1-29 牙と調停 ― 砂漠にて
砂漠の祭壇跡・帰路
「……まず、風の向きを確認。よし、待ち伏せに最適」
砂漠の祭壇跡からの帰り道。
夕陽が赤く地平を染め、風が砂を巻き上げる。
その中に――気配があった。
ユリウスが呟く。
「…来るな…予想通りか」
私はサーチ魔法を発動。
「くるわマリアンヌ、右斜め前。距離、二十三歩」
「確認しました。獣人種、単独。武装あり。殺気、強」
次の瞬間、砂が跳ねた。
飛び出してきたのは、灰色の毛並みを持つ狼獣人。
両手には鉄の爪。 目は血のように赤く、牙が剥き出し。
「……やはり来ましたか。”水守”の犬」
「違うな。俺は牙だ。水守様の誇りを汚した者に、牙を向ける者だ」
声は低く、獣の唸り混じり。
でも、言葉は明瞭。 理性と怒りが同居している。
先日資料を読み込んだ際、水守には護衛、またはその手先として”牙”と呼ばれる者がいると記されていた。
その者は、”水守に仇名す者を滅ぼす者”として…。
「修道院長を殺したのは貴方ね?それに、教会からの支援物資を止めたのも」
「…奴は、精霊を“道具”と呼んだ。水守様を“異端”と笑った。だから俺が裁いた。牙でな。異教徒などいらん。我が故郷に混乱を招くだけだ」
前任の修道院長は砂漠の厳しい環境に耐え切れず逃げた…と記録には記載されていた。
だが、そのあとの足取りが掴めず、教会本部にも記録はなく、赤ペン先生でも解明できなかった。
可能性はいくつかあった。そのうちのひとつ、失踪ではなく、”殺されている”と。
「……なるほど。動機は情、手段は牙、結果は死体。でも、今は私が調停役。その牙、私に向けるのは筋違いじゃない?」
「貴様が“調停”などと異教徒の身分で口にするからだ。精霊を侮辱した者どもと、対等に話すなど――」
あ、セリフの途中で襲い掛かってくるのね。
「あー、ここで話が通じないタイプ来たわね。かえって分かりやすくて重畳」
私は即座に防御魔法を展開。
魔力の膜が、鉄の爪を弾く。
だがこの防御結界も万能ではない。強力な物理攻撃でガリガリと削られる。
防御結界に沿って火花が散り、砂が舞う。
「マリアンヌお願い。手加減してね」
「…了解。制圧、開始いたします」
マリアンヌが動いた。
修道服が翻り、暗器が閃く。
狼獣人の爪と、マリアンヌの刃が交錯する。
砂漠に、金属音と風切り音が響く。
私は、マリアンヌを応援しながら思った。
……やっぱウル〇リン出た!
両手の鉄の爪、獣の反射神経、そして怒りのままに突っ込んでくるスタイル。
完全に某アメコミのアレ。 これで再生能力も高かったら完璧だ。
でも、こっちは砂漠で足場は最悪。
そして私は、紅茶を飲む暇もない。いや今は飲む気もないけれど。
数合交えた後、狼獣人が距離を取った。
その隙に私は防御結界を多重展開。その数4層。
宮廷魔術師の力量を超える力業。
ふふん、学院でもこれできるのは私だけだったんだよね。
ありがとう公爵血筋。
ウル〇リンは息は乱れていない。
でも、目が変わった。
怒りから、警戒へ。
「……貴様、ただの貴族の娘ではないな」
「よく言われるわ。でも、ただの貴族の娘が、こんな砂漠でウル〇リンと戦うと思う?」
「ウルバ???……調停役にしては、動きが的確すぎる。それとそこの侍女、貴様も色々とおかしい。確実に表の人間ではないな」
「マリアンヌですから(どやぁ)。それもよく言われるわね。ちなみに、今のは“軽く流した”だけよ。 マリアンヌが本気でやったらあなたの爪、今ごろ砂に埋まってるわね」
マリアンヌはまだ私の強化魔法を受けてないからね。いや受けなくても強いけど。
狼獣人は、しばらく沈黙した。
そして、ゆっくりと爪を引いた。
「……今回は引く。だが、調停役。水守様を侮辱する者を俺は見逃さない。次は、貴様の言葉次第で、俺の爪の錆にしてやろう」
「了解。でも、次はちゃんと話してから来てね。爪より言葉のほうが、調停には向いてるから」
「…ふっ…覚えてこう」
狼獣人は、砂の中に姿を消した。
風が再び吹き、静寂が戻る。
私は結界を解き、深く息を吐いた。
「……マリアンヌ、紅茶ある?」
「ございます。ですが、砂が入っております」
「えー。…あんたにしては珍しいわね」
固まっていたユリウスが一息つく。
「この期に及んで紅茶か。なんというか、肝が据わっているというか…」
「赤ペン先生なら、私が帝都の上級ダンジョンを踏破したの、ご存じでしょうに」
「記録によると確か、上級ダンジョンの最下層ボスを一対一で撃破したとか……馬鹿か?」
「…ひどくない?」
マリアンヌは自分の両手をグッパーしながら見つめている。
いや、ほんとにこんなマリアンヌ初めて見た。
「マリアンヌ?大丈夫?」
「……御手加減と仰せながらも、爪閃の軌跡は、風を裂き、理を欺く。 彼の技量、尋常ならず。 我が身、抑制を許されず、遂には真剣を以て応じるに至りました。(訳:手加減と申されましたが、彼はかなりの手練れです…本気を出さざるを得ませんでした)。 その構え、まるで老師の影を彷彿とさせ、 一挙手一投足に宿るは鍛錬の深淵。 刃の交錯にて悟るは我が未熟と彼の高み。(訳:まるで師匠並みですね)。 上には上が在る―― その厳然たる真理を、痛切に胸に刻みました。(訳:上には上がいる…痛感いたしました)」
やばい。詩の呪いが前に出て来とる。
マジか。
隠密部隊最強のマリアンヌをここまで追い詰めるのか。
次当たったら、思いっきり強化魔法盛ろう。
「けど、副隊長の詩よりは綺麗ね」
私は手帳を開き、記録を残す。
砂漠の遭遇記録
敵:狼獣人。水守の私兵。鉄爪装備。
動機:精霊と水守への侮辱に対する報復。
実力:極めて高。マリアンヌと拮抗。
判断力:あり。撤退判断は冷静。
マリアンヌ:詩の呪いが前面に出てくるほどの緊張感。
備考:ウル〇リン。語彙はある。
特記事項:この小説はバトル小説ではありません。
「……一筋縄ではいかないわね、この砂漠」
こうして、エリシアはまた一つ、砂漠地帯の“牙”を知った。
祈りと剣、封印と利権、そして牙と調停。
紅茶は飲めなかったが、戦いの余韻は不安を残した。




