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マルテ王国史  作者: ばち公
一章:配達人(パシリ)時代
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 『霧の道』にはいったケリュンはレイウォードに質問されていた。彼の手には書類が一枚ある。申込書だろうか。


「お前には選択肢が二つ与えられる。傭兵と般兵、どちらとして雇われるか、だ。そこに身を潜めてもらいながら、いざという時はまたこちらからの指示に従ってもらうこととなる」


 やはりそう簡単にいくことではないらしい。予想していたとはいえ、かなりの時間を取られることになりそうだった。まさか自分が王城に仕えることになるなんて思わなかった。一応、その方法は選ばせてもらえるようだが。


「……」


 どっちでもいいですと答えるのは、考え無しにみられるだろう。このレイウォードという男、王族(特に女王陛下)が関わっているとなると、そういった些細な点にまでひどく厳しい。上っ面だけで媚びるのではなく、真剣に考えぬかなければ失礼にあたるらしい。そしてその結果、思考の髄まで忠誠に染まるべきだと考えているようだ。本当にめんどうくさい人間だとケリュンは思った。


「傭兵で」

「確かにそちらのほうが怪しまれ辛くていいだろう」


 そういえば今、この城で多くの傭兵が雇われているのだとどっかで聞いたようないないような。

 正直、いざというとき辞め易そうだからなのだが、そんなこと冗談でも言わないほうがいいだろう。


「戦争でもあるんですか?」

「どことだ? ――余計な詮索はするな」


 確かにしようにも相手がいない。強い魔物でも襲ってくるのかな、とケリュンはリード村を思いだしながら頷いた。

 それにしても第一王女は美しかった。泉の女神を彷彿させるような、たおやかな女性だった。あんな優しげな方が命を狙われているなんて、恐ろしく物騒な世の中である。

 あのようなお綺麗な方の傍にいられるのなら、レイウォードのように気苦労の多そうな仕事も羨ましくみえる。男というのは本当に現金な生き物だ。


「明日の朝、表から来るように。門兵に伝えれば取り次いでくれるだろう。なにか質問はあるか?」

「朝って具体的には何時ですか?」

「昼までだ」


 まったくシンプルだ。……シンプルという言葉は他に褒めようがないときに、抜群に便利な言葉だな。


「傭兵の仕事って具体的にどんな感じなんですかね?」

「普通は用事にのみ駆り出されるものだが、近ごろここでは兵卒のように扱われているな。人材不足のための準兵士か」

「けっこう重要なんですね」

「その分検査等はしっかりしているが、お前は気にしなくていい」


 ケリュンはコネでスルーできるが、どうやら面接のようなものまであるらしい。

 もっとゴロツキ紛いの奴らを、ただ囲っているのかと思っていた。どうやら違い、普段から頼りにできるような人材を探して雇っているらしい。驚きだった。


「もちろん、試験もないが、その分訓練は受けてもらうぞ」


 ケリュンはその言葉に目を丸くした。


「毎日?」

「当たり前だろう」

「俺、ここに住んでないんですけど」

「兵舎に住め」


 すっぱり断言された。いや、そういうことではなくて。しかし一旦お願いを請け負ってしまった以上、それ以上言い募ることもできない。ケリュンはただレイウォードの後をついて歩いた。

 こうも簡単にモスル村を離れることになってしまうとは、本当に思いもしなかった。まあイレーヤ王女を守るため、しかもそれが済むまでの期間限定だ。そう考えるとあまり深く気にすることでもない気がした。まあ、いつまでか分からないのは不安だが。

 兵舎の飯がうまいといいな、とケリュンはまるで子どものようなことを考えながら、未来への不安を誤魔化した。


「他に質問はあるか?」

「じゃあ――、この城では何人くらいが働いているんですか?」

「は?」


 何を考えているんだこいつ、というような顔をされた。大した考えもなく、たくさんいるところで働けるのなら新鮮で面白いだろうな、と思っただけである。少しでも楽しそうな点を探そうとしたのだ。


