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マルテ王国史  作者: ばち公
二章:傭兵時代前編
45/102

 ケリーは夜の森を駆けた。


「レナートおおお!! あああああ!!」


 雄叫びを上げながら木陰にナイフを数本投げつけると、レナートが身をかわすため転がり出てきた。ケリーの姿を見ると頬を引き攣らせ、腰の引けた格好で後退りしていく。


「ボク、あなたになんかしたっけ?」

「彼もそれを聞いたね」

「ケリュンくんは生きてるの?」

「死んでてほしかった?」


 ケリーが殊更優しく微笑みかければ、レナートはその顔を歪めた。「……あなた、嫌い。意味が分からない。だいっ嫌い」


「私もあなたが嫌い。でも、今の顔はいいね」


 こうしていると、レナートは年相応の娘の顔をしていた。普段は表情をくるくる変えて、まるで子どものようなのだ。何一つ憎むことを知らずに育った、健やかで朗らかな子どもの顔。それが剥がれている今は、少しばかり魅力的かもしれない。いや、明月の夜だから、その光に照らされてレナートですら女性らしく映るのかもしれない。それにしてもおあつらえ向きに、女性が死ぬにはぴったりな夜ではないか。

 ケリーはそれから唐突に、己の手首を頭にがんがん打ちつけた。なぜか発作のように頭痛が襲ってきたためだ。先ほどからこういったことが続く。ケリュンと打ち合っているときも、集中している時は熱に浮かされるように忘れていたが、ふとした瞬間、頭部が外側から締め付けられるかのように痛んだ。

 レナートは当然のように、ケリーのその隙を付いてきた。パチンコを引き絞って目晦ましを打ったり、ついでにナイフも投げたりした。ふらふらとした足取りながら、ケリーは踊るように全て避けた。そして痛みの波が引いてきた頭で考える。


(ラズールが、近くにいない)


 これは誤算であった。アレが命よりも大事に尊んでいるこの娘と離れるなんて思わなかったのだ。まずラズールを殺して、それからレナートを捕えて、気絶したケリュンの所まで引きずっていく、そんなシンプルな予定だったというのに厄介なことだ。

 それにこうなれば、ラズールが何か考えを持って行動していることは明らかである。一番可能性として高いのは、ケリーの部下らを片付けているとか、そんなところか。断末魔はしないけれど、あの男ならやり遂げるに違いない。


「パパが貴方に何をしたの? 貴方はパパの、知り合い?」

「……私たちは、全くそっくりだ。だというのに、私でなく、下層の者がやり遂げるなんて、馬鹿らしいじゃないか。そうは思わない?」

「何言ってるのか分かんないけど、とりあえず貴方はおかしいよ」

「おかしいのは、お前が拾われたことだろ!」


 突如激昂するケリーに、レナートは怯えるように屈んだ。屈んだ? 訝しんで闇に目を凝らせば、彼女の細腕にはいつの間にか謎の筒を抱えられている。腰を落とし、レナートはケリーの位置を目で確かめた。そして一点の炎が幻のように揺れた。


「発射ァ!!」


 目のくらむような閃光が、直線の道を貫くように迸った。遠くで弾けるような騒音は一瞬遅れてケリーの耳に届く。焼けるような光に目が眩む、と同時に上体がふらついた。直接当たったわけではないが、痛む頭に、光と音の衝撃が残滓のように響く。吐き気がする。

 それでも体に染みついた動きは、当然のように再現される。首筋目がけて飛びかかってきたナイフをぎりぎりで避け、がら空きの腹に拳を撃ちこむ。小柄な体は面白いように吹っ飛んで、地面に転がった。

 ケリーは特に意味も無くレナートの体を蹴飛ばすと、その首根っこを掴みあげた。死人のようにぐったりしているが生きているだろう、恐らく。肋骨の一本も折っていないし、内臓も無事のはずだ。レナートの両手首を手早く結びあげると、そのままずるずると引きずって進む。とっととあの剣士、ケリュンの所へ戻ろう。一歩足を進めるごとに、頭のなかを鈍痛が、まるで鐘付きのように響く。レナートを引きずる、その土を擦る音がうるさいからだろうか。ずるずるとやかましいからだ。目もちかちかするし、やけに頭が痛い、耳の中では生き物の這う音がする。いや、これはレナートを引きずる音か――。

