1-4 小さな改革 ― 衛生と食事から
「まずは、衛生管理からだな……。」
私は紅茶をもう一口飲みながら、修道院の惨状を思い返す。
水は泡立ち、厨房は煤まみれ、寝具は染み付き。
これ、信仰施設というより、どっかの国のレンジャー養成施設では?
「マリアンヌ、浄化魔道具の在庫、確認してくれる?」
「はい。馬車の荷台に三基積んであります。うち一基は、領地で使用していた高性能最新型です。」
「さすがお父様。娘のスローライフのために、設備投資を惜しまない。……でも、スローライフって設備投資から始まるものだったっけ?」
「?さあ?」
マリアンヌが魔道具の設置準備を始める横で、私は厨房へ向かった。
修道女たちは、私の姿に気づくと一瞬たじろいだ。
まあ、昨日の到着時に「紅茶と読書のために来ましたー」と言い放った人間が、翌日には厨房に乗り込んでくるんだから、そりゃ警戒もするよね。
「皆さんごきげんよう、少しだけお時間をいただけますか?」
私は微笑みながら声をかける。
貴族令嬢モード、オン。
でも内心では、"この厨房、保健所が来たら即営業停止だな"と、前世の社畜センサーが警報を鳴らしていた。
「まずは、衛生講習をしましょう。手洗い、消毒、食材の保存方法。……ええ、信仰よりも先に命を守るために。」
修道女たちは戸惑いながらも、私の話に耳を傾けてくれた。
中には、真剣な表情でメモを取る者もいる。
そのメモ帳、カビてない?大丈夫?読める?
「次に、献立の見直しです。パンと草水だけでは、信仰も栄養も持ちません。」
私は、領地から持ち込んだ保存食と調味料を取り出す。
干し肉、乾燥野菜、スパイス各種。
これだけで、昨日の「石パンと草水」が「煮込みスープと香草パン」に進化する。
この国の宗教の戒律に食材の制限などないのは確認済み。
公爵領へ保存の効く食材の発注もする。
発注といってもお金を払う必要はない。それはなぜか。私が幼少の頃より公爵領の農業改革を行い食料生産量を3年で1.5倍にし、2年前に起きた帝国北部の飢饉を救った公爵令嬢だからだ。
我が領都には常に領民を2年程食わしていけるだけの食料が詰まった備蓄倉庫が存在しているのだよ。えっへん。
まあ、手柄は全てあの空気の読めない他力本願皇子に取られたけど。
皇妃が言うには妻は常に夫を立てるものです。だそうだ・・・うん。そうだね。クソが。
冷害発生による北部飢饉の前兆を捉えていたのも私。
事前に南東部の公爵領から北部各所への大型ロジスティクスを構築したのも私。
これ見よがしに隣国がちょっかいを出してきたのを未然に防ぎ、処理したのも私。(実働は公爵領暗部)
飢饉による食料不足対策として帝都に大型備蓄倉庫の建立を立案したのも私。
備蓄倉庫は常に満杯にし、新たに収穫された穀物を購入し、古い穀物から安く商人に卸し、帝都民へ還元し皇室への支持率を上昇させる方策を考えたのも私。
その他諸々、色々やったけど、みーんな手柄はアイツの総取り。
飢饉の対応、対策は全部皇子がやったことになっている。
なんか思い出したらイライラしてきたぞ。
お湯で戻した乾燥野菜と、外で見つけたハーブをスープ用に千切りにしていく。うん、さすがに包丁は手入れされてるね。
カカカカカカカカと千切りにされていく手際を見て、近くにいた修道女が感心している。
「……エリシア様、まるで料理人のようですね。」
いや、すみませんす。イライラしてるだけっす。
アホ皇子の顔を思い出すとどうもね。
あの皇子、私の功績をさも自分がやったように振る舞い、私に感謝を述べるどころか死人が出る前になぜもっと早く行動しなかったと叱責しやがった。
あのね、当時私は14、5歳の小娘よ?帝姫教育を受けているとはいえ、男尊女卑の世界でお父様やお母様以外の帝都のお偉いさんに進言できると思う?
まずは国務尚書で公爵であるお父様に相談してから宰相にまず話が伝わって・・・っていうルーチンじゃなきゃ国も動かねーよ。ワンテンポ遅れてタイムラグが発生するのはどうしようもないだろ。
それに一連の政策を空気の読めないあんたに直接説明しても半分も理解できないまま正確に上に伝わらないだろうがよ。
って言えばよかったのかなぁ・・・。
そうすればもっと早くここに来れたかもなー。
あー愚痴っぽくなるなー。
中身おっさんだからかなぁ。
野菜を鍋に入れ、一口大に切った干し肉を投入。塩味は干し肉から出てくる。
ちょいとハーブで味を整える。
味見してみた。うん、いけるね。
修道女たちが少しずつ笑顔を見せ始める。
厨房の空気が、ほんの少しだけ温かくなった気がした。
午後、マリアンヌが水回りの整備を終えて戻ってきた。
「全ての井戸の浄化完了。魔道具の設置も済みました。水質は改善し、飲用可能となりました。・・・エリシア様、眉間に皺がよってご尊顔が大変なことになっております。」
「おっと、いけないわ。とんでもなくアフォな皇位継承権一位の方の顔を思い出してしまって。」
私は両手で顔をはさんでグニグニとマッサージする。
「心中お察しします。暗殺できれば良かったのですが…。」
「うん、やめてね。」
苦笑しながらもマリアンヌは同情してくれた。
「井戸の件でしたわね。ありがとう。これで泡立つ水から卒業ね。……泡立つ水って、何だったんでしょうね。魔物の唾液とかじゃありませんわよね?」
「調査は継続中です。魔物の唾液の可能性も否定できません。」
「う。やめてちょうだい。飲んじゃった人がいたらどうするの。もはやあれは通常の神聖魔法で浄化できるレベルじゃないわ。」
夕方、修道女たちが嬉しそうに新しい食事を口にしている様子を眺めながら、私は紅茶を淹れてもらう。
「……これだよ、これ。私が求めていたスローライフ。紅茶と、静かな時間と、ちょっとしたゆとり。」
マリアンヌが隣に座る。
「明日は寝具の整備ですね。洗濯体制の構築と、衣類の補充も必要です。」
「うん、そうだね。……でもさ、これって完全に仕事だよね?何度も言うけどさ、転生してまで社畜って、どんな罰ゲーム?」
マリアンヌは無言でサムズアップした。
その笑顔が、なぜか背筋を寒くさせるのは気のせいじゃない。




