無重力遊泳 『理由のない席 〜世界に「そういうものだ」と納得するまで〜』
入社書類の「志望動機」の欄は、今も空白だ。
だが誰も、それを不備だとは言わなかった。
正確には、最初から空白だったわけではない。
何か書いた記憶はある。だが読み返そうとすると、そのページだけコピーが薄い。
インクが逃げたみたいに。
私は前も別の何かよくわからない悪の組織の一員だった。
世界を裏から支配する、らしい。
らしい、というのは、私自身がそれを実感したことがないからだ。
部署は「調整係」。
何を調整しているのかは誰も説明しない。
ただ、何かがズレそうになると、私にメールが届く。
――ここ、適当に合わせておいて。
適当に合わせると、なぜかうまくいく。
理由はわからない。
評価もされないが、怒られもしない。
一度だけ、「合わせないほうがいい」と思ったことがある。
だが、その考えは送信前に消えた。
「君は優秀だ」
上司はよくそう言った。
何がどう優秀なのか聞くと、少し困った顔をしてから言う。
「そこを説明しなくていいのが、君の一番の長所だ」
なるほど、と思ったふりをした。
周囲の同僚たちも似たようなものだった。
なぜか金の流れを気にしない経理。
なぜか法を守る武闘派。
なぜか天才と呼ばれている軍師。
皆、理由を持っていない。
あるのは役割だけだ。
私は時々、自分がどうしてここにいるのか思い出そうとする。
前職? 前世? それとも、ただ気づいたらここにいた?
入社初日のことも曖昧だ。
歓迎会があった気がする。
だが乾杯の音頭が「世界征服に支障のない範囲で」だったことだけは覚えている。
その日も会議室で、世界征服フェーズ3(仮)が話し合われていた。
「君はどう思う?」
突然、意見を求められた。
私は資料を見た。
中身は薄い。
だが、空白が妙に落ち着く。
「……大丈夫だと思います」
なぜそう思ったのかはわからない。
だが皆が頷いた。
その瞬間、天井が爆発した。
白い正義が降ってきた。
説明のない正義。
因縁のない決着。
吹き飛ばされながら、私は思った。
――ああ、これが終わりか。
だが、瓦礫の中で私は無傷だった。
いつも通り、調整されていた。
正義は去り、悪は壊滅し、世界は納得した。
私だけが取り残された。
数日後、別の組織からメールが届いた。
件名:採用のご連絡
部署:未定
志望動機:空欄可
私は少し考えて、返信した。
――特に理由はありませんが、問題なければ。
なぜか、それで通った。
世界には、
理由のない悪があり、
理由のない正義があり、
そして理由のない在籍者が必要なのだ。
私は今日も、どこかの組織で、
何かがズレないように、
理由もなく席に座っている。
世界を裏から操ると噂される組織《黒曜会》は、資金源が一切不明だった。
麻薬も武器も売らない。恐喝も詐欺もしない。なのに本部は常に最新鋭、会議室のコーヒーはフェアトレードで、福利厚生まで完備されている。
「で、金はどこから出てるんです?」
新入りの私は、恐る恐る聞いた。
「細かいことを気にするな。巨悪とは、そういうものだ」
答えたのは幹部の男だった。彼は拳銃を腰に下げていたが、昼休みには必ずノンアルコールビールを飲み、帰宅時には必ずシートベルトを締める。
飲酒運転はしない。違法駐車もしない。だが世界征服は目指しているらしい。
会議ではもっと不思議なことが起きる。
「今回の作戦はA案でいこう」
発言したのは《天才軍師》と呼ばれる人物だった。
なぜ天才なのかは誰も説明できない。実績も、失敗も、特に語られない。ただ肩書きがそうなっている。
「さすがですね」
「やはり違う」
周囲は感嘆の声を上げる。
