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マルテ王国史  作者: ばち公
二章:傭兵時代前編
35/102

泥棒はよくない

「コソ泥ですか」

「そうだ、聞いたことは……ないようだな」


 むぅっと難しい顔をするのは、謹慎も解かれてすっかり元気になったイオアンナである。そのせいか本日のケリュンへの特別指導にはかなり熱がこもっていた。

 結果彼は今、仰向けになって地面にひっくりかえっているわけだが……。

 部下の醜態なんてとっくに見慣れているイオアンナは、彼を励ますでもなく、盾を置いてその場に座りこんだ。

 今日は盾(もしくは周辺の盾になりそうなもの)を利用した、防御姿勢についての特訓だった。


「聞いたことがないっていうより……その、言い方悪いですけど、コソ泥なんてどこにでもいますよね?」

「うん、そうだな。ただ近ごろ城下のほうで、泥棒専門のコソ泥がよく出ているらしい」


 基本的にイオアンナは厳しい、というよりも、見ていてしんどそうな表情ばかりしている。

 彼女が属しているのは騎士院の、しかも書類仕事が専らな上層部で、いかにエリートとはいえまだ若い彼女にとって、責任過多なそこでは気苦労が絶えないのだろう。

 それでもこういうとき、例えば思い切り運動をした後なんかは、彼女なりにくつろげているようだ。体を動かすのが心から好きなのだろう。

 心身共にあたたまっているせいかいつもより表情も柔らかくほぐれていて、言動もやけに率直でのびやかであるように感じる。

 これが彼女の素の性格なのかもしれない。


「そういった類の泥棒は、性質上あまり表に出てこない。泥棒が被害を訴え出るわけにもいかないしな。だから私はそこらの実情をよく知らないのだが――で、実際はどうなんだ? 本当はそこそこいたりするのか?」

「うーん……まあ、たまにですが、確かにいますね」

「多いのか」

「冒険者ギルドなんかには、割とそういった奴がいますよ。自由な奴らですからね。本当にひっそりと、手が届く範囲だけでやってるって感じですが……。まあ、大概は酔っ払いのホラですね。ほら、人間はいい人になりたいってやつです」

「なんだそれは」

「詩ですよ、知りませんか。今ちょっと流行ってるんですよ。ヨソからきた吟遊詩人の、ジョアヒムって奴がちょくちょく通りでハープを奏でてるんですけど、そいつの演目の一つにそういうのがあって……聞いてるとおもしろいですよ。みんなさーっと静かになったり、かと思えばわいわい野次をいれだしたり。あいつに操られてるんじゃないかってくらい動くンです」

「ちゃんと歌を聞いてやれよ」

「難しくてよく分からないんですよ」


 ケリュンがそうぼやくと、頭上でイオアンナが笑ったのが聞こえた。


「そうだな。その気持ちは私にもよく分かる」


 位置的に、彼女の表情はうかがえなかった。

 黙ったまま、ケリュンは空へと目をやった。澱んだ灰色の雲が、せっせと精魂込めて敷きつめられたかのように空を覆っている。おしくらまんじゅうのような曇天模様だ。

 明日、もしくは今夜から雨がふるだろう。多分。


「雨が降るかもな」


 ちょうどのタイミングでそう言われて、ケリュンは少しばかり驚いた。「そうですね」とだけ答えた。


「そうしたら外に出られない。私は一日中部屋のなかで紙の山と向き合って、ペンを折り続けることしかできない。雨も、曇り空も私は嫌いだ」


 イオアンナの率直な物言いは聞いていて気持ち良かった。何を話していようとからっとしていて、ちっとも陰気ではないのだ。……ペンを折るというのは、よく分からないが。


「そうですか」


 そのようなことを言う人は多かったし、気持ちも分かるので、ケリュンは頷いた。村人もだいたいはそんなことを言っていた。

「頭上を灰色の鍋蓋で塞がれたような気分だ」、と。

 しかしケリュンは「全くそうだな」などと彼らに賛成していたが、実際のところ、彼自身は、曇り空を嫌ってはいなかった。

 湿気た空気のなか、時たま気まぐれのように吹く涼風の爽快さは水浴び程度では味わえないほどだ。それにそんな空気からは、ミルクのような朝靄におおわれた山奥を感じとることが出来る。狩りに出たときの、あの自分の内外さえ超えた静けさだ。

 そんな些細な理由から、畑の野菜たちへの心配や焦燥すら超えて、ケリュンは曇り空が、まあ、好きなほうだった。


 ケリュンはなんとなく、そんなことをイオアンナに語ってみた。

 まあつまり自分は湿気が好きだ、と。

 スゥにも両親にも、畑の野菜にもそんなことを話したことはなかったのに、なぜ彼女に、上司にこんなことを語っているのだろうと不思議に思いながら喋った。

 そんな思いが顔に出ていたのだろう、イオアンナは


「お前そんな顔してほんとうに湿気が好きなのか」


 と尋ねてきた。

 変な質問だったので思わず笑ってしまい、ふざけるな、とはたかれた。軽い調子だったので、さすがに痛くはなかった。ただ軌道が見えなかったので、命の危機は少し感じた。


「すいません」

「好きなものが多いのはよいことだ。環境で苛立ちが左右され辛くなるからな。逆に、嫌いなものが多いのも悪くない。いつだってそれに気がいくだろうから、ぼけっと見ていたら分からない細事にも気が付きやすくなる」


