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おかしなことに、魔物使いの男は逃げもせず、ケリュンらと出会った場所にいた。
木にもたれ座りこみ、空を仰ぐ姿はどことなく武闘派の修行僧を彷彿とさせる。
茂みをかき分けると、木立から小鳥が逃げていく。男はケリュンとエミネルが戻ってきたことに気がついても立ち上がろうとすらせず、
「そうか」
と一言だけ呟いた。そしてまるで懺悔するかのように
「ああ、」
とうめき、顔を抑えて俯いた。その手に持っていた角材が地面に落ち、むなしく鳴った。
男はしばらく嘆くようにそうしていたが、やがてうっそりとその手をどけた。涙は流れていないが、その瞳は死んだように暗かった。
ケリュンは憐れみか同情か、そのどちらともつかない気持ちでその男の様子を見つめていた。落ちた角材を拾うが、男はそれでも無反応だ。
ケリュンは思わず目を逸らした。そのまま尋ねる。
「……お前が、傭兵を殺したのか」
「……ああ」
男は項垂れたまま答えた。それきり何も語ろうとはしない。
ケリュンは溜息をつくと、シャベルを包んでいたヒモで男の両腕を縛り上げた。
その際はじめて、男の右腕の手首に桃色のミサンガがまかれているのを知った。
……なんというか、似合わない趣味だ。
「エミネル、村から誰か呼びたいんだけど……なんかないか?」
「わ、分かりました、合図してみます」
そう言うとエミネルは少し離れたところへ移動し、詠唱をはじめた。空へ火の魔法でも打ちあげるのだろうか。
エミネルが男の事情を気にしているのには気付いていた。ケリュンだって気になるが、そこまで調べるのは彼の役目でも、彼女の役目でもない。そして、その権利もない。
男は俯いたまま、逃げる素振りすらみせなかった。ケリュンはそれを好都合と、彼を視界から外しつづけた。惨めで惨めで、しかたなかった。
「傭兵を殺したのは、野生の魔物じゃなかったんだ」
今までのことを適当に話し、男を村に引きわたすと、みな大層喜び、感謝してくれた。約束通り宿代や食事代を無料にしてくれると言うが、ケリュンは初めほどは喜べなかった。
エミネルはいつの間にかいない。ああ見えてちゃっかりしたところのある娘だ、騒ぎに乗じてこっそりと村図書館へ戻ったのだろう。
村人に話しを聞くと、「男はもちろん私刑にかけたりせず、しかるべき所へ引きわたす」らしい。
ケリュンは安心したが、これはもしや周囲への「安全になったよ、きちんと法に従っているよ」というアピールも兼ねているのだろうかとも同時に思った。だとしたら、こちらもちゃっかりしたことだ。
翌朝ケリュンが美味しい朝食(お腹にやさしい山菜粥だった)をいただきながら、例の魔物使いの男について尋ねると、「今朝方、首都からやってきたマルテ王国軍の正規兵に連れて行かれた」という。
結局、傭兵を殺した理由を何一つ語らなかった、名前もしらないあの男。
……もう、会うことはないだろう。
ケリュンは苦くすっきりしない気持ちを抱いたまま、リード村を出ることにした。フレドラに依頼を済ませに行かなければならないのだ、これ以上ゆっくりもしていられない。
礼に、と持たされた食糧のせいで、肩にかけた鞄は来たときよりも重たくなっていた。
外にでると、なぜか入口付近の壁にエミネルがもたれかかっていた。こちらに気付くとあわてて体を起こし、何やらもごもごと口ごもっている。
「エミネル。どうしたんだ?」
「あの、もう出発するんでしょう? だから、お見送りをさせていただこうかと思いまして……。その、色々迷惑かけてすいませんでした。あと……本当に、ありがとうございました」
ぺこりと頭をさげるエミネルに、ケリュンは慌てた。
一村民に過ぎない彼だから、ここまで丁寧なことをされたのは初めてだった。感謝される際にされたことといえば、頭を撫でられるとか、背中を叩かれるとか、その程度である。
ケリュンは挙動不審だと思われるほどわたわたしながら、エミネルに頭を上げさせた。
「いや、礼を言うのはこっちだ。エミネルにはほんと世話になったし。うん、何度も助かったよ、ありがとう。じゃ、また――と言っても、帰りにもここに来るつもりだからなぁ……」
いまいちビシッと格好がつかない。
照れたように頭をかくケリュンをくすくす笑って見つめていたエミネルだが、そこでふと何やら小さな小箱を取り出した。
「あの、これ……」
「え?」
照れたようにはにかんでいるが、有無を言わさぬ雰囲気でエミネルはそれをケリュンの手に押し付けた。
「開けてみてください」
中には、ケリュンが愛用しているものとは違うが、臭い消しの液体入りのおしゃれな瓶が入っていた。
「昨日、使い切っちゃいましたよね? よかったら貰ってください。えーっと、その……お礼です」
昨日。オーロラ・ウルフに追われていたときのことだ。
あの魔物が、何を元にケリュンらをつけてきていたのかは分からなかった。しかし上から観察していたところ、どうやら鼻をかるく動かし、臭いを嗅いでいるようである。
そのため、まさかなぁ、と思いながらも、あまっていた臭い消しを断腸の思いで地面にまいてみたのだ。
すると見事当たりだったらしく、オーロラ・ウルフはその場でうろたえるように足を止めてくれたのだった。
魔物使いの魔物だったからなのか、あの魔物の特性なのかは分からないが、まさか臭い消しをたどって来るとは思わなかった。
「――ありがとう。もらっとくよ」
リード村を出たケリュンはしばらく進んだあと、もらった小瓶を鞄から出した。
繊細そうな見た目なので、道中割れてしまわないか心配したが、入っていた小箱にしまっておけば大丈夫だとエミネルは言っていた。
「……それにしてもこれ、俺にはちょっとその、かわいすぎないかな」
まるで香水瓶のようにも見えるガラスのそれを、ケリュンは照れくさげに眺める。
中の液体が光を反射し、おおきく揺れた。
ケリュンは、臭い消し(魔)をうけとった▽




