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「やだ! こっち、こっちがいい!!」
芳ばしい香り漂う屋台の前でそう駄々をこねるピーナを、ケリュンは冷めた目で眺めていた。屋台の中では、男が肉を焼きながら苦笑している。
わめくピーナの指さす先にあるのは、大きな五つの肉が串に連なっている焼肉だ。対して、ケリュンが買ってやろうとしているのは肉と少量の野菜を挟んだパンのほうだった。
ピーナのようなちんちくりんには無理だ、というのがケリュンの言い分である。
「腹壊すぞ!」
「だいじょうぶ!」
そして、涙でうるむ砂色の瞳で見つめられてぎょっとする。あの水晶玉の中身のように揺らいでいたからだ。ケリュンは、いつの間にか後ずさりしていた自分に気づいた。
ピーナは「ケチ、ケチ」とめそめそ拗ねている。
結局このままでは埒があかなさそうそうだったので、しぶしぶ買ってやることにした。
「だから、やすくっていい宿を紹介してあげるって」
肉の刺さった串を片手に、そんなことをぬかしながら上機嫌でピーナは歩きだした。そのくらい自分で探せることくらい、分かっているだろうに。
そして彼女はそれを見事な食べっぷりで、あっという間に完食した。
「ごちそうさまでした」
「じゃあ、家戻るんだろ? 腹壊してもあれだし、さっさと帰るか」
「いや、まだやらないといけない用事がある。……奢らせるためだけに出てきたわけないだろう。少し、悪く考えすぎなんじゃないのかと思うぞ」
そう非難するように言われて、確かに自分にしてはやけに素っ気ないかもしれないと思った。堂々と奢り目当てで付き合わされて、呆れてしまったからだろうか。まあ、払うこっちも悪いのかもしれないが。
「あと、お腹は本当に心配しなくていいから」
「うーん、分かった。じゃ、ピーナはこれからどこ行くんだ?」
「まずは人に会って、それから大通りの出店でお買い物だな。その大通り近くに宿があるから、そこまで付き合ってもらうつもり」
ちなみに今いるのは大通りではなく、地元民お馴染みの食堂や散髪屋の建ちならぶような通りである。
「ただ、今から人に会いにいくのだけど、その間は別行動でいいかな。ちょっと待っていてもらいたいんだけど」
「人?」
「うん。……聞かないほうがいいぞ?」
「わ、わかった……」
「よろしい」
若干引き気味のケリュンに、ピーナは教師のように頷いた。
素直にピーナと別れたケリュンは人影を避けるように、そこらの建物の影へと向かう。特にしたいこともないし、すずみながら待っていようと思ったのだ。
適当に腰でもかけようとしたが、そこには先客が、立派な竪琴を抱えた吟遊詩人の青年がすでに座りこんでいた。
人目を惹くためか羽のついた帽子をななめに被り、模様の派手な装いをしている。
今から演奏でもするのかもしれないと、ケリュンはその隣に行くかどうか少し迷った。が、
「やあ、こんにちは。いい天気だね」
と気付いたあちらから声をかけてきた。そう張り上げてもいないのに、よく通るいい声をしている。歌ったら、さぞや朗々と響くのだろう。
人見知りする性質ではなく、むしろ他人と会話をするのが好きなケリュンは、快くそれにのっかることにした。
「こんなところで珍しいな、えーっと、吟遊詩人か?」
「そうだよ。私は、ジョアヒム」
「俺はケリュン。よろしくな」
名を告げると同時に、ジョアヒムから手が差し出される。ケリュンはそれを見つめ、ワンテンポ遅れてから応じた。
骨ばった大きな手だ。楽器を弾くのに有利だろう。
「ケリュンか。珍しい名前だね」
「そうかもな。……ところでいきなりだけど、他所の国から来たのか?」
「うん、そうだけど」
「やっぱり」
ケリュンがしたり顔で頷くと、ジョアヒムは困ったように苦笑した。
「やはり、その国の人には分かってしまうんだね。……なぜ分かったのか、聞いてもいい?」
「いや、そう言われてると困るが、その喋りかたとか、握手したところとか……」
「握手? こっちじゃしないの?」
「いや、するけど」
「一般的じゃないのか」
「普通にどこでもやるけどさ、なんていうか……もっと年上がするものって感じだな、うん」
「そうなんだ、やはり色々違うようだね。わざわざ『魔の森』を抜けてきた甲斐があったよ!」
「魔の森? ――ああ、『魔女の森』のことか」
マルテ王国を他国と区切るのは山でも周りとの決め事でもなく、森である。
まるで境界線のように走るその鬱蒼とした森は、『魔女の森』と呼ばれていた。
作為的なほどの形だが、れっきとした天然のものだ。何度か人手をいれようとしたこともあったようだが、一度としてうまくいったことはない。
曰く恐ろしい魔物が現れたとか、謎の力に阻まれたとか、穴に落ちたりして事故にあったとか……。
詳しい由来は知らないが、とにかくこんな感じに魔女が住んでいそうな森だから、魔女の森と呼ばれているのだろう。
「色々聞いていたから、恐る恐るだったけど。ただ抜ける分には、普通に進むことができるんだね」
「へぇ。…ところで、お客さんにこう言うのは悪いかもしれないけどさ、わざわざ何しに来たんだ?」
