1-10 奇跡の正体 ― 聖女の影と修道院の仕掛け
夜。寝ようとしただけなのに、罰ゲームが始まった。
空気はぬるい。湿気は重い。布団は湿った敵。
窓を開けても風は来ないのに、蚊は来る。
しかもやる気満々。
「……この島、信仰より先に虫対策が必要じゃない?」
隣のベッドでは、マリアンヌが蚊と壮絶な戦いを繰り広げていた。
パチン! という音が夜の静寂を切り裂く。
「申し訳ありません、エリシア様。蚊が……非常に俊敏でして……」
この世界には蚊帳はないのか。
「いや、いい。むしろその殺気、隠密としての本能が目覚めてるな。
でも、なんでお前ばっか刺されてんの?」
「……血が美味しいのでしょうか。隠密育ちの高タンパク仕様かと。」
「蚊にとっては高級ディナーか。マリアンヌ、信仰より先に献血してるんだな。」
マリアンヌは薬草を染み込ませた布を扇子に巻き、煙幕式虫除けの試作に取りかかっていた。
煙幕式…蚊取り線香やん。
その姿はもはや、隠密というより“虫除け職人”。
「次は蚊取り線香か? 信者が“神の雲”とか言い出しそうだな……」
「はい、“加護の煙”などと誤解されぬよう注意いたします。」
翌朝。寝不足のまま修道院の内部を視察。
祈祷室、医務室、厨房――どこも“奇跡”と呼ばれる現象が演出されていた。
まず祈祷室。病人が祈ると熱が下がるという“奇跡”の場らしいが――
「……床下から冷気が出てるんだけど。これ、祈りの力っていうより、冷却装置の力じゃない?」
私は床板をコンコンと叩きながら、前世のオフィスの空調設備を思い出す。
祈ると熱が下がる? そりゃ冷風直撃なら誰でも下がるわ。
いや逆に風邪ひかね?
マリアンヌが神妙な顔で言う。
「信者の方々は、“聖女様の息吹が熱を鎮める”と……」
「息吹っていうか、冷風だよね。しかも魔道具製。」
次に医務室。聖女の祝福を受けた水が傷を癒すというが――
「この匂い……薬草の抽出液だな。しかも煮沸済み。衛生管理は合格。
でも“祝福水”って名前つけただけで信者がありがたがるの、マーケティングの勝利というところかな。」
「信者の方々は、聖女様の涙が混ざっていると信じております。」
「涙って……言ってることは衛生的にアウトじゃね?」
最後に厨房。聖女の加護で食材が腐らないというが――
「燻製と塩蔵。保存技術の勝利。奇跡じゃなくて、知識と努力の結晶だなぁ。ていうか、“加護”って言いながら、冷蔵庫より原始的なのどうなの?それ以前に冷却装置こっちに使ってよ。」
「信者の方々は、“聖女の微笑みが菌を遠ざける”と……」
「微笑みで防腐って、どんな顔面除菌スプレーだよ。」
そのとき、白い修道服をまとった女性が現れた。
柔らかな笑みを浮かべた彼女は、この修道院の院長――セラフィーナ。
年齢は30歳前後か、ふわっとした印象を受ける。
「まあまあ、昨夜はよくお休みになれましたか?この島は神の恵みが満ちておりますから、自然の息吹も豊かでして。」
私は、にっこりと微笑んで返した。
お嬢様モードで対応しなくては。
「ええ、セラフィーナ様。神の恵み、羽音付きで飛び回っておりましたわ。おかげさまで、信仰心よりも痒みが育ちましたの。」
「羽音……?」
「蚊ですの。神の使いとお考えでしたら、せめて加護に虫除け効果をつけていただきたいですわ。信者の信仰心、かゆみで試されておりますのよ。」
「まあ……蚊もまた、神が創られた命。刺されることも、謙虚さを学ぶ機会かと……」
「謙虚っていうより、無防備ですわね。奇跡の演出に全力で、虫対策はノーガード。信者の健康より演出優先とは、まるで信仰系広告代理店ですわ。」
私が微笑みながら皮肉を込めて言うと、セラフィーナは一瞬ぽかんとした顔を浮かべた。
そのまま、ふわりとした笑みを取り戻し、まるで何も聞こえていなかったかのように言った。
「のーがー?…まあ……本日は、聖女様の肖像画の前で特別祈祷がございますの。どうぞご自由にご見学くださいませ。」
そして、くるりと優雅に身を翻し、ゆったりとした足取りで去っていった。
その背中からは、まるで「奇跡の演出に虫は含まれませんわよ」と言わんばかりの、天然のオーラが漂っていた。
「……あの人、皮肉って概念が加護で弾かれてるんじゃない?」
「はい。まるで、聖女様の微笑みで脳内が浄化されているような……」
「それ、信仰じゃなくてまんま洗脳だなぁ。」
その後――。
マリアンヌが密かに持ち帰った“寄付金記録”の写しを見せてきた。
密かにって…グランディール領直属暗部怖ええよ。
相変わらずの手腕に脱帽です。
「エリシア様、奇跡の維持費として徴収された寄付金が、島外の口座に送金されております。」
「……セラフィーナ、ただの天然院長じゃないな。…信仰を盾に、資金を外部に流してる。奇跡の演出は、信者の財布から出てるってわけか。」
「しかも、送金先は“聖女ミレーネ後援会”名義です。定期的に“奇跡の報告会”と称した講演が開催されており、信者から追加の献金が集められているようです。」
「報告会って……信仰の定期メンテナンスでもやってるつもりか。しかも内容、“聖女の微笑みが作物を育てた”とか、“聖女の涙が海を浄化した”とか、ファンタジー全開ジャナイカー。」
「はい。講演は各地の修道院で巡回形式で行われ、参加費は“信仰の証”として徴収されております。」
「つまり、セラフィーナはこの修道院を“奇跡の実演会場”として運営し、聖女ミレーネのブランド価値を高めるための広告塔にしてるってことかな。信仰の名を借りたエンタメ産業ということか。そりゃ聖女も魔女っ子化するわな。」
私は椅子に腰掛け、ギシギシと軋む音を聞きながら、ため息をついた。
「さて、どうするかな……。また働く羽目になりそうだ。転生してまで社畜って、どんな罰ゲーム?」
マリアンヌは無言でサムズアップした。
その笑顔が、なぜか背筋を寒くさせるのは気のせいじゃない。




