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ピーナと再会したケリュンは、予定通り大通りへと向かっていた。
「おすすめは揚げ鳥だな。揚げものなんて珍しいだろう。まあ安いし油のにおいが気になるかもしれんがそれでもうまいぞ。スライスした焼き豚もここらで一番有名だな。んでうまい。もちろん焼き鳥もうまい。あと足のところをじっくりあぶったものがあってな、これがまたうまい。あっちのあれも」
「黙って肉食ってろ」
「うめぇ」
そんなケリュンの態度にもどこ吹く風で、ピーナは幸せそうに、だが大層汚らしく肉をほおばっている。頬にはなんのだったか分からないタレがつき、食べカスが口の周りをよごしている。子どもだからギリギリ許される光景だ。
合流してからずっと食べ物を奢らされ続けているケリュンはげんなりとしていた。何が出店の案内だ、とはじめピーナが言っていたことを思いだす。
この人混みと気温のなかで、よくもそう肉をむさぼれるものだ。こっちはもう、その臭いと勢いだけで腹がふくれている。
太陽が傾きはじめているのが、唯一の救いだろうか。
――まったく、これが。
「神の耳目、なあ」
ケリュンの言葉に「あ?」とピーナは片眉をあげる。ご飯を一生懸命食べるような子どもがしていい表情ではない。
初めて会ったときと比べるとどんどんガラが悪くなってきているが、これが本性なんだよな、自分の影響じゃないよな、とケリュンは若干気になった。要らぬ心配というものである。
「……たぶんお前のことだと思う。フレドラにいる占い師だって。神の耳や目でも持ってるみたいだから、らしいぞ」
「ほー」
ピーナは最後の肉をのみこんで、生返事をした。
そういえば、客にそんなことを言われたことがあるような、ないような。曖昧に口をもごつかせる。
世辞だろうがなんだろうがあまり他人の言葉を気にしないピーナなので、そういった記憶は曖昧である。
結局思いだすのはやめて、口周りを布きれでぬぐってきれいにすることにした。ついでにぽつりと呟く。
「神なんているものか」
「だよなぁ、王族でもあるまいし……」
マルテ王国の国民にとっては、彼らの建国の父、神の子聖マルテこそがそれに等しき存在だ。だから彼の子孫である王族は、神の血をひく者達となる。
実際目にして会話した今でも、ケリュンはなんとなくそう認識している。
ピーナはそれを聞いて、ただ「ははは、そうだな」と笑った。……馬鹿にするようなニュアンスが混じっていたのは、ケリュンの気のせいではないだろう。かといって何か言い返せるわけでもなく、ただそっと溜息をついた。
たった一日の付き合いなのに、いつこんな上下関係が生まれたのだろう。
少し振り返るが、まだはじめのほうは喋りかたや態度も取り繕っていたなということぐらいしか分からなかった。
まあそれでも、ピーナもそこまで人でなしというわけではない。きっちり出店の案内をし、オススメも教え、こうしたところでの値切りのしかたもケリュンに教えた。
その初めに、少々たかっただけだ。
「子どもに振り回されるのも大人の仕事だろう」とはピーナの談である。本人が言ったら台無しだろうというのはケリュンの心の呟きである。
そうしてひとしきり有名所や隠れた名店を回り終えると、かなり時間が経っていた。もうしばらくすれば夕方だろう。
暗くなる前にピーナの用事をすませるため、あるテントへと向かった。そこでピーナは店主らしい大柄でたくましい身体つきの男に、「久しぶりだな」などと話しかけると、その傍にいたほっそりした女――男の妻だろうか、テギンと呼ばれていた――と一緒に、なにやら後ろのほうへ引っ込んでいった。
「……」
堂々とピーナに置いてきぼりをくらったケリュンは、しばらく商品を眺めていることにした。
どうやら薬草を中心に、雑貨なんかも売っている店らしい。植物類が貴重なフレドラでは珍しいが、品ぞろえは悪くない。普段からよく使うものだけでなく、見たことのない種類の薬草もいくつかあって、どれか買っていこうかとケリュンは少し思案した。
その隅のほうには、動物をかたどった木や陶器でできた雑貨が並べられていた。小物入れというわけでもなく、ただかわいいだけの置物であるらしい。
動物は肉食草食も大小も様々だが、どれものんびりとした表情だったりくつろいだポーズだったりで愛らしい。
「お前、あの子の保護者かなんかか?」
丸太のような腕を組み、ケリュンを不躾に眺めながら店長らしき男はたずねた。ケリュンは思わず苦笑い浮かべた。
「そう見えるか?」
「いや。ただ、血が繋がってるようにも見えんからさ。あんな幼くてもお得意さんだし、事件に巻き込まれたらこっちも困るだろ」
店長はそう言いながら、見事に生えそろった黒い顎鬚をなでていた。
何やら色々言っているが、結局のところピーナを心配しているらしい。
