お仕事はしんどい(森)5
「ああもーどこだよっ……! レナ! レナート!!」
思わず声をあげれば呆気なく見つかり、「いたぞあそこだ打て!」と息つく間もなく矢が飛んでくる。
(はやいはやいはやいはやい!!)
得意な森の中であるため、いくらでも避けようがあるのが救いか。
ケリュンは日ごろ相手にしていた獣らを思い浮かべながら、彼らを真似るように身を潜めた。小柄であるのはこういうときに役に立つ。息すら止め、風に髪すら靡くなと願い、心に岩となった己を思い描く。
襲撃をやり過ごそうとする、野生の獣そのものとなればよいのだ。
襲撃者らはざかざかと、無遠慮に足で草をかき分けながら、その辺をうろうろとしている。独特の歩法だが、こうも気が抜けていれば無意味だろう。やる気というものがほとんど感じられない。
腕が立つ奴らではないのか、とケリュンはそっと安堵した。
「見失ったか? 同業者かよ」
「いや、あんな剣ぶら下げてたし違うだろ。つかほっとけ、無駄に殺しても金にはなんねぇし、義理もねぇ。五の六に行くぞ」
「五の六か」
足音が遠ざかり、完全に去ったのを確認してから、ケリュンは気を緩めた。強張った筋肉をほぐすため少し身を捩り、細い溜息を吐く。
(弓がほしい……)
落ちてないかな、とまるで子供のように考えてから、
(生きてんのかな、あいつ)
と、頭上に覆いかぶさる樹冠を仰いだ。
なんだってケリュンが怖気立ちそうな薄明のもと森林を疾走しているのかというと、話は単純。この場に呼ばれたからだった。
ケリュンが帰ると手紙が届いていた。
「至急、わくわく青空牧場に来てください。助けて下さい。 レナート」
ちなみに『わくわく青空牧場』とはラズールが経営しているそれだ。
ケリュンはすぐさまそれについてイオアンナに伝える(ついでに援護なんかも求めたがすげなく断られた)と外出届を提出し、その場に向かったのだった。
といっても牧場は一応アルクレシャの外にあるため、あっという間に駆けつけるというわけにはいかなかったが。
そしていざ彼らの家を訪ねようとして、なんとなくだが嫌な予感がした。危険察知の本能とでもいおうか、吹きつける風加減と、それに不釣り合いな静けさ。不自然なくらいの、生き物の気配のなさ。
何もかもがおかしかった、ので、ケリュンはすぐさまその場から撤退した。
一呼吸する間もなく踵を返して逃走し、この場を囲みこむ壁のような森林へと逃げ込んだのだった。
そしたら後を追われ、待ち伏せされ、命を狙われ、今に至る。
とりあえず、レナートかラズールを探すべきだろう。そうすれば何が起こったか聞けるはずだ。
まあ、現状くらいならそこらの奴をとっ捕まえて無理矢理聞き出すという方法もあるが、それはパスだ。正統派剣術しか習っていないケリュンには、そういったことを静かに済ませる技能はない。
しかしそもそも、二人がすでに捕まっていたら、どうしようか。
まともにやっても敵わないだろうし、かといって逃げて放置するわけにもいかないし、さてどうやって助け出すか……。
などと独り考えを巡らせていると、何やら前方が騒がしい。かといって罵詈が飛び交っているのではなく、殺気立った気配が慌ただしくゆれ、ざわめいている。
なんとなく察しがついて覗けば、一人の灰装束に身を包んだ男が、短刀片手に樹を避けながら駆けてくる。
その目線の先にはレナートがいた。相変わらずすばしっこく、放っておいてもこの程度の追手なら平然と撒いてしまうだろう。
なんか前もこんなんだったな、と既視感と共に一息に、ガラ空きだった敵の喉首を飛びこむようにして突いた。
それにしても、腐っても騎士院の一員とは思えないような戦いぶりであるが、自分にはなんとなくこっちの方が向いている気がする、とケリュンは他人事のように分析した。
「大丈夫か?」
「け、ケリュンくん……なんでここに」
レナートの目に入らないよう、後ろに隠した死人で、こっそり剣の先端の血を拭いながら、ケリュンは「お前が呼んだんじゃないか」と肩を竦めた。
しかし驚いたことに、レナートは千切れそうなくらい首を大きく横に振った。
「呼んでない、呼ぶはずないでしょこんな危ない時に!」
寧ろなんで来ちゃったの、と場違いに叱られて、ケリュンは眉を顰めた。別に彼女の叱責が不快だったわけではなく、単純に訝しんだのだ。
己を呼んだのがレナートではないとすれば、ラズールが呼んだのか? それにしては、あまりにも手筈が悪過ぎる。
よく分からないが、ラズールは、レナートのためならケリュンの一人や二人死んだっていいと考えている、ように思う。
娘の恩人だろうが友人だろうがそれはそれ、また別の話で、彼女の為の最適な盾にできそうなケリュンを、こうも適当に呼び出しはしないのではないか?
