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マルテ王国史  作者: ばち公
一章:配達人(パシリ)時代
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鹿の名を持つもの

 ケリュンというのは、古代語で鹿を意味するらしい。

 亡くなった両親が気恥ずかしげに話してくれた、自分の名前の由来である。


「お前が産まれる前の日に、あまりにも立派な牡鹿が現れたものだから」


 膝に飛びついた自分に、甘く微笑みかけてくるのは母親である。

 逆光の中、詳しくは見えなかったと言うが、雄々しく立派な角、光がすべる美しい毛艶、静かな佇まい、優雅な身のこなし――どれをとっても、一級品だったとか。


「裏山に立っていたんだ。鳥が騒ぐし、猪が野菜でも食い散らかしに来たのかと思って、慌てて飛び出したのだがね」


 あれは森の主だな、と父が笑い、大きな掌で自分の頭を撫でるが、その向こうの顔はぼやけて思い出せない。

 今自分が猟師紛いのことをしていることについて、あの世の二人はどう思っているのだろう――。


 そこでケリュンは目を覚ました。

 何故今になってこんなことを思い出すのだろう。

 欠伸をし、にじむ涙を拭った。春のうららかな日差しが差し込む、今日もいい天気だ。




「ケリュンー!!」


 いつも通りまず井戸水を汲みに行くことにしたのだが、すでに先客がいた。

 ぱっと輝くような笑顔で手を振っているのは、幼馴染で同い年のスゥだ。このモスル村一番の長者(村長でもある)の娘である。肩で綺麗に切りそろえた艶やかな赤毛がチャームポイントだ。


「おはよう、スゥ」

「ん、おはよ」


 はにかむと、スゥはいそいそと水を汲み出した。捲り上げた袖から伸びる手足は、日に焼けているためか健康的に引きしまっているように見える。

 ぼんやり眺めていると、スゥは訝しげに振り返った。


「どうかした?」

「いや、お前は元気だなーって」

「はあ? アンタちょっとねぇ……って、ま、ケリュンって朝弱いもんね。しょうがないか」


 納得しているのは口ばかりで、表情は不満げにふくれっ面だった。ケリュンはその頬を突いて空気を抜いてやろうかと一瞬思ったが、後が怖いし面倒くさいしで止めておいた。

 スゥはいつも、自分にはよく分からない理由で怒りだすのだ。




 井戸水を汲み終えたところでスゥに誘われ、しばらくお喋りすることになった。毎日年上ばかりに囲まれているため退屈しているのだろう、彼女は頬を緩ませウキウキと上機嫌だった。

 以前はギリギリ二桁いたこの村の若者は、今やケリュンとスゥの二人だけになってしまっていた。皆それぞれ出稼ぎや嫁入りなどで出て行ってしまったからだ。ケリュンは自発的に残っているのだが、スゥは違う。


「町に出かけるのも禁止なんてなぁ」


 彼女の父親も母親も、非常に大らかないい人だ。金持ちらしいせせこましさもなく、いつもケリュンに親切にしてくれる。ここまで娘に心配性なイメージはないのだが。

 考えこむケリュンを、スゥは鼻を鳴らして一蹴した。


「二人とも、貴重な一人娘に町で変な虫でもついたら大変って思ってんのよ。分かる?」


 確かに、長者の娘であるスゥは、婿養子を取らなければならない立場であるが。


「親父さん達がそんなこと考えてるようには見えねーけど……」

「それとこれとは別なのよ」

「そうか」


 納得いかない気もするが、実の娘が言うのだからそうなのだろう。

 会話に一区切りついたところで、スゥは興味津々といった様子で身を乗り出した。


「ねぇケリュン、今日は一日何するの?」

「洗濯と猟と、畑の世話だな」

「ふーん。配達はしないのね」

「まあな」


 ケリュンは農夫や猟師紛いのことだけでなく、このモスル村から出る宅配便を他所に届けるということも行っていた。直接届け先に配達するだけでなく、大規模な配達事業者までの仲介も手にかけている。

 まあ、この辺鄙な村に郵送のネットワークが通っていないため、モンスターと戦う能力のあるケリュンがそれを繋いでいる、というだけの話である。

 このモスル村から外に出たことのないスゥは、ケリュンの土産話をいつも楽しみにしていた。


「じゃあ、猟って今日は何を狩るの? 兎?」

「うん。あと、罠を何か仕掛ける予定」


 狩りに畑に配達に。あれこれ雑多に手をつけるのでなく、どれかに専念した方がいいのだろう。とは、ケリュンも分かっている。生前、父母も何度も言っていた。

 しかし、今は慌ただしくても、小金を稼いでおきたかった。


「たまには猪とか鹿とか食べさせてよ。あ、鹿はダメなんだっけ?」


 それに「まあ、あんまり」と曖昧に笑うケリュンに、スゥはこれ以上立ち入ることはできなかった。

 本当は、その理由が知りたいというのに。

 とにかく、その後コロリと変えられた話題に、ケリュンはほっと安堵した。




 家に戻り、ケリュンは朝食を作りながら考えた。

 朝は感傷的になってしまったが、両親がケリュンの猟師紛いの行為を嫌がるはずないのだ。そもそも父親がその技術を仕込んだのだから!

 軽い猟なんて誰でもしていることだし、ケリュンは小規模ながら農業もきちんと続けている。それに何より、二人は別段慈悲深くもない。

 それでも、と思わずにはいられない。

 二人なら何て言うのだろう。猟はいいけど、森の主は殺さないで、と頼むのだろうか、それとも生前言っていたように、農業に専念しろ、とキツく注意するのだろうか――。


 二人が死んで五年、それすらもケリュンには分からなくなっていた。


 今卵を焼いているフライパンは、父が母にプレゼントしたものだ。そんな愛妻家だった父愛用の、少々擦り切れたハンチング帽はずっと掛けたままになっている。料理好きだった母は手先が器用で、いつもロッキングチェアに座って裁縫をしていた。カーテンもテーブルクロスも、母が刺繍したものである。


 ケリュンは両親の遺品と、彼らとの生活の跡に囲まれて暮らしている。

 なくそうにも、家の隅々にまで染みついていてなくせない。


 ここと、畑と、昔なじみの人達と。

 これだけを守ってのんびりと生きていく。


 それがケリュンの願いで、人生だった。

コマンド「はなす」

→スゥ「おはよう、ケリュン!▽」

「きょうも いい天気ね!▽」


少々長くなると思いますが、お付き合いよろしくお願いします。

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