きらめく光に心はない
「ええ? まだ出来てないんですか?」
木ノ下は困惑した表情で手帳をせわしなくめくった。
申し訳ない、と思いつつ窓の外を見ると、街はすっかり冬の装いで、赤と白と緑のクリスマスカラーがやけに目につく。もう12月か、としみじみ思う。
心なしか、街をゆく人々が若干多いような気がするのは『師走』という言葉のマジックだといつも思う。12月と言うだけで、忙しい気がするのは子供の頃からそう刷り込まれたからで、実際は12月だからと言って、特別忙しいわけじゃないはずだ。などと窓の外をせわしなく歩く人々を眺めていると、手帳をめくっていた木ノ下が、う~んとひねりだすようなうなり声を上げた。
「会場の予約は、ずらせても2日です。何とかそれまでに作っていただけますか?」
喫茶店の丸いテーブルを挟んで本日のオススメコーヒー越しに、木ノ下は懇願するような顔を見せた。
「ええ、何とか、やってみます」
「お願いしますよ。もう明日には広告出しちゃいますからね。来週頭には搬入が始まります。それまでに何とかしてください」
木ノ下は懇願するような目つきのまま、失礼します、と店を出て行った。この話を俺に持ってきたことを後悔しているのだろうか、それも仕方ない。全ての責任が自分にあることを俺は自覚していた。
開催ギリギリの今になってもアイデアが出てこないデザインは、今回の個展のメインとなる家具だった。
ぬるくなった本日のオススメコーヒーをすする。コクとも炒りすぎともつかない苦味が口の中に広がった。どの辺がオススメなんだろう。と予想外の味に無造作にカップを置く。
「……苦いなぁ」
オフィスに戻ると、聡美に大丈夫? と声をかけられた。そんなにつかれた顔してたかな、と気を取り直して「心配すんな」と笑顔を作る。それもデスクに戻るとすぐにまたしかめっ面に戻ってしまった。
パソコン画面には何度も描き直した最後のデザイン画が、当初の原形をとどめない形で残っている。メインの家具は椅子にしようと決めていたが、全くイメージの湧かないままタイムリミットはすぐそこだ。
「行き詰ってるの?」隣で山田が心配そうな顔をしている。
「あと一つが出てこねぇ」
「開催はいつだっけ?」
「ちょっとのばしてもらって、初日は23日だ」言いながらカレンダーを見る。あと10日しかない。
「一旦気晴らしでもしたら? 最近野島さんとは会ってないの?」
「気晴らしねぇ……」
あれ以来一切連絡もない野島のことはずっしりと心にのしかかったままだ。移動の件でなにかと忙しいのかもしれないとは思ったが、この気がかりのせいでイメージが浮かばないのだろうか。
空を暗幕が覆い、街にぽつぽつと明かりがともる頃まだ仕事の終わらない他のメンバーをよそに、俺は一人オフィスを後にした。
外に出ると夜の空気が顔に刺さる。まだ19時前だというのに、気温はぐっと下がり、間違って雪でも降るんじゃないかと思わせるほどの寒風がダウンジャケットの隙間から入り込んで少し身を震わせた。
エレベーターが、チンとレトロな音を立てて俺を一回に運ぶと、ロビーのガラス越しに煌びやかな光の雫が注いでいた。
ビルの正面にある公園。その遊歩道沿いに植えられた木々にイルミネーションが輝いていた。
思わず見とれてしまう。この時期は普段からあちこちでそれぞれ趣向を凝らしたイルミネーションを見かけるが、この公園に灯ったのは初めてのことだった。
初めてみる見慣れた公園の美しい装いに、少しばかり感動したからか、それとも理由なんてどうでもよかったのか、俺は携帯を取り出し、野島に電話していた。
「もしもし? 久しぶりだね」野島は久しぶりだというのに、いつもと何も変わらない声を出した。
「ああ、2カ月ぶりくらいか、元気か?」
外に出て、公園内を歩きながら俺も努めて明るい声を出す。
「忙しいけどねぇ、まあ、それなりに元気だよ」
「仕事は? もう終ったのか?」
「ん~、もうちょっとかな。どうしたの?」
「お前、うちのオフィスの場所は知ってたよな。終わったらうちの前にある公園に来いよ」
園内のベンチに腰掛けて携帯越しに話しかけると吐いた息が白くなって残った。
「え? 何、突然……」
「いいから、待ってる」
携帯を切り、空を見上げると、寒空にほとんど風は無く、澄んだ空気の上に少しだけ星が見えた。
ベンチわきの灰皿にタバコを3本ほど落とした頃に「よ、お待たせ」と後ろから声をかけられた。
「すごいねぇ。この遊歩道沿い全部がキラキラしてる」
久しぶりに会う野島は少しだけ髪が伸びていた。ロングコートのポケットに両手を入れながら辺りを見渡し、感嘆の声を上げる。
「もうすぐクリスマスだもんねぇ」
「少し歩くか」
何も言わず歩き出す俺に、野島は何も言うことなくついてきた。
遊歩道は園内の人工湖を囲むようにぐるりと回っていて、湖面に反射する明かりが、木々のイルミネーションの効果をさらに引き立たせて、一帯を幻想的に演出している。人工湖には噴水も設置されていて昼間は定期的に水を噴出させているが、今は動くことはない。
「こうしてゆっくりするの久しぶりかも」隣を歩きながら野島はぽつりとつぶやいた。
