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匂いは記憶を刺激する

ここから後篇の開始です。

岩崎の話、さらに甘っちょろくなります。



「見てください、コレ」朝、出勤するなり、オフィスのかわいさ担当の篠原は帽子をかぶったトナカイのストラップを自慢げに見せた。

「あ~おはよう、トモちゃん……で? なにコレ」

最近の俺はノブナガ目覚ましが機能しなくなったおかげでスッカリ低血圧の仲間入りだ。


 今日も目覚ましのけたたましい音で最悪の気分のまま目覚めた。それもこれも野島がいた、あの期間でノブナガのライフスタイルがすっかり変わってしまったせいだ。と眠気でぼーっとする頭を鈍く動かし、野島に悪態をついた。たった数週間で家の生活を変えて行くな。

「岩崎さん、知らないんですか? 今大人気のマンガに出てくるキャラクターですよ。コレ非売品でなかなか手に入らないんですよ」

「いや、そう言うことじゃなくてさ、それをどうしたの?」

「三浦くんが取ってくれたんですよ。彼UFOキャッチャー下手なのに、三千円も使ってようやく取れたんです」

 ストラップを嬉しそうに揺らしながら話す篠原の背後に見える三浦の姿が、こないだの俺と重なる。三浦は三千円だって? バカヤロウ俺は五千円だ。

「そうか、良かったね。嬉しい?」

「はい、ホントはこれじゃなくても良かったんですけど、あたしが最初にこれが良いって言ったら、頑張って取ってくれて、何かその姿勢が嬉しいんです」

 篠原の目の輝きに野島を重ねる。あいつはどう思っただろう、と。目の前で嬉しそうにはしゃぐ篠原の三分の一くらいは喜んでくれたのだろうか。

 頭の中で「嬉しい!」と言ってはしゃぐ野島を想像しようとして、あえなく失敗した。あの野島が? あり得ないと頭の中の俺が否定する。ああ、そうだよな。

 次々と出勤してくるメンバー全員に喜びを伝える篠原を見ながら、少し三浦が羨ましくなった。



「俺知ってるよ」と山田がさもありげに含み笑いをこめて言い出したのは仕事帰りに行きつけの定食屋に寄り、おばあちゃん特製のサバの煮つけに箸をつけたところだった。

「なんだよ、いきなり」

「あのストラップ。岩さんも取ったんだよね」

 どうしてそれを知ってるんだ、と声に出す前に野島の顔が浮かび、口から出たのは「あいつか……」と言う落胆の声だった。

「っていうか、いつの間に野島の連絡先を聞いたんだよ」とやけ気味にサバを箸でほぐして口の中に放り込んだ。

「こないだビアガーデンに言ったときにね、教えてくれたんだ。野島さん嬉しそうだったよ」と茶化すような目つきをする山田はもっと言いたいことを隠しているようだった。

「ち、その分じゃ聞いたんだろ? あいつから」

「うん。岩さん合鍵渡したんだって?」

「ああ、渡したよ。変な顔してないで食えよ。冷めたらおばちゃんに悪いだろうが」

 なぁおばちゃん、とわざと話をそらす。が、おばちゃんと呼ばれてはいるものの、実質おばあちゃんと呼んだ方がしっくりくる厨房の女性は、鍋を見るのに夢中で俺の声は届かなかったらしい。コトコトと音を立てる鍋におたまを入れて熱心にかき混ぜている。


「どういう心境の変化?」

山田は言われたからであろうか、ご飯を口に入れながら、それでも訊いてくる。

「どうもこうもねぇよ。ただ、なんとなくだよ」

 長年の友人のちょっとした心の変化を覗きこもうと山田はじっと目を向けながら「ふ~ん」と鼻を鳴らし「良かった」とあからさまに聞こえるように呟いた。

「……何が良かったんだよ」

「俺、こないだ見てて思ったんだ。昔と変わらない二人のやり取りがさ、すごいお似合いだなって。きっと岩さんのこと、ホントに解ってくれる人ってそう滅多にいないと思うんだ。子供の頃からずっと見てたから岩さんがどんな女の子が好みなのかも知ってるし、実は野島さんのこと――」

「それ以上言ったら怒るぞ」山田の言葉をとげを含ませた言葉で遮り、睨みつける。山田は、解ったよと両手を上げた。


 山田の言いたいことは痛いほど解っていた。今まで色んな女の子と遊んできたが、本気になることは一度としてなかった。

「恋愛はゲームみたいなもので、本気になるなんてバカバカしい」などと、昔々のトレンディ俳優のようにうそぶいてはいたものの、本気で女の子を好きになれない理由は自分にある。その原因が高校の頃に決定していたことも最近になって解った。