私はA案の資料を見た。空白が多い。計画の核心部分には「うまくいく」とだけ書かれている。
だが、うまくいく。なぜか。
街は混乱し、人々は「よくわからないけど、なんかすごい悪がいる」と怯える。
理由は不要だった。説明は省略され、恐怖だけが完成していた。
ある日、私は気づいた。
この組織は、悪としての完成度が高すぎるのだ。
資金源は不明なまま。
倫理観は妙に健全。
優秀さは証明されず、ただ共有される前提。
《黒曜会》は世界を壊してなどいない。
世界が「そういうものだ」と納得する余白に、静かに居座っているだけだった。
そして私は今日もシートベルトを締める。
世界征服の帰り道、交通ルールを守りながら。
その日も《黒曜会》は、いつも通りだった。
会議は定刻に始まり、議題は「世界征服フェーズ3(仮)」
資料は相変わらず薄く、結論は先に決まっている。
会議ではイエスかはいがあればいい。意見交換とはそれぞれが意見を持つか持たないかして会議室に入り、上の考えを持って出ていくことだ。
「問題はない。彼らは動かない」
天才軍師が言った。
誰も「彼ら」が誰なのか聞かない。聞かれる前提がないからだ。
《黒曜会》の武装は、なぜか統一されていなかった。
銃器庫には最新式の自動拳銃が並んでいるのに、実戦になると皆、剣やナイフを抜く。
「弾、もったいないからな」
誰かがそう言った。
何がもったいないのかは聞かなかった。弾薬費はどこから出ているのか、そもそも資金源が不明なのだ。
私も腰に銃を下げているが、訓練で渡されるのは決まって刃物だった。
しかも妙に装飾過剰だ。
鍔は無駄に大きく、刃には意味のない紋章が刻まれている。
重い。
振りにくい。
絶対に実戦向きではない。
だが、当たる。
誰が振っても、なぜか当たる。
事務方の女性が、書類を抱えたまま投げた短剣が、遠くの標的のど真ん中に刺さったとき、誰も驚かなかった。
「さすがですね」
何がさすがなのかは、やはり説明されない。
正義の味方が現れる前兆は、いつも決まっていた。
警報より先に、露出過多の美女たちが現れるのだ。
どこから来たのかわからない。
名簿にも載っていない。
だが作戦室に自然に座り、脚を組み、意味ありげに微笑む。
「何か、嫌な予感がするわ」
その台詞が出ると、ほぼ確実に天井が破れる。
そして現れる正義は、必ず名乗る。
「私は――」
その間、誰も攻撃しない。
撃てばいいのに、誰も撃たない。
刃物を構えたまま、全員が待つ。
名乗りが終わるまでが、儀式なのだ。
変身も同じだった。
光に包まれ、ポーズを決め、無防備な背中をさらしているのに、誰一人として背後から刺さない。
「今は攻撃できない空気だ」
武闘派が真顔で言った。
私は頷いた。調整係として、空気を壊すわけにはいかない。
戦闘が始まると、物量の概念が崩れる。
敵は無限に湧く。
味方も無限に湧く。
さっき倒れたはずの同僚が、別の場所で普通に戦っている。
知らない兵士が「遅れました!」と駆け込んでくる。
どこから来たのかは不明だ。
だが誰も気にしない。
人数が合っている“感じ”があれば、それでいい。
金も同じだった。
基地が吹き飛んだ翌日には、同じ場所に、同じ基地が再建されている。
「復旧、早いですね」
「予算があるからな」
その予算がどこから来たのかを聞いた者はいない。
聞いたところで、答えは「そういうものだ」だろう。
《黒曜会》は、夜討ちをしない。
それは明文化されたルールではない。
就業規則にも、作戦マニュアルにも書いていない。
だが誰も提案しない。
「敵、今なら寝てますよね」
私が一度だけ、口にしたことがある。
会議室の空気が、わずかに重くなった。
