不審な小包
まず、的をしぼる。次いで弓を引き絞る。樹の上で目を細めていたケリュンは、兎がひくりと鼻を動かしたのを見た瞬間矢を放った。矢は風を切って寛いでいた兎の胴体に突き刺さると、獲物を地面と縫いとめた。
ケリュンはさっさと飛び降りると、狩猟用の短刀を取りだす。そして息の根を止めるため、その切っ先を獲物にむけた――。
そして結局、兎を四羽捕まえたところで猟を終えた。こうして猟をして帰るとき、ケリュンはいつも、モスル村のすぐそばに森があることに感謝する。
「よお! 来るのが遅ぇじゃねえか!」
「全くなあ」
「お疲れさん!!」
ケリュンが獲物をつめたズダ袋を抱えて戻ると、家の前でむさくるしい村の男達に大歓迎された。「な、なんだよいきなり……」とうろたえていると、
「お前に仕事だよ!」
何やらいきなり無造作にほい、と投げられた。ズタ袋を置いて慌ててキャッチする。濃緑一色で染められたあまり大きくない袋だ。中を覗くと、黄緑色の布地にくるまれた長方形の箱が一つだけ入っている。
明らかに奇妙過ぎる物体に、ケリュンはきょとんとした。
「何だよ、これ」
「配達の依頼だってよ。なんかぬぼーっとした奴が来てさ、いきなり置いてったんだ」
「いや、さすがにビックリしたぜ。客なんて滅多に来ねぇしさあ、俺、幽霊かと思っちまった」
「お? ビビッてたんか、お前」
わははと馬鹿笑いしている男達はさて置き、ケリュンは困惑していた。こんな田舎まできてケリュンに配達を頼むなんて、よほど酔狂な男に違いない。
「なんでわざわざ俺に?」
「そりゃ成功率百パーセントってことで、お前の名が他所でも轟いてんだろう!」
いやそれはないだろう。
確かに依頼は全て成功してきたが、まずこなした件数自体が少ないのだ。それにそこまで遠出する依頼などケリュンのもとにはこない。自慢できるようなことはない。
とにかくツッコミたくてしかたなかったが、男達が「俺らも鼻高々だ!」「なあ!」と頷きあっているため憚られた。
それに、そこまで喜ばれて悪い気はしなかった。父母が死んでからお世話になりっぱなしだった村の人々に、恩返しでも出来たような気持ちだ。
しかしそれと、こんな怪しい仕事を受けるかどうかは別である。そんなケリュンの様子に気付いたのか、男達は訝しげな表情になった。
「やらんのか? 折角お前が認められたんだぞ?」
「でも、届け先も分かんないしさ」
「個人的なことだから、ドアの隙間からお前ン家にいれとくって言ってたぞ」
「そういや、報酬もタンマリだってさ。美味いもん食えるな」
と肘で小突かれもしたが、そんなもの必要ない。今の食事と生活で十分だ。
やっぱりやめると言いかけたところで、いや、と思い直した。
「じゃ、受けてみるかな」
「おお!」と歓声が上がり、宴だ酒だと騒ぎ出した男達を見送り、ケリュンは照れ臭げに頬をかいた。自分も後を追おうと足を踏みだした途端、
「!」
そこでぱっと振り返った。背後の木々や茂みの向こうに、ほんのわずかだが気配を感じ取ったのだ。しかし今はそれもなかった。
――気のせいだったのだろうか。
「ケリュン、何してんだ! 早く来いよ!」
「あ、おう!」
大袈裟にするようなことでもないだろう。
そう判断して森の奥を一瞥すると、ケリュンは男達が向かったこの村唯一の酒場へ駆けていった。
酒場の主人であるおばさんも、ケリュンの出世(と皆が言う)に大層喜んでくれた。そのお祝いに、ついケリュンが持ってきてしまった兎を調理してくれるという。血抜きにかなり時間がかかると言うが、一人暮らしのケリュンには酒場の美味い料理はありがたい。
あとさっきから背後で「めでたい、めでたい!!」と大騒ぎしながら酒をぐいぐい飲んでいる男達には、「あんたら祝いにかこつけて酒を飲みたいだけだろ!」と言ってやりたくてしかたなかった。
その後、酒場には続々と人が集まってきた。来る人来る人が自分のことのように喜んでくれたのは幸福だったが、大分遅れてやってきたスゥの母親に「アンタ苦労したもんねぇ」と泣かれてしまい、「よっ、女泣かせ!」と村の皆にからかわれたときはさすがに困ってしまった。
それからしばらく。ケリュンは喧噪から離れ、誰もいないカウンター席に腰かけた。
もみくちゃにされた茶色の髪を手櫛で整えながら思い出すのは、先ほどのあの気配についてである。野生動物のものではないだろう。現れてすぐ溶けるように消えてしまったあの様は、動物にしてはあまりにも不自然だった。しかし、じゃあ一体なんだと言われて ぱっと思い浮かぶものは何もなかった。
そうして思索に耽っていると、隣のイスが引かれた。
「ケリュン、隣いいわよね?」
返事も聞かずに座ると、スゥはケリュンの前に「はい、どうぞ」とジョッキを置いた。
……中身は水のようだったが、一応「ありがとう」と礼を言っておく。
「お仕事来て、よかったね。……でも、なんだか意外ね。ケリュンなら絶対断ると思ってたのに」
「ああ、うん。俺も最初はやめとこうと思ったんだ。絶対怪しいし……」
「じゃあどうしてよ?」
一瞬ケリュンは言いよどんだが、隠すほどのことでもない。正直に喋ることにした。
「いい加減、親父達の墓石が買いたくてさ。前から考えてはいたんだが、これがチャンスかなって」
二人は森の奥、この村の共同墓地で眠っている。そこには、少し大きめの丸太が墓標として立っているだけだ。いい加減きちんとしてあげたいと前々から思案していたのだが、墓石自体高いし、輸送費用もかかる。
今まであれこれと頑張って貯めてきたが微々たるもの。いかんせんケリュンには金がなかった。
「なるほどねー」
いっぺんに納得した様子になって、スゥはこくこく頷いていた。その頬はよく見ればほんのりと赤い。酒でも飲んだのだろうかと思ったが、彼女は酒類を好まないので、場の雰囲気や臭いに酔ったのかもしれない。
スゥはそれからしばらく黙りこんだあと、何故かそっぽを向いた。
「……ま、あんたが帰ってくるまで、町に行くのは待っててあげるわ」
「うん。それより、俺の家と畑をよろしく頼む。いいか、くれぐれも注意してくれよ。絶対約束だぞ」
「……このファザコンめ」
幸い吐き捨てた言葉は聞こえなかったらしいが、「絶対、絶対」と子どもみたいにやかましいケリュン。スゥは舌打ちを 堪 え、ムッとした表情で睨みつけた。
「分かってるわよ、うるっさい! そのかわり、寄り道しないですぐ帰ってきなさいよ。じゃないと、アンタの大事なものがどうなるか分からないんだからね!」
「分かった、分かった」
「……そんなこと言って、どうせまた変なことに巻き込まれるんでしょ? このお人好し」
「あはは、まさか」
へらへら笑ってそんなことをぬかすこの幼馴染に、スゥは溜息をつきたくなった。
裏タイトルは「ケリュンのバカ」。
町に連れていってもらうのなんて、夢のまた夢。