遭遇
森に入ってから、光の色が変わった。
昼のはずなのに、道の輪郭が沈む。
枝葉が重なり、空を細かく刻んでいる。
馬の歩幅が揃わなくなる。
御者が手綱を短く持つ。
「この辺だ」
低い声。
護衛の一人が荷台から地面に降りる。
もう一人は荷台の縁に立ち、森を見張る。
少年が小さく言う。
「さっきより、静かですね」
商人が耳を澄ます。
「……ああ」
風はある。
葉は揺れている。
だが、鳥がいない。
虫の音も消えている。
御者が前を見たまま言う。
「止まるなよ」
誰に向けた言葉かは曖昧だ。
馬が鼻を鳴らす。
一歩、止まりかける。
護衛が右手を上げる。
合図。
全員が声を飲む。
茂みが揺れた。
最初は小さく、
次に大きく。
狼型の魔物が姿を現す。
背が高い。
毛並みは荒れ、目が赤い。
商人が息を呑む。
「遠回りしたんだろ?
なんで、こんなところで出るんだよ」
護衛は視線を外さない。
「……移動してたな」
「普段の場所じゃない」
御者が言う。
「縄張りが押されたか」
もう一体が左から出る。
「二だ」
護衛が剣を抜く。
金属音が森に広がる。
魔物はすぐには飛び込まない。
距離を測る。
少年は無意識に姿勢を固める。
主人公は座ったまま。
視線だけが、魔物と森の奥を行き来する。
一体が地面を蹴った。
護衛が踏み出す。
剣と爪がぶつかる。
火花。
土が舞う。
もう一体が、馬車の横へ回る。
馬が前足を浮かせる。
御者が強く手綱を引く。
「抑える!」
荷台が大きく揺れる。
年配の女が体勢を崩す。
少年がとっさに腕を伸ばす。
「こっちに!」
女の腕を掴み、座席へ引き戻す。
同時に、荷箱が傾く。
少年が肩で押し返す。
木箱が元に戻る。
馬は完全には崩れない。
護衛の剣が、一体目の肩を裂く。
血が散る。
もう一体が、馬の側へ跳ぶ。
護衛は一瞬、距離が足りない。
その瞬間。
魔物の視線が、わずかに揺れた。
ほんの一拍。
踏み込みが遅れる。
理由は分からない。
だが、その遅れが致命的だった。
護衛の剣が届く。
一閃。
魔物が地面に落ちる。
森の匂いが変わる。
血と土。
残った一体が低く唸る。
護衛が構える。
魔物は数歩後退し、茂みに消えた。
追わない。
「深追いするな」
御者の声。
静寂。
数秒。
誰も動かない。
やがて、風が戻る。
葉が鳴る。
少年が、自分の手を見る。
震えている。
年配の女が小さく息を吐く。
「……助かったのかい」
「助かった」
護衛が短く答える。
森はまだ完全には戻らない。
商人が荒く息を吐く。
「……運が悪い」
護衛が剣の血を払う。
「いや」
短い。
視線を一瞬だけ主人公へ向ける。
「助かったな」
確信はない。
だが、何かがあったことは分かる。
主人公は何も言わない。
視線は森の奥。
護衛が倒れた魔物の目を閉じる。
「縄張りを外れてたな」
商人が顔をしかめる。
「さっき言ってたやつか」
「押し出されたか、餌を追ったか」
御者が頷く。
「遠回りは間違ってない」
誰も反論しない。
護衛が言う。
「長居はしない。牙だけだ」
素早く回収する。
商人が言う。
「全部は持っていかないのか」
「止まるほうが危ない」
同じ言葉。
少年が、魔物を見る。
「……思ったより、あっという間ですね」
護衛が答える。
「来るときは早い」
牙が布に包まれる。
森が、徐々に音を取り戻す。
遠くで鳥が一声鳴く。
御者が手綱を整える。
「行くぞ」
馬車が動き出す。
最初は誰も話さない。
揺れだけが続く。
少年が、小さく言う。
「……怖い、より」
言葉を探す。
「忙しかったです」
商人が笑う。
「それはいいことだ」
御者が言う。
「考える暇がない方がな」
少年はうなずく。
主人公は短く言う。
「慣れる」
「慣れますか」
「ああ」
それ以上はない。
森を抜けるころには、光が戻っていた。
道が広がる。
御者が肩の力を抜く。
「抜けたな」
商人が苦笑する。
「今度は出ないでくれよ」
誰も否定しない。
少年は、横を見る。
主人公は変わらない。
何もしていない顔。
だが、あの一拍。
確かにあった。
少年は、問いを飲み込む。
まだ、聞かない。
馬車は進む。
遭遇は終わった。
だが、森は覚えている。
そして、護衛も。




