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マルテ王国史  作者: ばち公
二章:傭兵時代前編
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イレーヤ様はうつくしい

 ケリュンは気を抜いたら死ぬのではないかと思った。

 身に余る光栄なんて言って他愛なくはしゃいでいる場合ではない。イレーヤが己の目の前に立ち、生きているということだけで、どうにも目が回りそうになるのだ。

 イレーヤは淑女らしく目を伏せて、時おりそっと微笑んだ。ケリュンはその度椅子から思い切り立ち上がってジャンプしたい気持ちにさせられた。もちろんそんな頭が弾けたようなことするはずもないが、内心、爆死しそうだった。

 頭の中がそんな風に一人お花畑状態なので、いつものようにぺらぺら口が回らない。知人であれ見知らぬ他人であれ、誰かとの雑談はケリュンの数少ない得意なのだが、どうしてもあれはどうだ、これはどうだ、とイレーヤの反応が気になってそれどころではない。その度彼女を見つめてしまっては、はっと我に返り気恥ずかしくなって、テーブルクロスへ視線を落としてしまうのだった。

 どれだけ手間と時間がかけられたのか分からない純白のレースの編み目を数えながら、(俺は馬鹿か)とケリュンは一人思っていた。

 久々にアレヤ女王に呼びだされたかと思えば、彼女自身との話し合いはあっという間に終わった。そしてそのまま、イレーヤの部屋に向かわされ、彼女と引き合わされたのだった。しかしそれから彼女と二人(もちろん侍女はいるが)にされた、その意図はよく分からない。

 クレアの時は、彼女の望むまま何かを話せばよいというのが分かった。ロッカはまあ彼女の興味のまま言い方は悪いが暇潰しがてらみたいなもので、そしてイレーヤについては、その理由が分からないのだった。

 もちろんケリュンにとっては非常に喜ばしいことなのだが、一体どうしたらいいのか。この様子で、イレーヤがまさかケリュンなんぞに興味を持っただなんて考えられないし。

 いずれイレーヤと会えると言っていたピーナの予言はあたっていたわけだが、ついでに話題なんかもどうすればいいか聞いておくんだった。ケリュンは心底後悔していた。




 一方のイレーヤはしおらしく振る舞いながら、内心ひどく焦っていた。口数の少ないケリュンに、一体どうしたらよいものか。いい考えなんて、そもそも経験がないのだから浮かぶはずもなかった。

 もともとイレーヤは、人付き合いはあまり得意ではないのだ。おまけに人見知りでもあるから、大して仲の良くない人物が相手となれば尚更である。


――ここにいるのが自分でなくて、妹のクレアであれば、と考えたところで、更に気が滅入っていく。


 クレアがにこにこと話していたケリュンという人物は、お喋り上手で聞き上手、話し相手を飽きさせたりしない、そんな社交的な人だったはずだ。クレアの言うことも世間知らずの子どもだ、と無闇に聞き流したりせず、些細なことまで覚えていてくれるのだとかなんとか。

 しかしイレーヤの前にいるケリュンはどうだ。イレーヤとあまり目も合わせず、何故かじぃっとテーブルクロスのレース模様を眺めている。手芸がお好きなのだろうか、とイレーヤは思ったが、そんなこと聞けやしない。それができたら、今こんな風に気詰まりになっていない。


(ケリュンはもしかして、私を嫌っているのではないだろうか。それとも、単に私が退屈なのだろうか……)


 イレーヤは、行き遅れで地味な、姉姫だから。

 そもそもなぜ自分はケリュンと引き合わされたのだろう。いつも誤魔化しばかりの母アレヤに直接問えば、いつもの淡い微笑を伴に「護衛よ」とだけ短く返された。

 護衛。イレーヤはその単語にも不信を抱かずにはいられない。イレーヤは、どうやら命を狙われている、らしい。自覚はない。毒見係が死んだという報せも、何も聞いていない。明るく社交的なクレアほど下使えの者達と親しくはないが、さすがにそれほどの一大事が伝えられない筈はないだろう。