森と海に囲まれた陸の孤島、マルテ王国――周りから襲われることも滅多にない、平和で穏やかないい国だ。しかし旅人が気軽に訪れられるような場所でもないし、必死にやって来てまで得られるものがあるとも思えない。
ガラス産業等有名なものもあるため商人ならまた別だろうが、と思いジョアヒムを見ると、竪琴に視線を落としていた。
飾り気はうすいがしっかりとした造りで、それでいて曲線にはどこか繊細さも感じさせる。ケリュンにはよく分からないが、見事な一品なのだろう。たぶん。
「新しい物語を集めに来たんだ。そろそろ周りも飽きてきたみたいでさ。この商売も大変なんだよ、結構。……それで、」
深い色合いの目があった。静かな湖畔のように凪いだそれからは、思惑は読めない。
「君は、なにか知らないかな」
「……」
ケリュンは少しフム、と考えるような素振りをしてしばらく間を取ったあと、ゆっくりと答えた。
「……特にないな、たぶん」
ジョアヒムはそれを聞くと、「そうか」と少し微笑んだ。そして、「それにしてもここは暑いね」などとぼやいた。
その厚着じゃ当たり前だろう、とケリュンは少し笑った。他の地域なら大丈夫だろうが、フレドラ周辺は別である。
「じゃあ俺、そろそろ行くわ。――旅慣れてるようだから大丈夫だとは思うけどさ、気をつけろよ。よそ者ってバレるとホントにすぐ絡まれるし」
履きこまれた鹿革製のブーツを見やりながら、ケリュンはそう言って肩をすくめた。
彼にも何度か経験があった。同じ国出身だというのに、よそから来たというだけでちょっかいをかけたくなる輩がいるのだ。もちろんいいこともあったが、悪いことのほうがずっと多かった。
「早く首都行ったほうがいいかもな。治安いいし、そういうの、最近はやってるらしいから」
「そういうのって?」
「そういう、歌とか物語とか」
エミネルの好きだというスノウ・グロウの名前なんかを思いだしながらケリュンは答えた。
そこらで聞いた噂では、アレヤ女王も彼のファンだとか。
「そっか。色々と親切にありがとう。あ、何か一つ歌ってみようか?」
「うーん、いや、いい。あんま歌とか知らねーし」
「そうだねぇ。今なら、駆落ちしてしまった王の話、獣を食べた生贄の女の話……そうだ、この町で流行りの魔女伝説なんてどう? これは比較的新しい物語なんだけどね。もしくは、『神の耳目』と呼ばれた占い師の話とか」
あまり人の話を聞かないタイプの人間らしい。ジョアヒムは深く考えこみながら、それでも少し楽しそうにぽんぽんお題をあげていく。
興味なさげに聞いていたケリュンだが、最後の占い師という一言にほんの少し反応した。
「占い師?」
「そう。これは最近知った話だから、まだ途中までしか作れていないんだけどね。どうやらこの町にいるらしいよ、とても凄腕の占い師が。過去も未来もあまりに当てるものだから、まるで見聞きしたように話すから、まるで神の耳か目でも持っているかのようだ。なんてすごいのだろう! と、まあこんな話だね。三つくらいエピソードを聞かせてもらったんだ。シリーズものみたいにしたらいいかな……うーん、曲にあわせるか詞に合わせるか……」
何やらぶつぶつと独り言を言いだしたジョアヒムはさておき、ケリュンはピーナのことを思いだしていた。
なんとなく、この噂の占い師とは彼女なのだろうと思った。
それにしても、目に鼻に耳とは、どうも顔の部位に関係する異名ばかりを持っている。あとは口だなと思ったが、あの口調はともかく、やけに断言する話し方は噂好きでやかましい中年の女性のようだ。
それで一つ作ってやったら面白いだろうか、とそこまで考えて、こうも大胆な異名の広がる理由が分かった気がした。
それからしばらくして、考えもまとまって満足したらしいジョアヒムは、くすりとケリュンを笑った。女みたいに静かな笑い方をするやつだ。
「にしても、占いに興味があるなんて、男にしてはロマンチックだね」
「お前に言われたくないよ」
その職業ももちろんだが、こんな劇に出るかのような格好したやつに言われたくない。白いタイツを履いている人間を、こんな町中で実際に見たのは初めてだ。しかもこんなに暑いところで。
しかしジョアヒムは堪えた様子もなく、澄ました顔をしている。
「私の語ることは全て事実だもの。ちょっと誤魔化したりはするけど」
「獣を食った女も?」
「もちろん」
自信たっぷりに言い切られて、ケリュンは呆れ顔になるしかなかった。
「信じられないだろうけれどね。て、もう行くのかい?」
「ん。ちょっと仕事で待ちあわせしてるんだ」
少し背を伸ばしながら答えた。のんびり話していたため、結構時間が経ってしまったような気がする。
それでもまだピーナの用事は終わっていないだろうが、早めに着いて待っているのが一応の礼儀だろう。
「そうか。じゃあ急いだほうがいいね」
「ああ。色々聞けておもしろかったよ。ありがとう」
「こちらこそ。それじゃ、また、縁があったら」
「――縁があったら」
少し不思議な別れの挨拶だが、なかなかいい言葉だと思う。
それにしても。
「また珍しいのに会ったなぁ」
はなれたところでケリュンが独りごちると、後ろでピン、という弦をはじくかたい音が響いたので振りむいた。
ジョアヒムが、喉の奥で笑った。
「出くわしの都、だからね」