「……それは、違う」
天才軍師が言った。
何が違うのかは説明されなかった。
「夜は、ドラマがない」
別の幹部が補足した。
補足になっているかどうかは不明だった。
だから作戦開始は、いつも昼か夕方だ。
夕焼けが映える時間帯。
街灯が点き始める頃合い。
敵が最も警戒していて、
味方が最も目立つ時間。
合理性はない。
だが“正しい感じ”だけはある。
奇襲もしない。
背後を取れる位置にいても、必ず声をかける。
「そこまでだ」
声をかけた瞬間、敵は振り返る。
戦闘はそこから始まる。
背中を斬れば終わる場面でも、終わらせない。
それが礼儀なのか、様式なのか、
あるいは世界の仕様なのかは、誰にもわからない。
予告状も、必ず出す。
紙だ。
なぜかデジタルではない。
封蝋までされていることもある。
「爆破します」と書かれている。
日時と場所まで丁寧に記載されている。
当然、迎撃される。
罠も張られる。
警備も増える。
それでも予告状は出す。
「出さないと、始まらないからな」
誰かが言った。
何が始まるのかは、やはり説明されない。
私は調整係として、予告状の文面を確認することがある。
・脅迫はするが、殺すとは書かない
・爆発はするが、建物全壊とは書かない
・必ず“止められる余地”を残す
それらが揃っていないと、差し戻される。
「これは、勝ちすぎる」
修正理由はそれだけだ。
なぜか、敵が来る日は天気がいい。
雨は降らない。
霧も出ない。
夜討ちをしないから、
暗闇に紛れる必要もない。
正義の味方が来るときも、
必ず視認性のいい時間帯だ。
「演出上、重要だ」
誰が決めたのかは知らない。
私は時々思う。
もし我々が夜討ちをし、
予告状も出さず、
背中から撃ち、
名乗りの途中で攻撃したら、
おそらく勝てた。
だが、それをすると――
何かが壊れる。
世界が、次に進まなくなる。
だから誰もやらない。
やれるのに、やらない。
それは敗北のための配慮であり、
物語を存続させるための礼儀だった。
あの日もそうだった。
予告状を出し、
昼に集まり、
名乗りを待ち、
変身を待ち、
必殺技を受け入れた。
そして壊滅した。
「お疲れさまでした」
瓦礫の中で、誰かが言った。
何に対しての労いなのかは不明だった。
私は無傷で立ち上がり、
次の席に向かう準備をする。
夜討ちは、しない。
予告は、出す。
勝てる手は、使わない。
それがこの世界の、
誰も書いていないが、
誰も破らないルールだからだ。
そして、あの日。
白い正義が降ってきたとき、
私はなぜか、露出過多の美女の一人と一緒に、壁際に立っていた。
「あなた、死ななそうね」
根拠はない。
だが正しかった。
爆発。
光。
瓦礫。
私は宙を舞いながら、銃を握っていた。
撃てば当たったかもしれない。
だが私は撃たなかった。
理由はない。
ただ、撃たない役割だった。
気づけば、すべてが終わっていた。
正義は去り、
悪は壊滅し、
美女たちはいつの間にかいなくなっていた。
瓦礫の中で、私は無傷だった。
スーツの埃だけを払う。
戦闘の直前、私はだいたい気づく。
空気が変わるよりも先に、
音が来るのだ。
最初は弦だった。
どこか遠くで、低く、長く引き伸ばされる音。
「来ますね」
誰かが言う。
何が来るのかは言わない。
次に金管。
無駄に分厚く、無駄に勇壮な旋律。
そして気づけば、そこにオーケストラがいる。
屋外だろうと、屋内だろうと関係ない。
瓦礫の上。
ビルの屋上。
地下基地の最深部。
楽団員たちは整然と座り、
譜面台を並べ、
当然のように演奏している。
「……あれ、どこから来たんですか?」
新入りが小声で聞く。