 イレーヤはそれほど母を信用していない。自分達、つまり娘に害なすことは無いというその一点だけは心から信頼しているが、彼女の口にすること全てを信じることは不可能だ。

 母親だが、アレヤは謀略ばかりの女性だ。イレーヤはそれが、その黒々とした部分がどうしても苦手だった、恐ろしかった。妹のクレアはそれすらもすっかり受け容れてしまえるというのに。イレーヤは、母の背負うその影に怯えていた。

 だから時たま、こう考えてしまう。――私は命なんて、狙われていないのではないか? それも母の虚構、彼女は、なにか己が施す策のために、辺りにそう囁いているのではないか?

 なんて、どれだけ考えたところで、イレーヤには分からないのだけれど。


(だったら貴方はなんなのかしら、ケリュン。策に必要な、母の手の者? それとも本当にただの護衛? 普通の、趣味がレース編みの人なのかしら?)


 自然と溜息を吐くイレーヤを、彼女の憂鬱も知らず、ケリュンはうっとりと見つめた。

 本当に綺麗だった。唯一の女神様だ。彼女しかいない、とケリュンは一瞬浮かれるように考えたが、その理由は自分にもよく分からないのだ。


「ケリュン」

「はい」

「その、そろそろ戻るべきではないのですか?」

「あ、はい。貴女がそう仰るのなら」

「いえ、私はそんな。ただケリュンが戻らなくてはいけないなら、戻りたいなら戻ったらと。私が言ったとかではなく、そういう意味で」


 イレーヤは他人に、己の気持ちを伝えることに慣れていない。どう話すべきか悩みながらのせいで、ずいぶん拙い言葉になってしまったが、ケリュンはなんとはなしに理解した。


「そうだったんですね。お気遣いありがとうございます。申し訳ありませんが、できるなら陛下に呼ばれるまで、お側にいさせて下さい」


 ケリュンは王城内では基本的に、アレヤに呼ばれるがままに動いていた。ケリュンには分からないが、恐らく向こうの都合というものがあるだろう。

 ケリュンの申し出に、イレーヤは小さく微笑んで、それでよければ、ということをもごもご口にした。ケリュンは礼を言いながらも恥ずかしくなって、誤魔化すように角砂糖をティーカップにいれてくるくるかき混ぜるのだった。ちなみに三つ目で、さすがのイレーヤも驚いた。


「あの、ケリュン。……お茶の味は、いかがしょう。美味しいですか?」

「はい、とっても」


 ケリュンは尋ねられたこと自体が嬉しくてにっこりした。正直彼は緊張のあまり味なんてまともに分かっていなかったのだが、イレーヤはすっかり勘違いをした。殿方には珍しく、甘党なのだと。そしてレースに対して異様に関心がある。


(もしかして、ケリュンは女性……?)


 イレーヤはあまりの発見にはっと口を覆った。小柄だし、目は少しぱっちりしているし、見えなくもない。が、さすがにそれはないだろう。あまり外に出ないイレーヤであるが、レイウォードやアレンなど男性の知人くらいはいる。ケリュンの堅そうな肩幅や、首筋、その喉仏なんかは隠しようのない男らしさを表している。

 変なことを考えてしまった自分が恥ずかしくなって、イレーヤはぽっと頬を染めて目を伏せた。

 ケリュンは彼女のそんな姿に、お淑やかな女性だなあと内心惚れ惚れしていた。




 そうして、理由はともかく互いを意識し過ぎるあまり思考がどこかずれてしまう二人だが、さすがに時が経つうち緊張もほぐれ、さすがに無言のままはバツが悪いとぽつぽつ会話するようになっていた。


