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マルテ王国史  作者: ばち公
一章:配達人(パシリ)時代
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 ケリュンに準備が必要だったため、二人は一度別れることになった。そして翌朝早く、食堂前で合流した。

 エミネルはケリュンに置いていかれるのではないかと心配していたが、彼は約束の時間よりすこし早くに――欠伸をかみ殺しつつだが――現れた。

 律儀な人だとエミネルは単純に嬉しく思ったが、ケリュンからしてみれば、彼女に森へ単身突撃されるよりは、こちらのほうがずっとマシだったのである。


「よし、行くか。森じゃ、俺のちょっと後ろを歩いてくれるか?」

「は、はい!」


 エミネルは気合をいれ、赤い三角帽子を被り直した。

 とにかく若干の擦れ違いはあったものの、二人は森に足を踏み入れた。




 ケリュンに言われた通り、何も持ってこなかったエミネルとは対照的に、当のケリュンはなかなかの重装備であった。

 持ち物はまず、特製の短弓である。木だけでなく動物の腱も使われているそれはよく飛ぶだけでなく、持ち主であるケリュンの手にもよく馴染んでいる。

 それから腰にかけた矢筒。はじめは背負っていたのだが、森に入る際わざわざ持ち直したのだった。「こっちのほうが動き辛いんだよなあ」とぼやいていたが、それならば何故移したのか。エミネルにはさっぱり分からなかった。

 また、彼は肩から鞄をかけていたのだが、それはエミネルが無理を言って持たせてもらった。

 そこまでは、いいのだが。

 エミネルはちらりと、斜め前にいるケリュンをうかがう。その表情は、あるものに隠されて全く見えなかった。

 そう、なにより目立つ荷物がもう一つ。彼は、薄汚れた長布にくるまれ、それをさらにヒモで縛った()()を右肩に抱えていたのである。その高さはエミネルの目線ほど、そしてシルエットは細身である。

 エミネルの困惑した視線にも気づかず、ケリュンは歩きながら何か考え込んでいる。それでよく躓かず歩けるものだと、先ほどから何度かこけそうになっているエミネルは感心した。森は明るく見通しはいいが、木の根や、落ち葉など、とにかく歩きにくいのだ。

 コツでもあるのだろうか……。


「この森に入る人って、今はどれくらいいるんだ?」

「え、えっと、確か……今、森のほとんどは立ち入り禁止のはずです。守ってない人もいるらしいんですけど、でも、さすがにここまでは」


 たどたどしい説明だが「よしよし」と満足げに頷くと、ケリュンは担いでいる物体を軽くたたいた。そこでふと、エミネルは思った。


――もしかしてこれは、ケリュンさんの秘密兵器だろうか。


 その想像は彼女を夢中にさせた。エミネルは瞳をきらきら輝かせて、布にくるまれた物体を見つめる。

 こうなると、訳の分からない何かも、急に頼もしく思えてくるから不思議だ。少し古めかしい布やヒモも、聖遺物をつつむ尊いもののよう。中身は先端辺りが若干膨らんでおり、大剣にみえなくもない。――彼はすでに武器として、弓を持っているけれど。