「気にするな」
幹部はそう答える。
気にしたところで、説明はない。
指揮者がいる。
燕尾服だ。
風になびいている。
戦闘開始の合図は、
銃声でも、掛け声でもない。
指揮棒が振り下ろされる瞬間だ。
その瞬間、
刃物は光り、
正義は跳び、
悪は構える。
音楽は戦況に合わせて変わる。
正義が押せば、
メジャー調になる。
我々が反撃すると、
不穏な短調が混ざる。
誰が指示しているわけでもない。
だが常に“合っている”。
誰かが倒れると、
ちょうどよくティンパニが鳴る。
爆発が起きると、
まるで予測していたかのように、
全楽器が一斉に盛り上がる。
私は調整係として、
一度だけ指揮者に近づいたことがある。
「すみません、この曲目って……」
指揮者は振り返らなかった。
ただ、言った。
「クライマックスは、まだです」
それで十分だった。
不思議なことに、
音楽が流れている間、誰も致命傷を負わない。
血は出る。
吹き飛ぶ。
だが死なない。
音楽が止まるときだけ、
世界は結果を確定させる。
その日もそうだった。
正義の必殺技が放たれる直前、
オーケストラは最大音量に達した。
弦が震え、
金管が叫び、
合唱が、いつの間にか混ざっていた。
どこから来たのかはわからない。
だが歌詞はない。
言葉を与えると、意味が発生してしまうからだ。
光。
爆発。
決着。
最後の一音が、
綺麗に、綺麗に、空に消える。
そしてオーケストラはいなくなる。
楽器も、譜面も、
最初からなかったかのように。
拍手はない。
アンコールもない。
ただ「終わった」という空気だけが残る。
瓦礫の中で、私は立ち上がる。
無傷だ。
いつも通りだ。
音楽がなければ、
この戦いは成立しなかった。
夜討ちはせず、
予告を出し、
名乗りを待ち、
変身を待ち、
音楽が鳴る。
勝敗はそのあとに、
自然に決まる。
私は次の席に向かいながら思う。
――もし、音楽が鳴らなかったら?
おそらく、誰も動けない。
誰も勝てない。
誰も負けられない。
この世界では、
理由より先に、
役割より先に、
音楽が必要なのだ。
次の戦闘でも、
きっとオーケストラは来る。
どこからともなく。
当然の顔で。
私はそれを調整しない。
音楽だけは、
最初から完璧だからだ。
指揮棒が振り下ろされるまで、
私は席で待っている。
世界は作り物だ。
だが作り物であること自体が、最も自然な前提なのだ。
私は今日も席に座り、
撃てる銃を撃たず、
使いにくい刃物が当たる世界を、
理由もなく調整している。
次に正義が名乗るまで、
私は待つ役目だ。
予告状には、必ず場所と時刻が書かれている。
爆破予定地。
占拠予定施設。
決戦予定ポイント。
そしてそのすべてに、
なぜか令嬢がいる。
偶然ではない。
偶然にしては、精度が高すぎる。
「本日は市の記念式典がありまして」
「視察に来ておりまして」
「たまたま、通りかかりましたの」
理由は毎回違う。
だが結果は同じだ。
高貴な身なり。
不釣り合いな場所。
そして逃げない。
警備はいる。
屈強な護衛もいる。
だが我々が現れると、
彼らはなぜか一瞬で無力化される。
刃物で。
銃があるのに。
令嬢は、こちらを見る。
怯えている。
だが同時に、どこか諦めている。
「……来ると思っていましたわ」
来る理由は、説明されない。
だが“来ることになっている”のだ。
拉致は形式的だ。
乱暴には扱わない。
だが確実に連れて行く。
目隠しはするが、
道は覚えられる程度にする。
縛るが、
苦しくないように調整する。
「失礼します」
誰かが必ず、そう言う。
令嬢は必ず抵抗しない。
逃げられる瞬間があっても、逃げない。