 だけど、どうしろと? 今さら認めろというのか? と頭の中の俺がつまらない意地を張っていた。ましてや目の前で元彼を想って泣いた女を今さらどうやって口説けというのだ。

 にやけ顔で見つめる山田の視線を感じながら、俺はがりがりと頭を掻いた。



 鍵を回し、玄関のドアを開けると、冷たい暗闇に迷い込んだような感覚に陥る。最近はいつもこうだ。かろうじて出迎えてくれるノブナガの間延びした鳴き声だけが俺を癒してくれた。そして決まって、無性に襲ってくる孤独感をノブナガを構うことで紛らわす。つまらない男になったもんだ、と自分を揶揄して。


 たった数週間ですっかり染み着いた野島の匂いで、ベッドが自分のものではなくなったような気がした。さっきから何度も寝がえりをうちながら、意識ははっきりとしていて、夢の中へ入ることができない。

 いつしか聞こえなくなったセミの声。たったそれだけで夜はこんなにも静かなのだと実感する。

 耳に意識を集中する。遠くの幹線道路を走る車の音や、時計の針が進む音。緩やかな風の音や、低くうなるような冷蔵庫の音など、静かとはいえ、世界は音であふれているが、そこに人の気配は感じない。


 目を開けると、寝室は暗闇に包まれていて、カーテンの隙間から零れる月明かりでかろうじて部屋の輪郭がわかる程度だった。枕元の時計を見ると時刻は午前3時を過ぎている。いつまでもゴロゴロと寝がえりをうつことに飽きた俺は、ベッドを下りて、キッチンへと向かった。その際、足元で丸くなっていたノブナガが、頭を上げ、俺の行動を怪訝な顔で見ていたが、自身は眠気に負け、その場でくるっと体を回転させて、もう一度丸くなった。


 冷蔵庫からビールの缶を取り出して、ソファに体を沈ませると、妙に落ち着く。

「しばらくここで寝てたからかな」そんなことを考えつつ、ビールを一口飲みながらテレビをつけた。

 夜中の番組は特に面白いものもなく、何を見るでもなく、ただチャンネルを次々と変えていると、テーブルの上で携帯が鳴りだした。夜中の3時に、だ。

「――もしもし」

「あれ? 起きてたの?」

 恐る恐る電話に出ると野島の気の抜けた声が聞こえた。

「いや、寝てるだろうと思ってさ、3回コールして出なかったら切ろうと思ってたんだけど」

「ああ、明日休みだからな」眠れなかった、とは言わなかった。ホントは仕事なんだが。

「なんだよ、こんな時間に」

「ん? 暇だったからさ」

「お前は暇だからという理由でこんな時間にかけてくるのか」

「悪い? 起きてたんならいいじゃん」

 電話越しで野島はいつものように、ああは、と笑った。

「なんか、眠れなくてさ。まだ新しい部屋に慣れなくて落ち着かないんだよね」

「ったく、非常識なやつめ」と、口では悪態をつきながら、それほど嫌な気はしなかった。


 大して話題もなく、他愛もない会話をしながら、それでもお互い切ろうとはせず、気がつくと空は白んでいて、相当な時間喋っていた事を実感する。

「もう朝だぞ。寝なくていいのか?」

「あ、そうだね。寝なくちゃねぇ」

「じゃあ、切れよ」

「岩崎君が切ってよ」

「じゃあ切るぞ」

「えぇ~?」

 会話が途切れると電話越しには野島の動く音が聞こえて、布団の中に居るのだとわかる。朝日がべランドに留まるスズメの小さなシルエットを映し出すのを俺はボーっと眺めていた。スズメ達はまるで仲の良い子供のように、会話は途切れることなく、じゃれあうように飛び回る姿を、俺は少し羨ましく感じた。


「……寝たのか?」

 電話の向こうは動く音さえ消え、ゆっくりとした息遣いだけが微かに聞こえていた。

 携帯を耳にあてたまま目を閉じると、野島の姿がまぶたの裏に浮かんだ。布団の中で小さく寝息を立てる野島の姿を、と言っても想像でしかないが、手を伸ばせばそこに居るような気がした。

「――なんか……会いたいね」しばしの沈黙の後、囁くような声で野島が呟いた。

「……こないだまで一緒にいたじゃねぇか」

「そうだよねぇ……」

野島はゆったりと笑い、それっきり携帯の向こうから野島の声が聞こえることは無かった。

 そのままソファに横になる。どうやら野島は眠ったようだ。

「……いつでも会えるだろう? 合鍵渡したんだから」返事がないことを承知で話しかける。

「俺が合鍵を渡した女はお前が初めてなんだからな……光栄に思いやがれ」





続く

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