1-32 土下座な侍女と水守との交渉
砂漠の修道院・私室
朝、目が覚めると、ベッドの横でマリアンヌが土下座していた。
え?なんで?
「おはようございますエリシア様、その…昨日はこのマリアンヌ、これまでの人生で一番の醜態を晒してしまい、誠に申し訳ございませんでした…かくなる上は、この身の死をもって償いしたいと存じます」
イヤマテ。なぜそうなる。
私の唄い損になってしまうだろ。
「いやいや、怒ってないからね。そもそも怒る要素ないから。……この調子でずっと私を守ってね、マリアンヌ」
ニコリと微笑んでみせると、彼女はガバリと顔を上げ、目から大粒の涙がぽろぽろと。
「うぇ…エリシアさまぁぁぁ!ありがどうございばじだ~!」
号泣しながら突撃してくるマリアンヌを受け止める。
うん、柔らかいお胸が当たって嬉しいけど……あ、その胸今日は本物だね。
ああー、涙を夜着で拭くなよ。え、それ鼻水?ヤメテ。
よし、感動の再会。勢いに乗ってこのまま書籍化だ。
マイク■マガジン社がいいな。
前話タイトルは『侍女、毒剣に倒れるも腹筋で逆転』とかどうだろう。
「グスっ…申し訳ありません、エリシア様、おかげで落ち着きました」
それは良かった。 一旦離れてベッドから降り、テーブルにつく。
相変わらずの手際で、マリアンヌが朝の紅茶を淹れてくれる。
うん。ウマイ。
マリアンヌが生きててホントによかった。
昨日の儀式の後、皆疲労していたので、部族の人々も含めて休養することになった。
水守曰く、儀式の後はいつもそうなのだそうだ。
「大儀だった。そなた達の“器”、しかと見届けた。これにて水は、我ら、そしてそなた達と共にあろう。一旦休養を挟み、こちらから訪れよう。今後の話をしたい」
そう言って、水守は部族の人々と共に静かにその場を辞した。
“器”か。
あの言葉、ちょっと重いけど、嫌いじゃないな。
私は紅茶を一口飲みながら、机の上に地図と資料を広げる。
次の段取りは考えておかないと。
「マリアンヌ、今日の体調は?」
「問題ありません。毒の残滓も消え、魔力循環も安定しております。ただ、腹筋が少し筋肉痛です」
「……それ、剣を腹で止めたからよね?」
「はい。ですが、エリシア様の補助魔法と、精霊の奇跡のおかげで命を繋げました。……それで、ひとつだけご報告が」
「……うん。ほんとによかったわ。それで?」
「はい。あの黒ずくめの男…かなりの手練れでした。そして…私はあの剣筋によく似た剣術を知っております」
「……」
うん、それは私も気づいてた。
あの速さ、挙動すら読めない理不尽な太刀筋…。
「あれは、……カイン様によく似ておりました。本人と言っても間違いではないでしょう」
考えたくはない。
でも、身長、体格、剣筋はあまりに似すぎている。
「ですが、あの優しい?カイン様が、猛毒を塗った剣で問答無用に私の腹を貫けるはずはございません」
そうだ。仮にも剣を教えた生徒だ。
まあ、訓練にマリアンヌはほぼ参加しなかったが。
ただ休憩のときに、よく私への忠誠と愛について楽しそうに会話していたのを見ている。
その会話が成立しているのかは、甚だ疑問であったが。
「そうね。おそらく別人と見るべきね。ただ、事情はあの変態に聞く必要はあるわね。まずは……父様に報告ね」
「……はい」
私は唇を指でなぞる。
昨日、噛みすぎて血が滲んだ場所。
今はもう、痛みはない。
正直もう二度と、あんな思いはしたくない。
相手の力量を読み切れなかった私の落ち度だ。
マリアンヌと互角だったあの”牙”でさえ重傷を負ったというのに。
これからは、最初からバフ盛でいこう。
「今日の予定は、午前は休養。午後は水守との面会。あと、精霊花の植栽地の確認と、遮風林の苗木の配置調整。魔力水槽の設置は明日以降に回すわ」
「了解しました。補助班に指示を出しておきます」
マリアンヌが、紅茶を注ぎ直してくれる。
香りが立ち、心が落ち着く。
私は、窓の外を見やった。
昨日まで乾いていた砂の地面に、薄く水が広がっている。
遠くには、精霊たちが舞う光が見えた。
この地に、水が戻った。
それは祈りと剣と、唄と涙の結晶。それと腹筋。
「……さて、次は“交渉”ね。奇跡の後には、現実が待ってる。考えたくねーけど」
私は、手帳に記録を残す。
砂漠修道院・儀式後記録
水守:儀式成功。交渉意欲あり。
部族:休養中。精霊との関係安定。
マリアンヌ:生存。腹筋で剣を止めた。紅茶の香り、安定。