「役目ですから」
一度、そう呟いた令嬢がいた。
私は調整係として、
彼女のスケジュールを確認する。
・恐怖はする
・悲鳴は上げる
・だが気絶はしない
・情報は持っていない
・だが重要そうに見える
・死なない
・殺されない
それが満たされていないと、
「やり直し」になる。
基地に連れて来られると、
令嬢は必ず、
一室に通される。
無駄に豪華な部屋だ。
ソファ。
紅茶。
窓。
なぜか鍵は甘い。
「逃げられますよね?」
新入りが聞く。
「逃げない」
誰かが即答する。
事実、逃げない。
なぜなら、
逃げると物語が崩れるからだ。
正義が来る前に、
令嬢はここにいなければならない。
救出される役割。
恐怖を証明する存在。
悪の非道さを補強する装置。
そのために、
必ずそこにいる。
正義が表れる前になぜか粗末な牢屋に入れられる。なぜわざわざ粗末にするのか、建物の中のほうが、逃げられにくいのではないかとも思うが、そういうものである。
正義が現れると、
オーケストラが鳴り、
名乗りがあり、
変身があり、
戦闘があり、
そして――
「お嬢様、ご無事ですか!」
救出される。
必ず。
必ずだ。
傷はない。
服は少し乱れているが、
致命的ではない。
涙はある。
だがトラウマは残らない。
世界が次に進むための、
ちょうどいい被害。
私は瓦礫の中で、
救出されていく令嬢を見る。
彼女は一瞬だけ、
こちらを見ることがある。
恨みでも、感謝でもない。
「ああ、あなたも“その役”なのね」
そう言われた気がした。
次の日、
別の予告状が出される。
別の場所。
別の時刻。
そしてまた、
別の令嬢が、そこにいる。
どこから来るのか。
なぜそこに行くのか。
なぜ必ず無事なのか。
誰も説明しない。
説明しなくていいことになっている。
私は今日も調整する。
夜討ちをしないこと。
予告を出すこと。
音楽が鳴ること。
令嬢がそこにいること。
勝ちすぎないように。
壊しすぎないように。
物語が、物語のままであるように。
そして次の戦闘でも、
きっと彼女はいる。
必ず。
理由もなく。
《黒曜会》の幹部は、常に会議室にいる。
仕事をしているところを、私は一度も見たことがない。
書類に目を通すわけでもなく、
指示を出すわけでもなく、
作戦を立てるわけでもない。
だが、いる。
席に深く腰掛け、
指を組み、
遠くを見る。
それだけで、幹部なのだ。
「彼は、何を担当しているんですか?」
新入りが小声で聞く。
「……幹部だ」
答えはそれだけだった。
役割は、幹部であること。
存在自体が、業務。
幹部は決して現場に出ない。
だが戦闘が始まると、
なぜか映像に映る。
巨大スクリーンに、
静止画のような姿で。
「順調だな」
それだけ言う。
何が順調なのかは不明だ。
だが戦況は、確かに進む。
一度、私は勇気を出して聞いた。
「具体的に、何をされているんですか?」
幹部は少し考えた。
本当に考えたように見えた。
「……抑えている」
何を、とは言わなかった。
だがその瞬間、
何の意味があるのかはわからないし、原理もわからないが、黒いオーラが出た。
私はそれ以上、聞かなかった。
《黒曜会》には、異様に長い役職名が存在する。
名刺に収まりきらない。
フォントを小さくしても、改行が必要だ。
例えば、彼。
《次元境界統合戦略執行特別監査統率局
第一戦術象徴責任代行補佐代理》
名刺を渡されるたび、
相手は一瞬、黙る。
「……すごい肩書きですね」
「そう見えるだろう」
本人は満足そうだ。
見た目もすごい。
マント。
装飾過剰な鎧。
無駄に光る紋章。
だが、何をしているのかは、誰も知らない。
会議では発言しない。
