おまけ:後日談 吟遊詩人は語る
ケリュンとイレーヤの愛娘ミレーが、まだ若いながらにその才の片鱗を見せるようになったころ。
マルテ王国第五代君主イレーヤは、原因不明の病の床に臥せっていた。
ケリュンは今日も朝から妻の看病をしている。最近では、妻の傍にいない時間の方が少ない。夜も床に布を敷いて寝泊まりしている(最近それがバレてケリュン用のベッドが置かれるようになった)。医者達から「ちょっと邪魔なので下がっててください」と言われるくらい、この空間に馴染んでいた(あとでイレーヤとミレーに、こっちが恥ずかしいからと怒られた)。
近頃はケリュンよりも遥かに、娘のミレーの方が忙しい。彼女は母の死という恐怖を誤魔化すため、がむしゃらに仕事に打ち込んでいる。鬼気迫るほど働き、毎日少しの休憩時間に、イレーヤの見舞いにくる。ケリュンと一緒のときもあるが、いつもケリュンより先に帰っていく。親としては娘の体調が心配になるが、優秀な彼女は、睡眠も食事も軽視せず、ケリュンよりもずっと規則正しい生活を送っている。正直尊敬する。
「きっとこの国にとっては、私よりもずっと頼りになる子ね」
「……俺よりもずっと、では?」
「もう……」
しばらくの雑談――といっても、喋るのはほとんどケリュンで、イレーヤは相槌を打てたら打つ程度だ――のあと。
「ケリュン」
イレーヤに静かに名を呼ばれ、ケリュンは居住まいを正した。熱ににじんだ涙で、イレーヤの瞳の緑色がゆらゆら揺れていた。ケリュンは口を噤んだまま、彼女の言葉の続きを大人しく待つ。
柔らかな陽の光が差す部屋に、静寂が満ちた。
「あなた。話さなければならないことがあります」
「はい」
「――この王国の神話を、おぼえているでしょう?」
改まって、敬語で丁寧に話すのに、焦点の定まらない瞳が悲しい。
しかし、「さすがにもうそこまで無知じゃありませんよ」といつものようにケリュンは笑う。
イレーヤもそれに合わせて微笑もうと、わずかに口角をあげた。色の悪い唇が震えた。
「――昔、炎に燃えさかる平原が、毒をふきだす森が、この呪われた大地にありました。
聖マルテが神力で統べ、ここに王国を建てられました。そして私たち王族は、彼の子孫」
もちろん事実は違う。聖マルテは魔術師であり、王族は彼の義妹マリーダの子孫である。
建国直後の混乱を避けるため、いくつもの策を重ねて聖マルテの子孫を名乗っていただけた。
それを知ったのも、それによる危機を乗り越えたのも、すでに過去の話である。しかし、決して忘れ得ない過去でもある。残された人々に、忘れ得ない傷を残した事件であった。
ただでさえ茫洋としていたイレーヤの目に、過去の色がよぎる。脳裏に浮かぶ絵を懐かしむように、イレーヤはその目を閉じた。
「たくさんの秘密があって。たくさんのことを話して。あなたはそれを、受け容れて――でも、まだ一つだけ、あなたに話さなければならないことが、残っています」
「まだ、その恐ろしい呪いは、消えていないのです」
かつてあった七つの呪い――
「炎」燃え盛る平原。常に形を変える「大地」。山を食い荒らす「竜巻」。自由に暴れ進む「川」。毒をふきだす「森」。「光」溢れかえる谷底。「暗闇」に閉ざされた丘。
それら魔の蔓延っていた場。そこを、より強い力で抑えこむために造られたのが、それぞれの都市である。
平原にはアクドラ、属性は水。荒地にはアージェル、属性は土。竜巻にはトネーデン、属性は風。川にはファルチェ、属性は木。森にはフレドラ、属性は火。谷底にはアルコ・ダルクスの谷の神殿、属性は闇。そして最後、「暗闇」に閉ざされた丘には、ここ、アルクレシャ。その属性は光。
その影響からフレドラ周辺は不思議と気温が高く、アルコ・ダルクスの谷は一寸先すら見えない暗闇に閉ざされている。
「……驚きましたか?」
「そうですね、少し。今日は、いつもよりたくさん話してくださるんですね」