「いや、特に意味はないんですけど」

「正確には知らないが……二百もいかないくらいだろうか」

「えっ」


 考えるまでもなくモスル村の総人口より多かった。出稼ぎにいった奴らが帰って来たとしても全く敵わない。


「少ないだろう」

「いや、じゅーぶん、多いと思いますけど……」

「……そうか、お前はあまり詳しくなかったな」


 「はい」と頷けば、レイウォードは口元に手をあてた。何やら考えているらしい。たぶん、というより十中八九、女王陛下に関することだろう。


「でも、普段はみんなどこにいるんですか? そんなにいるようには見えませんけど」

「裏側にいる。……使用人を雇うような屋敷には、どこにでも裏側が存在する。使用人の通行路であり仕事場であり、そして住居も兼ねているところだ」


 きらびやかな表側の縁の下、といったところだろうか。


「この城は陛下らのご住居も兼ねている。それを考慮してもしなくても、少ないほうだな」


 それにしても二百。どのように作業分担をしているのだろうとケリュンは不思議に思った。半分くらい、いやそれ以上が掃除に必死になっていそうだ……。


「まあどうせ会うだろう」

「確かにそうですね」


 この時ケリュンの頭は未来への不安とちょっとの楽しみと王女への憧れだけで出来ていたのだが、もし、もう少し冷静で落ち着いていたら。もし城に雇われる以外の選択肢を思いついていたら。彼の人生は大きく異なっていただろうが、それは、今の彼には全く関係のない話だった。




 そして案内し終えたレイウォードが離れ、ケリュンは一人残された。このまままっすぐ進んで角を一つ曲がれば、アルクレシャの城下町に出られるらしい。

 とりあえず一晩どこかで泊まって明朝出ていこう――そんなことを考え、足を進める前に、なんとなく振り返った。何か、ちらりと気配のようなものを感じたからだった。足音がないのでよく分からないが、恐らく鼠かなんかだろうと思ったのだ。

 そしたら。ふわりと、この場に明らかに不釣り合いな柔らかなレースが、角の向こうへと消えていくところだった。いやいやいや。まさかそんな。しかしその眩いほどの純白は、嫌が応にも目立つほかない。

 見間違えるはずもないと慌てて向かえば、第二王女クレアがきょろきょろと辺りを見回しているところだった。レモンイエローのドレスの裾から、ケリュンが見た白いレースが揺れている。

 貴族へ声をかける際に、どういう言葉使いをすればいいのか分からない。驚かせたらどうしよう。逡巡したあと、ケリュンは無難に足をついてから「あの、」と控えめに声をかけた。


「え、あ。ケリュン様?」


 クレアはその大きな目をぱちくりと瞬かせた。なんでこんなところにいらっしゃるの?と、考えていることが丸分かりなくらいには、不思議そうな表情をしている。その白いくせに血色のよい頬は、このような薄暗い場所でさえ柔らかな桃色を保っていた。世の中不公平だよな、とケリュンは自らの記憶のなかの母親をすこし思い返した。


「クレア様、なぜこのようなところに」

「あら、それは私のセリフです……なんて。お母様でしょう? ご苦労様です」


 くすくすと控えめな笑い声でさえ、抜きんでて目立つ。


「まさかこのようなところで会うなんて、思ってもいなかったものですから」

「ん……つまり、」

「この道、私たちの特別な通路なんですの」


 この魔力漂うらしい『霧の道』の本来の使い方は、城に住む王族専用の脱出経路であるらしい。ケリュンのような一般人では迷ったりして面倒だが、王族らが使ってこそ、その真価を発揮するらしい。


「私のことなら気にしないでください。ちょっとしたお散歩ですから」

「ここでなら私、レイにも婆やにも見つからない自信がありますわ」


 と、クレアは冒険気分でやりたい放題しているようだ。まるで自分の庭のような感覚らしい。これだけ使い勝手がよければ、有事の際も安心だろう。


「ふふ。私、このような道を色々知っていましてよ!」


 思ったよりもずっと、アクティブな御方だったらしい。ケリュンがつられるように笑えば、王女もそれに応えるようはにかんでみせた。




 ケリュンがそうしてクレアと和やかに話しているころ。


「うぇーい!! 来たぞアレヤ!」

「不審者ァッ!!」


 『霧の道』の出口、もとい火の灯されていない暖炉から執務室へとダイナミックに飛びこみ滑りこんできたピーナを、レイウォードが剣を抜かぬままその柄で秘密通路へと叩きこみ返した。お見事、手放しで褒められてもおかしくない早業である。