 とにかく、俄然意気込んで足を踏みだした瞬間、エミネルはまた木の根につんのめった。が、かろうじて踏みとどまる。

 ほっと安堵する彼女を見てケリュンは、(こんななのに、どうして一度も転ばないのだろう)と不思議に思った。




 リード村の傭兵が殺されていた場所、いわゆる現場にたどり着いた。開けた場所で、赤色の布が木に巻いてあるのが、村人にきいた目印だ。

 死体も血もすでに残っていないため、いまいち実感はわかないが。とにかく、現場はなかなか森の奥にあった。なぜ彼は、こんなところまで来ていたのだろう。


 エミネルは眼鏡がずり落ちてきているのにも気づかず、ぐるぐると考えはじめた。よく考えれば、この事件は奇妙な点が多すぎる。

 突如あらわれた大型の魔物。爪と牙と長い毛を持つが、肉食ではないらしい。

――ならばなぜ傭兵を襲ったのだろう。

 彼の死体の状況を聞くに、嬲り殺しだったという。現場に魔物の血は残されていない。一方的な殺戮だ。

――それほど強力な魔物が、なぜ、こんな何もない辺鄙な場所にあらわれたのか。また、なぜ今まで誰もその存在に気付かなかったのか。

 森の生態系に、異変が起きていてもおかしくない。傭兵が殺されたちょうどその数日前に来たとでもいうのか。あまりにもタイミングがよすぎる。

――そして、死んだ傭兵は、なぜこんな森の奥にいたのか。


「エミネル?」

「え?」


 怪訝そうな声にふと顔をあげると、なぜか視界がぼやけている。慌てて、いつの間にか鼻の下あたりにまで落ちていた眼鏡をかけなおした。

 自分を見つめているケリュンは、眉間に皺を寄せていた。


「疲れたのか?」

「い、いえ、あの、その……」

「朝から歩かせ過ぎたな。ちょっと休むか」


 ケリュンは自分でそう言ってから、人が死んだ付近でそんなことを提案するのはどうかと思った。しかし思っただけだ。どうするか決めるのは、エミネル自身だ。そんなこと思い浮かばないほど疲れているなら、休憩を選ぶだろうし――。

 そんなことを考えつつ、ずっと担いできていたものを地面に立てた。ほどくため、ヒモに手をかけ、そして振り返った。


「で、どうする?」

「準備オッケーです!」

「おー……えっ、何の?」


 意気揚揚とケリュンのそばを陣取っているエミネルの耳には、すでに彼の声は届かなかった。布の中の物体の正体に釘付けである。もしケリュンの声が聞こえていたら「心の、ですよ!」と返していたかもしれない。


――気持ちの上下が激しいというか、なんというか……マイペースな子だなあ……。


 そんな印象を、不思議と集中しているエミネルに抱きつつ。

 とにかくケリュンがもったいぶることもなく布を取ると、そこにあらわれたのは――何の変哲もない、どこにでもあるような、木製のシャベルだった。新品ですらない、使い古されたものだ。

 エミネルの表情ににじむ困惑と失望には気付かず、ケリュンは彼女に説明をした。


「木製だけどほら、魔物が鼻の利くやつだと困るからさ。ま、見てなって――っと」


 「その前に、」と呟きながら、ケリュンはエミネルの持っていた鞄から、獣の革でできた袋を取り出した。豆のように曲がった形をしており、肩掛けのヒモと、木製の栓がついている。革製の水筒のように見えるが、その割にはやけに小さい。

 ケリュンはおもむろに、そこから自分の掌へと透明な液体を垂らした。どう見てもごく普通の水だった。なぜ手にのせたのだろう。飲まないのだろうか。

 不思議に思ったエミネルが控えめにのぞきこむと、ケリュンはその液体をおもむろに彼女の頭上にまいた。


「ひっ」


 エミネルは三角帽子を押さえ、体をすくませた。だがすぐに、自分の頭や肩に散っている魔力の気配に、目を瞬かせた。


「これは――」


 見れば、ケリュンは悪戯っぽく笑っていた。


「魔力の籠った臭い消しだよ。魔力が生物の嗅覚に作用するんだ。ただ……高いんだよな、これ」


 そして、自分の体にも臭い消しだという液体をつけだした。からかわれたのだと気付いたエミネルがむっとして睨むが、どこ吹く風。そのままシャベルや荷物にも、液体を一握りずつ振りまいていった。

 鉄の臭いも人の臭いも、動物は案外嗅ぎ付けるものだ。魔物も然り。

 ケリュンがエミネルに余計な荷物を持ってくるなと言った理由は、これであった。


「ん、こんなもんか」

「何するんですか?」

「落とし穴を掘るんだ。罠だよ、罠」


 なるほど、先ほどの人が来るのか、の質問にも納得がいく。

 彼の秘密兵器がただのシャベルだったのは残念だが、狩人(実際には本職ではないが、エミネルはすっかりそう思い込んでいた)の罠というのは、それはそれで興味深い。実物を見る機会なんてそうそうないだろう。

 また少し元気になったエミネルにケリュンは内心首を傾げたが、深く気にせずシャベルを担いだ。大きいが、鉄でない分軽かった。


「たぶんこの辺に、大型の動物が通った獣道があるはずだ。そこからたどって――」


 そこで唐突に言葉が切れた。エミネルが疑問を口にする前に、ケリュンはシャベルを地面に投げおき、矢を一本、矢筒からぬいた。

 息を飲む。


「さがって!」


 ケリュンからはじめて聞いた鋭い言葉。エミネルは緊急に体が強ばるのを感じた。もちろん彼への恐怖ではない。

 森の茂みの木々の向こう。そこにいる何かの視線を、エミネルもまた感じていた。

 彼女の背筋に、明るい昼間の森には似つかわしくない冷や汗がつたった。

*現在日本では、落とし穴による狩猟は、狩猟法により禁止されております。

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