「……あなたは、いつもそうですね。いつも、いつも変わらない……」
「そうでしょうか、……いえ、そうかもしれませんね」
王国には、三段階の魔法陣が敷かれている。
まずは、その土地に敷かれた建物に。建築物の構造それ自体が陣を構成している。造り替えることが禁止されているのも、城持ちの貴族が王族と親密であるのもその重要性故である。
次に、その城周りの街に。アルクレシャなら城壁と『霧の道』が、フレドラなら複雑な通りが、陣の役割を果たしている。都市のないアルコ・ダルクスの谷にだけは何もないが、それ以外の都市はどれも城持ちの貴族によって維持、監視がされている。
最後に、以上七属性の都市同士を繋げると、歪ながらも簡単な陣が一つできあがるようになっている。それを"魔の森"と、海――というよりも、海岸沿いに埋め込まれた緑の柱――が囲んでいる。単純だがこの規模だ。強力で、壊される確率が最も低い。
「これが最後の、私たちの秘密です……」
ケリュン。弱弱しい声がよぶ。
「私は死にます」
「寂しくも、恐ろしくもあるけれど、それでも私は、受けいれることができるのに」
「ただ、申しわけなくて……」
力の無い声がふるえる。イレーヤは、緩慢に持ちあげた腕でその目をおおっていた。
アルクレシャのしたには、闇の神さまがねむっておられます。
神さまはたいそうお強い神さまです。
たまにお目めをさまされますと、白い光のおしろへ、そっとお手てをのばされます。
白くかがやいているものの中の、さらにかがやいているものへと。
それにほんの少しふれられて、光りをわずかに暗くして、そしてまんぞくなされると、また深いねむりにつかれます。
この『闇の神さま』は、その呪いは、アルクレシャの下――王城の下で、依然生きているのである。
「神さまは気まぐれに手を伸ばして、誰か――いえ、王族だけを少し暗くして、眠って、また目を覚ます。……マルテ三世が、ロッカの父が死んだのは、それが原因の可能性もあります。今では、誰にも分かりませんか」
ロッカはこのことを知らなかった。当然だ、全てに絡んでこの件は、秘密ばかりのこの城の最たる秘密であった。
クレアですら、この物語が現実のものであることを知らなかっただろう。アレヤがそれを教えなかったためだ。必要になれば伝えるつもりだったのだろう。
突然死、謎の死を遂げる王族たちは、皆、名も知らぬ『闇の神さま』に触れられてしまった者だ。少し体が弱まるだけの者もいれば、そのまま亡くなってしまう者もいた。少し体調を崩しただけの者は、運が悪ければ死ぬまで『闇の神さま』の餌食であるが、運が良ければ生き延びて別の死因で亡くなることもある。神は、目覚めすらも気まぐれであるためだ。数年に一度か、数十年に一度か、それすらも人間では分からない。
「『闇の神さま』は、今まで二度、私の命を奪っていった。私、それが全部分かっていた。なぜかは分からない。ただ知っていた。私も、母も、それを、知っていた――」
そのため、自分はいずれ近いうちに死ぬのだと、イレーヤは幼い頃から思っていた。女王はそれを哀れみ、嘆き悲しんだ。自分が身代わりになる方法を探しているようだったが、イレーヤはそれを止めた。家族のなかで、自分が最も無価値な人間であると思っていたし、そんな方法は無いと、なぜか分かっていためだ。アレヤがその後諦めたのか、それとも新たな手段を探していたのかは分からない。そもそも会話自体が減っていったためだった。
城を出ればよいのかと思ったこともあるが、しかし、逃げることは許されないだろう。それが王族に生まれた者の責務である。それに、相手は人知を超えた存在だ、どのような影響がこの国にあるか分からない。逃げようとした瞬間、殺されることもあるかもしれない。それなら、まだ生きていられる可能性のある城にい続けた方が賢明だろう。