「立場的にはそっちと変わらないよ。会ったのも今日の朝で、そう深い知り合いでもない。……色々奢らされはしたけど」
「女相手なら男の甲斐性ってもんだろ」
店長はそう言って胸を張った。金持ちが多いフレドラらしい、この男の太っ腹な気風のよさは、見ていて気持ちがよかった。
「ははは、そうは言っても子どもだしな」
「確かにちょーっと年下過ぎるな。うーん、お前くらいの年齢なら、年上の女に憧れてるころだろ? 俺にも覚えがある」
店長はこちらの返事も聞かず、分かるぞ、と頷いている。
とりあえず、自分が成人に見られていないということは分かった。それでも彼の言っていることは間違っていないので、特に反発もできず肯定しておく。
落ち着きのある人が好みなのは事実だったからだ。
「まあウチのは俺より年下なわけだが」
「さっきの人?」
「美人だろぉ? 名前もきれいでなぁ、テギンっつーんだ。ちなみに俺はテオドアだ。テの部分がおそろいだ」
「お、おう」
何を自慢げなのかよく分からないが、勢いに押されて頷いておいた。
そして、この店長とは対照的な、淑女然としたあの女性を思いだす。今頃ピーナと何の話をしているのだろうと思ったが、質問するほど馬鹿ではない。これ以上変なことに関わりたくないと、しばらくの出来事について振り返って思った。
ケリュンはしばらく、店長――テオドアの長そうだが興味深い惚気話に付きあうことにした。
まず話は、彼がとある行商人の長男として産まれたところからゆっくりとはじまった。
ピーナが戻ってきたころ、空はすっかり茜色に染めあげられていた。太陽ぎらつく、昼間の抜けるような晴天もよかったが、この真っ赤な夕焼け空のほうがフレドラには似合っている。
ちなみにテオドアの話がようやく、フレドラでのテギンとの出会いにまで発展したところであった。ここまで、本当に長かった。
「じゃあな兄ちゃん、まいどあり!」
上機嫌に手早く店じまいをすすめるテオドアに別れを告げ、ピーナとケリュンは宿へ向かった。
あれほどいた人々はどこへいったのだろう。今ではまばらで、ケリュンらは誰にもぶつかることなく、すいすい歩くことができた。
宿屋のある広場は、その店のすぐ近くだった。
広場ですら人影は少なかった。遠くの空から足元の地面まで見渡す限りどこも赤く、まるで炎に沈んでいるようだ。長く伸びたくっきりと濃い影だけが、明確に存在を表している。
宿の前で、ピーナとケリュン、向かい合った二人の影が伸びている。ピーナから見ればケリュンの背後、建物の隙間から、まるい大きな夕日がのぞいていた。
「それじゃ、ここまでか。……今日一日、色々世話になった。ケリュン、お前とはまた会うと思う。またな!」
そうしてくるっと踵を返し帰ろうとするピーナに、ケリュンは慌てた。
「待て待て待て!!」
「何だ?」
「いや危ないだろ! 送ってくって」
ここは夕日に照らされているため明るいが、物陰に入ってしまえば夜のように真っ暗になる。こうも建物が密集しているフレドラならなおさらだ。
子ども、人によっては赤子と見なされてもおかしくないようなピーナを、一人で帰らせるわけにはいかない。
しかしピーナは首を振り、それをキッパリと拒否した。
「その気持ちは嬉しいが、来られると困るからいい。止めておいて欲しい」
何か用事が残っているのかもしれないし、占いの仕事があるのかもしれない。とりあえずプライベートな事情だろう。
ケリュンは訊くことはせず、「そうか」とだけ答えた。ピーナは満足げに頷いた。
「うん。ただ逃げ腰へっぴり腰なだけともいえるが、お前は慎重な判断をとるなぁ。……怒るなよ。褒めている、というわけでもないけれど」
「どうなんだそれ」
ピーナはそこで一つ、誤魔化すように咳払いをした。
「それじゃあ、今度こそ、またな」
その小さな背中を見送ってから、ケリュンはふと息をついた。
何事もなく去っていったピーナに、自分でも分からないほどひどく安堵していた。奇妙なことに、心から送っていくつもりであったにも関わらず、だ。
そのまま、宿に入ろうと歩きながらも、ぼんやりと考える。
……ここ最近、本当に変なことばかり起きている。
王族依頼で荷物届けに行ったり来たりしているこの状況がまず異常だ。村から出て、きっかけの女王に出会ってしまって、そのまま王女に会い、訳も分からないまま仕事を受けた。
そう、それから何事もなく済めばよかったのに、山では魔物使いに会ってその魔物と戦い、ここでは砂目の占い師――。
「あ」
どこかで見たことのある瞳。今まで感じていた違和感。
そこで全てが符合したような気がして、気づけば口をついて零れていた。
――そうだ、あの金色は。
「獣の、目」
零れた言葉の冷たさに自分ながらぞっとして、咄嗟に振り返る。
そこにはぐんと伸びた己の影があるだけで、もう誰もいなかった。
ただフレドラの街並みだけが、炎のような真っ赤な夕焼けに沈んでいた。




