上司二人を敬おう
レナートとラズールの家で肉料理や乳製品をたらふくご馳走になったケリュンは翌日、イオアンナの元へ向かっていた。謎の義賊『青鳥』をめぐるごたごたの一応の解決や、ついでに無断外泊についての始末書を書かなければならない。口で説明してペナルティを課されたあと、それから同じ内容をいちいち紙に書いて、サインをもらって――というのはケリュンには無駄としか思えないが、まあしなければならないものは仕方がない。
それから、例の緑のリボンの手形についても、報告しなければならない。服の内側に縫い付けて隠し持っているそれのことを考えると、気が滅入る。
「――ケリュン。久しぶりだなあ」
「あ、え、ルダ様。お久しぶり、ですっけ? この前もあったような」
「そだったか? まあ気にするな。俺は部下思いのよき上司なんだ。別にサボってるわけじゃあない。今だってほら、」
「はあ、」と戸惑うケリュンを笑い飛ばしながら、ルダは書類を一枚ひらひら揺らした。
「イオアンナから貰ってきたんだ。治安強化に勤めろとかなんとかでな。正直無理だよなぁ?」
身も蓋もない言いぐさに、ケリュンは曖昧に頷いた。ルダは冗談だとからから笑う。大らか、いや大雑把と言おうか、それでも部下思いであることは確かだろう。それほどの身分で、一傭兵でしかないケリュンにも、しばしば声をかけてくれるのはルダくらいだ。暇潰しがてらにも見えるが、彼は彼なりに、ケリュンから傭兵隊の情報を仕入れているようなのだった。
準正規兵程の扱いを受けているものの実際は雇われ者に過ぎないし、アルクレシャに馴染んでいるかだとか、もしくは正規の奴らから嫌がらせを受けていないかだとか、そういった細やかだが重要なことを探っているらしい――とは、全てルダ本人の談である。
「ただでさえ冒険者や傭兵がやたらめったら流入してきてるんだぜ。全く、治安がどうたらこうたら言われても正直キリが無い……」
ケリュンは全くです、と愛想笑いをしながら、ふと眉を寄せた。
(流入? なぜ?)
しかし訝しんだケリュンがそれを問う前に、ルダは「いかん。愚痴っぽくなったな」と気を取り直すように笑った。
「まあそういうことだから、なんか危ないことがあったらすぐに報せてくれ。ぴりぴりしてるんだよ、こっちも」
危ないこと、と言えば、すぐ手の内にそれがあるわけだが。ふと胸元に触れれば、布越しに青銅の手形の感触がある。
「……あの、」
ケリュンは言いかけて、戸惑った。このままルダに伝えてしまってもいいのだろうか。彼はイオアンナより上の立場で、今ここで会えたのは幸運だろうし、それこそこの事案は慎重に扱うべきで――と、ここまで考えたが、ケリュンにはよく分からなかった。
ルダに伝えて、イオアンナに伝えて、ここには何か差があるのだろうか?
結局、迷ったのは一瞬だった。ケリュンは服の内側に縫い付けていたそれを、布ごと引きちぎって取り出した。血染めのリボンに反応してか、ルダの瞳が鋭く細まる。普段の雰囲気から見過ごされがちだが、彼の釣りあがった瞳はまるで狼のごとき鋭さを放っているのだ。
「それは手形か。商いの」
ケリュンは頷き、かくかくしかじか説明した。アルクレシャの外からレンディーなる怪しげな毒が運ばれているだろうこと、それを取り成したのは暗殺者ケリーで、呼び込んだのは恐らくこの緑リボンの手形を出すことのできる者。それから手に入れた経緯、つまりこれまでの事情も話す必要があったので、説明は少々長引いた。ルダは相槌一つ打たず、黙って耳を傾けていた。
「なるほどね。ケリーか。ケリー・レネかな。金髪だった?」
「さあ。フードを被り込んでいたので、知らないです」
「じゃあケリー・レネだ。大物だよ。ケリュン、ガラスの件については知ってるか?」
「まあ一応、噂では」
「なら十分。ケリーも噛んでたよ、多分。どこぞの組織のトップの筈だし」
マルテ王国の特産品の一つにガラスがある。マルテのガラス製品は他所のより丈夫で、だというのに類無く繊細な細工がほどこされている。それは原材料となる珪石等に秘密があるのか、それともまた何か別の秘密があるのか。それは携わる者しか知らない。鉱山は厳重な管理下におかれ、その工房の在り処は秘匿されている。
しかし人が働く場所では、どうしても様々な物が動く。完全に隠蔽するのは難しく、であれば当然噂というのは立つもので、その秘密のガラス工房はどこぞの裏路地、あまり治安のよろしくない場所にあるのだと囁かれていた。もちろん一つではないが、どの街でも普通の人間であれば近寄らないような場所に建てられているのだとか。
その理由は至極単純で、人を殺しやすいからである。他国から人目をかいくぐって現れる間諜その他を、その場で素早く始末するためだ。金のためにどちらも命懸け、必死なのである。