うんうん頭をひねるケリュンをよそに、レナートは青ざめた顔のまま、「パパを探さないと」と、呟いた。
事情を聞けば、レナートはラズールに怒鳴られて、訳も分からぬまま一目散に逃げて、森に飛びこんだらしい。あまりにも突然の襲撃で訳も分からなかったのだとか。
しかし父を放置することもできず、森のなかをうろうろして、そしてケリュンに再会した、と。
かくかくしかじか、喋っているうちに落ち着いてきたと見えて、レナートは
「ほんと大変だよねぇ」
とぼやいていた。
――レナートではない。ラズールでない可能性も高い。では、誰が。誰がケリュンを、この場に呼び寄せたのか。
もしかしてこの二人の敵が、なにか己を利用した罠でもしかけようとしているのか?
いや、そんな罠思いつかない。現にレナートとも無事再会できたし。では、なぜ……。
目を伏せて黙々と思索を巡らすケリュンを見て、レナートは単純に(なんか賢い人みたいだなぁ)と思っていた。
こうして見るとやっぱり大人っぽいような、そこそこ格好いいような、
「レナート、お前……」
ちらりと向けられた視線に、どぎまぎした。
「……な、なに?」
「弓とか持ってないか」
「……パチンコならあるよ」
「それはいらない」
実際に喋っていると、いつも通りの、へらっとした年若い青年である。レナートはちょっと安心し、普段の調子を取り戻した。
「単純だからって軽んじるべからず。結構便利なんだよ、これ。こーやって引っ張ってね、」
丸い、黒ずんだ球体を思いきり引いて、レナートは放った。球体はケリュンの顔すぐ横をかすめ、背後で音を立てて弾ける。
ケリュンが振り返れば、獣の唸り声じみたかすれ声とともに、一人の男が膝から崩れ落ちた。緩んだ口端からだらだらと唾液が零れ落ちている。
「ほらね、口も利けないから助けも呼ばれない。便利! まあ、この球、ものすごく高いんだけどね……」
「……やっぱりあの人の娘だよ」
ケリュンは苦笑して、レナートに離れているよう言い聞かせてから、そいつを処理した。
と、一応配慮したのだが、
「うわーっ死んでる、死んでるねぇケリュンくん」
「俺が五秒前に言ったこと忘れた?」
離れてろって言ったじゃん。
じっとり睨めば、レナートはやれやれと呆れた教師のように肩を竦めた。
相変わらず芝居がかった、大仰な身振りである。やはり劇団のパフォーマーなんかが、彼女には相応しいのではないだろうか……。
「ケリュンくんが、変に気にしないように来たんじゃない。ボクのことなら平気だよ、殺人死体の一個や二個、貧民区をうろつけば……」
「ウルサい嵩増し娘」
「かっ、かさ、かさまし!? ちょっとそれは名誉毀損だよ! 駄目だよ、よくないよ! ボクのこのちょい足しはあくまで必殺技のためであって、そんな、その他の意図なんてこれっぽっちも、」
「ところでレナート、話があるんだが、聞いてくれるか」
いきなり真剣になった声音に、レナートは口を噤んだ。
レナートから見てケリュンは、タイミングがいまいち掴みにくい青年である。本人は至って真面目なのだろうが。
「……君も大概人の話を聞かないよねぇ。いいよ、なに?」
「俺を呼んだのは、お前とかラズールさんを狙ってる、敵の方だと思うんだ」
ケリュンはかくかくしかじか説明する。レナートからの手紙で来たが、本人は違うと言う。ではラズールかと思えば、それもこの有り様じゃ違う気もする。だとすればこの場にいるのは、敵だけである。
レナートは噛みしめるように黙っていたが、すぐ困惑した顔になった。
「なんでケリュンくんを?」
「分からないけど、俺を殺したいんじゃないかな、たぶん……」
「それ、ほんと?」
「うん。なんかこう、なんとなく狩られる側の気持ちだし」
ケリュンは自信無さ気にひっそり呟いた。
曖昧で形容しがたい、獣じみた意識だった。ふわっとしているにも程があるが、これは人には名のつけられない意識だとケリュンは思っている。
レナートは肩を落とした。
「それってやっぱりあれかな。ボクの、ボクとパパの仲間だって思われたってことかな?」
「どうだろう。そう言い切るには、まだ一歩足りない気もするが……」
