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マルテ王国史  作者: ばち公
一章:配達人(パシリ)時代
23/102

霧の道

 首都アルクレシャの路地裏にケリュンはいた。人影はまばらになり、日の光もあまりあたらない。

 フレドラのそことは違い、なんとなく空気も湿気ているような気がした。恐らく気のせいだが。


 それからさらに歩いて、とある無人の、小さな民家へとたどり着いた。特徴をチェックしてからその戸をひらく。当然のごとく誰もいない。使われていない家具がいくつか放置されているだけである。中は埃っぽく、カビのような匂いが鼻をついたが、見てくれは特に汚れているわけでもない。


 とにかくその家の奥にある、空っぽの本棚を横にスライドさせ、それで塞がれていた地下への扉をひらく。

 ひんやりとした空気が流れて出てきた。


「……」


 いわゆる、隠し通路というやつである。

 ゆるい下り坂になっていて、灯りはなく暗闇ばかり。覗きこんでも、奥の様子をうかがうことはできない。

 躊躇したが、ここに留まっていてもなんの意味もない。

 ぐっと唾を飲みこみ、ケリュンはその通路に足を踏みだし、そのまま早足で数歩進んだ。が。


「う!?」


 途端目がくらみ、体が傾いたかと思えば膝をついていた。眠っているときのように、体に力がはいらない。目の前にある大地と、そこについた自分の腕がぐにゃぐにゃに歪んでいた。

 次いでやかましく響く耳鳴りが、どこか遠くから徐々に近づいてくる。音が鋭く、大きくなり、そしてそれが頭のなかまで届いた瞬間、思わずキツク目を瞑った。


「……あれ?」


 なんともない。どころか、音が止んだ。

 慌てて顔をあげるがそこは元の通路のままだった。ただ先ほどと違い、白い霧がぼんやりと立ち込めている。臭いもないし、ケリュンの意識ははっきりしているので、害はないただの霧だろう。

 恐る恐る立ち上がるがなんともなく、先ほどまでの不調が嘘のようだった。

 振り返ると、背後の出口がなぜかなくなっており、この中に閉じ込められたことが分かった。そして不思議なことに、真っ暗闇だというのに通路の様子が見えてしまうことも分かった。

 灯りの一つもないというのに、昼間のように遠くのことまで認識できる。暗くて霧が満ちて視界も悪いが、そのなかで浮かんでいるように見えてくるのだ。

 奇妙な感覚だが、便利なのでまあいいかと考え直した。


「とりあえず、すすむか」


 つぶやいて早速歩きだした。が、一歩で止まる。

 なんと、足音がそのあとをついてこないのだ。

 靴が地面をたたく音も、砂利のこすれるような音もなにもない。立ちこめる霧が、音をすいこんでしまっているかのようだ。


「……」


 たかが足音。しかし、当たり前にあったものがないというのは落ち着かない。まるで幽霊になった気分だ。

 足で地面をたたいてみたいりその場でジャンプをしたりするが、それでも音はしない。


「よし」


 それからしばらく、ケリュンは試行錯誤を繰り返した。地面を手でたたいてみたり、壁を蹴飛ばしてみたり、すり足で進んでみたり、倒れこんでみたり……。

 しばらくその場で、独りぼっちでしかできないような行動で遊んだ。

 その結果、「何をしても壁から音はでない」というそれだけの結論に達した。ケリュンは満足した。




「おそい」

「すいません」


 最後にあった梯子をのぼったさき、上で待ち構えていたのはレイウォードだった。

 以前見た門番姿でなく、高級そうな衣装をかっちりと着込んでいて、なんと帯剣までしている。恐らくこっちが元々の、彼の正装なのだろう。

 醒めたブルーの瞳が、こちらを感情薄げに見下ろしている。


「おまけに迷子だ」

「……すいません」


 梯子で上に進みはじめていた時点で、なんとなくおかしいとは思っていた。

 確かにこの前案内された部屋にはみえない。というか城の中ですらない。城が見えるため城壁内にはいるようだが、立ちはだかる壁のように植えられた木々のせいで周りの様子がよく分からない。

