特訓はしんどい
ケリュンはおえ、おえ、とタイミングよく嘔吐きながら持ちなれない剣を振っていた。訓練の基本中の基本、いわゆる素振りである。練習剣だからそこまで重くないが、こうも連続して振り続けていると腕、足を超えて脳みそまでぶんぶん揺れている気がする。
「ケリュン、腕が下がっているぞ! まだまだ、あと五十回!」
凛とした声をかけるのは、美しい金の髪をした、女騎士だった。
ケリュンらを観察する青い瞳は、その性根を表しているかのようにはっきりとした色合いだ。すっと通った鼻筋に、しっかりした眉が、整った顔を凛々しく引き締めている。
「ゾイン、剣先がぶれている、しっかり持て。ジョー、お前はメイドを目で追うな……ケリュン、腕をあげろぉ!」
「はい」
「声が小さい」
「は……おえっ」
「黙って堪えろ! ジョー、お前よくあんなところにいるメイドを目で追えるな。感心するが追うな。よし、十回追加」
無茶苦茶だ。そしてスパルタだ。あとジョーてめぇ覚えてろ。
もう今までで何度剣を振ったことだろう。初めは全五十回とか言っていたような気がするが、加算に加算が繰り返された結果、もうそれですらうろ覚えだ。百は振ったな、とどこか遠くへ飛んでいきそうな思考の隅で考えながら、ケリュンはこの前この場へ来たことを後悔していた――。
太陽の上りきる前。城へ向かったケリュンが連れてかれた先は、城から幾分離れたところだった。ケリュンと同じ立場であろう青年や壮年の男たちがいた。そこまで大人数というわけではないのだが、こうも一所に揃っているとやはり単純にむさ苦しかった。
せめてイレーヤ王女が一目見れていたら、いや、彼女が歩いていた城内をちらりと覗けていたら……。ケリュンが不敬かつ変態じみたことを考えながら、先ほどよりはるかに小さくなってしまった城を見てはあ、と溜息をついていると、簡易だがやけに場所を取る木台の上に何人か上がっていった。それに合わせるように、ケリュンらも整列するように怒鳴りつけられたので、とりあえず適当な位置に並んだ。
「ごほん。今から班を組んでもらうが、そのメンバーを確認する。呼ばれて手を挙げたら、仲間を探して適当に集まって訓練しろ。以上だ」
「えっ」
「では、さっそく始める」
本当にそれ以外の説明一切なく、男は手元にある紙切れに視線をおとした。
初っ端からこれはひどい。
全員の考えが一致した瞬間だった。
「じゃあまずはア――」
「そんな説明があるか!」
パンと軽めの音がして立っていた男の頭がはたかれた……と思ったら、彼は気づけば頭から突っ込むようにして台に倒れていた。自分でも何を言っているのか分からないがそうとしか説明のしようがない。
そしてその倒れた男を見下ろしているのはゴリラ――ではなく、鎧を着こなした女性だった。金色が眩しい豊かな髪は貴族然としているのに、それすらも鎧とセットのように見えるくらい、彼女の騎士姿はしっくりとした自然なものだった。
「まずは自己紹介でも流れを説明するでもなんでもあるだろうに」
「イオアンナ様、意識がありませんので説きかけても無駄かと思われます」
「少し申し訳ないことをしたかな。まあすぐに目を覚ますだろうから、とりあえずどっかに運んでやれ」
「はっ。では私が代わりを務めさせていただきます」
これが、ケリュンと後の上司、騎士院所属イオアンナとの出会い、もとい顔合わせであった。第一印象は我々の内心を完全に代弁してくれた素敵な上司。それはすぐ素敵だが危険なゴリラへ、がらりと変わった。
「ではまず……皆が気にしているであろうこの方は、騎士院に所属されているイオアンナ殿だ。この国で数本の指にはいるだろう実力者であり、我々を鍛えに来てくださった、いわば指導者である。礼を失せぬように接すること。――私からは以上です」
紹介されたイオアンナの肩は女性らしく丸みを帯びているがさすが騎士、背は男にも負けないくらい高く、しっかりとした体格をしている。
もちろん仰々しい鎧に身を振りまわれることなく、落ちついた足取りで前に出た。
「紹介感謝する。――傭兵諸君、はじめまして。私がイオアンナだ」
張り上げなくても不思議と耳に届く、聞きやすい声をしていた。
「これから諸君へ稽古をつけることとなった。若輩といえど責任預かった身。遠慮なく接していくつもりだ」
