに、思い出すのが辛いなんて、自分はおかしなことを言っているだろうか。普段と違う、淡々とした様子で彼女は語った。その顔が、ケリュンにはやけに悲しく思われた。
「おかしくなんてありませんよ。そんなの、普通じゃないですか。誰だって、悲しいことには、触れたくないです」
「悲しいこと、か。そうね。そうよね。……ねえ、もしかしたら小さな私も、二人が死んだとき、ケリュンみたいなことを考えてたのかしらね? 覚えてないけど」
「もしかしたら、そうかもしれませんね」
「あはは。そりゃ救われるわ」
ロッカはやっと声をあげて笑った。その笑顔を見ながら、――もしかしたら、ロッカはこのことを喋りたくて自分を呼んだのではないか、とケリュンは思ったが、まさかそんなことを聞くわけにもいかず、ただ黙ってにこにこしていた。たいしたことはできないが、少しでも彼女が救われたと思ってくれたら、それほど幸運なことはない。
ケリュンとロッカは、それから互いにぽつぽつと語りあって、静かに別れた。次に会う時は、ロッカはきっといつものように明るく振る舞うのだろうと、ケリュンはなんとなく予想した。
結局ケリュンは城の裏側、つまり普段下仕えの者達が使用する通路から、こそこそ帰ることとなった。アレヤ女王陛下は当然ながら、その地位のため時間に余裕があまりない。ケリュンがロッカに呼ばれたせいで、顔を合せることができなくなったのだ。それから、別に気にしてない、イレーヤとロッカの相手をしてくれてありがとう、とそれだけを伝えられて、ケリュンは己の居場所へと戻ることとなった。
ケリュンを案内するのは先ほどロッカに叱られていた中年のメイドである。しずしずとケリュンを率いたイレーヤ付きの侍女とは異なり、彼女は歩いてすぐに話しかけてきた。
「ロッカ様は怒っていらっしゃらなかった?」
「え? 普通に――いや、動揺はしてたけどさ、それでも冷静だったよ」
女は「ああ良かった」と胸に手をあて、心底安堵したように長い息を吐いた。それから聞いてもいないというのに、ケリュンに向けて勝手にぺらぺらと喋り始めた。ケリュンはただ、へぇとかほぅとか相槌を打つだけである。
「ロッカ様、普段はとってもいい方なのよ。私たちにも明るくお声かけくださるし。ま、それではしたないって怒られることもあるみたいだけど。変につんけんした人より、ロッカ様みたいな優しい人の方が、私たちも働き甲斐があるわよね。……だけどね、あの肖像画。あれあるじゃない。ご両親の絵を飾るのだけは、本当に嫌がるのよ」
「絵っていうか、小物全般を嫌がってるんじゃないのか? さっぱりした部屋だったしさ」
「昔はそんなことなかったのよ。普通に絵だって置いてあったし、カーテンも刺繍たっぷりので、華やかに部屋いっぱいを飾ってね。まあ、子どもの頃の話だけど」
なのに新人が勝手にねぇ。確かに、イレーヤ様もクレア様も、ご家族の肖像画を飾ってらっしゃるし、気持ちは分からなくもないけど。私もお部屋を整えてきなさいとしか言わなかったし、初めて一人にさせてみたわよ? だからって、ロッカ様の所には何も置くなって言ったのにあの子ったらほんとおっちょこちょいなんだから、云々。
もはやケリュンに何の同意も求めずに、女はただ一人で捲し立てている。しかも妙に親しげで、内容も生々しい。いつまでも続きそうなそれに、ケリュンは女が一呼吸いれた隙をついて、思わず口を挟んだ。
「俺にそんなこと話していいのか?」
「だってあなた、同士でしょ?」
「同士って?」
互いにきょとんとして、女がすっと目を細め、ケリュンは目をぱちくりさせる。慌てて、「俺は寝室の整理なんてできないけど」と付け足したのは、寝室メイドであるはずの彼女があまりにもその雰囲気を張り詰めさせたので、面食らったためだ。
「……アルフレドって、知ってる?」
「誰それ」
殺気こそ感じないからケリュンも余裕だが、女の目つきはますます険しくなる。
「は? あんた誰?」
「傭兵のケリュン」
「ケリュン? 変わった名前ねぇ」
「古代語で牡鹿って意味らしいよ」
ケリュンのいつもの小ネタである。どれほど変な名前でも、何かしら意味がある単語だと分かれば、人はへぇと黙り込むものなのだ。知らぬ知識であれば、その効果は更に高い。
しかし女はそこで、盛大に顔を顰めた。
「なるほどねぇ」
「なるほどって顔じゃないよ、それ」
「気にしなくっていいわよ。あんたも若いのに苦労するわねェ」
ことさら労わり深く肩を叩かれた。どんな心変わりだと表情を窺うが、どうやら女は腹の底からそう思っているらしい。穏やか、というよりいっそ哀れむような目でケリュンを見ている。いたたまれなくなって、ケリュンは肩を竦めてそれに答えた。
そういえば、以前もこんなことがあった。モスル村でこしらえた借金を返済するため、『銀の祝福亭』に宿泊していた行商人に会いに行った時である。彼もこのメイドの女と似た視線で、しみじみと「色々大変だな」とかなんとか言っていた。……確かにその後色々面倒事があったので、ケリュンはそんな些細な言葉も覚えていたのだ。まあかなりうろ覚えだが。
自分はそんな幸薄げな顔をしているのだろうか。姿勢の問題かもしれない、とケリュンがなんとなく考えを巡らせていたところで、メイドの女がにやりとした。
「いい? 大変な時はただこう考えればいいの」
「なんて?」
「全ては女王陛下の御心のままに」
結局メイドの女は、それ以降どうでもいいことをぺらぺらと並び立てるだけで、アルフレドが一体誰なのかも、どういう理由でケリュンを哀れんだのかも、何一つ教えてはくれなかった。ケリュンも彼女自身に若干たじろいでしまって、問い詰めることができなかったのだ。
自分は、他人から哀れまれるような人間なのか?
それとも、そうされてもしかたのないような状況に置かれているのか?
思い返せば、帰り道、使用人の通路から戻ってきたというのに、ケリュンはほとんど誰とも擦れ違わなかった。二人ほど目が合って、会釈して、それきりということはあったが。そもそもあのメイドは何者だったのか? 中年の、どこにでもいそうな容姿であったが。
それとも考え過ぎだろうか? 過去のことと少し状況が被った、それだけで自分は動揺して、おかしなことに思考を巡らせているのかもしれない。
分からない。ケリュンには何もかもが不足していた。理解も、情報も。
ふと城を振り返り様に見上げれば、ただ晴天のもと、グリーンの国旗が優雅に風になびいていた。今日は、いやに風が強い。




