第一王女イレーヤ
それからしばらく。
畑のアレらと戦って収穫し、アルクレシャで売りさばいて(驚くことになかなかいい値で売れた)、事情を説明してから男衆を思いきり説教してもらって。
なんとなく寄り辛かったスゥの家へは本当に軽い挨拶だけ済ませて、最後の墓参りをして、骨を移して。
そして少し寂しくなった村で、ケリュンはふたたびのんびりとした生活に戻った。
あいかわらず村人はのうてんきでジーチャンは日向ぼっこばかりしている。たまに昼飯をもって寄ると、ケリュンの許可も得ず勝手につまみながら話しをする。ご飯はきちんと三食おやつ付きで、人よりも贅沢にもらっているはずなのだが……。
まあ食べられるのは別にいいのだが、たまに包み紙まで食べようとするから大変だ。
「今日はいい天気じゃのー」
「そーだなー」
今日のジーチャンの話は、ケリュンの両親についてであった。
ケリュンの父親ガイは少々大ざっぱなところがあった。狩りをしているというのに大声で笑ったり、ガサガサと音をたてて歩いたり。それを息子にフォローさせて「よくやったな」「さすが俺の息子!」と褒めるような、前向きで明るい男だった。
母親のイルーナは優しく穏やかな人だった。病弱というわけではないが痩身の彼女は遠くからみると儚げで、しかし近寄れば割としっかりしたあたたかな手のひらと膝がケリュンを迎えてくれた。料理が得意で、掃除の手際は少しわるかった。
どちらも働き者の、いい両親であったと思う。なのに、流行り病気にかかったあげく、最後までこちらを心配しながらあっさりと逝ってしまった。結局、親孝行も何もできなかった。だから立派な墓を建ててやりたかったのだけど、首都のほうに骨を移すことになるとは思わなかった。
ジーチャンにもぐもぐサンドイッチを食べられながら、ケリュンはぼんやりと空に浮かぶ白い雲を眺めていた。
やるべきことを全て済まして、ちょっと物足りなくなった生活にも慣れてきたころ。ケリュンは再び、王城からのお手紙(そう呼べるほどかわいらしいものではないが)を受けとった。中にはつらつらと、ケリュンにでも簡単に読めるほど整った文字で、「依頼したいことがございます。もしお受けしてくださるならば、またこちらへと足をお運びください」とだけ書かれていた。
「……」
誰が行くか。
心のなかで呟いて、あとで燃やすため屑籠に捨てた。わざわざ受ける理由はすでにないし、なんとなくあの依頼があってからツイてない気がするからだ。女王陛下や王女にお目にかかれるのは、もちろん光栄で喜ばしいことだけれど。
「あんま寄りたくはないよなぁ」
大きく欠伸をしながら、力いっぱい背伸びをする。昔、「こうすると背が高くなる」と父に教えられたのだ。なんとなくそれが嘘だと気付いてからも、すでに習慣となっているので続けていた。
それから、ぽいと手紙を捨てた屑籠に、ちらりと目をむける。向かう理由は全くないし、こうして捨てるのも自由だ。しかし陛下の命令を無碍に放置するのも、なんとなくだが気が引ける。しょうもない悪戯のはずが、割と大騒ぎになってしまったかのような気分だった。行きたくはないが。
「どうしよ……」
ドアをあけながら無意味に呟けど、もちろん返事はない。
そういえば、便箋をひらけた瞬間、ふわりと漂ってきた花の香りは好ましかった。あまやかで控えめで、ケリュンの空けた心のなかをすっと抜けて。娘を想っていたアレヤ女王が、頭に浮かんだ。
「……」
「……えええっと」
ドアをあけ空の水桶を片手にさげたまま、ケリュンは困惑していた。目の前にいるのは見知らぬ男である。旅人なのだろうか、ボロのマントをまとい、まあまあくたびれたブーツを履いている。印象に残りにくい顔の造作をしていて、別段突出した雰囲気があるわけでもない、平凡そうな人間――。
「あれ?」
いや、どこかで見た覚えがあるような気がする。この村ではない。
「……」
(うん、まったく分からん)
アルクレシャかフレドラの街並みかどっかで、言葉を交わした人間の一人だろうか。人見知りというものを全くしないケリュンだから、そんな奴ならいくらでもいた。目の前にいる人間は周りに埋もれやすそうな体型をしているし、あの人混みのなかだと覚え辛いだろう。よしこれだ、とケリュンは勝手に見切りをつけた。
「もしかして、アルクレシャで俺の話し相手してくれた人?」