 この人はいつだってこんな風にものを考えるのだろうか、とケリュンは思ったが、同時に、彼女なりの物差しを持っていることについて羨ましくも感じた。


「というかお前、冒険者ギルドなんて行ってたのか」

「いや、故郷が手紙も送れないような村で、代わりに配達とかしてたんです。その流れで、別の郵便物を頼まれたりすることもあって……そういう時、ちょっと情報集めに行ったりはしてましたね。あそこ、酒とか飯も安いんで……」

「へえ。聞く分には楽しそうだな」

「楽しいというか、場所によりますね。いいところは住みたくなるくらいですし、暗いところはそれこそほら、チンピラ紛いのがごろごろしてる……だけならまだいいんですけど、明らかに反省を知らない前科者なんかもいますし」

「なるほど。そんなギルドが、今回の訴えに出てきたのかな。悪人に出られるはずがないのだから、その周りにいるやつが、必要に駆られて訴えたのだろう。だってそうじゃないと、悪人の代わりに訴えてやる理由なんてないだろ」

「そうですね。たぶん誰かが財布を取られて、なんかのお代が払えなくなって、それが何度か続いたんでしょうね」


 イオアンナはその様子を想像したらしくふふっと笑った。「まぬけだな」ほがらかな笑い声に対し、その目の光は冴え冴えとしている。


「まあ、義賊とはいえ泥棒は泥棒だ。大した被害も無いようだし、捕まえる必要もないだろうが、一応、なにか情報がはいったら教えてくれ。暇だったらでいいから」


……それは、教えなくてもいい、ということじゃないだろうか。

 ケリュンが言うと、イオアンナは「思っても口にするな、ばか、」と笑った。今度は普通の笑みだった。

 ケリュンはちょっと嬉しくなって、つられ笑いをした。




 翌日はやはり雨がふって、イオアンナは部屋に書類と缶詰。

 もちろん特訓もなく、ケリュンは久方ぶりに午後の自由時間を得ていた。


 雨なので、できることは限られていた。

 仲間たちと取り留めなく喋ったり、布巾を棒で打ってスポーツごっこをしてみたり、村へ送る手紙の内容を考えてみたり――結局どれも、すぐに飽きた。

 退屈紛れに外を見れば、ずいぶん小雨になっていた。

 ケリュンは、どこか近くで飯でも食おうかという話を、そこらにいた仲間とした。何度か足を運んだことのある、おすすめの食堂を提案すると、そこで集まることになった。

 当然そこでは、外出時間いっぱいまで酒を飲むこととなるだろう。

 ずいぶんらしい(・・・)過ごし方だと思いながら、とりあえずケリュンも同じ班の奴らを誘ってみることにした。うろうろ探した結果、ザックとジョーだけが残っていた。


 それぞれ小汚い外套を被って、雨から逃げるように三人は近所の食堂へ向かった。

 そこは一般に開かれている大衆食堂だが、夜は酒場へと変化する。

 今は半ばの時間帯で、どちらかといえば真っ当な、仕事上がりの大工などが多いように見えた。

 そこそこ混んでいたので、テーブルやイス、給仕らの隙間を縫うようにして、ケリュンらは奥へ進んだ。

 しかし、先に着いた同僚らが取ってくれたはずの、ケリュン達のテーブル席がなかった。他の客に取られたらしい。


「見てみろ、」


 同僚に顎でうながされた方向を見れば、そこそこ地位の高そうな男たちが、隅のテーブルで何やら話し合っていた。

 人数の多さから軽い雑談のようにも見えるし、それがちょっとした誤魔化しであるようにも感じられる。まあ、関わりたくない手合いであることは間違いない。


 三人は「まあいいか、」と唯一空いていたカウンター席のほうへ向かった。ケリュンの知り合いである中年の店主が、ちらりと全員の顔を一瞥した。たったこれだけでこの男、客の顔をおおよそ把握するのだから驚きである。変に記憶力がいいのだ。