 ここは何処だろう。そう思ったのが顔に出ていたのだろうか。


「井戸だ」


 レイウォードは簡潔に答えた。この男、少々どころでなく言葉が足りなさ過ぎる。ケリュンはそう思ったが口答えせず「そうですね」とだけ答えた。

 ケリュンが今いる――というより、不審者よろしくひょっこり上半身をつき出している――のは、水のたゆたっている井戸だった。

 それなのに身体が濡れていないことに関しては、まあ、これぐらいの不思議もあるよな、とありのまま認識することにした。

 そして彼を見下ろしているレイウォードは、他に情報をくれる様子もなく黙っている。

 とりあえずこちらから何かを話さねば、会話が進まないタイプのようだ。


「えーっと。レイウォードさんはどういうわけで、こちらにいらっしゃるんですか」

「女王に命じられてきた。ケリュンが『霧の道』を抜けていると言われてな」

「……」

「……」


 そこまでか。いや、もう一歩深く説明してくれるとありがたいのだが。

 結局奇妙な体勢のまま、どうしたらいいのかとケリュンが困っていると、なんとレイウォードが自分からその重たげな口をひらいた。さすがにケリュンの気持ちが通じたのだろうか、と思ったが違った。


「……『霧の道』は、あれでなかなか複雑だ。だいたいが途中で間違えてここに出てくる。もう一つ奥の別れ道を左にすすめ、それが正解だ。よし、戻れ」


 と、怒涛の勢いで一方的に説明されたかと思えば、ガッと頭を鷲掴みにされ、そのまま勢いよく押し込まれた。


「いでっ! なにっ……する?」


 そしてケリュンがやっと反論しようと顔を上げたときには何もなく、ただ壁のみが広がっていた。まさに一瞬の出来事である。

 うん、虚しい。

 それから寂しい沈黙に背中を押されるように、ケリュンはするすると梯子を下りたのだった。

 そして、もうちょっと深いところまで話してくれるだけで、だいぶ心安らかに過ごせるのだけれど、と心の中で文句を呟いた。

 レイウォードだけでなく、色々な相手に対して。




 レイウォードが、口をひらく間もなく姿を消したケリュンを見送ってしばらくすると、一人の文官の男が、物陰からふらふらと歩いてきた。

 不本意ながらレイウォードの幼馴染であり、気の抜けたといおうか、ゆるいところがあるアレンという名の青年だ。

 そしてその性分通り、どうやらサボっているらしい。レイウォードの姿を見て、体をかため、分かり易く表情をゆがめた。


「げっ、レイ……」

「仕事に戻るべきだ」

「会って一言目がそれかよ! お前な、ひさしぶりーとか、元気してるーとか、他になんとでも言いようがあるだろ」


 「まあ、らしいっちゃらしいか……」何気なく失礼なことを呟き、アレンは肩をすくめてみせた。なんとも貴族らしくない仕草だ。

 この男、アレンは「ちゃらんぽらんが第一印象」を地でいくような男だが、これでも都市アージェルを治めるアージェル伯はデヒム子爵の次男坊である。

 つまりアレン・デヒムという名の、由緒正しき貴族だ。

 ちなみに、最初に彼をちゃらんぽらんと評したのは彼の父親であるデヒム子爵である。


「だいたいね、俺は技術者よ、技術者。それがなんでこんな面倒なとこに――あ、すいません。この輝かしき我らがマルテ王城で文官なんてやっているのでしょうか。全く意味が分かりません、だからな、ごめんってば!」

「……」


 今までの冷淡にもとれるような色のない態度はどこへやら。がらりと目付きを鋭くしこちらを睨むように見据えるレイウォードに、アレンは及び腰になった。

 それでも切られるはずはないと分かっているので、ぺらぺら動く口は止まらない。


「お前な、貴族にそういう態度とんの止めろよ。特に俺なんかあれだし……。偉ぶるわけじゃないけど、って、言われなくてもまあ、お前も分かってるだろ」


 友人(一応)のこのめんどうな癖を直す、まではいかないでも少しでもいい方向へ向けようとアレンは説得している、はずなのだが内容は妙に適当で、おまけに「うへぇ、」と辟易とした表情を隠そうともしない。