アレヤはイレーヤを哀れんで、いつもイレーヤの好きにさせてくれた。社交や勉強などの面倒事全てから、イレーヤは距離を置くことができていた。
部屋に籠もって、いつか死ぬかもしれない、とぼんやり考えていた。そうなると、現実の何もかもが無意味に見えた。ただ辛いことなく平穏に暮らし、そのまま亡くなることが一番マシな結末に思えた。
イレーヤが、未だ行方知れずの妹、クレアが死んでいるだろうという現実を、なかなか受け容れられなかったのは、そのためだ。妹が自分より先に亡くなるなんて――当然ありえることなのに――ありえないと思ってしまったのだった。
「私は、いいんです。覚悟はできていますから」
幼い頃から覚悟していたため、イレーヤは、自分が死ぬことは受け容れている。しかし……
「次の番はだれでしょう。ミレーかもしれない。ミレーの子どもかもしれない」
「私が持っていけたらいいのに。ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ」
「あの子たちが吸われる分、すべて私にまわってきたらいいのに。一回でいいから、代わってあげられたらいいのに」
「もうすこしご飯を食べればよかったのかしら。動けばよかったのかしら」
もっと健康だったら――。
そうしたら次の一回を、この身で受けることができたかもしれないのに。
そう言って、イレーヤは泣いた。ケリュンは彼女が落ち着き次第、その涙を拭えるようじっと待機しながら、彼女の悲しみの深さを考えていた。病床の彼女の胸を覆う嘆きと後悔を考えると、あまりにも深く、ケリュンは胸が張り裂けそうな気分になった。
――そう。ただ、イレーヤが悲しむのが嫌だった。彼女は安らかに亡くなるべきだ。自分の神様、妻、あらゆるものよりも愛おしい人。『貴方自身を大切にしなさい』と、俺に言ってくれた美しい人。俺に祝福をくれた人――。
だからケリュンは、神を殺すことにした。
「よお」
久しぶりに両親の墓参りに行ったあと、すらりと伸びた手をひょいと上げ、現れたのはアグリッピッピーナだった。背の高い、美しい女性に成長したが、にっと歯を見せて笑う不敵さに変わりはない。
「神を殺しにいくのか、『竜殺し』。いや、今は『初代聖騎士』だったか」
「手伝いはいらないよ」
そうかい、とピーナは鼻で笑う。誰にも何も漏らしていないのに、何処でどんな噂を聞いて現れたのか――いや、彼女のことだから占いでもしたのかもしれないが。
「別れの挨拶にでも来てくれたのか?」
「そんなところだ。――そうだ、最後に土産話でもしてやろう。私の正体に関してさ」
どうだ? と首を傾げるピーナに、ケリュンは少し黙った。
脳内に浮かぶのは、いたってシンプルな選択肢。
『聞く OR 聞かない』
ケリュンはしばらく黙っていたが、それでも思ったより決断は早かった。ニッと歯をみせ、子どもみたいに笑って言った。
「帰ってきたら聞くよ」
ピーナは去っていくケリュンの背中を見送りながら、金色の目を細めた。最後のケリュンの笑顔を思い出していた。彼女にとってそれは、昔見た笑顔だった。ずいぶん久しぶりに見た、子どもじみた笑顔だった。イレーヤと結ばれてから何があったのか、ケリュンはずいぶん穏やかになり、落ち着いた、安定感のある大人になっていたから。
そのとき、この男は変わらないな、と思った。
申し訳なく思いながら死に向かうイレーヤが見ていられないから、だから彼女が思う存分死ねるように、神話級だかなんだかよく分からないモノを倒しに行く。
そういうとき、彼女が生き延びられる方法を探してあげられないような。
そんな人間がケリュンだった。
『俺はただ安心して、死んでほしかっただけなんだ……』
親の死について、彼はそう語っていた。
イレーヤが助かる方法なんて、最早世界中のどこにも存在しない。ただ、かつて寿命が奪われ、今その時が訪れようとしているだけだからだ。