 途中、ケリーは足を止めた。遠く、樹上に誰かいる。息の殺し方も空気への馴染み方もどことなく独特だが、恐らくラズールだろう。年月が経つにつれて潜伏技術も変異していったに違いない。彼の扱う飛び道具は、暗殺者よろしく投擲用のナイフが多い。ナイフはいい、片手で済むし回収も容易いし、その際に痕跡も残り辛い。彼が弓に手をつけたなんて情報もないし、なんにせよ、これほどの距離があるなら大丈夫だ、投擲でも、齧りかけの下手な弓でも当たるはずもない。と、ケリーはレナートを放って飛び込む準備をした。一気に距離を詰めて片を付けてやると踏みだし、そして。

 ぐるりと蝙蝠のように現れたのは、逆さの体勢で弓を番えたケリュンだった。めいっぱい引き絞った、ずいぶん手慣れた様子の。弓?


「な、」

「あんだけうるさきゃ目も覚めるよ」


 真正面、武器一つ持たない大きな的目がけて、ケリュンはぎりりと満月のように引き絞った矢を放った。当てやすく避けづらい胴体ど真ん中、吸い込まれるように矢は空気を切り裂き、的を射抜いた。膝から力が抜けるように身体は傾くが、それでもまだ生きている。


(しかし人が死ぬというのは、本当に呆気ないな)


 そしてついでにもう一本、と番えたところで、ケリーの首が勢いよく跳ねとばされた。飛んでいく首をよそにずるりと崩れ落ちる身体。その背後に立っていたのは、半月刀を構えたラズールだ。気絶していたケリュンの側に置いておいてくれた弓矢と同じく、その武器もそこらの下っ端暗殺者から回収してきたのだろう。そしてどれほどの人間を切り飛ばしてきたのか、その半身は血に濡れて重たげだ。


「レナはどうだ」


 ケリュンはレナートに駆け寄ると、その様子を確認した。医者ではないが、ある程度は習った。脈ぐらいなら分かる。


「……無事です。気絶しているだけで」

「死んでたらお前を殺していた」


 「そのようですね」適当に答えながら、ケリュンは彼女の手をくくっていた、見たことのない結び目の紐を切った。ふとラズールを見やれば、レナートの様子を見たい、駆け寄りたくてしかたないはずなのに、彼は半月刀を握りしめたまま俯き、なにか酷い頭痛に耐えるように己の額あたりを抑えていた。

 まあそれは彼の問題である。とりあえず置いておくことにして、ケリュンは己の気を惹いた物のところへ歩いていった。首の飛んだケリーが倒れ伏した瞬間、そこにかけられていたらしいペンダントのヒモがこぼれおちたのである。問題は、それが夜でも目立つほど鮮やかな緑色で、しかも幅広のリボン素材であった、ということだ。今は首から流れた血の色に染まってしまっているが。


「失礼」


 死体に一言断ってから、そのヒモをつまんでひっぱりあげると、服に隠れた胸元からするりと青銅の板が出てきた。薄いそれには暗がりでも分かるほどはっきりと、『商談の符』とのみ文字が刻まれている。信任状のような役を果たす手形だ、それだけなら珍しくもない。

 問題は、緑のリボンで通されている、という点である。

 マルテ王国で緑とは貴色、あるいはナショナルカラーのように扱われている。それ自体がシンボルのようなものだ。もちろん極々ありふれた色であるため、特段制限されているわけではないのだが、大げさに身につけるのはそれこそ王族院や貴族院や騎士院のお偉方。そして緑色をこういった信任手形に用いることができるのも、彼らだけなのである。


(キナ臭いなぁ)


 ケリュンがまじまじとそれを眺める傍ら、ラズールはまた別の物に興味を示したようだった。ケリーの首にはもう一本ペンダントがかけられていた。引っぱると、小箱のようなものが出てくる。それを指先でこじ開けると、中から妙な丸薬が表れた。指でこすったり匂いを嗅いだりした。そして尋常なく眉間に皺を寄せる。