「……お前と会ったのはこれが始めてた」
「え、そっか。なんか悪いな。どっかで見た顔だと思ったんだよ。俺の勘違いだったみたいだな」
そうして口先ではぺらぺら謝りながらも、内心、絶対どこかで見たことある顔だ、とケリュンはぐるぐる考えをめぐらせていた。アルクレシャじゃないとすればフレドラだろうか。いや、あんなとこからわざわざこんな所まで来る理由はないか……。
「あ、これを先に聞くべきだったな。俺に何の用だ?」
「配達さ。ほら、これだ」
背負った荷物から渡されたのは、格調高い装飾のあしらわれた便箋。そして緑の色。
またか、と困惑気味にケリュンがそれを受けとった瞬間、男はぐるりとまわりを確認した。今は早朝といっていい時刻だ。まだ人気はなく、こんな重たげな曇り空の下では、太陽の光もかすんでいるようで視界が悪い。
素早くチェックし終えると、そのままそっと声をひそめた。
「王女が狙われている」
「え?」
「助けが欲しいとのことだ。確かに伝えたからな」
ぱっと顔を上げたケリュンの驚きには一切の反応もなく、その旅人風の男は一息にそれだけ言い切ると、その場から瞬時に立ち去っていった。立ち去るといってもケリュンが追えるような速さでなく、音もなく走りだし影に飛びこみ消える、その勢いはまるで旋風のようだった。
まあ、わざわざ助けに向かう義理はない。狙われている王女というのは現王女クレアか元王女ロッカか。それは分からないが、ケリュンにとってはどちらも他人である。
しかし、どちらも知人であった。楽しく会話を交わした仲であるし、印象が悪かったわけでもない。そして畏怖の感情すら抱いている王族、つまり“神の子聖マルテ”の子孫でもある。そんな相手が命を狙われているのだ。頼まれたというのに、放っておくわけにもいかないだろう。
正直気は進まないが、そんなくだらないことを言っている場合ではない。城になら屈強な兵卒がいくらでもいるだろうに、なぜ自分なんかに依頼するのかは分からないが、こんな自由気ままな下っ端だからこそ頼めることもあるのだろう。
「断ったらそれはそれでめんどうそうだし」
なんて独りごちながら、とりあえず家を閉めて、ケリュンはアルクレシャへと向かうことにした。そろそろお馴染みのこの往復もめんどうになってきた。
ケリュンは荷物を準備しながら、こう、ドアをあけたらいきなり首都でした、みたいなことないかなと子どもみたいなことを考えていた。もちろんそんなことはないのだが。
しかし、霧の道を抜ければいきなり剣を突きつけられる。そんなことはあったようだ。
「おれですケリュンです無実です」
「悪かった」
ケリュンにとっては毎度お馴染みのレイウォードだった。一応謝罪はされたが、首の皮を切ってにじんだ血のついた剣先を拭くことのほうが明らかに重要そうだ。
「なんなんですか急に」
「また道を間違えただろう」
屈んだレイウォードのせいでよく見えなくても分かるくらいには、豪奢なつくりの部屋だった。ケリュンが顔を出しているのは、そこの片隅の床下からである。途中に下り坂があった時点で、おかしいと思ったのだ。他人より方向感覚に優れていると勝手に自負していたのだが、ただの思い込みだったようだ。
「まあいい。今お呼びする」
「え?」
レイウォードの要約の必要がないくらいアッサリとした説明によると、まことに畏れ多い事態だが、ケリュンが顔をつき出した先はどうやら女王陛下の私室であらせられたらしい。
途端に顔を真っ青にしてあばばばと目線を泳がし、今すぐにでも穴に頭を引っ込めようとするケリュンの首根っこをひっつかむと、レイウォードはその体を外にひきずりだした。そして珍妙な土下座でもしているかのようなポーズで倒れ伏したケリュンに、「そこから動くな」と命じると、なんと部屋から出て行ってしまった。
「悪気はなかったんです……」
冷や汗と手足の震えが止まらない。処刑台にあげられた罪人のような気持ちで、ケリュンはやけに額に重心のかかった体勢を変えようともせず、ただ命じられたままその場で待機するのだった。
「お久しぶりですね、ケリュン」
もうこのセリフは何度目だろうか。あいかわらず悠々としており、この世の不幸事全てから縁無さげな声をしている。もう少し勢いがつけられていたら三点倒立していただろう奇天烈なポーズのまま、ケリュンはそんなことを思った。
