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マルテ王国史  作者: ばち公
二章:傭兵時代前編
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「急にごめん。――あーあ。お礼を言う以外で、訪ねるつもりはなかったんだけどなぁ」


 わざとらしく残念がるレナートに、ケリュンは肩を竦めた。


「どういう意味だよ」

「他意はないよ。迷惑かけたくなかったのに、ってこと」

「つまり?」

「ご察しの通りだよ。助けると思ってさ、ちょっとだけお時間いただけないかなぁ?」

「断る」


 ケリュンが咄嗟に踵を返すと、レナートはまさかの捨身の技に出た。

 すがりつき、大声でわめきだしたのである。

 ぎょっと目を剥くケリュンをよそに、女があげる決死の大声に周りの視線が一気に集まる。


「ほんと五分だけでいいからあああ!! お願いだからああああ!!」

「やめて」

「助けると思ってえええ!! お願いしますよお、ねええええ!!!」

「ほんとやめてください」


 周囲の注目をその身に一心に浴びながら、ケリュンは無心になってレナートを引きはがしにかかった。

 もちろんその周囲には、見知った者も多分に含まれている。あとでからかわれるに違いない。誰一人として手を貸そうとせず、遠巻きに半ば面白がってこちらを眺めていた。全員、面倒ごとには関わりたくないと考えているのがありありと伝わってくる。


「ケリュンがアグレッシブ物乞いに絡まれてる」

「いや勧誘じゃ?」

「あいつマジで運無いよな」

「宗教じゃね」

「憑かれてる……」


 心無い言葉に耳を塞ごうにも、背後霊のごとくしがみついてくるお荷物のせいでなんともしようがない。


「分かったからやめてください」

「だよね、さっすがケリュンくん!」

「捕まればいいのに」


 ころっと若々しい笑顔をむけてくるレナートに、ケリュンは洒落にならないことを言ったが、彼女は堪えた様子もなく、「ごめんね」などとのたまった。舌でも出してきそうな悪戯っぽい顔だ。

 ケリュンは癖になってしまったかのように出てくる溜息を飲みこんでから、「ちょっとの間だけだからな」と呟いた。




「こんにちは。レナートの父親、ラズールです」

「こんにちは。王城の傭兵、ケリュンです」


 どうしてこうなったのかちょっとよく分からない。

 馬車でがたごと揺られてしばらく、アルクレシャの壁の外、レナートの実家にケリュンはいた。礼がしたいと、流されるままついてきてみればこれである。

 ラズールというらしい、どこか厳めしい顔付きの大男がちょこんと頭を下げる様は少しおかしかった。


「ラズールさんですか。ここの牧場、とても素敵ですね」

「ハハハ。今でこそ牧場を経営していますが、以前は闇稼業に手を染めていましてね」


 は? ぽっかん顎を落とすケリュン、しかしラズールは変わらず、他人行儀に朗らかな笑顔で淡々と続けた。


「暗殺業ですよ、ちょっとした。大丈夫、今は綺麗サッパリ手を洗って、こうしてお日さまのもと真っ白なお仕事を――いや本当に大丈夫ですって。な、レナ?」

「そうそう。ケリュンくんのとこみたいな超絶怖い職場と違って、ウチは和気藹々としてみんな仲良しだし、休みもちゃーんとあげてるし、しかも残業代は払ってるんだからとか言って無駄に拘束したりしないし」

「そう背後を警戒しなくても大丈夫ですって。今回はね、そのことも絡ませつつ、レナのことで礼を言おうかと思って呼んだだけなんですから。いやぁ、この度は本当に、このバカ娘の命を救っていただきありがとうございました」


 深々と頭を下げられ、グレーの髪で覆われた頭頂部がケリュンの前に現れる。そこからケリュンは思わず目を逸らした。

 理由は簡単、昔何かの理由でついてしまったらしい傷跡が、筋となって伸びていたからである。刃物の傷に、見えた。


「アッ。ハイ。気にしないでください。俺、べつに何もしてないですからね」

「だよねぇ。心強かったし色々と助かったけどさ、結局はボクが持ってた最終兵器のおかげっていうか――いっ!? たい!!」

「バカは黙ってろこのバカ!! こっちがどれだけ心配したと思ってんだ、よそ様にも迷惑をかけて――っと、オホン。すいませんでしたね、お見苦しいところをお見せしまして――このバカ娘のせいで!」