「――それで、クレア様にその猫のやつを渡したんです。なかなかよく出来てるんですよ。寝転んでる感じで」


 ケリュンはフレドラを訪れたとき、ピーナの知人であるテオドアの店で、その猫の置物を買ったときのことを話した。

 ケリュンとイレーヤ、立場も性別も何もかも異なる二人だが、クレアは両者ともに知っているため話題として出しやすかったのだ。

 イレーヤも、自分にも答えやすい話題に内心安堵した。


「クレアったら、そんな。その、ありがとうございます、ケリュン」

「そんな。本当に姫様方からしたら安物なんで、もしかしたら迷惑かもと」

「い、いえ! クレアはとても喜んだと思います。ええと、聖マルテの四神獣が、小鳥と、蜥蜴と、馬と、鹿でしょう? 私たちに贈られてくる物も、それに関したものが多いんです。だから猫の置物を貰って、クレアも嬉しかったでしょう」

「そう言っていただけると……光栄です。あの……やっぱりイレーヤ様も猫はお好きなんですか? いや、何がお好きですか? 動物とか、えーっと、植物とか、なんでもいいです」


 イレーヤはそこでしばし黙った。そして感情が表に出やすいのだろう、困惑したようにそっと眉尻を下げた。


「私、私は。特にありません。――強いていうなら。……光り、かしら。星とか、太陽とか、それから綺麗なランプとか」


(持ってこれねぇ)

 ケリュンの真剣だが単純過ぎる計画は頓挫した。さすがに太陽は無理だ。光る花なんかも存在するが、基本毒性なのでさすがに贈れない。ランプはいけるが、こんなもの一個あれば十分な物だしかさ張るし、渡しても邪魔になるだけだろう。


「光ですか」


 尋ねるケリュンに頷きながら、イレーヤは居心地悪く肩を縮こまらせた。変なことを言ってしまった自覚があった。どれも全て本音だが、いくらでも取り繕うべきだったのだろう。しかし嘘を吐くことが、彼女は苦手だった。そう考えるだけで、気持ちがしょんぼりして胸がきゅっと怯えるように疼く。


「光るものって、美しいですもんね。木漏れ日とか、雲間から差し込む太陽、流れ星とか、ほんのちょっとのやつでも、もの凄く貴重な感じがして。俺は朝くらいの木漏れ日が一番好きです」


 ケリュンの実直な答えに、イレーヤは密かに驚いた。イレーヤを馬鹿にしたり、呆れたり、不可解な目で見てきたり、そんなことがなかったからだ。

 しかし正直、イレーヤは彼の言う木漏れ日なんてまともに見たことがなかったので、曖昧に「そうなんですね」と頷くくらいしかできなかったのだが。

 イレーヤはそうして取り繕ったのがケリュンに知られてしまうのを避けるため、そのまますぐに話題を移すことにした。といっても彼女の世界はあまりにも狭く、ぱっと思いついたのもやはり妹のことであった。


「ケリュン。先ほどの話ですけど、クレアは、あなたに会えてとても嬉しそうでした」

「そう言っていただけると、私も嬉しいです」

「クレアのことをよろしくお願いしますね。とっても明るくて、賢くて、いい子なの。……ただ、あの子は少し、世間知らずなんです。何かあったら、もし可能であったらでいいので、助けてあげて下さい。お願いします」


 イレーヤは手を膝に小さくついて、そっと頭を下げた。面食らったのはケリュンで、どれだけ顔を合せようと相手は王族なのだから、そんなことされるべきではない、と彼女よりも更に頭を低くした。腰が痛んだ。


「もちろんです、もちろんですよ、俺にできることであればなんでもします。それを貴女が望むのなら、なんだって」


 言ってすぐ気障な台詞だとケリュンは自分で呆れたが、イレーヤはその身分から周りのそういった態度に慣れ親しんでいたので、彼の心配するほどの違和感は抱かなかった。ただ優雅に一礼して、ケリュンの示した忠誠に答えるだけであった。