ただ、心穏やかに逝って欲しいと願っている。その前に立ちはだかる壁を、ただ取り去ろうとしている。イレーヤが亡くなる前に、片付けようとしている。
それだけなのだと、そう考えるとシンプルで、筋が通っている。
ただその壁が異常なだけ。そして、それでも立ち向かうケリュンが異常なだけだ。
「ケリュン。お前の運命を好きだったよ」
お前自身も、少しだけ。
ケリュンは満身創痍だった。いくら血が出て、いくら傷を抱えているか知れない。もはや執念のみで動いていた。自分を止めようとする者すべてを無視して、払いのけて、ここまで来ていた。
イレーヤの伏せる寝台の傍に跪き、ケリュンは幸せのあまり微笑んでいた。いっそ今なら死んだってよかった。だって目の前にイレーヤがいる。もうなんだってよかった。
「イレーヤ様、おはようございます」
できるだけ優しく、労わりを込めて声をかければ、瞼がゆっくりと、重たげに開いた。
その瞳は、とうとう見えなくなってしまったようで、ケリュンのほうを向くものの、目と目が合うことはなかった。
そのこともよく分かっていないのか、イレーヤはぼんやり、幾度か瞬きをすると、いつものように柔らかく微笑んだ。頬が痩せこけていようと、肌に血の気が無かろうと、彼女が美しいことに変わりはない。ケリュンは泣きたくなった。
「……ケリュン。なんだか、ずいぶんとひさしぶりな、気がするわ。だけど、昨日もあったような気もするの――」
「俺はいつだって貴女の傍にいるじゃないですか」
「そう。そうね。……ねえ、ケリュン。あなたって、変だわ」
「う、そうですか?」
「ええ。どうして、私なんかの傍にいるのかしら。なんで、なんで、いてくれたの……」
彼女に涙を流す体力さえあれば泣いていただろう声だった。狂おしいくらい切なげな声に、どきりと、場違いなくらい、ケリュンの胸は高鳴った。まるで初心な子どもに戻ったようだった。顔が赤くなっているだろう自覚はあった。
しかしこれが最後のチャンスだと、自身の顔を流れる血を袖で拭うと、ケリュンはイレーヤのそのか細い手を取った。
そしてその掌に、顔をうずめるように口付けた。
「貴女を愛しています。心から、俺の一生をかけて、貴女だけを見つめてきました」
イレーヤはくすぐったそうに笑った。身をわずかによじったようで、絹のすれる音がした。彼女の声はなく、くすくすと吐息がこぼれるだけだった。
「どうして?」
「そりゃ、色々――」
「そうじゃなくて。どうして、私だったの? きっかけは?」
「…………あなたが誰より美しかったからです」
「ふふ。あなたって、やっぱり、変だわ」
上機嫌なイレーヤにケリュンは恥ずかしくなって、そわそわしながら、もう話題を変えてしまうことにした。
「イレーヤ様。もう何も気にしなくて大丈夫なんですよ」
「……そう?」
「はい。アルクレシャに潜む闇の神さまは、俺が眠らせてきました。だからもう、何も気に病まなくていいんですよ。ミレーのことも、その先のことも、貴女は悲しまなくていいんです。貴女は、安心して死んでいい」
ひゅっと息を飲む音がした。震える手がケリュンを求めるように伸び、拍子にイレーヤの体が台から落ちそうになったので、ケリュンは慌てて彼女を抱きとめた。もう飲み物すらろくに摂れないイレーヤは、まるで羽のように軽かった。冷たくて、ふわりと落ちる雪のようだ。ただその体が溶けないというだけで。
二人はしばらくその場でじっとしていた。誰もいない。この世に二人だけだった。この瞬間だけは。
「あなたに、あなた自身を大切にしろといったのは私なのに。ほんとうに、ほんとうに、すごくうれしいの」
「ならよかった。大丈夫、あの言葉は忘れてませんよ。あれは俺にとって祝福だった――ただそれ以上に、貴女が大切ってだけなんです」
「ふふ、だめね」
