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マルテ王国史  作者: ばち公
二章:傭兵時代前編
34/102

 通常通り訓練を行っていたその最中にそれは起きた。


「ろ――ロッカ様」


 誰とも知れぬ者が、吐息とともにそっと声をもらす。王族に連なる者の名前――それは特別な響きをもって、喧騒の間をぬうようにして全員の耳へと届いた。訓練中の手が、動きが、面白いほど一斉にぴたりと止まる。まるで、そう、演劇のようだった。

 そんな舞台も素知らぬ顔で、子どもみたいにきょろきょろしながら現れたのは、当然だがロッカだった。

 彼女の長くのびたつま先が、ケリュンらが足をつけている、まさにその場に触れている。晴天の下、乾ききった土埃がかすかに舞う。場違いにも程があるその上を、彼女は恐れも知らずに歩んでいる。

 なぜこんなところへ、と困惑したケリュンが目を瞬かせている間に、ただ一人、そんなロッカのもとにずかずかと歩み寄る者がいた。イオアンナだった。

 手にしていた木剣を部下に押しつけた彼女が近寄っていくと、ロッカは無邪気に顔を輝かせたが、イオアンナは渋い顔である。そして呆れたように首を振ってみせた。


「……またこんなところにいらしたのですか、ロッカ様」

「なによ。住んでる町を好き勝手動きまわれないなんて、そんなつまらないことある?」


 勝気に笑うロッカと、呆れ顔のイオアンナ。態度自体は対照的だが、不思議とつり合いが取れているような雰囲気だ。


「いーじゃない。どうせまた熱がはいって部下殴っちゃって、指導停止なんでしょ? ちょっとくらいお話ししましょ」


 なぜそれを知っている、と言わんばかりにイオアンナが目を逸らした。


 ちょうど先日、イオアンナに手合わせを申し出た兵士がいた。彼は今どき珍しいほど誠心尽きる熱血漢で、不幸なことに、日々の訓練にもひたむきな男だった。

 そんな彼の燃えるような熱意と真摯な態度につられるように、イオアンナはその指導に熱をこめてしまった。ひらたくいえば、左拳が彼の隙をついてその脇腹をついた。

 風を切る見えない高速ジャブをその身に受けた彼の若き青年は空を飛んだ――そう、風を受け朝日を目指し飛び立つ若鳥のように――。

 青年はそのまま病院のベッドへと運ばれた。

 そしてイオアンナは厳重注意とともに数日間の指導停止になった。


 ロッカがふふんと自慢げに笑う。


「その程度の情報、私にかかれば五秒でつかめるのよ」


 なんて全く姫らしくない言葉に、イオアンナは諦めの吐息をこぼす。

 しかし確かに、彼女自身が暇を持て余していたことは事実なのだ。それに、まさか王族を放置しておく、なんてことができるはずもなく。

 そして結局いつも、イオアンナはゆっくりと頷くことになるのだ。


「――まあ、いいですけどね」




 そのうちざわざわと、波立つように喧噪が戻ってくる。みないつも通り――そこはかとなくそわそわしているが――乾いた空気に時々咳込みながら、手足にできたマメをつぶして剣を振るう。

 その流れにのり遅れてしまった者がいる。ケリュンと、それからある意味での渦中の人物、ロッカだ。

 それはほんの一瞬のことだった。イオアンナとの和やかな談笑の開始途中、ロッカがケリュンを見とめた。二人の視線は交差する。ロッカの、若々しさに輝くエメラルドグリーンの瞳が、しっかりとケリュンを見つめる。ケリュンはもちろんだが彼女もかなり驚いたようで、言葉だけでなくその動きもたじろぐように止まった。そして、切りとられたかのように二人の時が止まり――しかし、それも数秒に満たない間のことだった。

 ロッカはすぐに何事もなかったかのようにイオアンナの方へ振り向き、先ほどと同じように他愛ない話題で、二人なかよくお話を続けたのだった。恐らくだが、ケリュン以外の誰も、あのぎこちない一瞬に気付くことはなかっただろう。

(というかそうでないと嫌だ……)


「……はあー」


 最悪の状況を避けることのできたケリュンは、深いため息を吐いた。

 ロッカ様万歳。うっかり声をかけてこなかった賢い姫様万歳。こちらを気遣って下さる優しさ万歳。

 ぐてっと頭を下げると、すぐ横にいた兵士から、訝しげに声をかけられた。


「どうした……って、ああ。王族をこうも間近でうかがったのは初めてか」

「はあ、ビックリしましたよ。心臓が止まるかと……」

「ロッカ様は頻繁、という程でもないが、度々こうして訓練場を訪れることがある。地位を鼻にかけない、気さくな方でな。我ら軍属の者へもよくお声掛けをして下さる」


 確かにはじめこそ、上背があり、外見や仕草からして高貴なロッカとイオアンナの会話風景は、どうにもこのむさ苦しい訓練場には似つかわしくないように思えた。しかしよいか悪いかは知らないが、ロッカは確実に、この場に馴染んでいるようだった。周囲の兵たちも、ちらちらと視線を向けるものの、すぐ通常通りの動きに戻っていく。もう慣れてしまっているのだ。