ケリュンとしては本当に判断がつかなくて濁した言い方をしたのだが、レナートはそれを、彼なりの気遣いだと取ったらしい。べそをかいてケリュンに縋りついた。
「ごめん、ごめんねケリュンくん。ボクそんなつもり、なかったんだよ。友だちになれたらいいなって思っちゃったことはあるけど、本当に、こんなことに巻き込むつもりはなかったのに」
「別にいいよ。今度美味いもんでも食わせてくれれば」
ケリュンは笑った。気負いのない笑みだった。
「牧場だもんな。なんかあるだろ? えーと、肉とか。あー、肉とか」
「う……うん! なんだってあるよ。ボク、料理には多少自信があるからね。うん、任せてよ」
涙目のまま大きく頷くレナートにほほ笑みかけながらも、ケリュンはぼそりと呟く。
「それに、そっちの事情関係なく俺が狙われてるのかも」
「えっ、ケリュンくんが? それはないよ」
失笑気味に言われ、「どういう意味だよ」とケリュンは半目でレナートを見た。
彼女はひらりと手を振ってそれに答える。
「他意はないよ。ほら、ケリュンくんが働いてるとこって、色々上の事情とかあるじゃない。なんとなく分かるよ。でもケリュンくんみたいな下っ端──本当に他意はないよ? 狙ったってどうしようもないじゃん。殺すに値する情報も持ってなさそうだし、寧ろ味方に引き込んで逆スパイでもさせるとかの方がよっぽどマシっていうか、」
そこでレナートは力なく笑った。
「やっぱりボクのせいだよ」
締めの言葉に、ケリュンは眉の辺りを掻いた。
「……分かんないだろ、そんなこと。なあ、それより、ラズールさんを探そう。ラズールさんは、お前に逃げろって言うと思うけど、でもまあ、ほっとけないよな」
「うん。本当に、本当にありがとう――」
そして二人は揃って、鬱屈とした闇の塊のような森の中を歩いた。
踏みつける草葉すら鳴らさぬよう、潜むように進む。木枝を避け、気配すら殺す。そのためのうまい場所を選び、歩を進めながら、ケリュンは一人思案する。
――確かにケリュン自身が、王国の陰謀云々で狙われたという可能性は低い。殺される者にはそれだけの理由があるが、今のところ、ケリュンにはない。
しかし、レナートらの味方として狙われたと言い切るのも、不用意な気がした。
ラズールのあまり大声では言えない前職のせいで、レナートが狙われた。ケリュンはそれを偶然助けた。ラズールと、何かあったら出来る範囲で協力する約束をした。
敵はそれを、どの程度知っているかは分からないが、それに腹をたててケリュンの命も狙っている。
筋は通っているように思える。
しかし、殺し方がおかしい。手間をかけてわざわざこんな所に呼び出すより、ケリュンが首都をふらふらしているうちにサクッと暗殺した方がいいに決まっている。
ケリュンだって騎士院の一員であるから捜査はされるだろうが、それはここで死んだって同じだ。外出届けに行き先は記すし、ついでにイオアンナだけでなく同僚にも「お、ケリュンどこ行くんだ?」「わくわく青空牧場!」と軽いノリであるが伝えてある。
考えれば考えるほど分からない。なぜケリュンがここに呼ばれたのか。レナート、ラズールと一緒に、全員まとめて殺したい、それだけの理由なのだろうか。
そもそも、ここでケリュンが死んだところで──、
と、そこで思い当たる理由が一つだけあった。しかしそれのうぶ毛が逆立たんばかりの狂気に、ケリュンは思わず息を飲んだ。
前を歩いていたレナートが、猫のように瞬時に身を屈めた。ケリュンも半ば反射的にそれを真似ながら、稲妻のように脳裏を駆けぬけた一つの考えに頭を抱えた。
ここでケリュンが死んだとして。
目の前で、自分のせいで友人が死んだ、レナートが酷く傷つくだけだ。
「──れ、」
「シッ。誰か来るよ」
人差し指を立ててそう告げるレナートは、確かにおかしなところも多々あるが、それでも親子関係に悩んだりするごく普通の少女で、ケリュンにはそこまで、人の妄念じみた憎悪を駆りたてるような存在には到底見えなかった。
しかしその考えはどうしても離れえない。寧ろそれ以外、何があろうか。
(だって俺にはそれ以外思いつかない)
パチンコ▽
ぎりっと引いて ぱっと打て。
レナートが どこかの屋台で 買った。
弾の作り方は 秘伝。▽