そしてそのような場所にあるのだから、どうしても裏との繋がりが出てくる。警護なり暗殺なり、ああいった手合いには事欠かないからだ。そこに、先日ケリュンが手をかけたケリー・レネが絡んでいたらしい。
ケリュンは様々な事情を厳かに呑み込んで、端的に答えた。
「へえー……」
それ以外、言いようがなかった。
もちろんケリュンも一応だが、ガラスには世話になっている。例えば、以前エミネルから礼として贈られた、魔力の籠った臭い消し入りのガラス瓶にも、マルテのガラスが使われている。見てくれこそ繊細だが、多少ぶつけてもモノともしない驚きの強度を誇る。そこまでいくとガラスと言ってしまってよいのか不明だが、まあ皆がガラスというのだし、きっとガラスなのだろう。
しかしそれに既に死んだケリーが関わっているからといって、何か問題になるのだろうか。
ルダは無駄に胆の座っているケリュンを見て、米神のあたりを掻いた。
「怯えずに済むよう、ちゃんと自分が迷惑被らんように殺したんだな。なら気にしなくていいだろう。寧ろ、代わりにトップに就けた奴からは褒められるかもしれんぞ。レンディーに手を出すような奴なら、組織にとってもかなり迷惑だったろうし。信任が厚かったとも思えない」
実際、ケリーの敵討ちをされる心配は必要なさそうだった。もしあったとしても、恐らくラズールの方が早く嗅ぎ取って、ケリュンに伝えてくれるだろう。まあこれはあくまで恐らく、だが。
このような事案にさえ慣れているのか、ルダのどこか淡々とした言葉に、ケリュンは「そうですね」と一度だけ頷いた。
「とりあえず片付いたんじゃないかなとは、思います」
さすがにあれだけで、『青鳥』騒動が綺麗さっぱり収まったとは思えないが、それでも、徐々に落ち着いていくだろう。青鳥の情報は未だ出回っているが、レナートはラズールの監視下で大人しくしているし、そもそも引っ掻きまわしていた奴が死んだのだから、いずれ消えるに違いない。実際レナートが死んで喜ぶのなんて、ケリーだけだったのだから。
「ま、それよりも厄介なのはこっちだな」
ルダは平気でリボンの部分に指を通して、子どもが遊ぶようにくるくる回した。血がついていようが物ともしていない。騎士院の上司として頼もしいと見るか、心に距離を置いて半目になるか。ケリュンは精神的に少しだけ引いた。
「反王族派というのがいるんだよ。ああ、君には信じられないだろうけどな。貴族様方の一部にはひっそりとね、そういうのがいる。三院制なんていいながら、もっぱら王族の専制だから、それに不満があるのだろうな。それに貴族院もフレドラ公ダムロ公爵、リベファ候ヂムリョン侯爵、アクドラ伯ヅーウィン伯爵ら『城持ち』が牛耳っているようなもんだからね。ダムロ公爵筆頭に、どれも王族の身内みたいなものだから、そこにも不満があるのだという。アージェル伯デヒム子爵なんて、息子ともども贔屓を隠そうともしていないし、そういうところすら気に障るらしいね。ほとんどは穏健派だというのに――」
ルダはまるで他人事のようにつらつらと喋った。よくそうも流れるように喋れるな、と関心はするが、ケリュンは正直、話についていくのに精いっぱいだった。内容は分かったが、後半並べられた貴族達の名前なんて、(一応聞いたことはあるけれど……)程度なのだ。常にそのような身分と顔を合せるのだろうルダからすれば、教養以前の問題なのだろうが。
もちろん焦るケリュンの内心だなんて分かるはずもないルダは、憂いを帯びた、少しばかり深刻な顔で尋ねた。
「ケリュン、君はどう思う?」
「そうですね。反王族派、言い分があるのは分かりました。でも女王陛下に盾突くだなんて、死んだ方がいいんじゃないでしょうか」
ケリュンは何より騎士院として至極真っ当であるだろう答えを選んでおいた。
どうせ上司がはっとさせられるような的確な回答なんて出来ないのだ、ならば外れでないものを素早く、まるで自分の意見そのものであるかのように選んでおけばいい――というのはケリュンが属する傭兵班の年長、ザック・ザーランの知恵である。
「ははは、君もまるで犬みたいなことを言う」
「い、犬ですか?」
「……あ、いや、今のは言い過ぎたか。君みたいなのはここでは普通だよ、だから貶しているわけではないんだ。すまないな」
君も、であるから、以前にもこのような答えをした人間がいたのだろう。しかも複数。騎士院の闇は深い、いや、国に仕える身としてはまともなのかもしれない。ルダのようにまとめる側からしてみれば厄介なのだろうけれど。
「とにかく、この手形は俺が預かるよ。さっき話した、反王族派の貴族が関わっている可能性が極めて高い。わざわざ外、しかも裏側からそんな毒を仕入れるなんて、明らかにおかしい。莫大な資金をかけているはずなのに、そんな話聞いていないし。……うん、反王族派へのいい手掛かりになるかもしれないし、お手柄だな、ケリュン」
