出発
翌日、門の前は思ったより騒がしかった。
朝の街より音が多い。
人の声、馬の鳴き声、木箱を置く鈍い音。
それぞれが勝手に動いているようで、流れは一つだ。
出発前の時間帯は、どの街でも似ている。
「そっちは違う、こっちだ」
「だから言っただろ、重い方が下だって」
商人の声が飛び、御者が笑って受け流す。
怒鳴っているようで、本気ではない。
少年は少し離れた場所で立ち止まり、その様子を見ていた。
視線が忙しく動いている。
「……思ってたより、にぎやかですね」
「朝よりな」
それだけ言う。
「街を出る人って、こんなにいるんだ」
「出る時は、まとめて出る」
少年は、なるほど、という顔をした。
御者がこちらを見る。
日に焼けた顔で、気さくだ。
「乗るかい?」
「ああ」
「そっちの子は?」
少年が一瞬迷ってから答える。
「一緒です」
「初めてか?」
「はい。馬車は」
「じゃあ揺れるぞ。最初はな」
護衛の一人が肩をすくめる。
「落ちるほどじゃない」
「落ちることもあるんですか?」
「ある道もある」
笑いながら言う。
馬車に乗り込む。
座面は硬いが、沈まない。
長く座る前提だ。
荷台には布がかけられている。
中身は見えないが、重さは感じる。
他の客が三人。
商人が一人、年配の女が一人、無口な男が一人。
商人が先に声をかけてきた。
「どこまで?」
「ノーアまでです」
「お、同じだ。同じ同じ」
女が少し笑う。
「ノーアは久しぶりだねぇ。最近は静かだって聞くけど」
「静かでも、何もないわけじゃない」
無口だった男が、ぽつりと言った。
会話が一瞬止まる。
御者が、わざとらしく手綱を鳴らす。
「さ、行くぞ」
馬車が動き出す。
石畳の音が、一定の間隔で続く。
最初は少し早い。
少年は、揺れに合わせて体を固くしている。
「力抜いた方がいい」
「え?」
「腰で受けろ」
言ったのは護衛だ。
少年は半信半疑で姿勢を変える。
揺れが、少しだけましになる。
「……本当だ」
門を抜けると、空が広がる。
街の匂いが薄くなり、土と草が前に出る。
「外に出ると、急に静かになりますね」
「音が散る」
「散る?」
「遮るものが減る」
「なるほど……」
御者が振り返らずに言う。
「今日は、少し遠回りする」
商人がすぐ反応した。
「またか?」
「この間もそうだっただろ」
「距離は?」
「伸びる」
短い。
「理由は?」
護衛の一人が代わりに答える。
「森が近い。最近、出てる」
少年が身を乗り出す。
「出てるって……魔物ですか?」
「そうだな」
「危ない?」
「護衛がいる」
もう一人の護衛が言う。
「気にしすぎるほどじゃない」
少年は、少し考えてからこちらを見る。
「遠回りでも、大丈夫なんですよね」
「ああ」
それで話は終わる。
道が細くなる。
馬車の揺れが増える。
文句は出ない。
この場にいる全員が、そういうものだと分かっている。
昼前、馬車が止まる。
「休憩だ!」
御者の声は明るい。
降りると、足元の感触が違う。
石ではなく、土だ。
商人が大きく伸びをする。
「いやあ、腰に来るな」
「それは歳だよ」
護衛が笑う。
年配の女が、水を一口飲んで言う。
「こういう時間があるだけで、だいぶ楽だね」
少年も水袋を受け取り、飲む。
「思ったより、平気です」
「若いからだ」
「慣れもある」
護衛が続ける。
森はまだ遠い。
木々は見えるが、圧はない。
それでも、護衛は背を向けない。
再び馬車が動く。
風の匂いが、少し変わる。
「葉っぱの匂いですね」
「湿り気が増えた」
「森、近い?」
「近づいてる」
少年は、深く息を吸ってから吐いた。
「……なんか、ちゃんと旅してる感じがします」
誰も否定しない。
馬車は進む。
道の両脇が、少しずつ高くなる。
盛り土ではない。
根が張り出しているだけだ。
御者が、ちらりと後ろを見る。
「この道、あんまり好きじゃないんだがな」
商人が苦笑する。
「通るしかないんだろ?」
「他は遠すぎる」
「結局それか」
護衛の一人が、馬の歩調を見て言う。
「馬が嫌がってるわけじゃない」
「なら問題ない」
御者はそう言って、手綱を軽く引いた。
木々の間隔が狭くなる。
枝が、空を分ける。
少年が、頭上を見上げた。
「思ったより、上が見えませんね」
「葉が多い」
「昼でも?」
「昼でも」
護衛が答える。
「夜は、もっとだ」
「……そうなんですね」
音が変わる。
蹄の音が、少し吸われる。
「地面が違うな」
商人が言う。
「土が柔らかい」
「雨のあとだ」
御者が返す。
「滑るほどじゃないが、止まりにくい」
護衛の一人が、荷台の縁に足をかける。
「何かあったら?」
少年が聞く。
「止めない」
「え?」
「止まるほうが危ない」
「だから、行く」
少年は、ゆっくりうなずいた。
風が、葉を揺らす。
だが、一定ではない。
「風、変じゃないですか」
「通り道が違う」
「通り道?」
「森の中は、風も迷う」
商人が、感心したように言う。
「へえ……」
鳥の声が、一つだけ聞こえた。
短く、遠い。
それきりだ。
御者が、声を落とす。
「この辺から、前を見る時間が増える」
護衛が答える。
「後ろは任せろ」
役割が、はっきり分かれる。
少年は、無意識に姿勢を正す。
「……何かあったら、どうすればいいですか」
「座ってろ」
護衛の答えは、簡単だった。
「掴んで、落ちるな」
それが、一番難しい。
馬車は、ゆっくり進む。
森は、まだ何もしてこない。
だが、
近い。




