おまけのおまけ:後日談の後日談 吟遊詩人は語らない
イレーヤとケリュンの愛娘ミレーが、この世を去った後の話である。
ミレーのもと、マルテ王国は最盛期を迎えた。彼女は成人するとともに女王の座につき、国内の貴族を婿にとった。
ミレーには息子が二人生まれた。名前はどちらもマルテである。ミレーは二人のために、国内外問わず優秀な教師を呼び寄せた。王族として必要な――あるいは必要以上の――知識や教養を、幼い彼らに徹底的に詰め込ませた。ミレーは、彼女自身がかつて学びたかった全てを息子達に与えたのだった。
結果、どちらもあまり人として褒められない成長のし方をした。
幼い頃から母ミレーと比較され、ミレー自身からも非難されていた二人が、世間にひねくれながら育ったのも当然のことだった。そして母であるミレーは、それを二人の素養の結果であり、二人の怠慢と判断した。
長男の大マルテはミレー曰く「強かさの欠片もない」「人並みの決断力も与えれなかった」「酒以外に相手にされず酒飲みになった」男で、次男の小マルテはミレー曰く「なぜそうも驕慢になれるのか分からない程度の知能」「鏡というものを知らない」「無駄な自尊心を誇る」男であった。
ミレーの死後、後継を争って長男と次男による内乱が起こった。王族院も貴族院も騎士院も、どの勢力も二つに割れた。ミレーは生前、跡継ぎを決めていたと噂されるが、その遺書は見つからなかった。
内乱の結果、城に残っていた長男は暗殺され、次男が新たな国王となった。第六代目君主、マルテ四世である。
戦後、王国内――特にアルクレシャ周辺は荒れ果てていた。首都を囲む城壁は崩されなかったものの、かつてその美しさを誇った白亜の王城は崩れ、戦火の煤で見る影もなかった。
「ま、別にいいよな! 『闇の神様』なんて嘘クセー存在ももういねぇことだし!」
「なんです、その神様って」
「母さんの好きな昔話さ。へっ。どうせ暗殺って言葉が陰気クセーから、カミサマなんて言って誤魔化してただけだって! 昔の人間は理性が足りないんだよな、理性が!」
「じゃあ先に病院とか直していいですか?」
「城じゃなければなんでもいい、任せる。全部任せる」
「全部!?」
六代目君主は傲慢で気まぐれな王だった。
しかし、仕事を他人に任せる度量はあった。気に入りさえすれば、無能でもろくでもなしであっても贔屓し、汚職役人を蔓延らせる元凶ともなったが、優秀な人間は彼のもとで自由に仕事をした。
「俺、王にはなりたかったが、政治とか経済とか面倒くさいんだよな。ははは、母さんはそんなもんだけが好きだったらしいけどなー!」
「会話にひねくれた親子関係持ち出さないで下さいよ。返答しにくいじゃないですか」
「レーン家の人間ってズバズバ物言わないと死ぬのか? そんなんだから兄さんに嫌われてたんだぞ」
精神的に軟弱なところのある長男の大マルテは、厳しい人間を嫌っていた。特に熱心に王家に仕えてきた、レーン家の者であっても例外ではなかった。
「……お、そうだ、神殿とか建てようぜ! 俺を中心に王族とか祀ったやつ!」
「なんです、いきなり」
「貯め込んだ金バンバン使って、俺を称える神殿を作るんだよ!」
「好きにしたらいいんじゃないですか。あ、俺は無理ですよ。忙しいので」
「あっそ。じゃあ誰か別のヤツに頼むか」
マルテ四世は、最近気に入りのザザという男に仕事を任せることにした。以前賭博場で知り合った男だった。
「企画は俺がなんとなく考えるから、お前はそれを完璧に仕上げるんだぞ」
「へへへ、お任せを。……あ、そうだ王、紹介したい女性がいるんですよ。美しさはもちろん、非常に聡明な女性でして」
「お前処刑」
「!?」
「老脈男女問わず賢人を俺に紹介した人間は殺すと決めている」
「いつから!?」
「今」
マルテ四世は知識人を憎んでいたわけではないが、それを自分に擦り寄らせようとする人間は心底嫌っていた。マルテ四世のこの癖だけは、周囲の誰にも理解されなかった。
ザザは見せしめとして処刑され、この一件でマルテ四世に逆らう者はいなくなった。
「代わりに誰かいねえかな。なあレーン、誰かいない?」
「俺はそもそも知り合い自体が少ないので……」
「確かになー」
つまり、その貴重な数少ない知り合いを紹介するわけがないだろ? という意味を言外に含んでいたのだが、幸運なことに、マルテ四世はそこまで読み取れなかった。
「王、そのお仕事、私にお任せ下さいませんか?」
「はー? ま、誰でもいいわ。さっさとしろよ? 俺は暇だが待つのは嫌いなんだ。王だから」
「ありがたき幸せ」
「そういやお前誰だっけ」
「内乱以前から従ってくれてますよ、彼女」
「知らね」