暗に手心は加えず厳しくいくぞと言っているわけである。
皆の顔付きが強張ったのが分かったのか、イオアンナはふとその表情を緩めた。
「とはいえ、もちろん無理をさせるつもりはない。何かあればすぐに伝えてほしい。それでは、明日からよろしく頼む」
最後に全体を一瞥し、イオアンナは下がっていった。そんな強烈な印象をだけ残し、彼女はその日、それ以上姿をあらわさなかった。
次いで組分けが発表され、ケリュンはしばらく付き合うことになる変人達――もとい愉快な仲間達と出会った。以下の四人である。
「おっす、俺はザック・ザーラン。他所のほうから来たんだ。あと可憐な嫁さん募集中」
顎鬚の生えた大男で、巨大な物を投げつけて攻撃してきそうな外見だった。一番年配なのは彼のようだった。
「俺はジョー。通称スプーンのジョーだ。よろしくな」
胸元のポケットからきらりと銀のスプーンを取りだし、歯を見せて笑った。
「僕の名前はゼファー。はじめまして。うちの小鳥は世界一かわいいんだ」
こっちが取り出したのは鳥の羽だった。小鳥というが、その羽は無茶苦茶でかい。
「俺、ゾイン。好きなタイプは巨乳」
世間話でもするかのように自然な調子で、しかも爽やかな笑顔だった。
「俺はケリュン。田舎出身の狩人で、好きな食べ物は肉」
ケリュンは自分以外の自己紹介で、正直ちょっと帰りたいなと思った。
たぶん全員そう思っているのではないだろうか。お互いを見やりながら、かなり微妙な表情をしている。酒場の女将にいきなり奇妙な料理を出されて、どうしよう、と呟くモスル村の村民たちと同じ表情だ――女将の料理は絶品なのだが、たまになんとも言えない創作料理を生みだして客に振る舞ってくるのだ。
恐らくケリュン自身も、彼らと同じ顔をしているだろう。かなり複雑な空気が、チーム内に漂った。
「まあ、うん、どれくらいの間かは分からんが、よろしく頼む」
初めに口をひらいたのは、ザック・ザーランと名乗った男だった。
「そうだね。僕たち五人がチームってことになるんだろうし……」
「誰かなんか話題ないのか?」
「あそこのメイドかわいくね?」
「見えねぇよ、お前どんな視力してんだよ」
ゾインが見つめる先には、濃紺色のスカートに白いエプロン姿の女性が歩いていた。それは分かるが、あれだけ小さいと顔の細工どころか体型ですらはっきりしない。ゾインは呆れ顔のジョーにも関わらず、「いや、そうでもないか……」と大変失礼なことを呟いている。
「他になんか……お前、えーと、変わった名前の」
「ケリュン」
「ケリュン。お前、そうだな。俺たちになんか聞きたいこととかないか」
おいなんだいきなり、とケリュンは思ったが、これは一応ザックなりの親切心からきていた。ケリュンは明らかに若いから、慣れてないことや、色々気になっていることがあるだろうと慮ったのだ。
……まあケリュンはひどい無茶ぶりとして受け取ったが。
「――うーんと、女王陛下ってどんな方だと思う?」
「陛下か。正規のやつらにゃ聞きずらい質問かもな」
「危ないくらい信奉している奴も、少なくないみたいだからな……」
ジョーにそう言われてケリュンの脳裏に浮かんだのは、言わずもがなもはやお馴染みになってしまった感のあるレイウォード・レーンであった。
しばらく見てない仏頂面、女王付近衛の制服、そして帯剣。それよりなにより、女王アレヤへのぶっちぎりの愛。
あんなのがそこらの兵隊に混じっているとか信じたくない。しかし、そこはさすが我らが女王陛下だ。真実なのだろう。――非常に嫌だが。
ケリュンへのレイウォードへの好感度はそれほど低くなかったが、危険人物リスト上位に余裕で載る程度の認識をしていた。
ちなみにそこのトップを飾るのは、懐かしきモスル村の愉快な住人達である。
「そうだな、俺の聞いた話では、身分にあんまり拘らない変わり者らしいぜ。何でも物書き上がりみてぇな奴まで個人的に雇ってたとか」
「僕は、うーん……割と個人プレーが多いって聞いたな。周りは情報を聞き出せないって言っているらしいよ」
「お前それ誰から聞いたんだよ」
ゼファーはザックからの質問に「そこらへん」とだけ答えた。
「でもさ、あの聖マルテ様の子孫が存在してるってすげーよなー」
ジョーののんきな言葉に、皆がうんうん頷く。そのなかで、外国出身であるらしいザックは一人訝しげな顔だ。