「ばかばかひどいよぉ、頭殴るなんて余計バカになっちゃうじゃん。バカはパパだよ、ばかぁ!!」


 それから親子喧嘩が始まった。互いにひたすらバカバカ言い合うばかりのもので、なんとなく、子犬のじゃれ合いのようにケリュンには思えた。そして正直帰りたかった。




 適当なところで二人の喧嘩を止めると、ケリュンはレナートに誘われ外に出た。


 原っぱ続くのどかな景色である。どこぞで眠たげに家畜の鳴く声がするが、姿は見えない。従業員が犬とともに散歩に連れ出しているのだという。

 聞かずともレナートは細かく説明してくれた。父への愚痴の合間に、従業員らの年齢だとか家畜の模様の見分け方だとか、恐らくしばらく使わないだろう知識まで細々と説明してくれた。


 とっくに分かっていた事実に過ぎないが、レナートはとかくよく喋る。それがまた楽しげであるので、ケリュンもつい、つられるようにして色々話したり相槌を打ったり、尋ねたりするのだが。


「え? ママ? いないよ。ボク拾われっ子なの」


 あまり聞かない方がいいことまで、聞いてしまったようだ。

 ケリュンは「まさか」と言いかけてすぐ口を閉じた。

 会話のノリといおうか、うまいこと噛み合っていた二人の親子らしい呼吸が除かれた今、よくよく見てみればレナートとラズール、二人の外見で似通っているところなんて、せいぜい肌の色くらいのものだったからだ。


 ふと黙ったケリュンの視線の意味に気付いて、「似てないでしょ」とレナは笑った。


「こーんなに可憐なボクと、オッサンもじゃひげ大男。見比べてみたら分かるでしょ。ま、パパは世界一かっこいいんだけどね!」


 矛盾したことを無い胸を張りながら言い切って、そのままレナは好き勝手なことをまくしたてる。


「やっぱり可愛さは若さだよ! 無邪気さと明るさと馬鹿っぽさ! そしてそれを許される若さこそが――っと。……」


 歩く途中蹴躓いて、そのままレナートは黙りこんでしまった。そしてざくざく草をふみ歩いて行く。しかし沈黙も特別気まずいものではなかったので、ケリュンは特に何か言うこともなく、彼女の後ろをただついていく。


 レナートは途中で足を止めた。先ほどのところと、別段代わり映えのしない草原だった。別に、どこだってよかったのだろう。


 彼女はおもむろに価値が無いようなひしゃげたコインを取りだすと、手元でくるくると回しはじめた。それは回るというより、まるで蛇のように滑らかな動きで、指の合間をすり抜けて行く。

 手遊びというより、何か目的を持って磨かれた一瞬の技術のようにケリュンには見えたし、実際そうであるらしかった。レナートはそこでやっと口を開いた。


「ボクにさー、盗賊の技術を仕込んだのはパパなんだよ。パパは、まあ、元の仕事聞いたし分かるだろうけど、元々はスラムの出でさー、やっぱりそういう所で生き残るのって、大変なんだよねー。それこそ何しようが生き残る! っていう意気じゃない、とっ」


 ピンと弾かれたコインをケリュンが慌ててキャッチすると、レナートは自分の横に座るよう目線だけでうながした。

 その間にも、彼女の話は続く。


「子どもにね、ほら、道徳上よろしくないことはさせたがらないのが親ってもんなんだろうけどさ。……それでもパパは、生きてきた環境が環境だからなのかなぁ? ボクには何があっても生き残ってほしいみたいで。だからこんなことも教えて。……パパはやってきたことがやってきたことだから、いつか自分が殺されても、ボクが独りで大丈夫なようにって、そんな考えもあったのかもねー。ボク自身が狙われる可能性もあるし、いざって時は――」