エリシア:紅茶と皮肉と段取り担当。仕事したくねぇ。
刺客:オネェにそっくり。でもオネェじゃない。なにもんだ。
空気:湿度上昇。平均値、回復中。
扉を開け応接間の中に入ると、ソファにはすでに水守が座っていた。
その対面にはユリウス。
私はユリウスの隣に座ると改めて水守を見る。
彼女は目を瞑っており、静かに紅茶を飲んでいる。
その後ろには儀式の奇跡ですっかり回復した牙が立っている。
ふと、彼女は目を開けた。
あれ?光ってない。
儀式まではギラギラ光線出てたのに。
瞳は金色。吸い込まれそうな澄んだ瞳だ。
…うん、普通に美人だ。
不思議そうに瞳を見つめる私に、彼女はふっと微笑んで答えた。
「昨日ぶりだな調停者よ。落ち着いたようだな。…気になっているようだから説明するが、この目は儀式をすると元に戻る。目が光るのは精霊たちが儀式を急かしている証拠だ。彼らは可愛いが我儘でな。儀式で色々と奉納せねば拗ねてしまうのだよ」
なるほど。精霊の巫女というのも難儀なんだな。
「なるほど。精霊の巫女というのも、なかなかの激務なのね」
私は紅茶を一口飲みながら、彼女の言葉を咀嚼する。
精霊に急かされるって、どんな職場環境よ。
ブラックどころか、神秘的パワハラ。うん、理解が及ばない。
水守は、私の皮肉を受け流すように微笑んだ。
その笑みは、昨日の儀式の厳粛さとは違い、どこか人間らしい温度を帯びていた。
「まずは礼を。そなたの唄のおかげで牙は回復した。あの刺客は捕らえきれなんだが、またすぐに襲ってくるということはなかろう」
私は頷く。
そうね。私もそう思う。マリアンヌの靴剣には強力な麻痺毒が塗られているし。
逆に早々に引き上げた判断は称賛に値する。
「それと儀式自体の話だが……精霊は気まぐれ、悪意はない。ただ、彼らの“喜び”が、時に人の命を左右する。昨日の奇跡も、そなたたちの“器”があったからこそだ」
「……器ね」
この前から何度も言われている言葉。
でも、器ってなんだろう。
魔力?信念?まさか腹筋?
「器とは、精霊が宿る余地のことだ。力を誇る者ではなく、受け入れる者にこそ精霊は応える。それは時に祈りであったり、唄であったり……」
水守の言葉は、静かに、しかし確かに胸に響いた。
マリアンヌの腹筋が精霊の器だったとは思えないけど、まあ、あれはあれで奇跡だった。
唄ったことを既に忘れようとしている私である。
「それで、今後の話だけど」
私は手帳を開き、交渉の本題に入る。
「水源の安定化には、魔力水槽の設置と遮風林の育成が必要。精霊花の植栽も進めるけど、部族の協力が不可欠よ。この地を再び“祈りの場”にするには、あなたたちの意志が要る」
水守は頷いた。
ユリウスが隣で静かに記録を取っている。赤ペンで。
彼の存在が、場の緊張をほどよく引き締めてくれる。
「そなた達であれば我らは協力を惜しまぬ。ただし、過去の傷を癒すには、時間と誠意が要る。調停者よ、そなたはその両方を持っているか?」
「誠意はある。……と思うわ。時間は……紅茶の温度次第ね」
金でいいならね。色々台無しだが。
水守がくすりと笑う。
「そなたが飛竜を呼び色々やっていたのは知っている。そこの牙も驚いていた。それに比べてここの前任者はこの現状を変えようとすらしなかったからな……ああ、その修道院長だが、こちらで保護……というか軟禁だな。うちの部族で預かっているから、あとで届けよう」
おおう。修道院長、殺されてなかったよ。
まんまと騙された。
え、ということは?
「では、教会本部から支援が届かなかったのは?」
「ああ、全てあの修道院長だ。人知れず大量の物資を持ち逃げしようとしたところを、牙が見つけてな。そこで捕らえた。物資の中の生ものはほとんど失われたが、それ以外はこちらで保管している。それも後で届けさせよう」
oh……救いようがないな、保守派。
「それは、本当にご迷惑をお掛けしました……」
ユリウスが、無言で紅茶を注ぎ直してくれた。
さすが、空気を読む査察官。
「では、まずは精霊花の植栽地を共に見ようか。精霊たちも、そなたの手を気に入っているようだ」
「……手?……私の?」
「昨日、唄った時の手の動き。精霊は、音と動きに敏感なのだ。そなたの“平均値”は、彼らにとって心地よいらしい」
驚いた。まさか彼女の口からその言葉が出てくるとは。
平均値。 精霊にも通じるのか、私の平均値。
よし決めた、ここに永住しよう。




