第二章・真田忠道という男
統合航空軍横田基地 東京都
昭和十八年十一月十八日
三時間の行程を経て、津田塾から送られてきた女子学生たちは、ようやく横田基地へ着いた。
もっとも、着いたからといって、そこに彼女たちを歓迎する空気が待っていたわけではない。
営門では、勤務中の憲兵がまず怪訝そうな顔をした。
軍用施設の正門というものは、概して愛想というものを置き忘れてできているが、この日のそれは、職務上の無愛想さに加えて、理解しがたいものを見た時の露骨な当惑を含んでいた。
若い女たちが十人、揃って基地へ入ってくる。しかも慰問団でも女給でもなく、学校からそのまま抜け出してきたような身なりである。なるほど、警戒すべき事態ではないにせよ、眉をひそめる程度には奇妙であったろう。
門を抜け、乗り合い自動車を降りたところで、その視線はさらに増えた。
たまたま通りかかった兵が足を緩める。
荷役帰りらしい下士官が、煙草をくわえたまま振り向く。
通信兵らしい若者が、何か言いたげな顔をして結局は黙る。
誰も彼も、見てはいけないものを見たというより、どう見ればよいのか分からぬものを見た顔だった。好奇、困惑、軽蔑、あるいは単なる暇つぶしの視線。そうしたものは、銃後の空気の乾き具合と同じく、当人たちの努力とは無関係に降りかかってくる。
小林愛子は、列の中ほどでそれらを見ていた。
見返しはしない。俯きもしない。
ただ視線だけは静かに動かし、営門の位置、滑走路の方角、兵舎の並び、歩いていく兵たちの袖章、こちらを見る目つきの種類を、ほとんど無意識のうちに拾っていた。
観察する、というより、そうせずにいられなかったのかもしれない。
そして一通り見たあとで、彼女は胸の中でひとつだけ思った。
──やっぱり、お邪魔なのかな。
それは傷ついた娘らしい感想というより、場の空気を数秒遅れで言葉へ置き換えた、そんな種類の思いであった。
彼女たちの最後尾で、ひとりの学生が荷物を持ち直した。佐藤恵子である。
津田塾から推薦された十名の中では成績首位。数字にも語学にも強く、気位もまた、能力相応に高かった。
もっとも、本人に言わせれば気位ではなく当然の自負ということになるだろう。
彼女は、さきほどから兵たちの視線を受けるたび、唇の端を固くしていた。
そして、とどめが来た。
庁舎脇の通路から現れた将官が、女子学生たちの一団を見るなり、足を止め、吐き捨てるように言ったのである。
「女なんか基地に入れやがって」
声そのものは大きくなかった。
だが抑えているぶんだけ、あからさまな嫌悪が耳についた。わざわざ聞かせるための声音である。
一団の空気が強ばる。
気まずさと屈辱は、たいてい別々には来ない。こういう時には決まって、頬を熱くする羞恥と、腹の底でじくじくする反発心が一緒に湧く。自分たちの意思で押しかけたわけでもない、という思いがあればなおさらだった。
佐藤恵子が一歩前へ出た。
「呼び出したのはあなたたちじゃない!」
声はよく通った。
女学校の教場なら、最後列の窓際まで届くだろうという種類の声である。怒りに震えてはいたが、潰れてはいなかった。
将官の眉が吊り上がる。
「貴様、なにを──」
怒気をはらんで歩み寄ろうとしたその前へ、別の将官がすっと入った。
背はあまり高くない。
軍人としては体格に恵まれているとは言い難く、顔立ちもどこか雑で、精悍というより作りかけのまま放っておかれた木像を思わせた。見栄えのする将官ではない。人好きのする面でもなければ、威風堂々たる名将といった風采でもない。
だが、その男が立つと、場の重心がそちらへ移った。
「うちのお嬢さんたちに、なにか用かな?」
低い声だった。
乾いていて、愛想がない。しかも奇妙なことに、怒っている相手を正面から受け止める響きではなく、最初から半歩ほど低く値踏みしている調子があった。敵意をぶつけ返すのでなく、相手の苛立ちをひとつの雑音として処理しているような声である。
罵声の主は、その顔を見て、あからさまに顔をしかめた。
「貴様か……。ここは総司令部施設だ。貴様んとこに用があるなら、最初から直接そっちへ向かわせろ。二度とここに連れてくるな」
吐き捨てるだけ吐き捨てると、その将官は肩を怒らせて去っていった。
見送る側にしてみれば、まことに結構な退場である。
低い声の将官は、その背中に何も言わなかった。
言い返す価値も手間も感じていないような顔で、女子学生たちの方へ向き直る。
「来て早々、すまんな」
謝罪の言葉そのものは簡潔だった。
だが、必要以上に慰めめいた色はない。相手が傷ついたことを理解したうえで、それを長々となだめる暇はない、とでもいうような調子である。
「君たちに用があるのは私だ。ここから五分ほどのところに、うちの司令部がある。ついて来てくれ」
そう言うと、彼はさっさと歩き出した。
女子学生たちは顔を見合わせたが、他に選択肢があるわけでもない。結局、荷物を持ち直し、そのあとを追う。
小林は歩きながら、その男の背中を見ていた。
小柄というほどではないが、大柄でもない。肩章は将官のそれで、歩調には無駄がない。振り向きもせず、こちらがついて来ることを当然のように前提している。そのくせ、威張った調子が前へ出るわけでもない。奇妙な人だ、と小林は思った。
