X-1 目覚めの庭
春の庭は、やわらかな風に満ちていた。
グランディール公爵家。
かつてこの地は帝国の首都だったこともあり、壮観な城郭がそびえ立っている。その南庭園。
水盤の周りに咲く白い花々が、陽光に透けて揺れている。
その中心で、ひとりの少女が膝を抱えて座っていた。
エリシア・フォン・グランディール、5歳。
帝国でも名高い公爵令嬢。 蝶よ花よと育てられている最中である。
だが今、彼女の瞳は年齢に似合わぬほど深く、静かだった。
「……ああ、やっちゃったな。これ、転生ってやつか」
誰に向けたでもない、低く乾いた声。
彼女の中で、記憶が“再起動”したのは、ほんの数分前だった。
きっかけは、いつも寝る前に侍女が読んでくれていた物語。
「断罪された令嬢が、修道院でスローライフを送る話」――
庭園を散歩途中でふとその物語を思い出した際、エリシアの脳が“異常検知”を起こした。
(この展開、知ってる。いや、読んだ。何冊も。なろうで。)
次の瞬間、彼女の中で何かが弾けた。
45歳独身男性、企業コンサルタント。
前世の記憶が…まるで同僚のミスで計量器が届かず、目が死んだ状態で朝日が昇るまでネジを数えまくったあの日の棚卸しのように整然と蘇ってきた。
大きなため息が出た。
なにもつらい記憶を先に思い出さんでもと。
前世の記憶はひとまず後回しにし、まずは現状の自分の状態を確認、この世界で何をするべきか考えることにした。
「……なるほど。帝国貴族令嬢で公爵ということは…くそ…帝姫教育も視野に入れるべきだな。しかもこの家、帝国の食糧庫って呼ばれてるのか。 詰んでるな。詰んでるけど、…うまく立ち回れば詰ませる側に回れる…か?」
乙女ゲームの世界なのか、はたまた追放されて冒険者になる世界なのか、それとも死に戻り系のやつか、この時点では判断がつかなった。
庭の白花が風に揺れる。
その中で、5歳の少女は静かに立ち上がった。
「テンプレに沿っていくか。まずは現状確認、情報収集。次に人脈構築。それから……起こりえるかもしれない“断罪イベント”の回避。いや、逆に利用…するか?」
ふと、城のほうから風に乗って何かを煮込む美味しそうな匂いが漂ってきた。
もうすぐ昼餉らしい。
予想通り、少し遠くでエリシアを見守っていた侍女が声をかける。
「お嬢様ー、そろそろお昼ごはんの時間ですよー。」
エリシアは立ち上がって振り返り、にっこりと微笑んだ。
その笑顔は、5歳の令嬢にふさわしい愛らしさ―― だが、その瞳の奥にあるのは前世の不況、失われた30年を生き抜いた企業戦士の魂であった。
「ええ、ありがとう。今日は鶏肉の煮込みかしら?糖分とタンパク質は、思考の燃料ですものね」
侍女はぽかんと口を開けた。 「た、たんぱ…?」
エリシアは、くるりとスカートを翻して歩き出す。
「さて…見せてもらおうか、転生先世界の状況とやらを」
大好きだったロボットアニメに似せた名言を呟きながら、ちょこちょこ歩いて食堂に向かう。
可愛いながらもその背中は、5歳の少女にしてはあまりに堂々としていた。
この時のことをお付きの侍女は後にこう話している。
「お嬢様、いやなんかすんごい悪い顔してた」と。
そしてこの日から、帝国の運命は、静かに軌道を変え始める。