「だめですかね?」
「……ううん。だめじゃない。だって、わたしの願い、かなえてくれた。知らなかった、わたしに、こんな望みがあったなんて」
女は目に涙を浮かべ、儚い微笑でそっと囁いた。
「ずっところしてほしかった、」
と。
心底愛しげに。
男の心臓部、そこのシャツを握りしめて。
ふ、と口角があがり明るい表情を形づくる。頬がもちあがって溜まった涙がこぼれ、頬に線を引く。透明な涙は血に混じり、赤い線を頬に引く。落ちる。
ぽたり、と濁った涙が落ちて、腕のなかの体もかくりと崩れ落ちた。
ずっところしてほしかった。それが、彼女の最後の願い事。
「ずっとそうしてあげたかった――」
今や何も聞こえぬ妻に、額をすりよせる。最後まで彼女はいとおしかった。
ケリュンには彼女しかいない。ケリュンはこの儚い彼女の目で腕で足で、心臓でありたい。最後の瞬間、この命尽きるまで。
あの日、貴女の笑顔を見つけるまで。
アルクレシャの大通りの片隅に、大勢の人が集っている。その中心にいるのは、竪琴を構えた吟遊詩人だった。傍にはまだ年若い男女の弟子が二人控えている。
なめらかな演奏で奏でられる鮮やかな琴の音色に、重なる三つの朗々たる歌声。アルクレシャを訪れたのは久しぶりだと前置きしながらも、その姿勢は堂々たるものだった。
彼は演奏を追えると、万雷の拍手と歓声のなかで笑った。
「ありがとう! 以上が、初代聖騎士ケリュンの物語だ。さあ、おひねりはこちらへどうぞ!」
「なんかよそで聞いたのと違うなあ」
「適当歌ってないか?」
大勢の聴衆のなかから飛んできた野次に、吟遊詩人はからりと笑う。
「そりゃこちらはよそのとは違うよ。なんたって本人のお墨付きさ! 最初から最後まで――いや、最期はまだだが、できるかぎり本人に確認してもらっているからね! なんせケリュンと私は浅からぬ友人で――と、おやおやその顔は信じてないね? よろしい、ならば語ってみせましょう。私と彼が出会ったときの話――は、あまりおもしろくないから置いておいて……」
「なんだよそれー」
「フレドラの道端で、私が偶然彼に声をかけただけだからね。ああ懐かしい思い出! 私は彼に、物語の予兆を感じたんだった……」
歌いもせずしみじみする吟遊詩人に、聴衆も背後の弟子二人も、呆れたように笑っている。
「おっとすまないね。じゃあ彼の歌で、聞きたいものがあったら言ってくれ。なんでも歌ってみせるから――」
「『竜殺し』の話がいい!」
「飽きたわ、それ。別のはないのかしら?」
「おっ、それじゃあ皆さん、『竜殺し』の舞台裏で起こった、貴族の女性と『魔物使い』の青年の駆け落ちの話はご存知かな?」
「知ってるよ、チョー有名じゃん!」
「儂、それが聞きたいのお」
「えー」
あーだこーだと続く主張は、やがて言い争いにまで発展した。吟遊詩人は苦笑して、場を収める言葉――あるいは歌を考える。アルクレシャの町中で彼の歌声が響くまで、まだ少し時間がかかりそうだった。
マルテ王国第五代君主、イレーヤ女王が眠りについたその僅か一年後。初代聖騎士ケリュンは闇神殺しの際の負傷が元となり、その生涯を終えた。「あの傷、あの状態からよく一年保った」とは主治医の談である。
遺言に基づき、彼は妻の傍らで眠っている。
彼自らが望んだ副葬品は剣でも鎧でもなく、なんの模様も描かれていない、安物のティーセットであった。雑談がてら医師が理由を尋ねてみると、
「あんなに立派な武器なんて、驚く人もいると思うから。……それに練習したから、次は喜んでくれると思うんだ」
照れたように医師へと語った、これが最期の言葉となった。
これにて吟遊詩人の語りは締められ、マルテ王国史の一幕が終わりを告げる。
これに続くは、彼らの娘の話。マルテ王国は賢明な女王の才腕のもと大いに栄え、民はその栄光を享受する。
しかしそれはまた、別の話――。