ルダは珍しく喜色を露わににっこりしたが、すぐさま周りを警戒するように声を潜めた。
「……だが、この情報はあまり洩らさないようにしてくれ。できる限り内密にしておくんだ。前に毒見係が相次いで死んだこともあって、怪し過ぎる。慎重に動くにこしたことはない」
もちろん断るはずもない。ケリュンが力強く了承すると、ルダも頷いた。今から内緒だ、と深く念押しして、それからぱっと表情を切り替えた。先ほどまでの雰囲気も、まるで幻のように消えた。やはり、どこか掴みどころのない奇妙な人だ。余裕があるような、常に気を引き締めているような。道化とは言い過ぎかもしれないが、受ける印象はそれと大差なかった。
「はは、それじゃあ早くイオアンナの所へ向かったほうがいいぞ。さっき会ったら、今から部下に説教だと息巻いてたからなー」
ケリュンは思わず「うげっ」と声をあげた。気合いをいれたイオアンナほど手の付けられない者はない、死ぬ、死んでしまう。縋るように見れば、ルダはからりと笑って足取り軽く去っていく。その広い背中とたなびく緑のマントを呆然と見送って、それからがっくり肩を落とした。
しかしイオアンナからの説教は、存外平穏に済んだ。代わりに腕立て腹筋素振りをひたすらこなすことになったが、彼女の鉄拳に比べればそんなもの児戯だ。神と聖マルテと陛下に感謝! ケリュンはこくこく頷いて受け容れた。
「まあ青鳥については以前から報告もあったし……一応、職務の範囲内とみれなくもないからな。しかし違反は違反だぞ? お前も分かってるだろうが」
「はい、以後気をつけます」
「……しかし、ラズールか」
「え、ご存知なんですか?」
「私が幼い頃の暗殺者だろう。今は足を洗って、牧場を営んでいるらしいな」
ケリーに続いて、ラズールまで。ケリュンの訝しんだ表情をよそに、イオアンナは淡々と続けた。
「ついでだ、覚えておけ、ケリュン。悪人であれなんであれ、魔物と戦える人間は、それだけで生かしておく価値がある。牧場でもなんでもやらせてやれ。こちらが情報を握っている分、いざという時は有利に立てるから都合がいい」
「……そんなもんでしょうか」
「そんなものだ。――だから、そんな変な顔をするな。何やら嫌な気配がするときは特に、その傾向が強いという、それだけのことだ」
「嫌な気配、ですか」
「ああ。本隊もサイクロプスの大討伐に駆り出されているし……まあ、それだけではないが。勘、とでもいうか」
「それは――、」
それは反王族派がキナ臭い、という意味なのだろうか。ケリュンは彼女の横顔を窺ったが、黙したまま何も語られることはなかった。こちらから尋ねてもよいのだろうか、と言いかけて、ふとルダが強く念押してきたことが蘇る。
手形のことなどを秘密だと言っていたが、それは誰から誰にまで適応されるのだろう?
首を傾げるケリュンに、今まで書類に顰め面ばかり向けていたイオアンナが、ちらりと窺うように視線を向けた。ケリュンはまるで特訓時のように推し量られた気分になって、思わず口を噤んだ。
イオアンナは「ケリュン、」と名を呼びながらふ、と息を吐いた。
「その青鳥の娘は……どうだった?」
「レナ――えっと、どうって何がですか?」
「いや、なんでもない。強いていうなら、そうだな。無事か? ああ、ほら、大した怪我はないようだが、面倒なことに巻き込まれたみたいだから」
「ああ、元気ですよ。たまに思い出すみたいですけど、辛いとか、そういうんじゃなくて。なんていうかな、前向きっていうか、過去あったことの一つにしてるっていうのかな。忘れはしないでけど、引きずってもいない、そんな感じです。ラズールさんの方も、彼女のそういうところに救われているみたいで――。あいつのそういうとこは、すごいと思います。尊敬しますよ」
「尊敬か。まあ、無事ならそれでいいんだ」
言いながら、イオアンナは椅子に深くその身を預けた。気の抜けた皮が、沈んでいくようだった。
たったのこれだけのことを聞きたかったのか。変に肩透かしを食らったケリュンは、眉間の辺りを掻いた。「いいんですか?」
「いいんだ」
イオアンナはきっぱり、もうそれ以上尋ねるなと言外に態度だけで伝えてきた。彼女は上に立つ者らしく、こういうのがうまい。いざとなったら指先だけでも、他人に意思を伝えられるのではないだろうか。
ケリュンは微笑みたくなるのを堪えた。厳正で、長くこの世界に浸った者らしく荒んだことにも慣れきっているイオアンナだが、やはりその性根は優しいらしい。恐懼すべき戦士だが、心の柔らかな部分を残している人なのだ。
だからこそ姫であるロッカも、イオアンナにああも懐いているのだろう。これは、ケリュンの勘に過ぎないけれど。
手形のことをルダに・・・▽
→話す
話さない




