1-30 砂の支度 ― 修道院と緑と飛竜便
ストックなくなりました。以後は不定期です。申し訳ないです。
砂漠の修道院
「……まず、通信魔法の干渉率を確認。風砂の影響、許容範囲内」
”水の部族”、砂漠の祭壇跡から戻った私は、修道院の執務室に腰を下ろした。
儀式まで残り5日。
この地における調停の成否は、環境と信頼の積み重ねにかかっている。
魔力を整え、通信魔法陣を展開する。
身体からごっそり魔力が抜かれる。通信魔法は高度で燃費が悪い。
しかも、戦やテロにも有用な為、下位貴族や平民には伝わっておらず、高位貴族以上の権限を持つ者にしか使用は許可されていない。
ん?公爵令嬢は娘であって公爵ではない?
そんなもん気にすんな。教わってしまえばこっちのもんだ。
かわいい娘の為に、胃薬を飲みながら喜んで教えてくれた男がいるのだよ。
宛先は、グランディール公爵領・グランディア領城・執務補佐室。
父の執務室の隣にある部屋。
伯爵以上の身分の者が待機してるはず。いつもならマリアンヌの父ちゃん(伯爵)とか。
「こちらエリシア・フォン・グランディール。砂漠修道院にて儀式準備中。以下の支援物資を至急、飛竜便で送ってください。水、保存食、医療資材、魔力補助具、遮風林用苗木、精霊花“青銀の花”の種子。着地座標は修道院南の岩棚。魔力障壁は解除済み。風向き安定」
青銀の花とは、この世界にある精霊花と呼ばれる特殊な多年草。
水分ではなく魔力で成長し、人の膝の高さぐらいになり花をつける。
正確には周囲の魔力を葉で吸い、その魔力を水へと変化させ葉から土に落とし、根から吸い上げる特殊な性質を持つ。
青みを纏った銀色の花が咲くと、そこから微量の魔力を発散させ、周りの同じ青銀の花の手助けをする。
精霊の力が強ければ、暑い、寒いなどの風土は関係なく様々な地域に生息する、不思議な植物だ。
ここは特に土の精霊の力が強いから、種を植えた最初さえ気を付ければ、問題なく育ってくれるだろう。
数秒の沈黙の後、返答が返る。
「こちらアマリリス。了解。飛竜便、明朝到着予定よ。補給班三騎。指揮官はマルクス・ガンド副隊長。……エリシア、無理をしないでちょうだいね」
受けたの母でした。
高位貴族……公爵夫人だけれども。
まあ、話が早くて助かります。
「……マルクスか。手堅い人選ね。助かるわ」
夜間飛行になるか。飛竜も騎手も苦労をかけますな。
通信を終えた私は、地図と資料を広げた。
この修道院は、かつてはそばにオアシスがあり、部族との交流もあって水守の祈りの場としても栄えていた。
キャラバンもひっきりなしに訪れ、無理なく砂漠を越えていた。
だが、2年前に実務派から保守派の修道院長に代わってからは、修道院そばまで伸びていたオアシスが徐々に干上がり、現在は風化と放置で荒れ果て、精霊の刺々しい気配だけが漂う。
元は琵琶湖ほどの大きさであったであろう巨大なオアシスは、今や今日行ってきた祭壇の後方、部族の居住区内にわずかに残るのみ。
部族が外との交流を絶ち、途中で水が補給出来ないとなると、隣領への近道であったオアシス経由の道も絶たれ、砂漠を大きく迂回するルートしか取れなくなってしまった。
「マリアンヌ、周辺の魔力分布と土壌の状態を調べて。地下水脈があれば、灌漑計画を立てる」
「了解。魔力探査、開始します」
マリアンヌが静かに辞する。
そして私は、前世の記憶を呼び起こす。
かつて、砂漠緑化プロジェクトに関わったことがある。
魔法のない世界でさえ可能だったのだ。
この世界であれば、もっと効率的にできるはず。