「いえ。名乗らず不躾でした。申し訳ありません。私の名は――」
女は、美しい顔で品良く――まるで貴族がするように微笑んだ。美しい金色の髪は男のように短く、その目は澄んだ緑色をしていた。演劇にでも出ていそうだ、とマルテ四世は思った。
「クレア、と申します」
「王、今お時間よろしいでしょうか?」
「神殿か!?」
マルテ四世が今最も――というより、それ以外に興味を持つものがあまりない――執心なのが、自分を主とした神殿の建設にあった。
「王の理想そのままに建設するためには、どうにも資金が足りません。せめて王の石像への装飾を減らせば――」
「はいはい。金なら出すから早く完成させろ」
「仰せのままに」
クレアは王の言うとおりに、絢爛な神殿の建設を進める。同時に、ようやっと城の改築工事も始まった。城に関しては以前通りに修復するよう指示がなされていた。
「おいクレア! まだ出来んのか、俺の神殿は!」
「申し訳ございません。どうしても人手が足りず……」
「言い訳するな、早くしろ。人なんてそこら辺から雇えばいいだろ」
「……では、私の知人に声をかけましょう」
クレアの知人は、素性の知れない者ばかりであったが、マルテ四世がそんなことを知る由もない。
マルテ四世にとっては全てが順調であった。戦後いきなり神殿の建設に駆り出される国民の声も、彼には届かない。
「王。像に直接、名前を彫り込むという指示ですが。名がマルテばかりで、判別が付きにくくなるという意見が……」
「見た目を変えるんだから別にいいだろ! 俺だけ目立たせればそれでいいんだ! まったく、男が皆マルテなんて芸のないことするからこうなる……」
ぶつぶつと文句を言うマルテ四世に、クレアが珍しく疑問を尋ねた。
「王はその慣習を嫌ってらっしゃると?」
「当たり前だろ。先祖がアホだと子孫が迷惑するんだよな」
「私の家は、母も、祖母もクレアでした。しかし私は、それを誇りに思っております。私は名とともに、彼女達の思いも引き継いだのですから」
マルテ四世は突然自分のことを語り始めたクレアを、胡乱げな表情で見つめた。
「なんか急に語ってくるな、お前……。頭でも打ったのか?」
「まさか。私は、王よ、貴方様が――とても、先進的だと言いたかったのです。私などとは違って」
「当たり前だろ、雑魚庶民。俺は王だぞ、違うに決まっている」
言いながらマルテ四世は、(なんかこいつ気持ち悪いからあんまり近づかないでおこ……)と思った。
傲慢で気まぐれな王に、こんなことを言い出す人間は、絶対にどこかおかしいに決まっているのだから。
気が引けたように去っていくマルテ四世の背中を見送って、クレアは一人微笑んだ。
「王よ。貴方は善き王でもなかったし、浅慮で傲慢でしたが、最悪の暴君ではなかった。…………さようなら」
その夜、マルテ四世はぐうぐう寝こけていたところを叩き起こされた。悲鳴をあげたが、自身を起こしにきたレーンの真剣な表情に口を噤んだ。
「反乱です。逃げてください。俺も逃げます。じゃ!」
「待て、おい、説明しろ。何があったんだよ、一緒に逃げろよ!」
「城は囲まれています。相手は不明。盗賊団ですかね? で、俺はレーン家の義理として、王たる貴方を起こしにきました。しかし命を張って守るのは無理です。じゃ!」
マルテ四世の手は振り払われた。
彼の逃げ足は異様に速かった。マルテ四世はその背中を追ったが、あっという間に見えなくなってしまった。
マルテ四世を守りにくる兵はいなかった。死んだのか、逃げたのか、それともただ守りに来ないだけなのか。罵声も悲鳴も、はるか遠くから聞こえてくるようだった。しかしそれらもすぐ、王の首を狙って表れることだろう。
独り取り残されたマルテ四世には、最早立ち上がる力もなかった。彼は未だ修復途中の回廊に蹲ることしかできなかった。
「見ていますか? おばあさま。……悲願達成の時がきました。捨て置かれた脇役の、復讐劇の終幕ですね。私は、くだらないと思いますが」
クレアは燃え盛るマルテ王城を眺めている。修復途中の壁に、焔の陰影が踊っている。
かつて優美を誇ったと伝え聞く白亜の王城。崩れて見る影もなかったが、夜闇のなか橙と赤に照らされ焼ける様は、思いの外に悪くない。
「クレア様、王城が陥落しました。城下でも暴動などは起きておりません」
「民は、完全に王族を見限ったのですね。他愛ない……」
「尊敬の念はあるでしょうが、命を張って守るほどの価値はなくなった、ということでしょうか」
クレアが何も答えずにいると、兵は一礼して足早に去っていった。
これが、死に際まで祖母が希っていた景色。娘に、孫に、名を託し、使命を課してまで追い求めていた場所。彼女が、かつて切望した夢。あるいは過去の幻――……