現場にも出ない。
だが“いる”。
そして“偉そう”だ。
それで十分だった。
役職名が長い者ほど、
攻撃を受けにくい。
なぜか。
理由はない。
正義の必殺技も、
なぜか彼らを避ける。
「設定的に、倒すと面倒だ」
誰かが言った。
私は調整係として、
役職名の長さを確認する。
・短すぎる → 戦死可
・中くらい → 重傷
・異様に長い → 生存
それが暗黙の基準だ。そして時間とともに長い名前の幹部が死ぬようになる。幹部は絶対に力を合わせず、一人で戦う。二人なら勝てそうでもそうしない。そして負けた幹部を生き残った幹部は奴は弱かったのだというだけである。
一度、誤って肩書きを短縮してしまった幹部がいた。
その日の戦闘で、
彼は派手に吹き飛んだ。
翌日、肩書きは元に戻された。
本人も、なぜか戻ってきた。
「やはり、正式名称は大事だな」
誰も異議を唱えなかった。
この組織では、
偉さは証明されない。
仕事内容も、成果も、責任も、
説明されない。
だが、
・長い肩書き
・立派な見た目
・動かない姿
それらが揃うと、
自動的に「重要人物」になる。
私は今日も、
幹部たちの名前と肩書きを調整する。
長くしすぎない。
短くしすぎない。
倒されても困らないが、
倒されなさすぎても困る。
物語の都合に合うように。
戦闘が始まると、
オーケストラが鳴り、
正義が名乗り、
令嬢が拉致され、
幹部は、遠くで腕を組む。
何もしていないのに、
すべてをやっているように見える。
それが、この世界で
最も重要な役割だった。
私は今日も席に座る。
幹部が幹部でいられるように。
肩書きが、
意味を持たないまま、
意味があるように見えるように。
次の戦闘でも、
彼らはいる。
何をしているかわからないまま。
今日は何かが起こる。そう決まっているある日だった。
――目を開けると、天井が高かった。
見覚えのない天蓋。
見覚えのない部屋。
だが不思議と、慌てる理由が見当たらない。
柔らかなシーツ。
妙に落ち着く香り。
そして、両脇に立つ美女たち。
露出過多だが、寒そうではない。
衣装は明らかに実用性がないのに、動きは洗練されている。
「お目覚めでございます」
声が揃う。
なぜ揃ったのかはわからない。
一人が水を差し出し、
一人が上着を整え、
一人が髪に触れる。
触れ方は丁寧だ。
だが慣れている。
「……ここは?」
私が聞くと、
美女たちは一瞬だけ視線を交わした。
「お目覚めの場所ですわ」
それ以上でも以下でもなかった。
体を起こすと、
部屋の中央に――令嬢がいる。
椅子に座らされ、
両手は縛られている。
だが乱暴されている様子はない。
服も整っている。
表情も、怯えているが、叫んだりはしない。
「おはようございます」
彼女は、なぜか私にそう言った。
「……おはようございます」
挨拶が成立してしまった。
「今日だと思っていましたの」
何が、とは言わない。
だが合っている。
そのとき、音がした。
最初は、弦。
部屋の奥の扉が開く。
そこには――オーケストラが整列していた。
フル編成だ。
譜面台もある。
椅子も並んでいる。
なぜか、音合わせは終わっている。
指揮者が、こちらを見る。
無言で、軽く一礼した。
まだ指揮棒は振られない。
起床のシーンだからだ。
美女の一人が、囁く。
「少々お待ちください。主旋律は、連れ出しのあとになります」
なるほど、と思った。
なぜそう思ったのかは、考えない。
令嬢が立ち上がる。
縛られているが、歩ける。
「参りましょうか」
誰に言ったのかは不明だ。
だが全員が頷いた。
私が彼女の腕を取る。
自然な動作だった。
拉致の開始だ。
指揮棒が、止まっていた。