 帰り際、ケリュンはロッカに出くわした。彼女はやはり気軽にケリュンに声をかけてきた。


「あらケリュンじゃない、何してるのよ」

「イレーヤ様に会って、それから彼女の案内で戻るところです」

「ふーん」


 そのケリュンを案内しようとしたイレーヤ付きの侍女はロッカのもと目を伏せ、まるで空気に溶け込むように黙してしまう。ケリュンはそれに若干戸惑ったが、ロッカはまるで当たり前のように侍女をいないものとして扱った。


「イレーヤは喋った? あの子、引きこもりだから会話下手だったでしょ? ぎこちないっていうか、すぐ噛むし、話の動かし方も下手くそだし、声もほっそいのよねぇ。ま、それも許されてるからいいんでしょうけど」


 明け透けな物言いに、ケリュンは怯んでしまった。ケリュンにとってイレーヤはあまりにも美しくて尊くて、ケリュンにはそれだけで、彼女がそこにいるだけで十分畏れ多かったので、まさかロッカが言うようなことなんて考えもしなかったのだ。確かに思い返せば、まあ、たどたどしかったかもしれないが、それでもイレーヤは美しい。


「ああ、驚いた? ごめんね。ケリュンを苛めたいわけじゃないのよ。それにイレーヤはいい子よ。本当に、繊細で純粋ないい子。穏やかだし、素敵な従姉妹だと思うわ。別に喋らないからって死ぬわけじゃないし、文句を言うつもりでもなかったのよ」

「ロッカ様がそんなことするはずないって、分かってますよ。驚きましたけど」

「悪かったわ。こうしてよく会ってるから忘れてたけど……貴方にとってみれば、イレーヤも本当に王族だものねぇ。こんなこと言われちゃ、驚くわよね」


 ロッカは本当に悪気があってというわけではなく、自分の思っている事実だけを喋っているつもりだったのだろう。ケリュンの知る彼女は、本当にいつだって素直、率直だったからだ。

 しかし、ロッカとイレーヤは本当に全く、欠片も似ていないな。ケリュンは今さらながら、その事実に驚いていた。そしてロッカも、目敏くそれに気付いた。そして拗ねた素振りで、ケリュンをなじる。


「今、似てないって思ったでしょ。どうせ私はこんな感じよ。イレーヤみたいにおしとやかでも、クレアみたいに華やかでもないわ」

「いえ。ロッカ様は立派だと思います。俺たちみたいのにも、気軽に話しかけてくれて。親しみやすいと言ったら、失礼にあたるかもしれませんが……ロッカ様は本当に、素晴らしい王族だと思います」


 ケリュンは本当に思ったままのことを告げた。彼の知る兵らも皆、取るに足らない自分達を気にかけてくれるロッカに敬意を抱いていたからだ。たまにイオアンナと稽古場に現れてはそこらの兵士に声をかけてねぎらったり、冗談を言ったり、そんな些細なことでもケリュン達は認められた気分になれる。そのため皆ロッカを通して、王族への敬意を深めていたのだ。

 しかしロッカはケリュンのその言葉に、「ありがと」とくすくす笑うだけであった。それ以上何も言わない。ケリュンはなぜか不安になった。なにか間違ったことを言ってしまっただろうか。ロッカは笑っている。しかしちっとも嬉しそうではないのだ。かといって、不満げというわけでもない。ただ、何を考えているのかが分からなかった。

 ロッカは「恥ずかしいこと言うわね」とだけ言って、それからあっと声を弾ませた。そのままケリュンの腕を取り、仰天する彼を軽く引いた。


「そうだケリュン、私の部屋にも来なさいよ。二人でゆっくり話したことはなかったものね。いいでしょ」


 最後の言葉は、ケリュンでなく立ち尽くす侍女にかけられた。お願いよ、とロッカに付け足され、まさか否定できるはずもない。侍女は恭しく膝を曲げ、頭を低くした。息をのむケリュンの傍ら、ロッカは笑った。


「あは、決まり! 行くわよ!」

ケリュン(イレーヤ様に何を聞こう……?)

→「好きなものについて」

 「家族について」

 「天気について」

 「ところで何でそんなに小声なんですか?」

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