「遮風林には魔力強化型の耐乾性植物を。水源は魔力循環式水槽で補助。点滴灌漑は魔力管で代用可能。精霊花は東側の斜面に植える。風の通りと日照を考慮して……」
私は、修道院の地図に印をつけながら、計画をまとめていく。
修道院環境改善計画(暫定)
南側:遮風林用苗木配置。風砂の緩衝帯。
西側:魔力水槽設置予定地。精霊の気配安定化。
北側:点滴灌漑用魔力管敷設ルート。
東側:精霊花“青銀の花”の植栽地。土壌改良必要。
地下水脈:浅層に反応あり。魔力ポンプで引き上げ可能。
これで後は部族との交渉を成功させるのみか。
いやもう今までごめんちゃい。許してちょんまげって言うしかないんだけれども。
相手にとってはこっちの保守派とか実務派とかまったく関係のない話だろうから。
「……」
私の仕事ぶりを、じっと見つめるユリウス。
ここに帰ってきてから一言もしゃべってないよこの人。
逆に気味が悪いんだが。
「……赤ペン先生、なんです?」
「……いや、毎回こんなことをしているのかと思ってな。それと、本当に学院を中退した17歳か?砂漠の緑化など、初めて聞くが」
失礼な。中退じゃねーよ、追放だよ。しかも父みたいなセリフ吐くな。
「ハァ…もちろん働きたくはないわ。けど、スローライフのための生活環境を改善する度に、こうなってしまうのよ。なぜかしらね」
ラファエロ猊下と繋がりのあるユリウスを睨みつける。
せめて転勤しないようには出来ないもんかね。
水の問題が片付いたら、もうずっとここでいいからさ。
マリアンヌが戻ってくる。
「エリシア様、地下水脈、深度約12メートル。魔力反応安定。土壌は乾燥しておりますが、魔力導入で改良可能です。それと、ユリウス様に当たるのはお門違いです。ここは教皇を処す旅の許可を頂けると。」
「うんやめてね。査察官の前で教皇猊下を処すとか言わない。それに、転勤命令出してるのは枢機卿会議というか、たぶん発案はラファエロ枢機卿よ。教皇猊下じゃないわ」
教皇はあくまで教会の象徴であって権力は持ってない。
彼は教会内の権謀術数の波に飲み込まれ、這う這うの体で脱出してきた、疲れ果てた優しいおじいちゃんだ。
ユリウスはモノクルをくいっと掛けなおして言った。
「一応、表向きは巡礼という事になっている。私には転勤を取り止める権限はないが、ここの問題が解決したらしばらく休ませてほしいと言っていたと、定期連絡で伝えよう」
「ハァ……期待しないでおくわ」
本来巡礼って自己志望から旅立つもんじゃないの?
マジで半年ぐらい休ませてほしい。
まー、まずは目の前の問題か。これを解決しないと休みもないわけよ。
「話を戻すわ。水脈に関しては上出来よ。砂漠で深度12メートルの浅さも精霊の仕業でしょうね。ただここでは勝手に水を掘るのは精霊のご機嫌を損なうようだから、掘削は儀式で”水守”を通して精霊の許可を得てからよ。明日の便で資材が届けば、儀式前日には最低限の環境が整うわ」
私は、窓の外を見やった。 砂の風景に、わずかに緑の気配が混じり始めている。
それは、変化の兆し。
この地に、再び祈りが根付くための布石。
「……精霊の機嫌を損ねるわけにはいかない。“調停”とは、まず場を整えることから始まるのよ」
こうして、エリシアは砂漠の修道院を再び“水守の祈りの場”へと変えるべく、静かに準備を進めていった。
魔法と知識、信頼と段取り。 新しい紅茶はまだ届かない。
だが、儀式の舞台は着実に整いつつある。
5日後には儀式当日。
精霊と水守、そして牙を持つ者たちとの対話が始まる。