「ロッカ様のファンも多いぞ」、と耳打ちされて振りかえれば、なるほど何人かはいつも以上にはりきって剣を振り回しているようだった。

 そんな会話を耳聡く聞かれていたのだろう。途端にひそひそ話が、謎の一体感とともに膨れあがった。


「俺はやっぱクレア様だな」「そこはロッカ様だろーが」「いやお前もそうだろ?」「クレア様の笑顔だけで今日も生きていける」「最近メイドの――」「いや女王陛下こそ唯一にして至高」「お前は?」「このむさくるしい空間に咲く一輪の花」「あーでも俺としては――」「やっぱりクレア様が一番お美しいよな」


 ケリュンは「へぇー……」とイレーヤの名前を待ち構えるように耳を澄ませていたのだが、数回ちらりと上がっただけで特になんの盛り上がりもなく終わってしまった。

 あれほどの麗しさだというのに不思議だが……彼女はそっと香りを風にのせる山の裾野に咲く野花のごとく、物静かで控えめな方なのだろう。あまり表に出てこないのもしかたがない。

 なるほどそうなると、やはり人気があるのはクレア様。そしてロッカ様。おまけにメイドやらイレーヤ様が名を挙げられ、それからアレヤ女王陛下――、ん?


(……あれっ、今レイウォード殿混じってなかった?)


 かなり真剣に怯えて見渡すが、当然のことながらどこにもいない。ということは、ここにいる誰かの発言ということになる。レイウォードほどの忠臣も、この国においてはそう珍しくもないようだ。

 ケリュンはちょっとばかり身震いした。嫌いというわけではないのだが、彼に関してはどうにも恐ろしいという印象が否めない。会う度にロクでもない目にあわされている気がする。




 夜中、ケリュンは村へ出す手紙の内容についてなんとなく考えながら、ベッドに寝転がっていた。考えつつまだ一文字も書いていないのは彼が物臭であるからというよりも、この部屋に問題があるからだった。

 ケリュンが割り当てられた寮の自室は、一人部屋であるのはいいとしてとにかく狭い。タンスやベッド、ランプ等はあるが、悲惨なことにテーブルやイスはない、というよりもサイズ的に置けない。

 まあ、寝るだけなら問題ないだろう。あとは、床で筋トレくらいならできるだろうか……。

 と、どうでもいいことに思考がうろつきはじめた。このままいつの間にか眠ってしまうのだろう、とベッドに横たえた身体から力を抜いていく。やることはもう全て終わらせた。明日も早いのだ、さっさと寝て疲弊した体を回復させなければならない。

 ふらふらする思考のなか、ちょうどいい具合に、心地よい眠気がとろとろ、瞼を覆っていって――。

 瞬間、控えめにノックが耳に届いた。


「……」


 最高に気持ち良いうたた寝を邪魔された瞬間というものは、形容しがたく不快なものだ。

 ケリュンが分かりやすく顔を歪ませてドアへ近づくと、くしゃりと何やら踏みつけた。灯り一つない暗闇なのでよく分からないが、おそらく紙だろう。爪でひっかけるようにして床から拾いあげてみれば、それは長方形の、封筒であるようだった。その白紙をためつすがめつ眺める。暗がりでさっぱり分からないが、まあ、女王陛下から手紙をいただいたこともあるし、明日の朝まで放置するというわけにもいかないだろう。

 ケリュンは溜め息を飲みこむと、ランプに灯りをつけることにした。ランプに使う蝋やマッチは、残念なことに有料なのだ。

 しかしさすが国の施設で使われている品、その凄さはおりがみつきだ。金を払うだけのケリュンには分からないが、どちらも中々いいものなのだろう、蝋燭は不思議なほど長持ちするし、変に鬱陶しいばかりの煙も立たない。マッチだって、こうして一度擦ればすぐ火が灯るし、そこから嫌な臭い一つしないのだ。

 そうしてポッと瞬く間に灯った光がしょぼついた目にしみて、ケリュンは思わず欠伸を噛み殺した。


(陛下も、わざわざ夜中に手紙を出さなくても――あれ?)


 緑の印璽が施されていない。いや、それどころか、ごく普通の黒インクで文字が書かれている。


「誰……」


 ケリュンは若干毒気を抜かれたような顔で、素早く封を切って中から便箋をとりだした。すっと涼やかな香りが鼻孔をくすぐる。もぎたての柑橘類から漂ってくる、みずみずしくも爽やかなあの香りそのもの。そう、夏の空にふさわしい香りだ。

 差出人のところには、ロッカとだけ書かれていた。


「……ロッカ様?」


 癖はあるが、女性らしくてかわいらしい文字だった。しかし文章は至ってシンプルだ。


 今日会ったことに大変驚いたこと。今度また会って、そのことについて話しがしたいということ。何がどうして傭兵になってしまったのか、何かおもしろそうなことに巻き込まれてそうなったのか、とにかく好奇心がうずく、といったことが書かれている。

 それから、姫である自分がこのような手紙を残したことは誰にも言わないでほしい、ということがついでのように記されていた。この手紙は読んだら燃やすか埋めるか、とにかく人目のつかないようにしてほしい、とも。特にレイウォードには気をつけてくれと訴えられていた。


 よっぽど普段から厳しくされているらしい。ケリュンは苦笑いしつつも少しばかり同情してしまって、書いてある通りにすることにした。

 しかし了解ですよ、と言うにしても、その手段が無いではないか。

 あちらが送るのは自由かもしれないが、こちらからはそうもいかず。

 まさかまた例の通路、霧の道を使って尋ねていくわけにもいかず。

 ケリュンはちょっとばかし考えてみたが、そう簡単にいい案が浮かぶはずもなかった。ので、結局ランプの火を一吹きして消しとばすと、簡素で背丈の低い寝台にもぐりこんで寝た。

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