独り -3
ざわつく気持ちが家の中では落ち着いてくれそうもないので、いったん外へ出た。徒歩30分かかる駅までの道を、15分足らずでついてしまった。
いつもと違うことをすれば多少は気持ちがまぎれるかもしれないと思い、入ったことのない飲食店を探す。周囲を見渡すと、すぐ目の前に古ぼけた洋食屋が目についた。大晦日だというのに営業している。
昼時なのにお客さんはいなかった。自粛が叫ばれていてるし、大晦日。周囲にファミレスもあるのでしょうがない。
コック帽をかぶった店員にカウンターへ通される。席に座り、カツカレーを注文する。店員がキッチンの方へ行くと、僕は再びスマホを取り出して、小説を書こうを開く。画面が切り替わるまでの間に店内を見渡すと、奥のテーブル席に予約席の札が置かれているのに気づく。その札には、予約しているお客さんの宛名まで書かれている。丁寧な店なのだろう。
モカトと2度目のデート。前回2人だけで会ってからまだ1週間。それでもみちゃこは待ち遠しくてたまならない日々だった。会う直前まで、不倫ということへの罪悪感と葛藤していたのだが、会った瞬間に消えた。
知り合いに見られてはいけないから、離れた小さな駅の前での待ち合わせ。それでも、休日の夕方なのでそれなりの人が行き交う。
本当は、再会した瞬間にキスをしたいが、さすがにこれだけ人がいては出来ない。みちゃこがそう思った瞬間、モカトの方からキスをしてきた。しかも、モカトの舌がみちゃこの唇の中に入っている。さすがにここではと、みちゃこは両手をモカトの両肩に当て押し返そうとした。しかし、その手はあっという間に、モカトの肩の後ろに回る。
「見ちゃダメ」
そんな声が周囲から聞こえてくる。きっと、親子連れなのだろうと思うが、みちゃこはもうそんなことはどうでもよくなっていた。密着した身体と身体。みちゃこのお腹辺りに、ジーンズ越しにもわかるほど固く膨らんだものが当たっている。モカトはすぐにでもホテルへ行っしまいたいのだろう。でも今日は、大人な女性という部分を見せようとプランを考えてある。もちろんそれが、モカトの気持ちを焦らすことになるのも計算済みで。
タクシーが、静かな住宅地の中で止まる。なぜこんなところに来たのだろうかと周囲を見渡すモカト。その手を握り、みちゃこが目の前の高級住宅の脇道に入る。裏口らしき扉を開くと、そこはイタリアンレストラン。知る人ぞ知る、隠れ家的なお店。
シェフに、席へ案内される。奥にあるテーブル席には予約の札が立ててある。その札には名前が書かれている。
Mr.MOKATO Ms.MICHAKO
「お待たせいたしました」
コックがカツカレーを出してくれたその時、胃液が飛び出すのではないかと思うほどの衝撃を受けた。それはカツカレーに対してではない。小説内で予約の札に書かれている名前。平仮名では気づかなかったが、ローマ字で見ると一目瞭然だった。
MACHIKO まちこ
MICHAKO みちゃこ
AとIを入れ替えただけの名前。不安がよぎる。この小説は、本当に真知子の願望なのではないかと。考え過ぎだろうと心の中で自分に言い聞かせるが、走り出した思考は止まらない。不倫相手の名前も同じように考える。よく知った名前が頭に浮かぶ。その瞬間、さすがにこの名前で不倫願望ではないだろう。
MOKATO モカト
MAKOTO マコト
本当に不倫願望があるなら、不倫相手の名前を産まれたばかりの息子の名前にするはずがない。そう思い込もうとして、食欲を失った胃袋にカツカレーを押し込んだ。