(みすぼらしい……)
祖母クレア――かつてこの国の第二王女だったクレアは、全てに――あるいは自身の妄想に裏切られ、失意のもとこの城を去った。そして『霧の道』を利用して、無事に一人で逃げおおせた。
それから彼女は何を思ったのか、再びこの場所に戻ってくることを決意した。幸か不幸か彼女には、それを成し遂げる才があった。人々を惹きつけ、従わせ、そのことに納得させる才である。
人材はいくらでも集められた。王族に不満のある貴族。ミレーの手腕で回復した景気の恩恵に与れなかった貧民。裏社会に潜む盗賊たち。国の軍組織である騎士院内部には、ルダ・ロッカの変以降も現行の体制に不満を抱く者が多くいた。
祖母クレアは反乱軍の主というよりも、宗教組織の神のようだった。
しかし、どれほど人を集め、力を蓄えることができても、時代の流れまでは操れなかった。彼女自身の代ではそれは成し遂げられず、娘の代でも成し遂げられず。孫の代で、やっとその時が訪れたのだった。子孫をも巻き込んだ、彼女の執念の結果だった。
――本当はもっと、この国を引っ掻き回すことになると、クレアは覚悟していた。長男と次男の間で後継者争いを起こさせ、長引かせ、両者ともに疲弊させてやろうと思った。
しかし、クレアが手をかけるまでもなくミレーの遺書は紛失。長男と次男は争い始め、三院もあっさり真っ二つに割れて争い始めた。
長男派と次男派の勢力に自分含め配下を忍ばせていたが、あまり大きな活用はされることもなく(もちろんするときはしたが)、物事は進んでいった。
時の流れがきているのだと、クレアが時代に選ばれたのだと、配下は大喜びしていたが、クレア自身は複雑な気持ちだった。
なぜならクレアは当初、この地にいい印象を抱いていなかったためだ。祖母から呪いのように伝え聞かせられていた麗しの都、城、王座――見る影もない様に失望し、落胆した。理想への落胆は、やがてそれを与えた人物への失望に変わった。
遅々として修復の進まなかった壁、くすんで朽ちた白亜の城壁。住人は下卑た王とその家臣。夜間は外出のできぬほど治安の悪化した城下。
罪なき子孫に使命を課すほどの価値が、この地にあるのだろうか? この国の王になることを……この景色を得ることを、祖母は望んでいたのだろうか?
(……『先祖がアホだと子孫が苦労する』、か)
あの王にしてはいいことを言った。クレアはあのとき、本当は彼に同調して腹を抱えて笑いたかったのだ。
まあ、未だ母親への思慕を断ち切れない男と、笑い合うことなどできるはずもないが……。
(私はこの国の王になる。あの王に勝ったためだ)
正統性はある。血統を主張すればよい。力もある。仲間もいる。政治については、誰がやろうとも前の王よりはマシだろう。
クレアはたまに、王にもなれずこの地にも帰って来られなかった祖母クレアのことを思う。
美貌、地位、才覚――全てを持つ彼女を不幸にしたは何か?
愛した(と言ってもよいものか?)男ケリュン、或るいは愛していた(見下していた)姉姫イレーヤ。
或るいは見いだされなかった才能か、寧ろそれを導いた立場か。
つまりは薄幸、その運命――
「くだらない……」
クレアが吐き捨てた瞬間、遠くで一際大きな歓声があがった。指示する必要もなく、やがて王の首が運ばれてくるだろう。クレアは生贄を待つ神のように、ただそれを待っているだけでよい。
運命、宿命、使命。そういった類のくだらない何かが、クレアをここまで導いた――今は、その流れとやらに従おう。今までどおりに。
しかしこれからは違う。自分自身の手で、自らの人生を動かしていく。運命に狂わされただけの祖母とも、祖母の使命に従うだけであった母とも違う。
クレアは王になる。王として、新たな道を歩んでいける。都も城も、住人らがなくした忠誠心さえも、理想を忘れるほど完璧に作り直してやろう。
祖母の、かつての第二王女クレアの物語は捏造するしかない。孫であるクレアがここまで至った始まりは、祖母の逆恨みのような怨恨である。そんなこと、伝え聞かせられるはずもない。そのため、第二王女クレアの本当の物語は、永久に誰にも知られない。
行方知れずの王女のことを、吟遊詩人は語らない。
彼らが語るのは、新たな国の新たな王――クレアのための物語だけである。
(ちゃんとした後書きは2020年6月14日の活動報告にあります)
初めて書いた小説。
ブクマの喜びも、評価ポイントがつく喜びも、この作品で初めて知ったんだなーと思うと感慨深いです。
8年弱連載していたことを考えると、読んで下さった方ありがとう……という感謝の気持ちしか浮かびません。ありがとうございました!




