X-31 夏期講習?
領都グランディア・領城、訓練場
視点・エリシア12歳
「あっつ……」
前世では東北出身、生まれは太平洋沿岸の港町だった。
故郷は夏でもカラッとしていて木陰はとても涼しかった記憶がある。
更にたまに”やませ”という梅雨期から盛夏期にかけて吹く北東風が心地よく、快適な夏を過ごしたんだけど。
ここ領都グランディアは海に面しているものの、海からの風は生温かく、湿気を含んでベッタベタ。
勘弁してください。神奈川ですかここは。
(神奈川の人ごめんなさい。神奈川でも気候の良い場所があるのは存じております)
こうゆう湿度の高い地域は、椎茸やブロッコリーが良く育つ。
いかんいかん、内政頭になってるな。
今日は夏季休暇でダラダラ過ごすのも体に悪いので、公爵領のコネを使って講師をお招きし、特別夏期講習を実施しておりますよ。
参加者は私と、マリアンヌと、兄トリスタン、兄の侍女オンディーヌ、そしてリュディアだ。
いつメンというやつだ。
講習と言っても、今日は剣術の講習…なのだが…。
「さあ、始めるわよん♡、まずは素振りからね♡狙った獲物は逃がさない!一振り一振りに激情を込めて振るのよぉ♡」
おい。誰だ講師にこいつ呼んだの。
こいつも暇なんか?
あからさまにトリスタンを見る目が危ないのだが。
ひと夏の過ちを犯したい顔で兄上を見るな。
青少年保護条例はグランディール領法にあったかな?
カイン・ジル・アンデルセン。
父の学院時代の同級生で、剣の達人。
おそらくは帝国内ではぶっちぎりの強さ。
帝国騎士団の騎士団長をも下す、もはや剣聖にもっとも近いと言われている漢。
漢…。
「ああっ。トリスタンきゅん、その振り方とっても素敵ね!アドバイスするとぉ、もうちょっと腰を使ってスナップを効かせるように振るといいわぁ♡剣はぁ、腰で攻めるのよぉ♡強弱をつけても気持ちよくていい感じよぉ♡」
おい。マジでやめろ。
それ以上卑猥な表現をすると、せっかくなろう小説で頑張ってる作者が次のステージに進んじまうじゃねーか。
「あ、オンディーヌちゃんはそれでいいわ。続けてね」
そして女子に対してとてもクール。
いやいやいや。もうだめだろこの講師。
「教官!大剣の場合はどのような振り方が一番効率が良いですか?!」
お、リュディアは今日はグレートソードを振っている。
小柄な身体なのに、軽々振り回しているぞ。
その姿は、もはや“皇女”というより“戦姫”である。
「いい質問ねぇ♡リュディアちゃんはねぇ、筋力と魔力のバランスが良いからぁ、振り抜く時に重心を前に出して、腰を落としてぇ、こう――」
カイン教官が、腰をくねらせながら実演する。
いや、くねらせなくていい。
誰もそんな妖艶なフォームを求めてない。
「……教官、それは“剣術”ではなく“舞”では?」
私のツッコミは届かない。
カイン教官は、もはや自分の世界に入っている。
「オンディーヌちゃんはぁ、剣の角度がとっても美しいわ♡ でもねぇ、もう少し“殺意”を込めて振ると、もっと素敵よぉ♡」
「殺意……ですか?」
オンディーヌが首を傾げる。
「そう♡例えばぁ、相手がぁ、せっかくエリシアちゃんが淹れてくれた紅茶をこぼしたと想像してみて♡」
「……それは、確かに殺意が湧きます」
「ちょっと待って。私の紅茶を基準にしないで」
おまえはマリアンヌじゃないだろうが。
うちの侍女たちはどうしてこう…。
トリスタンは黙々と素振りを続けている。
兄上は、カイン教官の視線に気づいていないのか、気づいていて無視しているのか。
どちらにせよ、精神力が強すぎる。
「トリスタンきゅん、その無言の集中力……たまらないわぁ♡ 剣の道は、孤独と情熱の交差点なのよぉ♡」
「……兄上、逃げて」
マリアンヌは、黙って私の隣に立ち、冷茶を差し出す。
「エリシア様、気温が平均値を超えております。水分補給を」
「……ありがとう。紅茶の温度管理が、私の精神安定に直結してるから」
でもなマリアンヌ、あんたは素振りしないのか。
訓練場の空気は、熱気と混沌に満ちていた。
剣の音、掛け声、そしてカイン教官の“愛の叫び”。
私は、手帳に記録を残す。
夏季特別講習・記録
リュディア:戦姫モード。グレートソードを振り回す皇女。
オンディーヌ:天然炸裂。殺意の定義が紅茶基準。
トリスタン:無言の集中力。カイン教官の視線に晒される。
マリアンヌ:冷茶の守護者。平均値の管理者。
カイン教官:剣聖にして舞姫。混沌の中心。
エリシア:紅茶と皮肉とツッコミ担当。
空気:湿度高め。平均値、今日も迷子。
こうして、エリシア12歳の夏季講習は、紅茶と剣と混沌に包まれて進んでいく。
平均値は見失われ、巻き髪は乱れ、でもツッコミは今日も冴え渡る。
次は――“カイン教官の恋愛講座”が始まるらしい。
紅茶は冷茶に変わり、精神は耐久戦へ突入する。
た、耐久戦?!