ちなみにアレヤはケリュンがやけに力をいれて維持しているその格好について言及するべきかどうか悩んだが、止めておいた。理由はさっぱり分からないが、恐らく複雑な事情があるのだろう。もしかしたら、彼なりの最上級の敬意の表し方かもしれない。
レイウォードもケリュンがこうなっている理由を一切忘れて注意するかどうかしばし悩んだのだが、とりあえず思い切り頭は下がっていることだし陛下は気にしていないようだし、スルーしておくことにした。
結局誰にも止められなかったケリュンは、そのポーズのまま女王陛下に挨拶を返すこととなってしまった。
「お久しぶりです、陛下。いきなり私室に現れる無礼、どうかこの通りお許しください」
「気にしないで。あそこはすこし特殊なところで、魔力が無い人間が通るとすこしずれて出てしまうことがあるの。あなたの責任ではありません」
まだ自分の方向感覚に自信を持っていていいらしい。ケリュンは内心安堵していた。方向音痴というのは、日ごろから山にはいる人間としては致命的だからだ。
「ケリュン、顔をあげなさい。今回はわざわざ依頼の件できてくれたのでしょう、感謝します」
「い、いえ、勿体ないお言葉です。――その、王女が狙われている、と聞いてきたのですが、クレア様やロッカ様はご無事なのでしょうか」
「ええ、二人とも元気よ。ただ、あの子たちのことではなくて――ケリュンは会ったことがなかったわね。今回の件で伝えられた王女というのは、」
そこで女王の言葉を遮るように、控えめなノック音が二度ひびいた。答えるようにレイウォードがドアをあける。なにやら用件を告げているらしい使用人はすぐさま下げられ、
「失礼いたします」
澄みきった湖畔を想起させるように落ちついた、それでいて柔らかな声だった。その言葉のあと、一人の女性が静かに部屋にはいってきた。
まろやかな色をした薄緑色の瞳は伏せられ、けぶるような睫が色白の頬に影を落としている。女王に促され、その女性は音も立てずに一歩、前にでた。
「はじめまして、ケリュン様。マルテ王国が第一王女、イレーヤと申します」
きちんと両手をそろえて頭がさげられれば、アレヤやクレアよりも色味がやわらかな栗色の髪が、さらりと肩からこぼれおちる。そこから覗く首筋は細く色白で、その体も折れてしまいそうに華奢だったが、ぴんと背筋が伸びていて、立ち姿が美しい。
ふと顔があげられる。ケリュンよりも幾分かは年上だろう。華美ではないが整った顔立ちは苦労一つしたことのないように穏やかだ。
「……はじめまして、イレーヤ様」
深く頭をさげて、周りから見えないようにケリュンは目をぱちぱちさせた。儚げでしっとりとした、落ち着きのある年上美人。いや、実際のところイレーヤの顔立ちはクレアやロッカほどではない地味なものなのだが、ケリュンにしてみれば物凄い美人だった。ナンバーワン美女だった。
とりあえず意味もなく、というかもう一回その御尊顔を拝みたかったので顔を上げてみた。優しげな目と目があう。すべてを包みこむような微笑に会釈するように頭を下げて、視線を逸らした。
「レイウォード、詳しい説明は任せていいかしら」
「はい。どうぞお戻りください」
頭上で交わされるそんなやり取りも、ほとんど聞いていなかった。あまり出来のよくない脳みそが忙しかったからである。
――イレーヤ第一王女。クレア様の姉姫。すごい美人。もしや彼女は、ケリュンの理想を絵に描き起こしたものなのではないだろうか……。
そんなくだらないことを考えながら、ケリュンは彼女の実在を疑っていた。言葉まで交わしたというのにだ。ちなみに当たり前だが、イレーヤは二次元ではなく、三次元に存在する人間である。
「ケリュン、依頼について説明する。顔をあげてもいいぞ」
まったくなんの面白みも無いレイウォードの声に、ケリュンははっと我に返った。強い口調で言われたままに顔をあげ、ついでにこの豪奢な部屋を見渡す。あの美女と、それから陛下の陰も形もなかった。
ふっと、なぜか分からないが安堵の溜息がこぼれた。
「夢だったか……」
「貴様寝ていたのか」
「ちがいます無実です」
疑問形のはずなのに全く疑問になっていない。彫刻のごとく塗り固められたような無表情の眉間に、深く皺が寄せられる。大変苛立っていますと脅してくる顔面から目を逸らしながら、ケリュンは一生懸命弁解するはめになった。