振り下ろされるはずの角度で、
ほんのわずか、迷っているように見えた。
その瞬間、
音楽ではない音が聞こえた。
拍手の練習のような、乾いた音。
誰かが、どこかで数を取っている気配。
私は思わず、視線を上げた。
天井の向こうに、
天井よりも暗い空間があった。
照明でも、夜空でもない。
奥行きだけがある、何も置かれていない場所。
誰かの目が、そこにある気がした。
評価でも、敵意でもない。
ただ「見ている」という感触だけがあった。
その瞬間、
指揮棒が振り下ろされる。
天井の向こうは、なかったことになった。
音楽が始まる。
壮大で、無駄に感動的で、
この行為が「正しい場面」であると錯覚させる旋律。
美女たちは左右に分かれ、
道を作る。
誰も走らない。
急がない。
逃げる必要がないからだ。
廊下を進むたび、
音楽は少しずつ盛り上がる。
令嬢は俯いているが、
足取りは乱れない。
「……助けは、来ますわよね」
私を見ずに言う。
「来ます」
即答だった。
根拠はない。
だが予定に入っている。
階段を降りる。
重い扉を抜ける。
音楽は最高潮に向かう。
そして、
次に天井が爆発する。
それまでの間、
この世界は完璧に整っている。
誰も疑問を持たない。
誰も説明しない。
私は調整係として、
ただ役割を果たす。
お嬢様をさらい、
美女にかしずかれ、
オーケストラに見送られながら。
このあと、
正義が名乗り、
戦闘が始まり、
彼女は救出される。
だが今はまだ、
音楽が鳴っている途中だ。
だから誰も、
止めない。
指揮棒が振られている限り、
すべては正しい。
その瞬間だった。
――天井が、意味もなく爆発した。
爆風とともに現れたのは、全身タイツの正義の味方だった。
白を基調にした配色。胸には抽象的なエンブレム。
どこかで見た気がするが、どこで見たのかは思い出せない。
「悪は滅びる運命だ!」
理由は語られなかった。
「待て、君は誰だ!」
幹部が叫ぶ。
「正義だ!」
それ以上の説明はない。
正義とは名乗るものであり、説明するものではないらしい。
銃声が響いた。
だが不思議なことに、弾は一発も当たらない。
正義の味方は跳び、回り、ポーズを決める。
物理法則が、なぜか彼に協力的だった。
「なぜだ……なぜ当たらない……」
「優秀だからだ」
天才軍師が静かに言った。
なぜ彼がそう判断できるのか、やはり誰にもわからない。
次の瞬間、光。
説明のない必殺技が放たれ、
理由のない衝撃が襲い、
根拠のない爆発が、すべてを吹き飛ばした。
私は宙を舞いながら思った。
――ああ、これも「そういうもの」なのだ。
資金源不明の悪は、
理由不明の正義に、
因果不明のまま敗北する。
瓦礫の中、正義の味方は一言だけ残した。
「平和は守られた」
何がどう守られたのかは、誰にもわからない。
その背中を最後に見た。
シートベルトも締めず、ヘルメットもなく、令嬢と二人乗りで、
だが決して事故には遭わない後ろ姿だった。
――こうして《黒曜会》は壊滅した。
なぜ巨悪だったのかは最後まで不明のまま。
だが世界は満足した。
悪が倒れ、正義が勝った。
理由は不要だった。
そして瓦礫の中で、
私はなぜか無傷で立ち上がり、
なぜか次回作への登場が示唆されるのだった。
世界は、何事もなかったかのように回り続ける。
後日届いた採用メールにも、違和感はなかった。
件名:次の物語について
部署:裏ボス
備考:設定上、死なない人
私は返信した。
――了解しました。予定は、こちらで合わせます。
なぜか、それで問題はなかった。
世界は作り物だ。
だが作り物であること自体が、最も自然な前提なのだ。