五分後、一行は基地の一角にある粗末な建物へ着いた。
板壁は新しいとも古いともつかぬ色をしており、玄関まわりの造りにも飾り気はない。どう見ても、中央の花形部署という感じではなかった。だがその玄関脇に掛けられた表札には、黒々とこう記されていた。
本土防空集団司令部
女子学生たちは、その文字を黙って見上げた。
何やら大仰な名ではある。だが建物そのものは、威容より実用を優先して急ごしらえしたようにしか見えない。その落差が、かえってこの部署の性格を物語っていた。見栄えより先に、必要があったのだろう。
中へ通される。
案内に立ったのは矢沢という大尉だった。年若いが、いかにも胃の痛くなりそうな中間管理職の顔をしている。将官の無茶と現場の事情のあいだで日々すり潰されている人間特有の、神経の行き届いた表情だった。
「こちらへ」
会議室に通される。
長机と椅子が並び、壁には地図、隅には書類棚。煙草と紙の匂いが薄く残っている。華やかさとは縁のない部屋で、今後彼女たちが聞かされるであろう話の内容を思えば、むしろ似つかわしかった。
しばらくして、さきほどの将官が入ってきた。
彼は部屋の前方に立ち、女子学生たちをひとわたり眺めた。
ひとりひとり品定めするように見ている、というより、これから自分の組織へ組み込む部品の癖を大づかみに掴んでいるような目だった。いささか感じのよい見方ではない。だが、媚びも遠慮もないぶんだけ、妙な誠実さがあった。
その視線が小林のところで一瞬だけ止まった。
長くはない。
ただ、見た、という事実だけが分かる程度の短い停止だった。
やがて彼は口を開く。
「俺は真田少将だ。海兵四十六期。故あって、ここの司令官をやっている」
そこでわずかに肩をすくめる。
「君たちの親玉になる男だな。まあ、よろしく」
この手の自己紹介としては、いささかぞんざいである。
だが、わざと形式を崩しているのだろうと小林にも分かった。長々と訓示を垂れる趣味の人間ではない。必要なことだけ先に通し、それ以上は各自で飲み込め、という種類の話し方だった。
最前列の端に座っていた佐藤恵子が、ためらいがちに、しかしはっきりと手を挙げた。
「私たちは、一体なにをすればいいのですか」
真田は小さく鼻を鳴らした。
「当然の疑問だな」
彼は一瞬だけ天井のあたりへ視線をやり、それから言った。
「空へ上がった連中を、勝手に飛び回らせないための役だと思えばいい。犬だな。あちこち走り回る牧羊犬みたいなものだ。それを、地上から笛でまとめる役が要る」
女子学生たちは黙って聞いている。
比喩として完全に腑に落ちた者は半分もいなかったろうが、少なくとも言わんとしていることは伝わった。空に上がる飛行機がいて、それを地上からまとめ、正しい方向へ導く者が要る、ということだ。
真田はそこで、少しだけ口の端を動かした。
「もっとも、牧童みたいにのどかな仕事だと思うなよ」
乾いた目つきのまま続ける。
「かける苦労は、その百倍だ。間違えれば味方が死ぬ。遅れれば都市が燃える。だから、楽な仕事ではない」
部屋の空気が、ほんの少しだけ締まった。
脅したいのではない。だが、最初に言っておくべきことは言う。そういう調子だった。
「とはいえ」
真田は言葉を継いだ。
「配属されれば、君たちは正規の少尉だ。階級章もつく。下士官兵の前で、必要な時には堂々と大きい顔をしろ。遠慮して声が小さくなるようじゃ困る」
何人かの女子学生が、思わず顔を見合わせた。
つい先ほどまで営門で怪訝な顔をされ、通路で罵声を浴びた自分たちが、下士官兵の前で堂々としていろと言われるのである。話が急すぎる。だが、与えられる任務というものが、本当に地上から空を動かす仕事ならば、たしかに遠慮していて務まるものでもあるまい。
真田は煙草を一本取り出しかけ、彼女たちを見やるとすぐに制服のポケットへ戻した。
「まあ、悪いようにはしない。細かい説明は矢沢君から聞いてくれ」
それだけ言うと、彼は本当にそれだけで用が済んだと言わんばかりに、部屋を出て行った。
女子学生たちは、しばらくその背中を見送っていた。
去っていく姿は、やはり大して立派には見えない。
名将の肖像画にあるような威厳もなければ、颯爽たる軍人らしい華もない。だが、場にいた者はみな、彼がこの部屋の空気を最短距離で自分のものにしていったことだけは理解していた。
小林は、机の上に置いた手をそっと組み直した。
低く、乾いた声。
人を少し下に見ているようでいて、しかし必要なものはちゃんと自分の側へ引き受ける男。
変な人だ、と彼女はもう一度思った。
だが同時に、この奇妙な少将が、自分たちをここへ呼んだ張本人であることも、そして呼んだからには本当に何かをやらせるつもりでいることも、よく分かった。
やがて、矢沢大尉が咳払いをひとつした。
「……では、説明を始めます」
その声音には、真田ほどの乾きも、佐藤ほどの鋭さもない。
だが、これから彼女たちが聞かされる任務と訓練の内容が、もはや後戻りのきかぬ現実であることだけは、十分に伝わった。