「陛下、お下がりください」

「大丈夫よ。今のはアグリでしょう」

「お前幼女にも容赦ねーな」


 アレヤ女王はかるく眉を下げて困り顔。書類を持ってきてついでにくつろいで行く気満々だったアレンは引きつり顔でドン引きしている。


「自分で言うのもなんだが、私は産まれてから五年しか経っていないんだぞ? 少しは心配してほしいな」


 再びひょっこり現れたピーナは、埃一つついておらずぴんぴんしている。それでも不服げな顔つきなのは、今この場にいる三人全員が彼女をよく知っているため、心配する素振りすら見せないからだ。


「申し訳ございません陛下、つい……」

「謝る相手はこっちじゃないのか」

「許してあげて、アグリ。彼は務めを果たしただけ、悪気はなかったのです」


 そして動揺の欠片もみせずふんわりと微笑むアレヤのことが、ピーナは好きだった。賢くがんばり屋さんでかわいらしい、壮年の女王陛下。懸命に国のためにと尽くす姿は、見ているだけで微笑ましい。えらいね、と笑いかけてあげたくなる。

 だから今回の件も、別段怒っているわけではない。ビジネスとして、ちょっと問い詰めにきただけである。


「なぜ私が来たのかは分かっているのだろう?」

「ええ、もちろん。これからはあの価格、あの時で取引をしましょう」


 あまりにあっけらかんと要求を認められ、想像はしていたものの、ピーナは少し呆れてしまった。肩の力をぬいて、レイウォードのもってきた椅子に腰かけた。ちなみに用をすでに済ませていたアレンは、茶菓子を二、三ほど懐にしまってさっさと出て行った。君子危うきに近寄らず、面倒事にも近寄らず、である。


「なんともすぐ認めたな。もっと大きなものを得たか」

「なかなかのものを」

「あれはかわいいかわいい、貴女の国民だろうに」

「ええ、かわいいかわいい、善き国民の鑑のような人間ね」


 なるほど。学が無く、欲は薄く、素直に王族を尊敬してコツコツと働いている、身も心も健康な若者――そんなケリュンは、善き国民の鑑だろう。


「そうもたいした奴じゃないと思ったけどなぁ」

「あら。とてもいい子でしょう?」

「まあ、そうだが」


 愚痴を言いながら自分に奢り、ついてくるケリュン。あれは人がいいというより、人が好きなんだろうな、とピーナは思い返す。だから多少のことは許してしまうし、言うこともきくし、せこせこ他人に話しかけに行ったりする。まったく、後ろで剣の柄を握っている仏頂面にも見習わせたいコミュ力の持ち主である。


「ケリュンねぇ。古代語で鹿か」

「ええ、聖マルテに仕えた四匹の僕の一角です」

「小鳥、青い蜥蜴、牡鹿。それから白馬だな」


 「熊は違ったかな」、と呟けば「それは聖マルテを裏切った獣です」とすんなり返された。かわいくない。いや、こういった特になんの動揺も見せないところも素敵なのだが。

 ピーナはそれ以上つつくことはせず、素直に頷いておいた。


「なるほど、あの四匹の一員。それならしかたない。――ロマンチストだね、アレヤ」


 歪ませるように、その砂目と評される眼が細められた。くすんだ灰混じりの濁った金色は、その矮躯に比べて恐ろしく強大なものに思われる。

 だからアレヤはそれをすんなり受け止めて、極々当たり前のように笑みを返すことができる。


「そうね、アグリ。縋りたい思い出は縋ることができればこそ、更にその輝きを増すのよ」




 小さな客人が去りレイウォードですら表での見張りへと移った今。執務室に残されたのはアレヤただ一人である。

 そしてただ一人中央の机に向かうその空間で、掛け時計が時を刻む音のみがゆったりと響く。窓すらないここでは、この時計のみがアレヤに現実を教えてくれる。それは自分を急かすものではなく、心音のように優しげにこの背を押すものだった。


「もう少し、がんばらなくては」


 珍しく呟いた独り言は、思ったよりもしっかりと自分の耳に届いた。

 そしてまたテーブルに置かれた書類に向かう。アレンはこれが大嫌いらしいが、自分はそんなことがなかった。それは彼女にとって義務であり当然のことであり、そしてこの国を愛しているからこそ、大切な、そう、まるで趣味のようなものだった。

 一人国を負う女王は生真面目に羽ペンを握り直すと、また黙々と書類の確認をはじめた。

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