「……その、よく聞くが、実際のところ、聖マルテってどんな感じなんだ?」
「様をつけろよ、顎髭野郎」
「ジョー、お前も髭生えてるだろ」
「はいはい。聖マルテ様ね。初代国王にして建国者、だろ? それはよく聞くんだが、どうにも輪郭がハッキリしないというか」
「本読めよ、顎鬚野郎」
「やだよめんどくさいし、俺この国の文字読めないし。まあ自国のも読めないがな!」
(えっ)
ケリュンはちょっと驚いた。マルテ王国は他国と比べて、そこまで国の教育水準が高いわけではない。
しかし『文字の読み書き』の教育だけは、国を挙げて奨励されていた。都市では子どもを一か所(“学校”と呼ばれている)に集めて短期間だけの読み書き教育をし、村では親だけでなく暇を持て余した老人まで子どもに文字を伝えていく。時には国から教育推進度の調査と称して派遣されてきた者がテストを行い、細かくチェックを行って去っていくほどだ。
もちろんどれも無償で、そのため下層クラスの住人ですら「文字の読みも書きもできない」といった方が稀なのだ。
そんな他所とは少し違う事情があるため、ケリュンが驚愕するのも無理はなかった。ジョーとゾインも驚いたらしく目を丸くし、あまりの衝撃にその唇をわななかせた。
「お前、字が読めないってことは……こっそりエロ単語調べたり、頭文字結んでエロ単語つくったり出来なかったってことか?」
「そんな……都市のクソガキの鉄板だっていうのに……。おいケリュン、信じられねぇよな」
「イヤうちの村、まともな本なんて『マルテ王国建国史』しかなかったから」
「クソ田舎だな」
「しゅ、首都とか近いから」
正直、他に自慢できることがなかった。
「ジョーはどこ出身なの?」
「フォルレだよ。ああほら、港町の」
フォルレと聞いて目を輝かすのは、もちろんマルテ王国(の辺境)出身の奴らである。簡単に言えば、ケリュンとゼファーとゾインだ。ザックは、(若いとこんなことで盛り上がれるんだよな……)、と少し生温かい大人の目線で見つめていた。
「スゲー、六都市出身かよ!」
「シティボーイだなシティボーイ!!」
「やだなんかすごい恥ずかしい」
ちなみに六都市とは、ここ首都アルクレシャをはじめとし、商業の都フレドラ、大港フォルレ(ジョーの故郷)、水の都アクドラ、巧みなる手アージェル(ちゃらんぽらんアレンの故郷)、風廻る町トネーデン――以上マルテ王国内における大規模な五都市を含めたもののことをいう。
両手で顔をおさえてしまったジョーを一瞥してから、ザックは呆れた顔をした。
「で、んなことより、聖マルテ……様ってどんな感じなんだよ? そんなすごいのか?」
そこでジョー除く残りの三人は顔をあわせた。
「すごいって、余りに漠然とした言いかただが、まあ、そりゃすごい」
そこまでは三人とも一致する。
ただ、どんな感じ? と聞かれると。
聖マルテ様は、村人の口伝、国から発行された物語、教育の場、ありとあらゆる場面にあらわれる。些細な所縁ある土地や人物まで、マルテ王国民は彼の人の御業について触れ続ける。だから、
「そりゃまあ、この地に降り立った神の子で、その不思議パワーでこの地を開拓、平定して、首都アルクレシャで初代国王の座について、この国にある全城を友人デヒムと建てて、かなり長期間、統治して……」
まあこれくらいはケリュンでも答えられるわけだ。
「ふんふん。で?」
「で? って言われてもな……」
「うーん……」
だが実際、そうガッツリ問われると難しい。ケリュンらは揃って顔を合わせる。
結局口を開いたのは、今のところこの中では最も博識に思われるゼファーであった。
「謎が多いよね。登場回数ぶっちぎりのわりに、セリフ一つもないし。手を振れば木が生えて――とか、物語に描写されていることなら答えられるけど……」
「ミステリアスな御方だよな」
「いやオレには分かる」
「マジかよゾイン」
「セリフがない――つまり無口な方だったんだよ」
「黙れよゾイン」
結局ゾインがドヤ顔で締めくくろうとした挙句、グダグダになって終わった。
まあぶっちゃけ自分たち傭兵が気にすることじゃないよね、と話を振ったザックが勝手に納得して、この話題はおじゃんになった。
銀のスプーン▽
防御力 +0
幸運度 +5
ジョーの 固定装備 。
ご飯のための おおきな スプーン 。▽