「仕事、忙しいのか?」
「うん。色々バタバタしてる」
「そっか」
言葉を探しながらの会話は続くことなく、一言二言話すと、またすぐに沈黙がやってくる。いつものように軽い冗談でも言えればいいのだが、何も思いつかなった。
俺はあの日以来ずっと心にのしかかっていた重りを訊かなければいけない。恐らく野島も空気で察しているのか、いつ訊かれてもいいように準備をしている。妙な緊張が二人の会話を短いものにしていた。
ベンチに座って湖面を眺める若いカップルの横を通り過ぎる。
「キレイだね」とうっとりした声を出す女は男に肩を抱かれて首を肩に寄せている。
「寒くない?」優しく声をかける男の方は自身の首に巻いていたマフラーを彼女の首に巻く。
あの若いカップルにはこの幻想的な光景は、さぞロマンチックなことだろう。きっとあの瞬間に世界は二人だけのものに違いない。互いの気持ちを確かめるように体を寄せ合う二人は俺から見ても幸せそうに見えた。
「いいね、ああいうの」俺の目線の先を追って野島がほほ笑んだ。
「若いよな。人前でいちゃいちゃ出来るのは、若い頃の特権だ」
「そんなことないよ。いくつになってもそれは恥ずかしいことじゃないよ」
「じゃあ、お前はできるのか?」
「うん、出来ない」恥ずかしいよ、と野島は笑った。
「あたしたちも周りから見たらカップルに見えるんじゃない?」
「それなら、洗練された大人のカップルでありたいな」
歩き始めてどれくらい経っただろう。ちょうど遊歩道も半分を過ぎたところで、俺は「そう言えば」とわざと白々さを装って「移動の件はどうなった?」と訊ねた。どうせ聞くならせめて本心は知られたくなかった。
野島は「うん」とも「うん?」とも取れる返事をして、少しの間をおいた後「決まったよ」と前を向いたまま答えた。
「当初の予定よりはちょっとずれたけど、年内に正式に移動になる」
「そうか、行くのか……」
思いがけず自分の声のトーンが下がっていることに気づいて、あわてて声を張る。
「店長だろ、すげぇな。おめでとう」
「ありがと」野島は、あははと笑ったが、その顔にはほんの少し寂しさが滲んでいるようにも見えた。
「俺からも一つ報告があってさ。今度個展を開くことになったんだ」
「古典?」と、野島は本を開くジェスチャーをする。
「そのボケは俺がすでにやった」
「あ、そ。へぇすごいじゃん個展。いつやるの?」
「23日からだよ。お前にも招待状送ってやるよ、一応」俺は『一応』の所だけ強調した。
野島は日にちを聞くと、眉を寄せてあごに手をやり、わかりやすく逡巡すると「23日かぁ……」と零した。年内に移動になるということは、恐らく来れないのだろう。
「もう少し早ければなぁ」俯き加減に肩を落とし野島はため息をついた。
「どうして23日なの? バカ岩崎」
「仕方ないだろ、会場の都合だ」
「あ~あ、行きたかったなぁ」
「タイミングだろ。しょうがねぇよ」
しょうがない、と口では言いながら俺は、自分が思いのほか落胆していることに驚いた。個展をやることに決めたときから、野島に見てもらいたかったのだと思った。最後のデザインが決まらないのも、メインとなる椅子はきっと野島の為のデザインにするべきだと、心のどこかで考えていたからなのかもしれない。
「あぁん、何でそんなこと今言うかなぁ、福岡行きたくなくなっちゃうじゃん」
野島は本気とも冗談ともつかない目でじっと睨んだ。
「じゃあ、行かなきゃいい」冗談めかして、さりげなく本音をさらけ出す。
その時、夜は動くはずのない噴水が勢いよく水を噴出した。
「え?」
恐らくイルミネーションに合わせて夜にも動くようにした管理者の粋な計らいは、思いもよらないサプライズとなって、夜空に舞った。
巻き上げられた水しぶきはその一つ一つが眩いばかりに光を反射して、きっと見る者全てに等しく幻想を抱かせたに違いない。二人の間にもほんの一瞬だけロマンチックな雰囲気を漂わせるだけの効果はあった。
「行くなよ。ここに居ろ」
突然訪れた眼前の光景に後押しされて、俺はまっすぐ野島を見つめた。
野島の瞳は光の粒を受けて色とりどりに輝いていた。水の噴き出す壮大な音を全身で受けながら二人は見つめあう。俺はその瞳に熱を込めて。野島はその瞳に悲哀をこめて。
やがて瞳の輝きは徐々に揺らめき、野島はジワリと瞳を濡らすと、弱弱しい笑みを浮かべた。
「……遅いよ」野島が呟くと同時に水の織りなす短い幻想もその幕を下ろした。
しんと静まり返る園内に、木々の光が二人の影を薄く伸ばす。キラキラと瞬く光のせいか、野島の影はゆらゆらと揺らいで見えた。
「今さら遅いんだよ。バカ岩崎」涙をこらえて野島はひどく声を絞り出した。
「ああ、解ってる」
話をするのが遅かった。この気持ちを認めるのが遅かった。行くなと言うのが遅かった。あの朝にこの全てを伝えていれば何か変わったのだろうか。と後悔が頭をよぎるが、それももう過ぎたことと、諦めに至るのはそれだけ大人になった証なのだろうか。
どれほど悔いても時間は戻ることはない。
今となっては、全てが遅すぎた。それは、解っていた。
続く