 ――こういう中途半端な態度も、ちゃらんぽらんという評価に繋がっているのだろうな、とレイウォードはやけに冷静な気持ちになった。


「しかも今のは城という鳥籠への批判であって、女王への文句じゃないし」

「それを決めたのは陛下だった」

「まあ、確かにそうか。まったく、お勤めご苦労さまです。女王付近衛兵も楽じゃないね。そんなかっこいー服着ちゃってんのにね!」


 この位を誇り、どころか自分の人生の勲章、いや、全てに勝る生きがいのように思っているレイウォードにとって、今の発言には言ってやりたいことがいくつもあった。

 主にアレヤ女王陛下の素晴らしさについてである。彼女はもちろん世界で一番うつくしい人であるため、話しても話し尽きない、想っても想いの尽きないぐらいの輝かしさで溢れている。楽云々の話ではないのだ。

 ……が、さすがにさっきの今なので、口には出さなかった。


「ん。そういえばレイ、お前なんでこんなところにいるわけ?」


 こんなところ、というのは女王陛下の庭園――の片隅である。生垣で囲まれ外から見えなくなっているそこは、数々の植物が図形を描くようにして、計画的に植えられている。そして外観を損なわないためか、隅にある木々の裏に井戸が隠されていて、そこで二人は喋っているのだ。

 もちろんそう易々と入ることのできる場所ではない。雇われた専門の庭師ですら、入ることのできる時間を決められている。


「たいした理由ではない」

「ほー?」


 そんな中で、このアレンがサボり、身を隠すだけのために平然とここにいる理由。それはまず彼が幼いころからこの城で王族と親しくしていたこと。

 そして彼――アレンやデヒム子爵の先祖である『大工屋デヒム』が、聖マルテ唯一の、人族の友人だったから、ということが挙げられる。

 この美しいマルテ王城を建てたのも、それ以外のこの国にある五つの城全て建てたのも、大工屋デヒムの仕事である。つまり、神話上の大人物なのだ。

 そのため、ついているのは子爵位だが、彼らデヒム家の立ち位置は少し特殊であり、王族とも非常に友好的な関係を築いている。


 ちなみにこのデヒムは器用で多才で、からくり師としても有名だったそうだ。

 アレンが技術職に興味を持つのも、しかたのないことかもしれない。


「お前もサボりか?」

「は?」

「な訳ないですよねー。ですよね、スイマセン。いや、こんなとこそう来るやつもいないしさ、つい」


――つい先ほど自分に睨まれたばかりのくせにコレである。この軽口はなんとかならないものか。

 と、自分も態度について注意されたことを忘れて、レイウォードは思った。まあ、堪え性が無いのは、どっちもどっちだということだろう。


「……たいしたことじゃない。馬鹿な虫を追っていただけだ」


 そして肝心の理由については、適当に影のありそうなことを仄めかしておけばいい。

 そうすればめんどうくさがりなアレンは追求もしてこないだろう。


「そう……」


 そしてその予想通り、不穏な言葉に頬をひきつらせ、アレンはそれきり何も問おうとはしてこなかった。裏が無いといおうか、分かり易い男である。

 やはり貴族らしくないな、とレイウォードは思い、二人はその場で別れた。




「虫なぁ……」


 アレンは呟く。

 暗殺者かなにかは分からないが、とりあえず歓迎するべきでない何かが来たのは分かった。まったく、怖くてサボり辛くなってしまうではないか。まあ戻りはしないが。

 それにしても、そんなヤツがなぜこんな井戸の近くにきたのだろう。

 ただこの木陰に隠れようとしたのか、それとも――。


「……水、飲みにきたんかね。なんか大変そうだしな」


 アレンは首をかしげて、井戸を調べた。

 たっぷりの水がたまった、普通の井戸だ――。凪いだ水面に異常は見られず、奥底は暗くてよく分からない。


コマンド「しらべる」

→「たっぷりの水がたまった、普通の井戸だ▽

「奥はうすぐらくてよくみえない▽」

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