「こりゃ『レンディー』だな」

「なんですか、それ」

「……クスリだよ。ちょっとだけならいいんだが、一定量以上を摂取すると、判断力の低下、並行処理能力の低下から始まって、そのまま一気に頭がかきまぜられたみたいになっちまう。麻薬というより、使われるなら毒としてだな。どっちにしても特別強力なやつだ」


 そういったあまりよろしくないお薬も一応騎士院の取り締まるべき対象なのだが、ケリュンはレンディーだなんて聞いたことがなかった。それを察したようにラズールは続ける。


「普通、使われないんだよ。珍しいだけじゃない――もの凄く高いんだ、それ。そもそもが秘薬で、噂では材料もよっぽど貴重らしい。取引するにしても同じ量、いや、それ以上の銀が必要になってくる。麻薬や毒ならもっと、なんというか、手軽なのがいくらでもあるし。こんなものを買えるのは日々の生活には困っていない、まあ――分かるだろ?」

「この人は飲んでいたんですかね」

「多分な。まあ、知らんがね」


 ケリュンはそれ以上何も言わず緑のリボンを折りたたんで、青銅のそれを胸ポケットにしまった。




「レナ、大丈夫か。レナート……」


 目を回しぐったりと樹木に身を預けたレナートの肩を、ラズールはおずおずとつつき、それで起きないことが分かるとそっと手をかけて揺らした。出来る限り丁寧に扱ったのだろうがレナートの頭はぐらりと揺れ、その拍子に「う、うーん」とどこか眠たげに呻いた。


「うあ――パパ? ぱ、うわ真っ赤じゃん! なにこれ血!? パパ無傷!?」

「ああ、無傷だ。よかったレナート、お前が」

「ちょっと待って離れて! ボクの服新しいんだからさ! ああもー。それの洗濯自分でやってよね」


 追っ払われたラズールは目を丸くし、それでもああ、としみじみ頷いていた。レナートはよく分かっていないのか、石鹸買わないと、だのなんだのぶつぶつ算段を立てている。


「……捨てた方がいいんじゃないか?」

「あ、ケリュンくんヤッホー。よかった、ちゃんと起きれたんだね。絶対無理だと思ったよー」


 先ほどまで狙われていたというのに、存外けろっとしている。若さ故か、彼女の気質故か。なんにせよレナートらしいと思うと、ケリュンは思わず笑ってしまった。ラズールも彼女のこんなところに救われてきたのだろう。仔細は知らないけれど。


「言っただろ。絶対起きるって。信用してなかったのかよ?」

「信じるには穴があり過ぎだよあの作戦。花火どかーんで無理矢理たたき起こして不意打ちーなんてさぁ」

「信じてないくせに、よく手伝ってくれたよな」

「だってさ。なーんか知らないけど、頼っちゃったんだもん。しかたないじゃん」

「ま、上司のパンチも重いからな。あれくらいなら打たれ慣れてるし、すぐ目も覚める。俺も成長してるんだよ」


 うんうんと特訓の成果を誇るケリュンに、レナートは絶句した。彼女の中での彼の仕事場のイメージは、それこそ地の底に沈んでいくほど悪い。鬼畜な上司、精神を追い立てるような職場環境、暴力的であろう仕事内容、その全てがそろって極悪だ。この世の地獄だ。そしてケリュンはその劣悪にも程がある環境にすっかり洗脳されてしまっている――。


「そ、そうだケリュンくん、ウチで働かない?」


 「は?」と目を丸くするケリュンに口を開かせずレナートは捲し立てる。


「いいとこだよ。動物の世話は大変だけど楽しいし、みんな仲いいし。誰も殴ってきたり、死にそうでも出勤しろーって言ったりしないよ? ケリュンくんなら、家畜狙いの魔物だって追い払えるしさ。あ、それに最近人手が減ってね。それにボクだって嬉しい。ね、パパ、いいでしょ?」