 ケリュンがちょいと会釈してみると、店主はなぜかうんうん、と頷いた。


「いらっしゃい、傭兵さん方。んで、注文は?」

「とりあえず安い酒を三人分と、キャベツの酢漬け」


 ザックが頼んだキャベツは、一番安くて一番早いつまみだ。異論は無い。

 ケリュンはメニューを眺めながら、そう言えばザックは文字を読めないことを思い出した。いちいち料理名を読みあげながら三人で残りを考えた。

 厚切りのベーコン、さっき出来たばかりだと言う根菜のスープ、薬味をしっかりきかせた辛めの炒め物。まるで店員のように、店主とあれこれ喋りながら選んだ。

 最後に、なぜかジョーは芋とチーズのはいったオムレツを注文した。酒を飲みにきたときに頼むものだろうかと思ったが、ジョーの


「金色のオムレツがアレでコレで云々……オムレツを切ればとろけたチーズと絡んだほくほくの芋の粒が転がり出てきて云々……」


 の語りを聞くに美味そうなので、ザックとケリュンも頼んでみた。店主も、隣にいた飲んだくれもちょっとばかし変な顔をしていた。

 ちなみにジョーはこのオムレツを食べたことも見たこともなく、それどころかこの店に来るのも始めてらしい。まあ別にいいが。


「オムレツは時間がかかるな、ちょっと待ってくれよ。あ、オイ! そこのキャベツとってくれ! ……にしても、最近じめじめしてやだね。こんな雨の日は兵隊さんらも暇だろうな」

「うんうん。あんなとこじゃ出来ることもねぇよ。暇潰しにつまんねー本読んだり、物もねぇ部屋を掃除したり……お前なにしてた?」

「俺は村にだす手紙の内容とか、ぼーっと考えてたな。書いてないけど」

「何もしてないのと同じじゃねーか」

「ほう、手紙か。ここに持ってくれば、郵送の手続きを代わりにすることもできるぞ。ケリュンは確か、えーっと、どこ出身だったかな?」

「モスル村。でも田舎だから送れないはずさ。だから、誰か暇な奴にでも頼もうかと思ってたんだ。小遣い目当ての旅人とか、なんでも屋とか、ちょっと寄りそうな行商人とか」

「にしても、配達やってたやつが配達を頼むなんて、なんか皮肉みたいなもんを感じるな――お、もういいか。ほれ、ベーコンとスープ、それから炒め物だ」


 ケリュンらは無造作にガチャガチャ置かれた料理に目を輝かせた。暇だろうとなんだろうと腹は減る。もうこいつらを腹いっぱい食い尽くし、胃袋をたっぷり満たしてやることにしか頭にない。

 三人それぞれが出てきた厚いベーコンにフォークを刺し、したたる脂にも関わらずかぶりついた。うまい。この旨みを溜めたまま、辛いエール酒を腹に落としたい――

 と、全員単純なので、そろって考えることはだいたい同じである。皆が一斉にジョッキに手を伸ばし、そしてその指がジョッキに届く寸前、


「おい、誰か、誰かいねぇのか!?」

「……なんか嫌な予感がする」


 ケリュンの嫌な予感――うだつが上がらなさそうな風体の、それでいて目の隈だけは酷い小男が、食堂に飛びこんできたのだった。

 ザックは二人に目配せしてから炒め物をつまみ、ジョーは店主に「オムレツまだ?」と尋ねた。嫌な予感、と呟いたケリュンは、黙ってもぐもぐベーコンを食べ続けた。そんなことよりどいつも腹が減っていたのだ。


 しん、と食堂はしばし静まり返った。みすぼらしい闖入者のせいで興が冷めてしまった。

 そいつの知り合いであるらしい痩せぎすの歯抜け男が、「おい」と一応の愛想みたいに声をかけたが、関わりたくはないようで、その様子もどこか投げやりだった。


「なにがあった、また犬にでもおっかけられたのか?」

「ち、ちげぇよぉ! おれ、あいつ、あいつが出たんだ! あいつだよぉ!!」

「はあ。あいつって?」

「あいつだ。“青鳥(あおどり)”だよ!」


 ざわりと食堂全体が揺れた。さざ波のような小声はすぐにうねり変わる。

 そのなかで特に焦りを顔に出しているのは、もう見てくれからして路地裏を好みそうな、そういった連中だった。彼らの中の何人かは二言三言小男と話すと、彼を突き飛ばして外へ出て行った。


「このなかに、お国のために働く奴らはいないのか」


 その中で、やけに冷静な声をあげたのは、屋内だというのに外套を深く被った――性別すら判別し辛い不審者だった。座っていても分かるほど上背があり、その裾から伸びた指先はまだ若々しい。

 まどろっこしい言い回しだが、つまり、ケリュンみたいな奴らのことを指しているのである。


「いますよ、カウンターのとこにいるあいつらです」

「ぶっ」


 スープを飲んでいたザックがむせた。

 彼がごほごほと低い咳をする横、ケリュンが犯人はどいつだと振り返ると、そそくさと目を逸らす何人かの同僚が目にはいった。


「あいつらもです。で、何のご用ですか」


 とりあえず巻き込んでおいてから、話を聞くことにした。

芋とチーズのオムレツ▽

食べると 体力回復。

チーズは中でなく 上にのっている。

店主手製の つやぴかオムレツ。▽


ジョー「おい店主。おれのオムレツは まだなのか▽」

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