 そこで唐突に口を噤んでしまった。「ごめん、話がそれたね」


「いや」


 ケリュンが首を振ると、レナートはにこっと笑窪をつくった。「だからボク、お料理も掃除も、メイド仕事みたいなことだって一通りできるの」

 彼女の笑顔はいつだってこんな風に、自然と明るくて愛らしいものなのだけれど、今こうして見てみると、いつもそんな笑顔が表に出てくるなんて、ずいぶん不自然なことに違いなかった。


「生きる手段なんだよ。生きる手段なんだ。どれも一緒なの。ボクはそれでいいと思うし、そういった風に捉えるようにしている。――だけど、パパだけはそう思ってない。実際、それを使って生きてきたからなんだろうね。もう意識も変えられないの」

「うん」

「ええと。ナイフ投げは鳥が獲れる。パパだってそう思ってる。だけど、パパにとってのナイフ投げっていうのは、もう、そういうもんじゃないんだよねって。そういうことが、言いたかったんだけど」


 どんどん自信無さ気に語尾が小さくなっていく。「これ、分かるかな。ごめんね、ボク、バカだからうまく言葉を選べないし」

「分かるよ」


 ケリュンが繰り返し、分かる、と呟いたところで、レナートは「うん、」と答えた。それから深くうなだれた。

 彼女のあまり長くない漆黒の髪が垂れ下がって、頬や瞳などを覆い隠してしまった。形のきれいな鼻だけが、はっきと見える。


「だから、ボクは、そんなことないよって見せたかった。誰かを助けることもできるって、見せたかった。だからって、ボクに出来ることなんてほんとに些細なことだし、それだけでパパの意識が変わるわけじゃないって分かってたけど、でも、ボクは――」


 最後の方の言葉は涙にふにゃふにゃに溶けてしまって、もうケリュンには聞きとれなかったが、それでも彼女は伝えたいこと全てを伝えきったらしい。

 とうとう、ぐすぐすと鼻を啜りだした。ケリュンに出来ることはといえば、「よしよし」と言いながら頭を撫でて、側にいてやることくらいだった。




「ちゃんと親父さんに今言ったことを伝えたのか?」

「づだえでない……」

「言わなきゃ分かんないぞ」

「だって、余計なお世話かも。しれない、し……」

「そんなことないだろ。レナが何であんなこと始めたのか分からない方が不安だろうし、ちゃんと伝えてほしいって思ってるさ。お前のこと、すっっっごく心配してるみたいだしな」


 ケリュンがちらっと目線を向けた先には木箱が並び、その陰に巨大なタオルで顔を覆い隠しているラズールがいた。

 気配も物音も感じられないが、肩だけが堪えるようにぷるぷる震えているのでさすがに分かってしまった。

 ケリュンが苦笑しつつ視線を戻すと、ケリュンのハンカチで涙をぬぐったレナートが、やっと顔をあげたところだった。


「ほんと?」

「ああ。当たり前だろ。ラズールさんは、レナの父親なんだから」

「……うん!」


 自分で言うのもなんだが、臭いセリフだな、とケリュンは思った。わざわざ言わずとも二人は親子であるのだから、そんなこと当然分かっているはずなのに。

 そう思いながら振り返るのは、ケリュン自身の父と母である。そういえば父親と喧嘩したときに、こんなことで母親に慰められたような気が。つまりケリュンはそれを、まんま真似しただけなのである。


 感傷でこんなこと言って、押しつけがましかったかな、とレナートを見れば、彼女は気にしていない、というより他のことで頭がいっぱいらしかった。

「そうだよね」とか「言うぞ」とか、「恥ずかしがるな」なんてぶつぶつ呟いてひたすら己を励ましていた。


「……がんばれよ」

「まかせといて!」


 真っすぐと言おうか、明るいと言おうか、素直な娘だ。元暗殺者らしい父の教えはどこへいったのか。危機感は薄く、そのくせ好奇心は人一倍くらい旺盛なのである。

 心配する父親の気持ちも分かる、とケリュンは未だめそめそと肩を震わせているラズールを気の毒に思った。

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