 ラズールはあまり乗り気じゃないようだが、愛娘の願いを無碍に断ることもできず、うーんと唸ってから「ケリュン次第だがなあ」とだけ答えた。


「あ、あはは……。ありがとな、レナート。でも俺はやらないといけない事があるから。あとなんか勘違いしているみたいだから言っとくと、俺の職場はそこまで酷くない」

「ふーん。あっそ。ま、しかたないね。でも、嫌になったらいつでも来ていいよ!」


 それから、こんな夜中だというのに何故か頑なに帰ろうとするケリュンに、半ば無理強いするように頼んで泊まっていかせるようにした。ケリュンは苦笑していたが、その表情はどこか浮かない。胸にしまった例の青銅の手形が彼の錘となっているのだが、そんなことを知らないレナートは疲れているのだろうと判断し、さっさと家に向かおうと彼の背を押した。

「はいはい」と歩いて行くケリュンを追おうとしたところで、そっとそれを留めたのはラズールであった。なにやらやけに声をすぼめ、辺りを見回し、まるで素人が盗みでもするかのような様である。


「れ、レナート? あの、あれだな。あの、こんなことを言うのもあれだが、もしかしてお前、ケリュンのことが好きだったりとか、したりするのか? いや別にだからどうとか、そういうわけじゃないが、つまりだな、あれだな。あの、そういうことなのか?」


 変におろおろする父親をおかしく思いながらも、レナートはとりあえずその言葉に首を傾げた。


「うーん。確かにケリュンくんていいかもね。ちょっとかっこいいなって思ったけど……。でも、それよりボク、ケリュンくんと友だちになりたいって、そっちの方がずっと強いの。お仕事とかなんか色んな事情とか関係ない、初めての、ちゃんとしたお友だちっていうか」


 飾り気のない率直な言葉だった。レナートはいつだってこうである。その素直さを喜ぶべきか心配するべきか、とにかく父として複雑に思いながら、ラズールは「なるほどなぁ」とぼやいた。

 レナートは頷いて、その場でくるっと身を反転させた。父親にこのようなことを聞かれたのは初めてで、このようなことを話したのも初めてで、少しばかり照れくさかったのだ。だからまるで子どものように、ケリュンからもラズールからも背を向けた。


「ね、パパはどう思う?」


 何気ない質問だった。友だち。レナートにとって今まで縁の薄かった存在だ。レナートは己が身に付けた技量や父の旧職のことなどがあって、明るく話せる知人はいれど、同じ年頃の、それこそケリュンのような存在を得たのははじめてだったのだ。

 だから単純に人生の先輩として、ケリュンと、それから自分についての意見を聞いてみようとした。レナートには本当にそれだけだったのだが。

 二人の間に、ふと沈黙がおりた。今まで意識をしなかった、夜という時間帯には相応しい静寂だった。


「――友達にするなら、長生きしそうな奴がいい」


 やけに重たく響いた言葉にレナートは振り返ったが、ラズールはすでに彼女に背を向け、先を歩いていた。ぶっきらぼうに行くぞ、とだけ呟く、その声はどこか虚しげである。

 レナートはそこにかける言葉もないまま、彼女に作戦を囁いたケリュンの言葉を思い出していた。


『というわけで、今から俺が前に出る。ラズールさんにもこれを伝えて、ちゃんとその必殺が打てるような逃げ道に行ってくれよ』

『えー。その作戦で大丈夫なの? ケリュンくんが起きるって確証もないしー。やっぱ打ち合いはパパに任せて、ケリュンくんと私がフォローとか、そっちの方がいいんじゃない?』

『……ラズールさんに、あいつを殺させたくないんだよ。なんか訳あり気だけどさ、一応、知人みたいだろ』


 俺は、彼らの事情なんて知らないけどさ。そう言ったケリュンの目付きはやけに真剣だった。お人好しだ。だからって自分より強い人に雑魚の討伐と武器の回収を任せて、自分は暗殺者と切った張ったをやって、それからレナートには一番楽そうな仕事を任せるのだ。容赦なんてないくせに、それでも、馬鹿みたいにお人好しだ。彼は色々と慎重なところもあるが、確かに長生きはしそうにない、というより、いつ早死にしてもおかしくないかもしれない。

 レナートはくすりと笑い、


「――ほんとは、ちょっとそうかもね」


 一人ぽつりと零してから、父親の広い背中を追うのだった。

青銅の手形▽

アルクレシャに入るための 商い手形。

緑のリボンは 地位あるしるし。

きなくさい。▽

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